第十八幕 妖怪屋敷
月明りが照らすのみの夜の帳に包まれた屋敷は静まり返っていた。だがこれは不自然な静けさだ。
「……よし、行くぞ。その邪気の発生源とやらの位置は分かるか? 恐らく喜平次もそこにいるだろう」
「は、はい、こちらです」
屋敷の中には不自然に人の気配がしない。だが……
「……アタシもあんたと一緒に戦う中で、大分
「うむ、ここまで来ると私にも解るな。油断するなよ?」
紅牙と雫も優れた感覚で異様な気配を感じ取ったらしく、既に臨戦態勢になっていた。暗く静まり返った廊下を慎重に進む3人だが……
『ギヒャァァァッ!!』
「……!」
近くの襖が割れて、そこから何かが奇声を上げながら飛び掛かってきた。紅牙は咄嗟に外套に手を掛けてそれを脱ぎ捨てがてら、飛び掛かってきたモノへの目晦まし代わりに広げて投げつける。
『……!』
そのモノは紅牙の外套に視界を覆われ、咄嗟にそれを避けるように迂回した。だがそこに雫のクナイが顔面に突き立った。
「む……!」
そのモノは構わず腕を振り回してきた。その手の先には鋭い鉤爪が光っている。雫は飛び退ってそれを躱す。
「……! これは、鉄鼠!?」
襖を割って奇襲してきたのは、汚らしい鼠の頭を持った人間大の妖怪であった。身体にも鼠の毛が生えていて、手足の先には鉤爪を備えている。廊下の奥からも同じような鉄鼠が2体ほど向かって来ていた。
「やっぱりとんだ妖怪屋敷みたいだね!」
「ち、こうなればやむを得ん! 妖怪を斬るあの法術を頼む!」
紅牙と雫は得物を抜いて鉄鼠共を迎撃する。雫の得物は刀身の短い忍者刀だ。それを逆手に構えている。飛び道具など他の武器を使う為か、もう一方の手は空いていた。
鉄鼠は餓鬼と違ってそれなりに強力な妖怪であり、通常の武器では有効な打撃を与えにくい。
「わ、解りました! 『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!』」
2人が鉄鼠たちを牽制している間に素早く法術を発動する。雫の持つ忍者刀の刀身が法力の輝きを帯びる。そこに鉄鼠の一体が鉤爪を振るってきた。雫は素早く短刀を振るってそれを牽制する。すると……
『ギェェッ!!?』
強固なはずの鉄鼠の腕が鮮やかに切断されて床に転がった。鉄鼠が悲鳴を上げて怯むが、当の雫も滅多に動かない表情を瞠目させていた。
「これ程とは……。自分で受けてみてその効果が実感できるな」
「ち……尼さん! アタシにも早く!」
これまで自分が
「急かさないで下さい。一度に一人ずつしか掛けられないのです。『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!』」
法術を急かされるという初めての経験に眉を顰めつつ、妙玖尼は紅牙の刀にも『破魔纏光』を掛ける。ついでに言うと同時に掛けておける人数にも限りがある。実はそこまで万能な法術ではないのだ。
「はは! 来た来た! こいつがありゃ百人力さ!」
だがそんな事は知らない紅牙は無邪気に、そして獰猛に笑うと、雫に後れを取るまいと自分から鉄鼠共に斬り掛かる。妖怪が振るってくる鉤爪を避けて破魔の刀を一閃。鼠の頭を一撃で斬り落とした。その時には同じように雫も目の前の鉄鼠の頭に短刀を突き立てた所だった。
『ギヒャァ! コレデモ喰ラエ!』
「……!」
残った鉄鼠は大きく息を吸い込むような動作をしたかと思うと、黄土色をした見るからに剣呑な煙状の気体を吐き付けてきた。黄土色の吐息は広範囲に拡散して、彼女達全員を包み込んでくる。屋敷の廊下という狭い場所で逃げ場のない紅牙と雫の顔が引き攣る。だが……
『オン・クロダノウ・ウン・ジャク!』
光り輝く半透明の壁が出現し、不浄の気体を完全に遮断する。『真言界壁』の法術だ。黄土色の吐息が障壁に阻まれて吹き散っていく。煙が晴れた時、そこに全く無傷の3人の姿を認めて鉄鼠が動揺する。
「今ですっ!」
「うむ!」「ち……!」
気体が吹き散らされたのを見て取って妙玖尼が障壁を解除すると、雫が即座に飛び出した。紅牙も雫に負けまいと競うように飛び出す。破魔の法術が纏わった2人の武器は、雫の短刀が鉄鼠の首を刎ね飛ばし、紅牙の刀が鉄鼠の胴体を両断した。
当然一溜まりもなく消滅していく妖怪。他に敵が来ない事を確かめて一旦武器を収める2人。
「ち……陰でコソコソする忍者のくせに出しゃばるんじゃないよ。今のはアタシだけで充分だったのに」
「そうなのか? ボケッと突っ立ってるから代わりに動いたつもりだったのだが……ただ
「……ああ? やろうってのかい、アンタ!?」
「先に突っかかってきたのはそっちだぞ。お前こそ自分の立場が解っているのか、卑しい賊め」
売り言葉に買い言葉で、場所柄も忘れて罵り合う2人。紅牙は勿論だが雫も意外と相手の事を嫌っているようだ。まあ妖艶磊落な女武者と寡黙冷徹な女忍者とでは、相性が良いはずもなかろうが。
とはいえ敵の屋敷に潜入している状況で続けるような事ではない。妙玖尼は敢えて大振りに弥勒を振り上げて、2人の間に振り下ろした。
「「……っ!」」
紅牙と雫は顔を引き攣らせて跳び退る。妙玖尼は目だけ笑っていない顔でニッコリと微笑んだ。
「お二人とも場所柄を弁えて頂けませんか? それとも敵地の只中で言い争う
「……!!」
その迫力に押されたように2人の女武人が押し黙った。雫がバツが悪そうに咳払いする。
「オホン……! 私とした事が少々冷静さを失っていたようだ。さっさと喜平次の所へ向かうぞ」
「あ、ああ、そうだね! 早くそいつをぶっ殺して任務を達成しないとね。ほら、行くよ!」
紅牙も慌てて追従して頷く。そして2人とも何かに追われるようにして移動を再開した。といっても彼女達だけでは邪気の発生源の場所は解らないはずだが、それも忘れているらしい。
妙玖尼は色々な意味で前途多難な予感に溜息を吐きつつ、自身も2人の後を追って歩き出すのだった。
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