第48話 禁忌事項
「禁忌事項と言っても、夏乃ちゃんのような被害者が罪に問われるようなことはないよ。だから安心して」
「ただね、僕ら研究者の間では、向こうの世界とこちらの世界は双子のようなものだと考えられているんだ。言葉が通じたの、夏乃ちゃんも不思議に思わなかった?」
「あ……はい。思いました!」
「うん。だよね。まだ仮説だけど、この世界は僕らの世界から枝分かれした世界かも知れないんだ。同じ歴史の軸上にはない。だけど、むやみに関わると予測不能の事態を引き起こしかねないんだ」
「それって、タイムスリップものの話によくある、歴史改変的な?」
夏乃は上目遣いに暁の表情をうかがったが、彼は穏やかに話を続けた。
「まぁそういう可能性もあるって話だよ。だから基本、現地人との接触は禁じられているんだ。犯罪全般はもちろんだけど、現地人の生死に関わること。婚姻や肉体関係などは、特に禁じられているんだ」
暁の言葉にドキンと鼓動が跳ねる。
(あっぶなかったぁ……)
夏乃はホッと胸をなで下ろした。
もう少しで禁忌事項に触れてしまう所だったと思うとドキドキする。
やはり自分の判断は間違ってはいなかったのだとホッとする一方で、チクリと胸が痛んだ。
夏乃の初めての恋は、禁忌事項だったのだ。
「どうしたの? 何か思い当たることでもあった?」
「いえ、未遂ですので大丈夫です」
「未遂……って言うと、もしや肉体関係? 相手は、まさか〈銀の君〉?」
「ええまぁ。でも、全力で拒みましたから大丈夫です」
アハハと笑う夏乃の前で、蒼太と暁は再び顔を見合わせた。
「夏乃ちゃん。一応、事情聴取って言うか、こちらへトリップしてからのことを聞きたいんだけど、話してもらえるかな?」
改まったように、暁が膝の上で手を組み合わせた。
表情は今までと少しも変わらす穏やかなのに、どこか背筋を伸ばさなきゃいけないような、仕事モードの雰囲気が漂った。
「これからの事なんだけど、元の世界に戻るにあたって、こちらでの記憶は消去させてもらうことになる。夏乃ちゃんが親しくしていた人の記憶も消さなくちゃいけない。だから、出来るだけ詳しく話して欲しいんだ」
「……記憶を、消すんですか?」
ぐらりと視界が揺れたような錯覚に捕らわれた。
今までの日々が消されてしまう。みんなと過ごした日々が、無かったことにされてしまう。あの月人の顔さえ、思い出せなくなってしまうのだろうか────。
「戸惑うのはわかるよ。でも、向こうに戻ってからのことを考えると、その方が良いんだ」
「きみは今、事故に遭って入院していることになってる。面会謝絶でね。早くお爺さんを安心させてあげたいだろ?」
蒼太の言葉が、夏乃の心をさらに揺らした。
(おじいちゃん)
たった一人の肉親でも会わせてもらえない面会謝絶なんて、祖父はどんなに心配しているだろう。実際にはそこに居ない夏乃に会うために、毎日病院に通っていたりしないだろうか。
(それにしても……人の記憶を人為的に消すなんて。そんなこと出来るのかな?)
確かにSFなどではよく聞く話ではあるが、現代の日本でそんなことが可能なのだろうか。
(でも、現に、この人たちは国から派遣されてここに居るんだ)
彼らには世界を行き来する術もあるらしい。それなら、記憶だって消せるのかも知れない。
胸がきりきりと痛んだ。
帰る手段があるのなら、帰らないという選択肢はない。しかし、記憶を消される事には抵抗があった。
月人の顔を忘れたくない。例え離れ離れになるとしても、彼は夏乃が初めて恋した人なのだ。
(どうにかして、記憶を消さないで帰る方法はないのかな?)
そんなことを考えながら、夏乃はこの世界に来てからの出来事を、なるべく詳しく二人に話した。
「────なるほど、呪いかぁ!」
月人にかけられた呪詛の話をすると、暁は興味深そうに目を輝かせた。
「この世界って、まだそういうのが息づいているよね。何と言っても、夏乃ちゃんの血が呪詛を緩めたのは興味深いね! 僕ら異界人は、もしかしたらこっちの世界の呪詛にはかからないのかも知れないね」
事情聴取そっちのけで、暁はウキウキと持論を展開している。時空の歪みを監視したり犯罪を取り締まる役人というよりは、研究者のほうがしっくりくる。
一方、蒼太は暁と違って冷静だ。
「暁は異界研究が本業なんだ。ここにいるのも、彼にとってはフィールドワークみたいなものなんだ。だから、荒事が起こると俺みたいな増員が派遣される」
「凪さんは、増員なんですね」
夏乃はぼんやりとうなずいた。そういえば蒼太はアルバイトだと言っていた。アルバイトに荒事をさせるのはどうなのだろう、と変な所に引っかかる。
「〈銀の君〉の命を助けたのは、現地人の生死に関わるという項目に抵触している可能性はあるね。でも大丈夫。夏乃ちゃんが罪に問われることはないよ。それよりも、夏乃ちゃんが無事で本当に良かったよ」
話を聞き終えたあと、暁はそう言って慰めてくれた。
「それじゃ、今すぐ帰る?」
「え? いま、すぐ、帰れるんですか?」
「帰れるよ。クラッシャーたちは時空の穴を使って移動するけど、ここには時空の穴を模した転移装置があるんだ。俺もそれで来たんだ」
蒼太は何の屈託もなく爽やかに笑った。
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