第二十二話(後編)

 クリスは、会場に戻ると、ダグラスを目で探した。

 すると、すぐにダグラスは見つかったが、女性客に捕まっていて、しばらく離してもらえそうにない。

 その時、ダグラスの方も、クリスを見つけたようで、安心したような顔をした。


 クリスは、そのまま会場を見渡す。

 そして、お目当てのエイミーを見つけると、両手にソフトドリンクを持って、近くまで歩いて行った。

「エイミー・キャリーだよね?」

 エイミーは、名前を呼ばれて振り向いた。

 すると、そこには、整った容貌ようぼうの少年がいて、キャリーはうっとりと見惚みとれてしまう。

「もしかして、あなたがクリス?」

 キャリーは顔を赤らめてたずねる。

 その質問に、クリスは笑顔で答えた。

「そうだよ。エイミーが一人でいるのが見えたから来たんだ」

 そう言ってから、クリスはエイミーに見えるようにグラスを上げる。

「ジュースを持って来たんだけど、飲む?」

「ありがとう」

 クリスに勧められて、エイミーは遠慮がちにグラスを受け取った。

 それを見てから、クリスは爽やかに微笑む。

「エイミーが、このパーティに参加するって聞いてね。うちの社長に、無理を言って連れて来て貰ったんだ」

 エイミーは、クリスに笑顔を向けられて耳まで赤く染める。

「私も……、パパから聞いてたけど……。こんなに綺麗な人だって……聞いてなくて……」

「綺麗だなんて、こんな素敵な子に言われると、恥ずかしいな」

 そう言って、クリスは照れたように笑った。

 それから、おもむろに話題を切り出す。

「エイミーって、頭がいいんだよね。色んな分野で活躍してて、凄いなって思っていたんだ」

「うん。まあ、色々とやってるわ。でも、クリスも頭がいいって聞いたけど、そうなの?」

 エイミーは尋ねられて、しどろもどろに答える。

 クリスは、その言葉を受けて、自嘲じちょう気味に笑った。

「さあ。僕は自分の事もよく分からないから、あまり頭は良くないんじゃないかな」

 その言葉をエイミーは即座に否定する。

「クリスは頭がいいと思うわ。だって凄く大人っぽいし」

「ありがとう」

 クリスは、否定するでもなく、笑顔で礼を言った。

 その大人っぽい仕草に、エイミーは思わず、自分の通っている学校の子供達と比べてしまう。

「私ね、本当は飛び級したいのに、そう言うのも経験だって、ママがさせてくれないの。クリスも学校生活って退屈じゃない?」

 エイミーが気持ちのままに問いかけると、クリスは不思議そうに首をかしげた。

「僕は、学校には行った事がないから、よく分からないや」

 その言葉に、エイミーは驚いたようにクリスを見る。

「学校に行った事ないの? じゃあ勉強はどうしてるの?」

「それぞれの分野の専門の先生について教えて貰ったんだ」

 それを聞いて、エイミーは目を輝かせた。

「家庭教師かあ。いいなあ。私も学校に行くよりそっちの方が良かったわ」

「人と関わるのも勉強だと思うよ? 僕は同年代の子と会う機会がないから、そういう経験もしてみたいかな」

 クリスは、そう言うと、寂しそうに笑った。

「でも、同い年の子とか、頭悪すぎて話す気にもならないわ」

「そうかな? 勉強が出来るとか、知能指数が高いとか、そういうのはただの指標しひょうであって、それが全てではないよ。それに、そんな事を言っていたら、話せる人なんていなくなってしまう」

 エイミーは、クリスの言っている事がよく分からなかったが、軽く聞き流して自分の考えを主張する。

「でも、考え方とか、凄くガキっぽいのよ?」

「仲良くするというのは、その人といて楽しいとか安心するとか、そういう事が大事なんじゃないかな」

「そうなの?」

「うん。だから、僕は今、エイミーと話しが出来て嬉しいよ。僕はあまり話す方じゃないんだけど、エイミーは話しやすいから、ついお喋りになってしまう」


 その後も、しばらく取り留めもない話をした。

 学校に、友だちに、暖かい家庭。

 どれも、クリスには縁のないものばかりだった。

 クリスは、今の生活に満足はしているが、それでもエイミーが少しうらやましくさえあった。


 話が一段落つくと、クリスは、持っているグラスを胸の高さにかかげる。

「せっかくグラスを持っているし、乾杯する?」

「いいわ。でも、何に乾杯するの?」

 クリスは、どうしたらいいか考え込む。

「なんだろう? 何も考えてなかった」

 そして、悪戯いたずらっぽく笑った。

「じゃあ、クリスと出会った記念というのはどう?」

 キャリーの言葉に、クリスの顔が明るくなる。

「じゃあ、二人の出会いに」


「クリスは恋人っているの?」

 唐突に、エイミーが聞いて来た。

「いないよ」

 ダグラスは、恋人ではないだろうし、実際クリスには恋人と呼べる人はいなかった。

「エイミーは? やっぱり可愛いくて魅力的だからいるよね?」

 それに、エイミーは首を横に振ると、クリスの腕をつかんだ。

「いないわ。というか、私、クリスと付き合いたい!」

 クリスは、少し驚いた顔になる。

「え? いいの? 嬉しいな」

 クリスは、照れたように笑った。

「僕も、エイミーの事、好きだよ」

 クリスはそう言って、エイミーのほほに口付ける。

 すると、エイミーは、頬を赤らめてうつむいた。

 クリスは、そのまま、耳元に口を近付けてささやく。

「ねえ、お願いがあるんだけど聞いて貰えるかな?」

「なんでも言って」

 クリスの言葉に、エイミーが答える。

 それを聞いて、クリスは微かに笑みを浮かべた。

「リチャード警備が持っている代理業社の機密データを完全に消去して欲しいんだ」

 エイミーは、クリスの言葉に大きく頷いた。

「分かったわ」

 クリスは誘うように笑って、エイミーの顔を見つめる。

「ねえ。今ここでやる事って出来る?」

「奥に端末があるから、あれですぐ消せるわ」

「ありがとう、エイミー」

 そして、エイミーはすぐに端末を取りに行った。


 エイミーが端末を操作しているところへ、リチャードがやって来た。

「やあ、クリス。うちの娘の相手をしてくれてありがとう。なにか困らせたりしてなかったかい?」

「いえ。僕は同年代の子と話した事がなかったので、とても勉強になりました」

 クリスは、爽やかな顔で微笑んだ。

 リチャードは、それに頷いてから、冗談まじりに尋ねる。

「クリスは、社交マナーがきちんと出来ていて羨ましいよ。うちの娘にも習わせた方がいいのかな?」

 リチャードの言葉に、エイミーが抗議する。

「そんなもの習う必要なんてないわ!」

 クリスは、それを見て笑う。

 すると、その隣で、リチャードも苦笑していた。

 その後、リチャードはクリスに向き直って尋ねる。

「ところで、クリスはこういう礼儀作法は会社で教えて貰ったのかな?」

「ええ。教えて貰いました。社交マナーから……」

 クリスは、そこまで言ってから、リチャードの腕を掴んで声のトーンを下げる。

「人の殺し方まで一通り」

「冗談がきついな。大人をからかうものじゃないよ」

 リチャードの表情が引きつる。

 ここにエイミーがいなかったら、リチャードは、きっと怒鳴り散らしていた事だろう。

「からかってはいませんよ。僕はあなたに警告をしているんです。これ以上、社長に無理難題を押し付けるつもりなら、あなたを殺しますよ、ってね」

 囁きながら、クリスは酷薄こくはくな笑みを浮かべる。

「そんな事が出来る訳がないだろう。いくら子供でも、言っていい冗談と悪い冗談があるぞ」

「残念ながら、これは冗談ではありません。僕が直接手を下さなくても、使える手駒てごまはいくらでもあります。僕はいつでもあなたを殺せる。命が惜しくないなら、試してみてはどうですか?」

 クリスはそう言うと、リチャードの腕から手を離した。

「社長の手が空いたみたいなので、僕はこれで失礼します」


「社長」

 クリスは、笑顔でダグラスの元に行った。

「クリス、今まで一体どこに……」

 ダグラスは、笑顔で話しかけようとして、言葉を切る。

 クリスの体から、微かにぎなれない匂いがしたのだ。

 ダグラスは、クリスの肩に手を置き、首筋に鼻を近付ける。

「クリス。なにをした?」

 ダグラスが低い声で尋ねた。

「社長、他人ひとが見てる」

 クリスは、まさかダグラスに気付かれるとは思っていなかったので動揺した。

「私がなにも気付かないとでも思ったのか?」

 ダグラスは、クリスの肩から手を離す。

「とりあえずここにいろ、挨拶をして来る」

 そして、クリスにきつい口調で告げると、その場を離れた。


 会社に戻ると、クリスは執務室に連れて行かれた。

 普段、クリスに優しいダグラスが、険しい顔をして睨んでいる。

「私はね、仕事に私情を挟む気はない。それが社の為になるなら君の行動に苦言を呈する気は全くないよ。しかし、君は我社のブレーンであって、この手の仕事を任せてはいない。君になにかがあった場合、我が社にもたらされるものは利益よりも損失の方が遥かに大きい。以前にも言った事があったと思うが、危ない事をされるのは迷惑だ。これからは、こんな事がないようにしてくれ」

 ダグラスは、代理業者の社長としての立場で発言していた。

 その為に、クリスを部屋ではなく、わざわざ執務室に連れて来たのだ。

「しかし、やってしまった事は仕方ない。今回は目を瞑ろう。それで、今回の件がどうなっているか報告して貰おうか」

 クリスも、ダグラスにならって敬語で応答する。

「今回の件の対策の為に、三人に接触しました。まず、相手の社内に内通者を作りました。次に、エイミーに我社の機密情報を完全に消去させました。最後に、相手社長に、今後このような事がないよう警告をしておきました。これで、我社への不当な圧力はなくなるものと思われます」

 ダグラスは、眉間みけんしわを寄せて、机を指で二回叩く。

「君には、今後もこういう仕事を任せるつもりはない。それを肝にめいじておいてくれ」

「私は、ここに雇われた時、そういう仕事も任せる予定で雇われたと思っていたですが、違うのでしょうか?」

 クリスの言葉に、ダグラスの眉間の皺がさらに深くなる。

 はじめて会った時の状況をクリスは正確に理解していた。

 しかし、今ここでそれを持ち出すのは、子供の言い訳でしかない。

「あの当時と今とでは、状況が変わっている。それは、君も理解している筈だ。軽率な行動は謹んでくれたまえ」

「分かりました」

 ダグラスはデスクを離れ、クリスの方に歩いて来る。

「しかし、今回の件で我社に貢献してくれた事は間違いない。それについては感謝する。よくやってくれた」

 ダグラスは、クリスの肩に手を置いた。

「ありがとうございます」

 ダグラスは、そのままの姿勢で、声のトーンを下げてクリスに告げる。

「ただ、これだけは言っておく。自分を安売りするな。もっと大切にしろ。君の才能は、こんな事で浪費すべきものではない。今日は、もう部屋に帰ってゆっくり休みたまえ」

 ダグラスは、クリスから離れると、警備員を呼び出した。

「クリスを部屋に連れて行ってくれ」


 ダグラスは、クリスが退室すると、机に肘をついて頭を抱え込んだ。

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