第4話 舂陵軍

 だがこの蜂起は最初うまくいかなかった。豪族や豪傑たちはやる気になったのだが、民衆が乗り気ではなかったのである。彼らにしてみれば、まだ自分たちが暮らしている土地まで戦乱は及んでいないのに、わざわざ火中へ飛び込む気にはなれないのである。危難が及んでからではただ蹂躙されて殺されるだけで遅いのだが、実際にそれがやってくるまではどうしても及び腰になってしまうのも仕方がないところだった。

 またここでは劉縯の大侠としての評判が裏目にも出た。豪傑や豪族にとっては頼もしさとして受け入れられる劉縯の評判も、民にとってはやくざ者の頭領と受け止められがちになってしまう。村によっては劉縯が兵を集めていると聞いただけで、人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ出す始末である。

「これは予想外だったな」

 劉縯はしかめ面で腕を組むが、予想外なことはもう一つ起こっていた。苑での蜂起計画が事前に漏れてしまい、失敗に終わったのだ。

「それで、次元じげん(李通のあざな)らは無事なのか」

「はい。叔や李軼とともに苑を脱してこちらに向かっているそうです」

 劉仲も表情を硬くしながら応じる。劉仲は蜂起が決まってから、兄に対してへりくだって接するようにしていた。公私を峻別し、劉縯の立場を明確にするためである。

 劉仲にしてもこの事態には渋面を作るしかないが、どれほど準備を万端にしたつもりでも必ず不首尾はあらわれるものだ。その自覚があるゆえに不必要にうろたえたり落ち込んだりすることなく、とにかく民を説得してゆくしかないと腹をくくっていた。

 それでも時間はあまりない。すでに兵を挙げてしまった以上、後戻りはできない。民を集められず、兵の数も整えられないこの状態で新軍に攻め込まれれば、一撃で葬り去られてしまう。北上してくる新市軍に合流すればまだ望みはあるかもしれないが、相応の兵力も持たずにおもむけば、彼らと対等以上の立場で同盟を結ぶことはできず、ただの弱小勢力として吸収されるだけで、劉縯のこれまでの苦労が水の泡になってしまう。



 この苦境を意外な男が救った。苑から李通、李軼とともに春陵へ逃げ込んできた劉秀である。

「なんだ叔、その恰好は」

 劉縯があきれ声を出すのも無理はない。やってきた劉秀は絳衣こうい大冠という姿だったのである。

 絳衣とは深紅の衣裳、大冠とは武官の冠で、無官の男が着るにはかなり派手で、浮かれているともとれる恰好なのだ。

「いやあ服装くらい恰好をつけておかないと、兄上にご迷惑をかけると思いまして」

 どこか照れくさげに、しかしさほど悪びれた様子もなく劉秀は笑って言い、様々な齟齬が続いて暗い閉塞状態に陥りかかっていた劉縯たちも、末弟の滑稽な姿に肩の力を抜く。

 そして劉秀のこの姿は、難渋を示していた民にも安堵感を与えた。

「劉さんとこの叔さんは穏やかでやさしい人だ。あの人があんな恰好をしてくるくらいならそうひどいことにはなるまい」

 民衆はようやく劉縯たちの招集に応じるようになり、ついに彼らの蜂起は一つの方向へ向かって進発できることになったのだ。

「奇妙なところで役に立ってくれたな、叔は」

「そうですな」

 事態の好転に安堵し、勇躍する思いを強める劉縯も、次弟に向かって苦笑交じりに劉秀を評さずにはいられない。

 劉仲も同じような気持ちだが「あるいはこれを狙ってのことか?」という想いも持っていた。だとすれば劉秀は、自分が周囲からどう見られているかまで知悉ちしつし考慮に入れて策を講じたことになる。

「なかなか食えぬ男だな」

 畑でのやり取りも思い出し、劉仲は兄と違う理由で苦笑を漏らしながら、弟に劉縯と違う不思議な器量があることを感じ始めていた。



 とにかくもこれで劉縯は一つの勢力を得ることができた。

 兵数は七千から八千。それらを編成しなおし、賓客の中で優秀な者を各部隊の指揮官に配置し、劉縯みずからは「柱天都部ちゅうてんとぶ」を名乗ることで形を整える。柱天とは文字通り天の柱、都部は統率する者という意味で、自らの兵が天を支え地に平和をもたらす者という志を表しつつ、将軍を名乗るのは規模からしても時期からしても早尚なため都部を称したのではあるまいか。どちらにせよこれら部隊の編制や名称の選定は思いつきで為せることではなく、劉縯と劉仲が事前に相談・考案していたに違いない。

 この兵団は歴史上「春陵軍」とも呼ばれている。

「よし、これなら新市とも対等に盟が結べるぞ」

 劉縯は安堵とともに、勇躍、新市軍へ同盟締結のための使者を送ることにした。指名されたのは劉嘉で、劉縯とは親族であり、長安へも共に遊学した仲であった。性格は仁厚で勇気もあり、このような交渉には向いている。

 新市軍はもともと緑林りょくりんと呼ばれる叛乱勢力が、もろもろの事情から二つに分かれた内の一派である(もう一派の名は下江かこう軍)。それでも数は一万を越え、さらにこの時期は平林と呼ばれる数千の勢力とも合併しており、おそらく劉縯の兵団の倍近くの規模があったろう。

 それでも八千の春陵軍は、侮られるほどには小さくなく、かといって恐れられるほどには大きくなく、新市の首領である王匡おうきょう、平林のそれである陳牧ちんぼくらも、劉縯と盟を結ぶのに否やはなかった。


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