第2話 雌伏

 兄の大望を胸に秘め、劉仲も長安への遊学へは行った。学問のためでもあるが、なにより「新」の帝都となった長安を肌で感じておきたかったのだ。

「とはいえ漢の帝都だったころの長安を知っているわけではないから比べようはないのだが」

 ひそかに苦笑する劉仲だが、それでもある意味敵の本拠地を知っておくことは悪くない。そして確かに収穫はあった。

「暮らしづらい」

 前漢時代の長安を知らない劉仲にもそのことは実感できた。とにかく様々なことが煩雑になっているのだ。

 王莽は名称の変更が病的に好きであった。土地名、官職名、その他もろもろの名称を漢代から一新するほどに変更する。しかも一度だけでなく頻繁にである。加えて貨幣の変更もおこない――彼にとっては理由も意味もあっただろうが――、これでは社会が混乱しない方がおかしかった。

 もちろんこれらの政策は中華全土に発布されているのだが、皇帝のお膝元である長安でより厳しく実施されるのも当然で、また帝都はどこより経済が発展し情報が集積される場所であるため、被害は甚大だったのだ。

「思った以上に待つ必要はないかもしれぬ」

 王莽のまつりごとで生活がよくなったという話を劉仲は聞いたことがない。禅譲にせよ簒奪にせよ王朝を奪った者がその罪を雪ぐ唯一の方法は、臣民の生活を前王朝よりよいものにすることだけである。それにより民は簒奪者の罪を功として追認し、歴史に書き記してゆくのだ。

 王莽はその罪を消すどころか、より深く刻み続けていた。

 自分と兄の雌伏の時間は思ったより短いかもしれない。それを確認できたことが長安遊学における劉仲最大の成果だった。



 遊学を終えて南陽へ帰った劉仲は兄にそのことを報告し、劉縯も大いにうなずいた。

「決起は早まりそうか。準備が間に合わぬくらいかもしれぬな」

「そうは言ってもここ一、二年という話ではないぞ兄上。早くとも数年、場合によっては十年は覚悟せねばなるまい」

 やや浮かれる劉縯を劉仲は静かに諫めた。

 王莽の施策はここ南陽でも混乱と不平をもって迎えられているが長安ほどではなく、その長安も混乱はしていても二百年をかけて築かれた前漢を土台とした新の支配は盤石で、王莽の権力も権威も小動こゆるぎもしていない。その土台が上下から浸食されはじめているのが現状で、多少予想や期待より早くとも、完全な崩壊まではまだまだ時間がかかる。

「であれば返ってありがたい。その間に我らは準備を進めることにしよう」

 劉仲の見解に劉縯は同じ笑顔でうなずいた。


 

 こうしてあらためて二人の雌伏の時は始まった。雌伏と言っても何もせずにいるわけではない。

 まずはこれまで通り、侠としての評判を高めることが第一である。困った人を救け、横暴な者をこらしめ、時に体を張り、時に命を張り、時に笑い、時に泣き、様々に知己ちきを作り、賓客(子分)を増やしてゆくのだ。いずれ蜂起するときの先鋒隊の、そのまた核となる人材を得るために。蜂起したあと、様々な助けを様々な人から得られるように。

 最初劉縯はこれらのことを半ば演技でおこなっていたが、徐々に心情も思考も大侠そのものになってきた。それによりさらに人々に慕われ、評判も近隣に広まってゆくようになる。

 それでも彼の心根はただの侠と確実に一線を画していた。劉縯の真の目的はあくまで新の打倒なのだ。この後、新の崩壊が進む中、地方の豪族や大侠が首領となって蜂起する例はいくつも現れるが、初めから挙兵を前提に侠として生きてきた者は劉縯以外いなかった。



 劉縯が侠として名を広めてゆく中、劉仲は完全に兄の影に隠れて活動していた。

「主役は一人の方がよい。それに私は兄の補佐の方が向いている」

 劉仲は笑って言うが、これは決して謙遜や卑下ではなく、彼の本心であり本懐であった。劉仲は兄が起こした騒動の後始末をしたり、兄を頼って逃げ込んできた人を匿ったり、賓客を招いての宴の準備をしたり、それらのことに必要な金銭を工面したり等、兄の活動を細部に渡って徹底的に補佐していた。またそれだけでなく、これからのために今何をすればよいかを思案して兄に提言し、兄が起こしかけた無謀な行為を全霊を込めて諫め、中長期的あるは中短期的な兄の行動指針を常に考え続け、また劉縯の「演技」への助言もおこない、ある意味で彼は兄の演出家プロデューサーとしての一面も担っていたのだ。

「おぬしは私にとっての張良ちょうりょうだな。いや蕭何しょうかかな」

 一日、劉縯は劉仲をそう評して笑った。二人とも前漢を興した高祖・劉邦の功臣中の功臣で、張良は謀将、蕭何は漢の土台を築くほどの実務家として歴史に名を残している。この二人がいなければ劉邦が覇者となることは絶対にありえなかったため、劉仲は兄に絶賛されたことになるが、これは劉縯が自身を劉邦に擬している証でもあった。

 そんな兄に頼もしさと同時に危うさも覚えるが、本気で新を打倒したいと志しているのなら、そのくらいの気概は必要であるに違いない。

「そのために私がいるのではないか」

 兄の壮気を暴走させず、可能な限り効率よく使うための補佐役、そして制動役としての自身の役目をあらためて心に刻む劉仲であった。



 数年後、十数年後の決起に備えてひそかな活動を続ける二人だが、彼らにはもう一人弟がいた。

しゅくはどうする。我らと行動を共にさせるか?」

 二人の弟、劉家の三男。名はしゅう、字は文叔ぶんしゅくという。二人が打倒・新のために活動を始めたとき、劉仲はそのことを兄に確認した。劉縯も劉仲も若いが、彼らの弟である劉秀は当然ながらさらに若く、まだ少年と言ってよい。彼らの活動に積極的に参加させるのは、年齢的にも能力的にも不安が残る。

 そのため弟の問いにしばし黙考した劉縯は首を横に振った。

「いや、やめておこう。我らが蜂起するときは巻き込まずにいられまいが、それまであやつには平凡に暮らしてもらいたい。すでに我ら二人がこのようになってしまったことを叔父上はよく思っておらぬし、せめて叔だけでも真っ当に生きる道を歩んでもらわねば。それがあやつの身の安全につながることもあろうしな」

 劉兄弟の父親は早くに亡くなり、彼らの面倒を見てくれたのは叔父の劉良りゅうりょうだったが、彼は善良な男で、劉縯が侠の道に入ったことを快く思っていなかった。劉縯は平凡な叔父を巻き込むまいと志を明かしておらず、心苦しさをおぼえていたのだが、劉秀が凡庸な道を歩いてくれれば叔父にとっていささかの慰めになるだろうと考えてもいた。

 これは自らの志のために弟を人身御供に差し出したようにも見えるが、そう単純な話でもない。

 まず劉秀は、年齢だけでなく性格的にも穏やかでおっとりしたところがあり、兄が為そうとしている荒事には向いていないと思われた。

 それに侠の世界で生きる以上、官憲とは常に摩擦がともなう関係となる。これから先、長い雌伏の時間、新転覆という真意とはまったく無関係の事案で捕縛される危険も考えておかなければならない。そのとき劉秀が連坐させられないよう、自分たちとは違う世界で生きていてほしかったのだ。

 これは二人が志半ばで斃れたとき、劉秀に自分たちの遺志を継いでもらいたいという願いもあったし、三人が共倒れして劉家が絶えてしまうことへの恐れもあった。だがそれとは別に弟を危険から離しておきたいという純粋な兄心でもあったのだ。

「そうですな、そうしよう」

 劉縯はそのような意図も加えて説明し、劉仲もうなずいて受け入れる。

 劉仲は細々なことを自らの分野と考え、大局や基本方針は劉縯が決めたことに従うようにしていた。彼は器の大きさや情の深さにおいて兄にかなわないことを自覚しており、そのような自分が大局を構想しても縮こまったおもしろみのないものにしかならないとわかっていたのだ。彼のすべきことは兄の広げた風呂敷が破れないようほつれないよう、そしてさらなる広さと厚みを増せるよう補佐することだった。

 それゆえ三弟のことも兄に従うことにした。それは弟を大事に思う彼の情においても受け入れやすいもので、劉仲はあらためて兄に感服していた。

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