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他のスタッフ達が電話応対や事務作業をやっている中、野澤は結花が持ってきた段ボールを台車から入り口近くに置いていく。
中に入っているのは伝票や書類である。
「あれ、今日落合さんは?」
野澤がいつも来ているスタッフの名前を出した瞬間、結花は「しらなーい! たまには別の仕事してもらおうと思ってね。調子悪そうだからさ。それよりさ、野澤くんの連絡先教えてよ」と目を輝かせる。
「ご、ごめん、今スマホ持ってなくってさ。またこんどね。それより、この書類の仕分け手伝ってくれる?」
「うん、分かった! じゃぁ、代わりに連絡先おせーてー」
「はいはい」
野澤は結花のおねだり口調に少しため息がつきそうだった。
いつもなら、落合さんが持ってきてくれる。
おどおどしながらも、仕分けの手伝いをせっせとやってくれるので、こちらとしては大変助かっている。
ありがとうございますと言うと少し恥ずかしげにはにかんだ顔で、こちらこそと答えてくれた。
でも最近なんか様子が変だった。
元気がないというか、覇気がないというか。
仕分け作業で手が止まることが増えてきたし、間違えるとごめんなさい、ごめんなさいと勢いよく謝るから、不審に思っていた。
俺が彼女に尋ねるとなんでもないの一点張り。
上司が聞いたら「呉松さんと服部さんとのいざこざがやかましくて、しんどい。2人とも言い方がきつくて、言い争いしている姿を見ていると、動悸が走る。2人から八つ当たりの道具にされている。他の子も同じようにされている。服部さんがきつくなってるのは、呉松さんが来てから」「呉松さんは自分をいじめてた同級生と似ているから苦手。私の弱点を分かってて嫌がらせしてくる」と聞いた。
上司は何かあったら早く相談してくださいと言った。心配しているのだ。
落合さんは障害者なりにも頑張っていると思う。
上司曰く『最初は自信なさげで頼りなさそうだったけど、やっていくうちに褒められたのか、自信ついて、こちらも助かっている。多分今まで障害を理由に色々言われてきたんだろうね』と言っていた。
確かに呉松さんが苦手な人が多い。
私もその1人だと思う。
仕分け作業はずっと人の悪口ばかりか、プライベートなことを聞いてくる。
ここに毎回来る度に、連絡先教えてくれとせがむ。
最初は色々答えていたが、後々上司や同僚から注意された。
『呉松さんとは必要最低限の会話に徹して。最悪、手を出されるかもしれないし、関係を迫られるかもしれない。彼女若い男性好きだから。特にお前みたいなタイプは要注意だ。社長からもそうお達しが来ている。ビジネスライクでな』
元々色々な人と話をするのが好きだし、愛想もいい方だ。無碍にできないタイプであることを自覚している。
それが仇となってしまった。
ついつい話を聞いたり乗ってしまう。
最近は上司から『呉松さんに話しかけられたら、どんな内容か、いつ来たか教えてくれ。服部さんか丸岡さんに報告するから』と言われるようになった。
まるでスパイのようなことを任されている。
「今日、落合さん来てるんですか? 調子悪いって?」
その瞬間、結花の目が泳いだ。視線を書類に向ける。
「なんか気分悪いみたいだからさ、世界一可愛いゆいちゃんが仕事交代してやったんだ」
や、やばい。無理矢理奪い取ったなんてバレたらどうしよう。
心臓が跳ね上がるし、体がだんだん暑くなる。
わ、話題を変えないと。
「ねぇ、野澤くんって休みの時何してるの?」
これも重要! こういう話で趣味が見えてくるし、プレゼント攻撃出来るから。
「いやー、ずっと寝てばっかですね」
定番のこれ以上話したくないアピールをした。
ホントは家でソシャゲやアニメの配信ばっか見てるけどな。
いつも来ている落合さんや、郡山くんが同じゲームアプリやアニメが好きと聞いて以来、時々その話題で盛り上がる。
ここのチャレンジ枠のメンバー達で、障害者の人達は、みんなこの近くのグループホームに住んでいて、集団生活をしていると言っていた。
スマホの取り扱いは人によってまちまちらしく、うちに来ている人達で琴平さんと堀内くん以外は、そこまで利用制限をかけられていないそうだ。
落合さんと郡山くんは、課金しないのを条件にソシャゲをやっていると。頑張ってルール守っているそうだ。
正直この人と話すのなら、落合さんや郡山君達と話す方が楽しい。
郡山くんは見た目怖いけど、めっちゃ心優しいし、力仕事の名人だ。
困ったらすぐに手を貸してくれる。
全然悪口言わないタイプだが、数日前前、制服に広範囲にわたって、シミがついた状態でやってきた。
このシミはどうしたと部長が尋ねて『呉松さんに水をかけられた』と答えた。
『呉松さん、掃除さぼってるんだよ。丸岡さんと服部さんのいないときに。廊下の掃除はやるけど、トイレ掃除は絶対やらないから。汚れ仕事はしなくって、最後だけ少しやってやった気になってるんだ。僕や有里波ちゃんや
『僕の悪口はいい。そういうの慣れっこだから。でも、他の子を言われると嫌になる』
障害者のスタッフ達は、みんな呉松さんに嫌がらせされても「慣れっこだから」と無理矢理納得させている。
まるで言われるのもやられるのも、自分が至らないから仕方ないと言わんばかりに。
『正直、呉松さんにムカついてるんだ。今度言われたらやり返そうかといっつも考えちゃう』
いつもニコニコして穏やかな郡山くんが、怒気をはらんだ口調でこぼしたので、よっぽどだと思った。
上司が丸岡さんと服部さんに伝えたはずだが、一体どうなってるんだろう。
「えー、そんなこと言わないで教えてよー」
結花は野澤の肩を揺する。
「それより、落合さんや郡山くんは元気? 最近様子が変だからさ……」
「さぁ? いつも通りじゃない? なんで?」
「郡山くんが少し前に、制服が濡れちゃったって話聞いたからさ。それに、落合さんとか琴平さんとか堀内くんも、なんか最近様子が変なんだよね。元気ないというか……心当たりある?」
うわぁつ、やばっ、もしかして、ホースぶっかけたのバレてる?
そんなの、世界一可愛いゆいちゃんに汚れ仕事させるのがおかしいのよ!
ゆいちゃんがトイレ掃除なんて、あり得ないんだけど!
あの頭弱そうな連中に押しつけて、最後少し顔だして、やった気になれば大丈夫っしょ!
ゆいちゃんみたいなタイプ苦手そうだし、すこーし強気で出れば、なんでも言うこと聞いてくれる。
いわば「め・し・つ・かい!」ね。
ああいう人間は、ゆいちゃんにこき使われるのがちょうどいい。どうせ、そんな人に相談するという知恵なんてなさそうだし。
洗脳させとけば、ゆいちゃんは楽に仕事できるし、苦手なのものは押しつけられる。その間、こうやって、男性スタッフとおしゃべりするのがゆいちゃんの仕事。
だって世界一可愛いから何でも言うこと聞いてくれる。
「えー、そんなの知らないよー。間違えてホースを自分の方へ向けてしまったんじゃない? ほら、あれおっちょこちょいからさ」
けらけら笑いながら「それより、あの服部のババアに死ねって言われたんだよねぇ」と話題を変えた。
「よく同僚にあれ呼び出来ますね。もう少し言い方なんとかした方がいいと思いますよ。仮にも仕事仲間なんですから」
野澤はいらついてきたのか、少し強い口調で窘めた。
「仕事仲間? え、あんなのゆいちゃんの召使いよ? ゆいちゃんは世界一可愛いから、人に使われるより、使う方が性に合うの。だいたい役立たずで頭弱いんだから、搾取されるのがお似合いよ? ゆいちゃんお嬢様だから、汚れ仕事なんてむりぃー」
野澤は「えっ?」と思わず口に出した。
嘘だろ。仕事にしに来てるんだろ?
何が搾取されるのがお似合いだよ?!
まるで自分が支配者になったような言い草だけど。
一体呉松さんは何様なんだろう?
だいたい彼らは色々持病や特性があって、あれこれが苦手で業務に支障きたすから、配慮してもらっている。その分、別の所でカバーしている。
彼らを見ていると、2年前に亡くなった妹と重ねてしまう。
同じく知的障害を持っていて、職場で働いていたが、同僚に嫌がらせを受けて自殺した。
会社で問題児という汚名を着せられたまま。
『今まで甘やかされてきたんですから。私は平等に接したまでです』
『自殺するのは所詮それまでですから。むしろ雇ってやっただけでありがたく思ってくださいよ。金づるの癖に、配慮してほしいとかウザいんですよね。だから罰としてヘッドホン取っただけですよ』
『あんなもんなくたって仕事出来ないなんか、ダメでしょう。遊んでるように見えますし、態度悪いようにも誤解されるだけですから。まぁ、取り上げたら暴れるもんで、こっちは参ってたんですよー』
妹の上司が喜色満面で言った言葉。
まるで厄介者がいなくなって、嬉しいと言わんばかりに。
今、呉松さんの姿がその上司と似ている。
こんな感じで妹も嫌がらせ受けていたのかと。
「呉松さん、あなた何言ってるんです? 搾取されるのがお似合い? ふざけんなよ!」
野澤は声を荒げて結花に詰め寄った。
「え? なに? そんな怒ること? たかがそれぐらいでさぁー、冗談でしょ。役に立たないなら、それななりの仕事があるってこと。分相応ってやつ」
ヘラヘラ笑いながら「もー、怖いんだからぁ」と続けた。
「――いい加減にしてくれます? 役立たず? 搾取されるのがお似合い? ふざけんな!」
野澤の声が大きくなり、部署の人達の目が2人に集まる。
「え、なに? マジになってる?」
キョロキョロと見回して、結花は視線が自分達に向けられていることに気づく。
な、なんか地雷抜いちゃった?
ヤバっ! 今日連絡先聞こうと思ってたのに。
どうしょう、とりあえず謝っとく?
てか、だいたい何で野澤くんはあんな頭弱そうな人達に甘いの?
せっかく久しぶりに遊びに来よっなんて話したら、冷たいし。なんなの?
「落合さんや郡山くん達は、障害があるなりにも、ここで一生懸命頑張ってくれてる。こちらとしては、大変助かっている。少なくとも、ここで人の悪口とか自慢話する誰かさんよりもね!」
「それ、どういう意味?! ゆいちゃんをバカにする気?! あんなぶっさいく集団よりゆいちゃんの方が世界一可愛いし、お姫様扱いされるのが当たり前なのよ」
「あぁ、そうだよ。お姫様扱いとか、何言ってるんです? 頑張っている人をバカにするあなたに、心底軽蔑してるんです。それが何か? 知ってますからね! あなたが、郡山くんに嫌がらせしたの」
結花は「それなんのこと?」と話をそらした。
嘘? やっぱ知ってるの? あのきっしょい陰キャみたいなやつだっけ?
くっそ、大人しそうな癖に! もしかしてチクったの?!
後で〆てやろう。余計なことしたとして。
「これ以上悪口ばっか言うのなら、とっとと出て行ってください」
野澤は結花を力づくで追い出そうとした瞬間、入り口から「呉松さんいる?」と声がした。
振り向くと丸岡と服部が見えた。
結花は2人の姿を見て舌打ちした。
「あー、丸岡さん! ちょうど良かった。この人引き取ってくれませんかねー」
野澤の怒気のはらんだ口調から、いつもの調子いい口調に戻った。
「分かってますよー。呉松さん、お話があるので。落合さんの足踏んづけてまでここに来たかったそうですけど、理由はなんとなく見当ついてます」
足踏んづけたと聞いて野澤は、落合のメンタルの心配と「マジこいつ中学生並に陰湿だな」と呟いた。
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