園長先生は、秋田先生に電話をかける


 何回目かのチャレンジ。向こうが、悠長に電話をとれる状況じゃないと分かっていながら、スマートフォンをタップして。でも、途中で、その指を止めて。でも、意を決してタップする。


「あ……つながっ――もしもし!」

「もしもし、ご無沙汰してます、花園先生」

「秋田先生、お久しぶりです」

「はい、こちらこそお久しぶりです。花園先生」


 電話の向こう側、にっこり笑っているのが聞こえる。あぁ、コイツはこういうヤツなんだ。どんな、大変な時だって、笑顔を絶やさない。そして、大変な時に大変じゃないと、そう笑顔で取り繕ってしまうのだ。


 多分、今もスピーカー越しに聞こえる、地響きは、きっとミサイルが放たれた音で。


 同じ地球なのに。ちょっと離れたら、平和なんか二束三文。彼と話すと、それを実感してしまう。


「あっきー、調子が狂うから、その言い方は止めてくれない?」

「同感だね、花奈。足の調子はどう?」


「リハビリ頑張った成果かな。退院許可が出た。来週、やっと帰られる」

「そっか、良かった。花圃ちゃんも、安心するね」


 それから、ちょっと言葉を濁す。


「……うちの朱理と朱梨を、花奈に託して、本当にごめ――」

「あっきー?」


 ニッと笑ってみせる。音声通話のみで、私の表情なんか、きっと見えていないけれど。


「私は、朱理君と、まだ会ってないからね。あ、朱梨ちゃんとは面識があるか」

「車で当て逃げされたんだっけ? 酷いことをするヤツがいるよな」


 まぁ、正確にはひき逃げだけどね。犯人は逃走して、まだ詳細は掴めていなかった。


「そっちの国に比べたら、これぐらいって思うようにしてるよ」

「強いね、花奈は」


 ねぇ、あっきー? 甘えたら、私達もっと上手くいったかな?

 喉元まで、でかかった声を、なんとか無理矢理飲み込んで。


「……ま、寝込んでばっかり、いられないからね」

「買収を打診されていたんだっけ?」


「そ。火花ファイアーワークエンタープライズからね。介護業界の大手よね。ウチの保育園を有料老人ホームに転換したいらしいけど、さ。園児もだいぶ減ったけど、登園させたいって言ってくれる親御さんもいるから、負けられないって思っちゃうんだよね」


 見えるはずもないのに、力コブを作って見せて。


「それは、花圃ちゃんは?」

「言ってないよ。主任先生と二人だけの秘密、かな。他の人に言ったのは、あっきーが初めてだよ」


「そっか」


 あっきーは小さく息をついた。


「……あのさ、もし協力できることがあれば、何でもするから――」

「それなら、早く日本に帰っておいで。保育士としては、子どもとの時間を大切にすることを、改めて進言するよ」

「ん……空港の閉鎖が終わったら、すぐにでも帰るよ」

「そうして。話したいことが、たくさんあるんからね」


 あっきーと、たくさん話したい。

 情けないなぁ、って思うけれど。


 一人で、立つことに限界を感じてしまう。


 もう、殴られることも、拒絶されることもたくさんだって思っているのに。

 弱い女だって、あっきーには思われたくないのに。

 だから――無理矢理、話題を変えた。


「あのさ。うちの花圃がね、君の朱理君と、ちょっと仲良くなっちゃったみたいなんだよね?」

「へ?」


 うんうん、そういう反応するよね。だって、私も最初は同じ反応をしちゃったから。


「だって、花圃ちゃんって、男子が苦手だったんだろ?」

「そうそう」


 電話なのに。音声通話なのに、コクコクと頷いてみせて。


「花圃がね『しゅー君』って言った時には、本当にビックリしたんだけど、ココのところ、私のことそっちのけで、朱理君の話ばかりなのよね――」


 花圃が羨ましいとまては、言わない。

 あの子には、散々我慢させてしまったから。


 それなのに、彼が帰国したら――もう、この電話もできない。でも、彼に一刻も早く帰国して欲しい。そんな矛盾する感情が、蠢いて。


「――花奈?」


 唖然とする。

 何回か、呼びかけられていたらしい。


「あっきー?」

「聞いてなかったでしょ?」


「あ、ごめん――」

「ありがとう、って言ったの。帰ったら何かご馳走するからね」

「ふふ。じゃぁ、あっきーの手料理をおねだりしようかな?」


 あ、ダメだ。想像しただけで、頬が緩む。


「俺よりも朱理の方がもう美味いけど……まぁ、リクエストされたとあれば、しっかりお受けしますよ、お嬢様」


 そんな風に微笑んでくれる。

 母親失格だよね――。


(今に始まったことじゃないけれど)


 リクエストしておいて、何だけれど。あっきーにも、朱理君にも。花圃にも。そして朱梨ちゃんも。


 気合いをいれて、料理を作ってあげよう。料理が苦手な私が、こんな風に考えているなんて知ったら、花圃は目を丸くするかもしれないけれど。





 仕方ないじゃんね。

 未だ消化できない初恋に、翻弄されているのが私。

 それが、花園花奈なんだ。

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