第35話 口伝えの学び
首都コーカポリスの街の市場。行き交う街の人々を呼び止め、ラパはカノ語でたずねてまわっていた。
エイベルの手綱を引くカイもつきそっている。
「……そうか。多分その女だ」
「なんて?」
「女子どもが逃げ込む『穴』で、オシラ人の変な女を見たって身内がいるってよ。栗色の髪にいい顔をしてるって」
「
「して、場所は?」
「わからねえ。ここから遠くない『穴』のようなんだが」
そこへ汗だくのシエルが走ってやってきた。
「ラパさん。聞きこみ終わりました」
カイはエイベルにぼそぼそ話す。
「まさかシエルがカノ語話せるなんてね」
「のう。なぜもっと早く言ってくれなかった。エヴァの『ごがくがくしゅう』もよりはかどっただろうに」
ラパは、「収穫は?」
「ナフの炭鉱の入り口でオシラ人の女の人を見たと聞きました」
「ああ? ナフの穴だあ?」
「ナフってどこ?」
「コーカポリスのすぐそばの小山の裏にある村だよ。なんだ。カノ領中探しまわらなくてよかったじゃないか」
「まあよい。すぐにエヴァを迎えにいくぞ」
「はあ。よりによってあそこか」
ラパは頭をかいている。
「なにかあるのか?」
「おれの故郷の近くだよ。いやな場所だった。早く助けに行ってやんねえと」
エイベルはニヤニヤとしている。
カイもニヤニヤとしていた。
「いつもは姫騎士に厳しいくせに、いざとなるとやけにがんばるよね」
「ほっとけ」
ラパには、無礼な部族の宴会でエヴァから『最低』と言われたことが、ずっと引っかかっていた。
故郷にいい思い出はない。誰も彼も乱暴者で、常に自分が他人より優位にいないと気がすまない。田畑を作って平和に暮らすより、自分が隣人より金持ちでいられるかのために争ってばかり。
部族の争いで、運送業を営んでいた父ら男の家族はむざむざ殺され、自分も半殺しにされた。
売られ、今どこにいるかわからない母ら女の家族からは、命を大事にしなさいと言われた。
争いから逃れ、通訳の仕事で出稼ぎに行った知人のシェルブを頼り、オシラ領へ逃げた。彼からオシラ語も習った。
けれども日ごろから、逃げ出した臆病者、おまえは男じゃないと、視えないなにかから後ろ指さされているような引け目があった。そこでいつも気を強くして、軍にも入隊した。
カノでは、男は男の呪いを背負い、女は女の呪いを背負っているように思う。
あの強くて型破りな女からは、そんな呪いを吹き飛ばしてくれるような勢いがあった。
そんな彼女から『最低』と言われ、とてもいやな気持ちになった。
(おれは最低なんかじゃない。あんな連中と一緒にすんな)
鉱山の近くで、鎖をつけられた男たちは、いつものように働く。
ロロや子どもたち、ノアは、近くの井戸で水をくむ。
エヴァはオシラ語を地面に書いていた。わきに絵も描く。
まわりをトロモがうろうろした。
「書けたわ。オシラ語の文字よ」
水をくみ終わったロロたちは、我先にと、字と絵のまわりに集まった。
「『争わず、平和な時代になり、人々は戦いを忘れました』。この文字と絵を思い浮かべながらそらんじてみて」
「『アラソズ』」
「『平和時代』」
「『人戦イ忘レタ』」
ふと、視線を感じる。
井戸で水くみしている見なれない女の子たちが、興味津々でこっちを見ていた。
(多分よその部族の子たちね)
「あなたたちもこの文字を見て真似してみて。『争わず、平和な時代になり……』」
男たちは、じろじろとその様子をながめた。
エヴァの作った昔話は、次第に歌のように、口から口へと伝えられていく。
村で洗濯をする女の子にも。
「『男ノ子ト女ノ子ハ』」
小さな家で料理をしている女の子たちにも。
「『大人タチカラ代々』」
「『言イ聞カセラレタコトヲ』」
「……ええっと。なんだっけ」
「『忠実ニ守ッテイマス』、だよ」
炎のなめくじがウヨウヨする、熱い穴ぐらのなかでも。
「『大人タチカラ代々』」
「『言イ聞カセラレタコトヲ』」
「『忠実ニ守ッテイマス』」
「文字はどうだっけ?」
「こうじゃなかった?」
地面に文字を書く子も現れた。
かあっと照りつける太陽の下、エヴァたちは水場でたくさんの洗濯物を棒で叩きながら、例の昔話を口ずさんだ。
「『争ワズ』」
「『平和ナ時代になり」
よその家や部族の女の子たちも。
一番いきいきしているのはロロだ。
「『人々は戦いを忘れました』」
昔話の語り口も、すっかり流ちょうだ。
彼女はエヴァから積極的にオシラ語についてたずねていた。文法だの単語だの発音だの。家事をするときも、食事のときも寝るときも、ずっとオシラ語のことを考えているようだった。もともと素養もあったから、今はかなり上達している。
エヴァは感心するばかりだった。
(わたしも見習わなきゃね)
トロモはエヴァの横でしゃがんでいる。
「ほら、トロモも。『争わず、平和な時代になり……』」
トロモはまぶたのない目でエヴァを見あげ、一生懸命キーキー鳴くばかりだ。
(やっぱりしゃべれないのね)
やはり彼がウィルだからだろうか。
ウィルといえば。
「そうだ。もしかしてこのチップのこと知ってたりしない?」
服の下のペンダントをとりだし、トロモの前でパカっと開いた。
一番上に、深紅の円盤がある。
水を含んだ布を棒で叩くノアが、口をはさんだ。
「それがきみの言っていた黒い巨人が落としたチップかい?」
「ええ。ずっと気になってたんだけどね。知ってそうなエイベルさんもいないし」
チップで変身すれば、ウィルと話せるようになる。
カノのウィルなら、カノで得たこのチップについて、なにか知っているのではないか。
もしやこのチップで変身すれば、トロモとも会話できるのでは?
しかし彼はチップを見るなり、びくりと身体を震わせた。トテトテと一目散にどこかへ走り去ってしまう。
「ちょっと! トロモ?」
「やはりなにか知っているのかな」
不意に、洗濯用の水桶がいきおいよくけとばされた。
「ああ。貴重な水が……」
目をいからせた中年の女数人が、まきちらされた水を踏み潰すように立った。
地域独特の言語で、つばを飛ばしながらまくしたてる。
「なによ」
女の子たちはみるみる青ざめ、口を閉ざし黙々と洗濯をする。
ロロも硬い表情だ。
「エヴァ。わたしたちおとなしくしたほうがいいかも」
「え? なんで?」
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