第二十四話

 クリスは、それからも何度か男と体を重ねた。

 その度に、ダグラスに対する罪悪感だけがつのっていく。

 しかし、クリスには男に抱かれなければならない理由があった。


 男はクリスの手を押さえて、その首筋に舌をわせる。

「あっ」

 クリスの唇から吐息と共に小さな声がれる。

 男はクリスの耳をみ、荒い息を吐きかける。

「気持ちいいか?」

「んっ、とっても」『気持ち悪い』

 それでも、クリスは感じている演技を続けた。

 男は、一心不乱にクリスの体をむさぼり続ける。

 そして、押さえ込んでいた手を離しクリスの腰を抱いた。

 男はただ、自分の欲望を満たすためだけにクリスを攻めまくる。

『痛い……』

 クリスは痛みに耐えながら、男が行為に夢中なっている隙をついてふところの物を奪うと、脱ぎ捨てられた自分の服に忍び込ませた。

『これで、目的が達成出来た』

 後は、男がいくまで、クリスはひたすら演じ続ければいい。


 クリスは部屋に戻ると、それをベッドマットの下に隠す。

 使う事があるかは分からなかったが、それはクリスにとっての保険だった。

 警備員もまさか、警護対象を抱いていたら取られましたとは言えないだろう。

 当分は取り上げられる事はなさそうだ。

 クリスは、一仕事終えてため息をつくと、体を流す為にバスルームに向かった。


 クリスは少しだけ食欲が出て、久しぶりに昼ご飯を完食出来た。

 おぜんを下げて貰うと、クリスは端末をベッドの上に置いて寝転がる。

 この日は、何度目かの精神科の診療日だ。

 気乗りはしないが、クリスは機材の電源を切って着信を待つ。

 すると、十三時ちょうどに、ヴィクターから通信が入った。

「はい」

 クリスは、そう言って通信を受けたが、寝転がったままで、端末の画面など見てもいない。

 なので、ヴィクターからはクリスの頭くらいしか見えなかった。

 しかし、最近のクリスの態度はいつもこんな感じなので、とがめる気にもならない。

『お久しぶりです。調子はどうですか?』

「良くないよ。薬効いてないんじゃないかな?」

 クリスはそう言って、サイドテーブルに置いてあった薬袋をつまんで見せる。

『そんなにすぐ効果が出るものではないですし、様子をみながら、どんな薬がいいか調整して行きましょう』

 ヴィクターは、何も話さないクリスに、当たり障りのない事を言って診察を進める。

 間違えてクリスの機嫌を損ねようものなら、手痛いしっぺ返しをくらう事になるのだ。

 ヴィクターとしても、それはなんとか避けたかった。

 しかし、クリスはすでに機嫌が悪く、ヴィクターにとげのある声で告げる。

「そんな事より、僕はヴィクターに言う事があったんだ」

『なんでしょうか?』

 クリスはヴィクターを横目で確認すると、カメラに顔を向けた。

「社長に、僕の入院を勧めたの、ヴィクターだよね?」

 クリスの鋭い視線に、ヴィクターの背中に冷たいものが流れる。

 ヴィクターは、直接クリスに言っても話にならないと思い、社長に伝えたのだが、それがあだとなった。

 深入りしない方がいいと分かってはいたが、今の状態のクリスを放っておく訳にはいかない。

 ヴィクターは勇気を振り絞ってクリスに告げる。

『それは、状態が悪いので、集中的に治療する必要が……』

「ないよ」

 クリスはヴィクターの言葉にかぶせた。

 しかし、入院の話が出た今しか機会がないと思い、ヴィクターは引かない。

『ですが、今の状態で放っておいたら危険です』

「頑張るねヴィクター」

 クリスの瞳が殺気を帯びる。

「今ここにあなたがいたら、僕はあなたを殺してる」

 画面越しにもクリスの殺気が伝わり、ヴィクターは恐怖で顔から血の気が引くのを感じた。

 それを見て、クリスは、揶揄からかうように微笑を浮かべる。

「前よりきつい薬出しといてよ。後、いらない事は言わない方がいいよ」

 クリスは、そう言って通信を切った。


 クリスは、ヴィクターと話すと、いつも苛立いらだちを覚えた。

 だからと言って、主治医を変えるつもりはない。

 誰が主治医になったとしても、クリスには何も話す事がないのだ。

 クリスは薬が届くのを待ってから仕事をはじめた。


 クリスにとって、依頼を解決するのは簡単だった。

 なにも情報を集める必要のない依頼は、一回目を通すだけで解決してしまう。

 情報が必要な依頼も、一目見たら、何を調べればいいか分かるので、それがそろえばすぐに解決出来る。

 解決出来た依頼は、フォーマットに内容を打ち込み、必要なデータをえて送信するだけだ。

 一つの依頼を解決して、送信を終えるまでの時間は、二、三分くらい。

 情報を調べなければならない依頼でも、五分もあれば片付いてしまう。

 ただ、依頼元とやり取りをしなければならない案件では、かかる時間は相手次第だ。

 通信の方法によっても時間の長さは変わってきて、大体は暗号化した文字回線を使う事が多いのだが、これは淡々と事務的に処理出来る事が多いので、イレギュラーは少ない。

 しかし、ごくまれに、音声通話で対応する案件があるのだが、こちらはイレギュラーの確率が少し高くなる。

 そして、この日は珍しく、音声通話の依頼が一件あった。


「私は代理業社の担当の者です。いつもお世話になっております。今回は御社おんしゃの経営方針の件でご連絡致しました。担当の方はいらっしゃいますでしょうか?」

『変わった』

 しばらくして、通話に出た男はぞんざいに言った。

「いつもお世話になっております。代理業社の担当の者です。今回は御社の経営方針の件でご連絡致しました。今お時間は大丈夫でしょうか?」

『時間は問題ないが、君には名前がないのかね?』

 代理業社では、誰の仕事か分からないようにする為に、基本、名乗る事はないし、それは客先も承知している筈だった。

「申し訳ございません。それは当初の契約にもあります通り、弊社へいしゃでは名乗らない事になっております」

『では、なんと呼べばいい?』

「お好きなようにお呼びください」

『じゃあクリス、だな』

 端末の向こうで、嘲笑あざわらうような気配がした。

 男は間違いなく、相手がクリスだと気付いて話している。

「では、そのようにお呼びください」

 クリスは、軽く流して話を進める事にした。

「現在、御社で検討中の経営方針はございますでしょうか? ございましたら、そちらを参考に経営方針を考え、経営戦略について話し合いをさせて頂きたいと思います」


 それから、しばらくして、仕事の話が終わった。

「それではこれで失礼します。またこの件でなにかありましたらご連絡ください」

 クリスは、通話を切ると両手を上げて体を伸ばす。

 通話が終わった頃には、もう十八時を回っていた。

 それ程、大した案件でもないのに、思った以上に時間を取られてしまい、クリスは大きなため息をつく。

「疲れた」

 クリスは一言つぶやくと、そのまま机にした。


 クリスが、最後のデータを送信し終えたくらいの頃に、ダグラスが帰って来た。

「おかえり」

 クリスはそう言って、椅子を回転させる。

「ただいま」

 ダグラスは、テーブルに荷物を置くと、クリスに優しく口付けた。

「今日は仕事が忙しかったのか?」

「そういう訳じゃなかったんだけど、通話先でセクハラまがいの発言する人がいて、当たり障りのないように対応するのに手間取った。それに、向こうは、通信相手が僕だって気付いていたみたいだった」

 クリスは、椅子を右へ左へと回す。

「パーティにも参加したし、その辺からうわさが広まっているんだろうな」

 そう言って、ダグラスは顔をしかめた。

「それより相手はどこだ? 今度釘を刺しておこう」

「ありがとう。あれじゃあ仕事にならない」

 ダグラスは、クリスの手元のデータをのぞき込む。

「ああ。ここか」

 ダグラスは、納得したようにうなずく。

 この会社は、何かとトラブルの絶えない取引相手なのだ。

「すまないな。次回からここの依頼は他の社員に回そう。ちなみに、どんな事を聞かれたんだ?」

 ダグラスが試しに聞いてみると、クリスは指を折って数えながら、セクハラの一例をあげた。

「一発抜きたいからビデオ回線に切り替えて顔を見せろって言って来たから、早く進めたいけど、早漏そうろうだって言うなら見せてやってもいいって答えた。ケツに突っ込まれて気持ちいいかって聞かれたから、自分で試してみろって答えた。社長に抱かれてあえぐかって聞かれたから、少なくともあなたに抱かれても喘がないって答えた」

 ダグラスは、軽い目眩めまいを覚えた。

 相手の発言は、セクハラ紛いではなく完全にセクハラだし、子供にするような質問ではない。

 しかし、それに対するクリスの返しが辛辣しんらつすぎる。

「先方には苦情を入れておこう。しかし、この対応のどこが当たり障りないんだ?」

流石さすがに相手に言う時は、もう少しオブラートに包んでいるよ」

 クリスは、悪戯いたずらっぽく笑う。

「それより、他にもあるけど、聞きたい?」

 ダグラスは、その申し出を丁重ていちょうに断った。


 仕事の話が終わると、ダグラスはテーブルに置いた箱を指さす。

「今日は夕飯は食べられそうか? なにか食べた方がいいと思って、プリンを買って来たんだが」

 その言葉に、クリスの目が輝く。

 クリスは、甘いものが大好物だったが、ここでの食事にデザートが付く事はまずないのだ。

「社長、気が利くね! デザートは別腹だから、食欲がなくても食べられるよ!」

 そう言って、クリスが早速さっそく箱を開けると、中にはプリンが二個入っていた。

「これ、一個は社長の?」

「全部食べていいぞ」

「ありがとう」

 プリンに喜ぶクリスを見て、ダグラスは笑った。

『こういうところは子供だな』

 ダグラスは、心の中で呟いてクリスを見る。

 クリスの無邪気な態度は、ダグラスをなごませた。

 ダグラスは自然と口元がほころぶ。

「いただきます」

 クリスはそう言うと、大急ぎでプリンを口に運ぶ。

「いただきます」

 ダグラスもそう言って、クリスの向かいで夕飯を食べはじめる。

 すると、クリスは、プリンを一口食べてから、ダグラスを見てニヤリと笑った。

「ちなみに、今日の僕のメインディッシュは社長」

 ダグラスは、飲んでいた水を吹き出した。

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