さーてぃーん!


「お邪魔します」


 下河、と書かれた表札を通り過ぎて、玄関へ。最後に来たのは2年以上前。母さんの癌が発覚して――その後、家の切り盛りするのは俺の役目になったワケだけれど。


 必然的にバスケ部には入部しなかった。

 それでも、黄島もキャプテンも変わらずに接してくれるのは本当にありがたいって思う。


「……本当に変わらないなぁ」


 思わず、そんな声が漏れた。


「え?」

「ん? いや、久しぶりに来たけど、変わらないなぁって思っただけ」

「そ、それは。なんか、ごめん――」


 しゅんと、キャプテンがあからさまに落ち込む。首を傾げて――それから、納得した。変わらない家がある。でも、俺にはもう帰る家がない。そう連想させてしまったと、落ち込んでいるのだ。


(まったく――)

 そういうところ、ほんとうに変わらない。

 俺は思わず、キャプテンの髪を乱暴に掻き撫でた。


「ちょ、ちょっと! 俺は朱梨ちゃんでも、花園さんでもないんだぞ?!」

「なんで、そこに花園が出てくるんだよ?」


 意味が分からない。さらに首を傾げていると、トタトタトタと足音がする。


「お帰りなさい」

「うん、ただいま」

「た、ただい……ま?」


 俺は目をパチクリさせる。エプロンをつけたバスケ部マネージャー。天音翼が、満面の笑みで出迎えてくれたのだった。


「え? 夫婦……君ら、高校生だよね? え? え?」

「もう、ヤダ。秋田君ったら、お似合いの夫婦だなんて、照れるじゃない?」


 ドンとマネージャーに突き飛ばされて、俺は玄関外に逆戻りの刑と相成ったのだった。






「粗茶ですが」


 とんと、お茶を出されて、ペコリと俺はお辞儀をするしかない。「妻かよ」喉元まで出かかった言葉をなんとか、グッとこらえた。ここで燃料を投下したら、なおさら収拾がつかない。

 俺はキャプテンに視線を向け、無言で説明を要求する。


「え、っと……。朱理が来るのが翼にバレまして。それなら、一緒におもてなしをしようとなりました」

「空君って、すぐ顔に出るもんね。朝からずっとニヤニヤしていたし」

「してないよ!」

「ま、ナイショにすることじゃないし。俺が無理言ったわけで。そこは良いんだけどさ――」


「あ、黄島君とみーちゃんから、伝言ね。『『今度、遠慮したらバスケットボールでぶん殴る』』 だそうです」


 ひどくない、あいつら?


「あと、カバンは黄島君が届けてくれたから。これは、私からのお願い。遠慮なく、みんなを頼って」

「それは……」

「そうじゃないと、私も空君もカチコミに参戦しないと、だからね」


 おっとり笑いながら、マネージャーはクスクス笑う。この人を怒らせるのが一番怖い。これは元バスケ部員としての経験談。


「それに、ね。どんな理由があっても、授業をサボるのは、いただけないと思うの。ね、キャプテン?」


 にっこり笑うクセに室内の温度は急速冷凍。

 俺もキャプテンも顔を見合わせて「はい」と頷くしかできなかった。






「秋田君じゃない?」


 キャプテンのお母さんが帰宅早々、懐かしそうに目を細めた。あいにく、お父さんは出張中。お姉さんは大学に進学し、今はアパートを借りているから不在。今日は、このメンバーで、夕食となる。


 一方、声をかけたれた俺は、目が点になった。試合やキャプテンの家で、何度か顔を合わせたことはあった。でもあの頃と今では状況が違う。何を言われるか想像できてしまって、身構えてる。


 ――その子、確か……紅い悪魔レッドデビルって呼ばれているって、聞いたんだけれど。


 保育園を出るときに聞いた、保護者の声が鼓膜を震わして、何回も何回も反響して。その声を振り払うように、俺は頭を下げた。


「あ……あの、お久しぶりです」

「ちょっと、空……秋田君、メチャクチャ格好良くなってるじゃない!」


 無理矢理、引っ張れたキャプテンはゲンナリした顔をする。


「そ、だね」

「秋田君ってハーフなの?!」


「は、はい。母がアイルランド人で……」

「納得! ちょっと、格好良すぎ。つーちゃん、空から乗り越えるなら、今なんじゃない?」


 携帯電話の乗り換えキャンペーンかな?


「ちょ、ちょ? 母ちゃん、何を言ってるさ――」

「お義母さん。秋田君には、気になっている人がいるので、私なんか対象外です」


 マネージャーは、人差し指を唇に当てて、にっこり笑む。気になる人って、だれの、こと? 俺は目をパチクリさせ、ただ呆けることしかできなかった。


「だって、退院祝いの時、一番気にかけていたの、花園さんだったもんね?」


 にっこり、とんあでもないことを言ってのける。


「な、な! マネージャー、何言ってるの? 花園は妹がお世話になっているだけで――」

「でも、これ以上は、キャプテンが拗ねちゃうから。ごめんね」

「別に拗ねてねぇから」


 そっぽ向くキャプテンをお構いなしに、マネージャーは、その手を引っ張っていく。


「ちょ、ちょっと?!」

「はいはい、 口より手を動かしてね。秋田君は今日、お客さんなんだから。ちゃんと、家人がおもてなしをしないと、でしょ?」


「俺はむしろ、朱理のご飯が食べた――」

「なにか言った、キャプテン?」


 そんなことを言い合いながら、キッチンに消えていく。キャプテンのお母さんと目があって、思わず笑みが零れた。ああ言いながらも、キャプテンとマネージャーの信頼関係は絶大だ。マネージャーのかけ声一つで、キャプテンが奇跡の3ポイントシュートを決めたのは、今や伝説である。


 まぁ、マネージャーの料理が、そんなに上手でなかったのも伝説ではあるのだが――。


 大惨事になる前に、ヘルプに出た方が良いか。

 キャプテンのお母さんに続いて、俺も腕まくりをして、キッチンへと向かったのだった。





■■■





「食べたぁ」

「美味しかった!」


 キャプテンとマネージャーの声が重なる。本当に仲が良い。満足気にリビングのソファーで、ぽんぽんとお腹を撫でていた。


 本日のメニューは、すき焼きだった。かなり奮発してもらった気がして、そこは申し訳ない。


「でも秋田君お勧めの割り下が良かったね」


 下河家が用意していたのは、既成のタレだったので、こちらをお勧めしてみたのだ。酒、みりん、砂糖、醤油でできるから、お手軽だ。


「姉ちゃんも、割り下は手作り派だったな、そういえば」


 前に来た時は、キャプテンのお姉さんが振る舞ってくれたんだった。彼氏さんと二人で、満漢全席かって勢いでもてなされたのが、懐かしい――だけれど、キャプテン。それは今、言うことじゃないからな?


「……食べた後に、他の人の料理を思い浮かべるの最低だと思うよ」


 ぷくぅと、マネージャーが頬をふくらませる。ほら、見たことか。


「いや、美味しかったよ。ちょっと、そう思ったダケで」

「結局、思ったんじゃん。それに、割り下は秋田君だから、私は材料切るだけ専門女でしたー」


 ばーか、と舌を出す。キャプテンは焦っているが、マネージャーは本気で怒っているワケじゃないは見て分かる。


 ――どうしよう朱理?!


 すがりつくんじゃない。ただ素直に、気持ちを言えば良いじゃんか。

 そうキャプテンに囁く。


「……あ、あの。俺は翼に作ってもらったのが、本当に嬉しかったし。一緒に食べられるのが、本当に幸せだって思っているので。翼、あの……ありがとう」

「空君のバカ」


 頬を朱色に染めながら、マネージャーは呟く。

 俺はつけっぱなしのテレビをただ漫然と見やった。


 別にこの人達のようにありたいワケじゃない。ただ、当たり前に笑い合って。当たり前にご飯を食べて、バカをして。そんな関係を築ける友人が、欲しいと思ってしまう。


 どうしてだろう。

 こんな時に、花園の笑顔がチラつくのは。


「あのね、秋田君」

「へ?」


 マネージャーが、強い視線で俺を見る。


「秋田君は素直に言えたの?」

「へ?」

「花園さんに、今日のこと、ちゃんと言ってきたの?」


 俺はコクンと頷くものの、声にならない。


「空君には聞いたよ。でも、書き置きは伝えたことにはないからね?」

「え、っと……」


「それはね、言い逃げって言うの」

「マネージャー?」


「昔、あるところに、ね。私が仲良くなりたい男の子がいました。私が転校してきてすぐ、仲良くしてくれた男の子だったんだけどね」

「はい?」


 心当たりがありすぎるエピソードに、思わずキャプテンを見てしまう。


「その男の子は、私と釣り合いが取れないからって、勝手に逃げ回っていました。もっと良い友達が、周りにはいるから、って」

「翼、その話はもうやめない……?」


 キャプテンの顔が真っ赤だ。そりゃ、そうだろう。だって、中学時代のキャプテンとマネージャーの馴れ初め、そのエピソード。今となっては、本人も認める黒歴史である。


「余計なお世話だって思わない? 付き合う友達くらい、自分で決めるし。何より、仲良くなりたいと思っている人が、いきなり自分を避けるのよ? 今思い返しても、アレは結構きつかったなぁ」

「だから、本当にゴメンって……」


 キャプテンは声どころか、姿までこの場から消え入りそうだった。


「でも、花園は男が苦手で――」


 なんとか、声を振り絞る。


「知ってるよ。みーちゃんからも、花園さんからも聞いてるから」


 にっこり、マネージャーは微笑む。


「でも秋田君は、花園さんが『どうして男の人が苦手なのか』その理由を知らないんでしょう?」

「え、でも、それは……」


紅い鮫レッドシャーク紅い悪魔レッドデビルの意味を知らないで、秋田君を決めつける人と、何が違うんだろうね?」

「そ、それは……」


 どうしても、あの時の花園の表情が瞼の裏に焼きついている。マネージャーへの言い訳なら、いくらでも喉元からわきあがるのに、反論しようとした言葉はへばりついて声にならない。


「仮に秋田君が本当に嫌いで、拒絶したい人だったと家庭して。そもそも、そんな人には、自分から話しかけたりしないからね?」


 マネージャーの言葉に、俺は思わず目を見開いてしまう。





『しゅー君――ありがとうございました』

 自分から、歩んできて。


 花園は、そう言ってくれたのだ。焼きおにぎりのことも。朝食のことも。

 それはただの食事のお礼で、世辞に過ぎなかったとしても。唾を飲み込む。俺、ちゃんと花園の話を聞いていないし、返事をしていな――。


「うん、分かったらよろしい。ちゃんと花園さんと、話をしてみてね?」


 ニッコリ微笑まれた、その瞬間だった。

 テレビの画面が、9時のニュースに切り替わる。






『誘拐事件の最新速報をお伝えします。本日、正午、安芸市在住の秋田朱理さんが行方不明となり、家族が警察へ通報。自宅には、何者かに強制され、秋田さんが書いたと思われる置き手紙が残っていました。現在、安芸市警察は、捜査本部を設置。誘拐事件として捜査を進めています。報道局では、犯人から送られた音声メールを独自に入手しました。お聞きください』







 ――お前の朱理は預かった。帰して欲しければ、小説オンラインサイト夜想曲で書籍化された作品を、下河家玄関前に置いておくこと。また連絡をする。以上だ。






■■■





「え?」

「俺、ココにいるよね?」

「今のって、空君の声だよね。雑音で――風の音がひどくて、聞こえづらかったけど」


 三人で目を丸くするしかない。テレビ画面に映っているのは、俺の中学校時代の卒業アルバムの写真だった。


「誘拐の要求が、エッチな小説って、どういうこと?!」

「ちょ、ちょっと、待って翼、これには深いワケが――」


 そんなに深いワケはない。そして、首をしめられて、こっちはこっちで殺人事件がおきそうだった。




『続いて、容疑者のご家族にインタビューができました。お聞きください!』





 ――空、バカなことをしていないで、早く自首をして。お姉ちゃん、こんなの……恥ずかしすぎるよ!


 ――雪姫ゆき、大丈夫だよ。空君のことだから、ちょっとした気の迷いだって思うから。ちゃんと、出頭してくれるからね? 空君、エッチな小説に興味をもつの、恥ずかしいことではないからね? なんなら、お小遣いは俺が融通するから! 今はまず、話を聞かせて欲しいかな。


(そういうことじゃないっ!)


 キャプテンが悶絶する。彼氏さんのコメントは、何のフォローにもなっていなかった。

 でも、相変わらず、お姉さんと彼氏さんは仲が良さそうで何より――なんて安堵している場合じゃない。



「空、朱理君を誘拐したってどういうこと?!」


 今度はキャプテンのお母さんが。血相を変えて、リビングに飛び込んでくる。


「誘拐された人が『お邪魔します』って入ってくるワケないじゃんか!」


 キャプテンが、ようやくまともに反論してくれたけれど、色々もう手遅れだって思う。

 と、ため息をつきながら思案していると、アナウンサーの言葉が妙に引っかかる。




 ――本日、正午、安芸市在住の秋田朱理さんが行方不明となり、家族が警察へ

 



 慌ててスマートフォンを見れば、着信やメッセージ、LINKの通知が計300を越えていた。朱梨、黄島、海崎、父さん。――それから花園。


 通知の7割が、花園からであることに目を丸くする。

 しばらくの間、保育園でお世話になるから。それなら連絡先を共有しておいた方がお互い便利だろうと、LINKのIDを交換をしたことを思い出す。




「どうしたものかな」


 小さく息をつくと、マネージャーは、これまでに見たことがない笑顔を浮かべていた。その目は、まるで笑っていない。すき焼きを食べた後とは思えないほど、極寒の冷気――怒気が、リビングを支配していた。




「もちろん」


 ぽんと、俺とキャプテンの肩に手を置く。


「出頭しようね?」

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