地獄のイライラ棒

 乱暴に理科室の引き戸を開ける。


 大部屋の奥からは変な匂いのする煙がモクモクと流れてくる。硫黄のような感じもするし、アンモニアのような刺激もある。こけおどしだ。むくろは強気に突き進んだ。


 部屋の奥で揺れる銀髪。教師でもないのに風に揺らめく白衣。机で作業に励む残念なイケメンが徐々にその姿を現してきた。


「お前が平賀か」


 むくろがすごむ。


 平賀は時間差でむくろを見上げた。両手にはメスを持っている。


 昏く、鋭い眼がむくろを睨む。


「君が麗奈嬢の恋人というやつかい」


「違うわ、ボケ」


「つまらない嘘はつかなくていい」


 平賀は席を立った。


「君はずいぶんと粗暴な男と聞いている」


「間違っちゃいないが、お前に言われたかねえな」


 正論を無視して、平賀は続ける。


「僕は美しいものが好きだ。ダ・ヴィンチの絵画、ミロのヴィーナス、そして浅川麗奈嬢」


「最後以外は全部サルでも知ってるような有名なやつじゃねえか」


「うるさいんだよ、君は」


 メスを投げる。スナップの効いた、素早い投擲だった。


 むくろは身体を半身にしてかわす。かわされたナイフは人体模型の眉間に突き刺さった。


「物騒な野郎だな」


「君に言われたくないさ」


 平賀はゆっくりと歩いてくる。全身から放たれる殺気。殺し屋の持つそれと一緒だった。どうやらただの博士キャラじゃないらしい。


「僕には夢があってね」


 平賀は恍惚とした表情で語りだした。


「より多くの人を病から救い出して、より平和な世界を作り出していきたいんだ。そう、誰もが笑っていられる世界をね」


「……」


「だが、理想は一日にして成らずだ。理想を果たすためには、それなりの努力にそれなりの失敗もあるだろう」


「それが今までこさえてきた廃人か」


「何とでも言うがいい。僕が歴史に名を残せば、君もただのモブなのだから」


「ああ、残すだろうよ。いかれた人体実験を繰り返して、最後には俺にシメられたアホ博士っていう経歴でな」


「大口を。それでは僕の研究の成果を見せてやろう」


 平賀はいかにもヤバそうな注射器アンプルを取り出した。首に浮き出た血管に針を突き刺す。みるみる全身の筋肉が膨張していく。女性にも見紛いそうだった顔にも太い血管が走り、顎が太くなっていく。


 ――シルバーバック。銀色に見える白い毛を生やしたゴリラがそう呼ばれるが、目の前の平賀は、まさにその名にふさわしい変貌を遂げていった。


「出たなバケモノ」


 むくろが毒づく。気持ち嬉しそうだった。


「電気があれば、なんでも出来る!」


 さっきとは別人のようなダミ声。


 心臓に悪そうな薬だな――生命の危機にありながら、むくろはのんきな事を考えていた。


 平賀が机の脇にある棒状の物を掴んだ。


 振り上げると、誘蛾灯のような光を放ち、バチバチと音を立てている。高圧電流が流れているのは明らかだった。


「電撃、イライラ棒」


「……クソが」


 タチの悪い冗談。平賀がものすごい勢いで突っ込んで来る。


 横に転がってよける。


 先ほどまで立っていた場所に振り下ろされるイライラ棒。激しい電流の音とともに、時間差で嫌な臭いが漂ってくる。


「喰らえば死ぬな」


 誰が見ても明らかだった。あのひと振りを喰らえば黒焦げの焼死体の出来上がりだろう。


 冗談じゃねえ。


 むくろは背中に背負っていた金属バットを構えて、やっぱり投げ捨てた。イライラ棒には高圧電流が流れている。金属バットで鍔迫り合いになれば、その時点で黒焦げが確定になる。


 作戦を変える。

 カットマンから奪い取ったハサミを投げつける。あっさりと弾かれた。田崎志帆ボンバーマンには効いても、目の前のドーピング・マッド・サイテンティストには効果がないようだった。


「いきなり手詰まりだな」


 自虐的な独白が出てくる。


 そんなのお構いなしに、平賀がイライラ棒を振り回して突っ込んでくる。柱やら机を盾にしながらよける。だが、平賀は規格外の力で長机を放り投げる。石をどかされたダンゴムシの気分だった。


 このままでは殺される。イライラ棒をぶつけられて、黒焦げになって終わり。


「通電性の無いものを探すしかないな」


 あたりを見回す。通電性の無い物。それを見つけて、接近してタコ殴りにするしかない。


「あっ……!」


 理科室の隅に謎のゴム板を発見した。おそらく絶縁体か何かの実験で使うためのものが置いてあったのだろう。ゴム目がけて走る。


 手に取ると、ゴム板はホームベースぐらいの大きさだった。


「ぶっつぶしてやる」


 むくろが物騒な言葉を吐く。



 暴走族を止める広島県警がライオットシールドを構えるように、方形のゴム板を平賀に向けて構える。電撃イライラ棒は竹刀のような物。接近戦には向かない。至近距離で弾いて、隙を突いて一撃を加える。それがむくろの作戦だった。


 ジリジリと距離を詰める。一瞬だけステップインする。斬撃。イライラ棒が振り下ろされたその時、バックステップでかわして突っ込んだ。


 ――喰らいやがれ。


 走りながら右のオーバーハンドフックを打ち込む。浅く額に当たる。平賀がイライラ棒を振り戻す。ゴム板を構えた。イライラ棒の根元付近で、巨大なゴム板と高圧電流を放った棒がぶつかる。


「がぁああ!」


 むくろの全身に文字通り強力な電流が走った。


 本能で転がる。壁際まで行くと、全身のたくりながら立ち上がった。


 喘鳴。まだ全身が痙攣している。


「バカだなあ。絶縁体を持っているからって、電気がすべて吸収されるわけじゃないんだよ」


 平賀が嗤う。


 彼の言う通り、絶縁体は万能ではない。


 絶縁体の許容量を超えれば、電気は通る。理科室の片隅でたまたま見つけたぐらいの絶縁体ぐらいでは、平賀のイライラ棒を止める事が出来なかっただけの話だ。


「クソが」


 呪詛が漏れ出る。


 先ほど盾代わりに使ったゴム板はとっくに焼け焦げている。


「さあ、覚悟を決めるんだね」


 目の前で平賀がイライラ棒を振り回している。円月殺法をきどっているようで腹が立った。


 平賀がヘラヘラ嗤いながら、距離を詰めていく。少しも自分の勝利を疑っていない風だった。


 その時、むくろが鼻で嗤った。


「余裕じゃないか」


「ああ、この後の展開を考えると笑えてくるよ」


 座ったまま壁にもたれかかるむくろ。その顔には不適な笑みが浮かんでいた。


「この期に及んで負け惜しみか。見苦しいよ」


「さあな」


 むくろは嗤いながら、何かのボタンを取り出した。


 それを見た時、平賀は嫌な予感がした。


 イライラ棒を振り下ろす。


 ――これでお前は黒焦げだ。



 そう思った刹那――


 すさまじい爆発音。


 校舎が吹き飛ぶのではないかと思うほどの揺れ。


 視界に映るむくろは、嗤いながら両耳を塞いでいた。


 爆風。平賀が吹っ飛ばされる。むくろは身体を縮こまらせて、壁際で伏せた。瓦礫入りの洗濯機に放り込まれたような光景。黒い煙が舞い上がる。空爆にでも遭ったような景色だった。


 破壊しつくされた理科室の天井がパラパラと落ちてくる。時間差でサイレンが鳴り響き、天井からスプリンクラーが作動する。勢いよく飛び出る水。黒い煙を切り裂き、飛び散った薬物を洗い流していく。


「さすがにやりすぎたか」


 むくろは苦笑いした。


 ――先ほどの爆発。その正体はボンバーマンこと田崎志帆からくすねた爆弾だった。


 平賀が電気ショックを得意とする事から、電源を断ってしまえば無能になる事は容易に想像出来た。


 むくろは校舎の主電源を管理する動力室にセムテックスC4爆弾を仕込んでおいた。そして、平賀と闘う前に理科室の壁にも爆薬を仕掛け、タイミングを見ていつでも反撃出来るように下準備をしていた。


 少しばかりタイミングは逃したが、平賀が最大の武器イライラ棒を出したところで、むくろのプランは決まった。自分が有利になったと見せかけて、直前でひっくり返す底意地の悪い作戦。それは見事にハマった。


「生きてるんだろ? 起きろよ」


 水に打たれる瓦礫。むくろはどこにともなく言った。


 時間差でガラガラと音を立てて、少し先の瓦礫が盛り上がる。中から血ダルマになった平賀が出てきた。


 ぜえぜえと息を切らせている。その眼には、明らかな憤怒の念が浮かんでいた。


「許さん。許さんぞ」


「そうかもな。大事な僕ちゃんの研究室がつぶれちまったからな」


 むくろが嗤う。


 平賀が血走った眼で呟く。


「殺してやる」


「こっちのセリフだ。クソ野郎」


 構える。


 平賀が飛び上がる。ゴリラのような筋力はまだ維持している。サルのように飛び、空中で殴りかかってくる。


 むくろはサイドステップでかわす。先ほどまで立っていた場所に拳が振り下ろされ、砕けた瓦礫が飛び散った。


「バケモノが」


 毒づき、ジャブを突く。


 二発。長くて、速いジャブ。横っ面に喰らった平賀が怯む。


 右を振る。平賀は頭を下げてかわす。血管の浮かびまくった腕でアッパーを放つ。スウェーで外した。目の前をバカでかい拳が通り過ぎる。寒気がするとともに、味わった事のないスリルに口角が上がった。


 足を踏みかえる。右足を前に出して、サウスポー左構えの体勢から左ストレートを放つ。眉間に当たる。すかさず右フックを返す。顎を撥ね上げた。


 ――行く、と見せかけて、バックステップ。目の前をワイルドなフックが通り過ぎた。平賀が苦しまぎれに放った大振りの一撃だった。


 見えてるんだよ。


 心の中で呟く。むくろは平賀の動きを見切った。


 リターンブローが目の前をかすめたその刹那、再度ステップインして左ストレートから右フックを返す。


 平賀がグラつく。


 死ねウラ。


 距離を詰めて、左右のフックでタコ殴りにする。近距離だと長いリーチがアダになる。反撃が出来ず、頭を抱える平賀。闘いは一方的な様相を呈してきた。


 太い首を掴むと、膝を叩き込む。ドーピング・マッド・サイエンティストの頭蓋骨を砕いてやるつもりだった。


 連続で膝を叩き込まれた平賀の身体が沈んでいく。いよいよ勝負が決まるのは近い。


 むくろは溜めを作り、トドメの一撃になる膝を放とうとした。


 その刹那、今度はむくろの脳内に爆音が響いた。その正体は、平賀が咄嗟に放った頭突きだった。


 完全に予想外の一撃。膝から力が抜け、むくろの巨体が沈みかける。


 平賀はもう一発と新たな頭突きを放とうとした。頭を後ろへ振り上げたその時、今度は朦朧とした意識のまま、むくろが顎に頭突きをぶちかました。


 平賀の身体も沈む。弱った巨漢同士が支えあって人の字になっていた。


 二人とも意識は混濁し、視界はウルトラQみたいにねじれている。額をサイのようにこすりつけながら、相手を睨んで威嚇する。


 ――この闘い、引いた方が負ける。


 本能で二人は理解した。


 勝負は終わりに近付いている。


 だからこそ、ここで引く事は致命的になる。


 互いの両肩を掴み、頭突きを打ち合う。頭蓋骨の正面衝突。地獄の我慢比べ。一秒にも満たない感覚で、骨と骨のぶつかる音が鳴り響く。


 意識が遠のく。今までの相手は似たような展開ですぐに倒れてくれた。だが、今度の相手は実質ゴリラだ。額にも浮かぶ血管。あの注射器アンプルは強力なステロイドか何かだったのか。


 バケモノが。


 心中毒づき、頭突きを繰り返す。


 原初的な意地の張り合い。だが、つまらない駆け引きには絶対に走りたくない。ただの意地だけで、どこまでも頭突きを打ち続けた。


 ゴンと音が鳴ったその刹那、むくろの膝から力が抜ける。


 限界が来やがったか――身体は悲鳴を上げているのに妙に冷静だった。


 平賀がトドメを刺そうと前に出てくる。その時、端正な顔が歪んだ。


 ――てめえも限界みてえだな。


 声に出さず嗤う。


 平賀の胸がすごいスピードで脈打っている。


 むくろは悟った。平賀は自分で打ったステロイドが原因で急激に心臓へ負担がかかっている。元々は子供の身体だ。あれだけ好き放題動いたら負荷なんて大きいに決まっている。


 平賀の身体はとっくに限界を超えていた。


 勝利を確信した途端、今まで抑えていた心臓への負担が爆発した。


「時間切れだな。ウルトラマン」


 ウルトラマン――格闘技界で三分だけ超人的に強い選手を揶揄する言葉。だが、平賀はたしかに超人からただの人間に戻りつつあった。


 むくろはガクガクと揺れる膝を抑え、根性だけでダウンを拒絶する。


 ――元気があれば何でも出来るだよ、バカ野郎。


 右フックをぶち込むと、左フックを返し、右アッパーを振り抜いた。


 激しい衝突音。巨体が、宙に浮く。


 平賀の身体が瓦礫の山に叩きつけられる。勝敗は誰の目に見ても明らかだった。


「なかなか楽しかったよ。クソゴリラ」


 毒づくと、力を使い果たしたむくろも壁に寄りかかって腰を下ろした。足が震えている。立てるようになるまでしばらく時間がかかりそうだ。


 最後の肉弾戦で仕留めたから良かったものの、あの電撃イライラ棒を封じる事が出来なかったらおそらく命は無かった。


 倒れた平賀を見やる。薬が切れたのか、身体がしぼむように小さくなっていく。


 抑えていた疲労が全身に広がっていく。瓦礫の中でも、気を抜いたら気絶出来そうだった。


むくろ君!」


 麗奈が理科室に駆け付ける。


「ナイスタイミング」


 皮肉たっぷりに言った。おそらく部屋の外で闘いの成り行きを見ていたのだろう。まあ、闘っている最中に来られても邪魔なだけだったが。


「今、助けるからね」


「さっき助けてほしかったけどな」


「うるさいなあ。やめるよ?」


 小さな身体で、負傷したむくろを担ぎあげようとする。が、結局重荷を支えきれずに崩れ落ちた。むくろは麗奈に覆いかぶさる形になる。


 顔が近付いた。舌を伸ばせば届くぐらいのところで。


 麗奈は真っ赤になって目を逸らす。


「ゴメン。助けようとしておいてアレなんだけどさ、動けないから、どいてもらえるかな?」


 ばつが悪そうに言う。


 むくろは苦笑いしながら立ち上がった。


「立てるじゃん」


「助けてくれそうだったんでな」


「もう!」


 麗奈は頬を膨らませる。ブスなら殺したくなる仕草も、この美少女ならさまになる。


「帰るぞ」


 むくろは麗奈の頭を撫でると、廃墟と化した理科室を後にした。


「こどもあつかいするなー」


 抗議の声を上げながら、麗奈は付いていく。


 その足取りは軽く、声は楽しそうだった。

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