第19話 汐里の処遇
夢ならいいのにと思ったけれど、そうではなかった。
厨房や使用人の食堂へ行けば、
「夏乃、異国のお客様が帰ったら、貝割り作業に戻るって本当?」
夏乃が食堂で休憩していると、疲れた様子の
「うん。最初からその約束だったし、ここは物騒だからね」
本当は朝餉を届けに行った時、
目の前で雪夜が殺されたことが、思ったよりも夏乃の心に重くのしかかっていた。
月人を守るためには仕方なかったのかも知れないし、
月人の命を守った褒美に何が欲しいと問われた時、お金を貰えるならすぐにこの島を出たいと夏乃は言ったが、それは却下されてしまった。
代わりに頼んだのは、最初の約束通り貝割り作業に戻してもらうことだった。
この屋敷から出てしまうと、月人に血を提供することも簡単には出来なくなるが、そんなことを考える余裕はなかった。そして、月人も止めなかった。異国の客が帰れば、黒犬の姿に戻っても構わないとまで言ってくれた。
貝割り作業はここよりも待遇は良くないけれど、少なくとも命の危険などない平和な仕事場だ。
「
「うん。汐里はどうなるんだろうね?」
二人の間に沈黙が流れた。
月人暗殺に手を貸した疑いで、汐里は投獄されている。雪夜に騙された可能性もあるが、使用人に干しナツメを配ったのは彼女だ。
「きっと……戻っては来られないわね」
「そっか、家に帰されるんだね?」
「何言ってるのよ、死罪に決まってるでしょ!」
「死罪? でも、汐里は干しナツメを配っただけなんでしょ? あいつに利用されただけじゃない!」
「あたしもそう思うわ。でも、それでも、やっぱり死罪なのよ」
睡蓮は苦しそうな顔をする。
この世界にはこの世界のルールがある。例え使用人や警備の男たちに干しナツメを渡しただけでも、重大な罪に問われてしまうのだろう。
この世界のルールに口出しする権利は、自分にはないと頭ではわかっていても、やはり死罪は酷すぎる。
気が重いのは夏乃たちだけではなく、結果的に暗殺者を連れてきてしまった異国人の船長たちも、すっかり気落ちしてしまったらしい。
宴の予定をすべて遠慮して、白珠島の名産品である真珠と紫の布を言い値で買い取り、明日には出港するという話だ。そのおかげで夏乃たちには暇な時間が出来たけれど、とても喜ぶ気にはなれなかった。
「おい、夏乃!」
裏庭を歩いていると、珀がやって来た。あれから珀を見ると、どうにも複雑な気持ちになる。
「なぁ、本当に戻るのか? 貝割り作業の建物には湯殿はないぞ」
「そんなのわかってるよ。海岸の温泉に行くからいいもん」
片目の偉丈夫が近づくと、無意識に一歩下がってしまう。
「夏乃、おまえがいなかったら、月人さまの命はなかっただろう。おまえの棒術は大したものだったと月人さまも言っている。ここにはおまえが必要なんだよ」
逃げても逃げても、珀は執拗に夏乃に迫ってくる。
「だから、あの時は、たまたま干しナツメが嫌いで食べなかったから──」
「干しナツメを食べなかったのがおまえじゃなくただの侍女だったら、月人さまの命はなかった!」
何を言っても言い返されて、夏乃はうんざりした。
「それなら珀が、飲まず食わずで月人さまに張り付いてればいいじゃない!」
「これからはそうする。冬馬さまも反省していたよ。夏乃には直接言えなかったみたいだが、おまえに感謝してた」
「ふーん、そう。それなら、二人が飲まず食わずで側にいれば、もういいよね?」
夏乃は珀の前から逃げ出した。
「待てよ!」
がっちりと腕をつかまれ、一瞬で引き戻される。
「おまえ、あれから俺を避けてるだろう? 俺が怖いのか? 俺があいつを殺したと思ってるんだろう?」
「えっ、違うの?」
夏乃は振り向いて、珀を見上げた。
「殺したら、誰に指図されたか聞き出せないだろ? 逃げ出せないくらいの怪我をさせただけだ。今は地下牢にいる」
珀は少しだけ得意げな顔をする。
「そう……だったんだ。で、何か聞き出せたの?」
「まだだ」
「聞き出せたら……どうするの?」
夏乃はじっと珀の目を見つめる。
「まぁ、生かしてはおかないだろうな」
「同じじゃん!」
プイッと前を向き、夏乃はもう一度逃げようとした。が、まだ腕をつかまれたままだったので一歩も動けなかった。
「ねぇ、放してよ!」
「月人さまがおまえを呼んでいるんだ」
珀はそう言うと、夏乃を片手でひょいと脇に抱えて歩き出す。
「ちょっと、下ろしてよ! 珀!」
じたばたと暴れる夏乃を脇に抱えたまま、珀は月人の御殿に入って行った。
「月人さま、夏乃を連れてきました」
「ご苦労」
優雅に長椅子に腰かけた月人は、まるで人形のように無表情だった。
床に下ろされた夏乃は、もう逃げ出す気力も無くその場に正座した。
「せめてそなたに礼をしたくてな。着物なら余分にあってもよかろう?」
月人がそう言うと、脇に立っていた冬馬が、きれいな桃色の着物を夏乃の前に置いた。鮮やかな上着から、薄桃色の巻きスカートまでがグラデーションのようになっている。明らかに絹でできた上等な着物だった。
(これから貝割り作業に戻る人間に、絹の着物って……)
思わず突っ込みたくなったけれど、余計なことは言わないことにした。
「ありがとうございます」
珀に押さえられる前に、夏乃は自分から深々と頭を下げた。
これで終わりだと思えば、着物を貰うことなど何でもない。
「そなたは……汐里という侍女と親しかったそうだな?」
「は……い」
嫌な予感がして、夏乃は恐る恐る月人を見上げる。
「では、一応伝えておこう。汐里は今朝早く、牢内で自害していた」
無表情のまま、月人は汐里の最期を伝えた。
「自害って……そんな、どうして?」
頭が混乱して、めまいがした。
「ただの侍女なら自害はすまい。汐里は、酒を飲まない者すべてに睡眠薬入りの干果を配っていた。初めから間者として潜り込んでいた者なのだろう。だから自害したのだ」
「汐里が間者だなんて……あたしには、信じられません! だって、全然、普通の女の子ですよ!」
月人の言葉は夏乃の理解を超えていて、思わず反論してしまう。しかし、月人は表情を変えなかった。
「そなたのように、目に見えるものだけを信じられたら幸せだろうな。しかし、世の中はそんなに単純ではない。怪しく見える者がすべて悪人ではないのと同じで、善良そうに見える者すべてが善良な訳ではないのだ」
月人の言葉が胸に刺さった。
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