7章

1



 結花の元に悠真と陽鞠が戻ってきた。

 土曜日の昼間にだ。

「ただいま」

 悠真の声が玄関から響く。

 いそいそと結花は2人を出迎えた。

 朝早くから起きてバッチリメイクした。

 付け睫毛やコンシーラーはなしで、薄い茶色のアイシャドウとピンクのリップ。

 今までつけていたネイルも仕事の関係上外すように言われたこともあり、形だけ整えている。

 服は紺色のプリーツが入ったワンピースだ。

「どう? かっわいいでしょ?」

 結花は1回転して2人にアピールする。

「あ、う、ん、可愛いよね? ひーちゃん?」

「……うん」

 2人の反応は薄い。

 陽鞠は普段の結花の格好を思い出して目を丸くして、言葉が出ない。

 それもそうだ。スカートがやたら短いのや露出が激しい服ばかり来ている結花が、全て控えめにしたものになっているんだから。

「もーっ! 私の可愛さにびっくりしちゃってるのねー。カレーが出来てるから、一緒に食べよっ」

 ささっと結花は2人をリビングに連れて行く。

 久しぶりに来たリビングを見て、悠真と陽鞠は綺麗になってると呟く。

 前日に結花は仕事を休んで丸1日使って掃除をした。

 アプリと連動してくれるタイプのロボット掃除機だが、結花が欲しがって買ったにも関わらず、使い方を知らずに、説明書とにらめっこして設定した。

 汚れ仕事をほとんどしたことがなかった結花にとって、家の掃除は重労働だった。

 悠真やお手伝いさん達がいなくなってから、少しずつ教えてもらってやった結果だ。

「ほら、出来てるから食べて。冬野菜のカレーよ。ほうれん草と大根と牛肉の」

 ダイニングテーブルには、3人分のカレーが並んである。

 結花が座ってから、向かいには悠真と陽鞠が並ぶ。

「ゆうちゃん、隣座ってよー」

 上目使いでアピールするが、悠真はいいよと遠慮する。

 結花は肩を落として頂きますと声をかけた。

 なんで座ってくれないの? 私、1人じゃん!

 口先をとがらせてから一口つけた。

「美味しいー!!」

 両手で頬を当ててアピールする結花に対して、2人は黙って食事を進める。

「ね、美味しいでしょ? ゆいちゃんが頑張って作ったのよー」

 前のめりで声を弾ませながら2人に感想を聞く。

 その目は期待に満ちあふれていた。

 美味しいと答えさせるための圧力をかけて。

 その瞬間陽鞠の手が止まった。

「ちょっと黙っててくれる? さっきからうるさいんだけど。その声耳障り」

 陽鞠は「水お代わりする」と立ち上がって、流し台にある水を継ぎ足した。

「ひ、ひまり! そんな冷たい言い方はなくない? お母さんがせっかく作ったんだからさ……戻っておいで」

 悠真が機嫌を損ねないように陽鞠に席に戻るよう促す。

 しぶしぶ戻ってきた陽鞠は「どうせ自分でじゃなくて、職場の気弱そうな女性スタッフ脅して、作らせたんでしょ?」と煽る。

「そんなわけないの! ゆいちゃんが自分でやったんだから!」

 結花はムキになって言い返す。顔が赤くなっていく。

 ちゃんとネットで調べてやったのにと返す。

「じゃぁ、何のサイト使ったの? どこで買ってきた? 作り方は覚えてる?」

 矢継ぎ早に質問され、結花はスマホアプリで覚えたことや、食材は職場で買ったことを話す。

「へぇー、あんなに嫌がってたとこで買ってたんだー。何のギャグかな? 味はまあまあね。あと一歩ってとこかな」

 してやったりと陽鞠の口角が上がる。

「陽鞠、やめなさい。お母さんが一生懸命作ったんだよ。信じなよ」

「え、お父さん何言ってるの? これ今までお母さんが私たちにだよ?」

 結花は、味がしょっぱいだ、料理が地味でSNS映えしないとか、まあまあの出来ねと2人が作った料理に対して上から目線でコメントしていた。

 主に2人が料理するのは、お手伝いさん達がいない日。

 2人が料理している時、結花はのんびりテレビを見たり、スマホを触ってるだけで、手伝いなんてしなかった。

「そんなの言ってない! ひーちゃん酷いよー」

 泣きマネを始める結花に、陽鞠は「自分が言われたら泣くなんて、ばっかじゃねーの?」と煽る。

 せっかく娘のために作ったのに。リクエストがあったから。

 どうしてこんな言い方されないといけないの?

 なんてうちの娘はきついんだろう?

「えー、お母さんが作ったの美味しかったけどねぇ」

「えっ?! ホント?」

「うん。頑張ってるじゃん。この間作ったチャーハンも美味しそうだったよ」

 うんうんと満足げに頷く悠真。

 悠真に褒められて少し機嫌が戻った。

「はぁ? 甘くない?」

 結花の機嫌を損なうような声と冷めた口調。

 陽鞠はため息をついて続ける。

「この女狐は、自分が楽したいために、お父さん騙してたんだよ? 家庭的な女演じて。挙げ句の果てには、お父さん倒れたときに、よその男と遊んでたし。既婚者であること隠してさ。そんな人信用できる⁈」

 陽鞠から事実をまくしたてるように突きつけられる。

「ひーちゃん、今はその話関係……」

「気安く呼ばないで」

 陽鞠に切り捨てられた結花は、酷いよ、ゆいちゃん虐めないでと繰り返す。

「そのゆいちゃんの呼び方も、声も、口調もぜーんぶムリ。40前でしょ? おばさんのくせに。痛い母親持ってる娘の気持ち分かる⁈ キッショいんだよ!」

「あんたのお陰でね、私虐められてるの。ちーちゃんのお父さんいじめてたでしょ? 赤澤先生の彼氏にちょっかいかけてたんでしょ?」

「違う! 違う! 違う!」

 首を激しく横に降りながら、陽鞠は嘘ついてるのよと取り繕う。

 全身が熱くなり首に痛みが走る。

「どう違うか説明してよ?」

「いや、その……そ、それは……そんなのじゃん?! なんで今更蒸し返すの?」

 何か言わなきゃと頭の中で反論の材料を探すが、出てこない。

 別に隠してた訳ではないけど、なんで夫と娘が知ってるの?

 娘の担任から言われた言葉を思い出す。

 もしかして彼女が教えた?

 そうだ、娘の通う学校に私と同級生の保護者がいるみたいなこと聞いた。同級生だったり先輩後輩だった人が保護者でいるということよね?

 そこで話広まった? ま、私は天下の呉松家のお嬢様だから。世界一可愛いから? 名前が知られてるの。

「結花、陽鞠が言ってることは事実だ。君は結婚の時から私を騙してた。身辺調査の書類で。あとは料理できないことや問題を起こしてたことを全て嘘ついてた。挙げ句の果てには、マッチングアプリで若い男性に既婚者であること隠して、騙してたんだ。それに対する反論はある?」

 悠真は鞄から書類を取り出した。

 結花の身辺調たそして調査だ。結婚時と陽貴が興信所に頼んだもの。

 結婚時のではなく、陽貴が頼んだものを手に取る。

 一読していくと、結花の本当の過去のことが事細かに書かれていた。

 お手伝いさん達の証言、結花の小学校時代から学生時代までの生活や評判。

 結花の顔がみるみる青ざめていく。

 陽鞠が言っていることが書かれていた。

 同級生の赤澤の彼氏と関係持ってた時のやりとり、同級生達からの証言、智景の父である浅沼響の杖を隠したり、壊した時の弁償した金額のやり取り……。

 なんでこんなのが残ってるの⁈

 私は悪くない。悪くない。悪くない!

 彼氏取られるのは魅力がないからよ! 嫌がらせしたのは、八つ当たりにちょうどいいタイプだったからよ! 笑って許してくれたじゃない‼

「あんたがやったこと、今になって返ってきてるの。私も巻き込まれて。人生で1番の恥は、私がであることよ‼ この名前がつきまとう限り、私は嫌がらせのターゲットになるの。どうしてくれる?」

「その、あ、いや……わ、私は悪くないんだし? む、昔の過ぎた、こ、ことじゃない? 他の男性と遊んでたのも、退屈だからつい……お、おとうさん、ほら、忙しいじゃん? 私は世界一可愛いから、男の人がほっとかないのよ? ね、ひーちゃんもいつか分かるよ?」

 結花は陽鞠の手を取ろうとするが、振り払われた。

「誰が分かるか!! 理解したくもないし、する気もない。これでお父さんとやり直そうというの⁈ 頭どんだけお花畑⁈ お父さん、もう別れて‼ こんな無理‼ 絶対一緒に住みたくない!」

 悠真の肩を激しく叩く陽鞠。

「親に養われてるくせに、ゆいちゃんにエラそー言ってるの⁈」

「女の子はお父さんに似た方がいいって言うけど、地味なのよねー。最近は一緒に買い物付き合ってくれないし、おしゃれ興味ないでしょ? 覇気ないでしょ? いっつも本ばっか読んでるし。のんちゃんとこの子みたいに」

 ニヤニヤしながら結花は、陽鞠に容姿を侮辱する。

 確かに陽鞠は悠真に似ている。性格もそうだが、見た目もだ。

「そんなに家族元に戻りたくないなら、出ていって。パパ活でもやって生きていけば? 中学生ブランドがあるし。あ、ブスだから買ってくれるパパがいるかどうかだけど。ゆいちゃんは可愛いから、すぐ相手してくれるよっ」

 勝ち誇ったような笑みで陽鞠を追い詰めていく。

 陽鞠は目の前で容姿を否定的され口をつぐむ。

 これはただの反抗期や母娘喧嘩ではなく、陽鞠の正当な意見だ。

 悠真は2人の言い合いに思考を巡らせる。

 仕事や家事を頑張ってると聞いて、もう一度やり直そうと少し考えていた。

 今の発言を見てたら、相変わらず自分のことは名前呼んだり、昔のことはもちろん、今も反省してないのが言動に表れている。

「――陽鞠がブスだと⁈ ふざけんな! 見た目しかないお前に何が分かる? 陰で努力してる陽鞠の方が可愛い。勉強と部活の両立頑張ってる理由知ってるか⁈ お前を反面教師にしてるんだよ。先生や親御さんでお前の過去のことを知ってて、嫌がらせされたくないから、引き合いにされたくないからだよ!」

「お前なんて言い方モラハラよ! 謝って!」 

「ほー、普段結花がやってることじゃん。私や両親バカにしてるのに、言われたら逆ギレとか、何のギャグかね?」

 普段強く言わない悠真に結花は、困惑して何か言い返そうと必死になる。

「だ、だって、私、悪くないもん! こっちは被害者なの!」

 頬を膨らませてすねるわ、自分がしていることの自覚が分かってない。

 尾澤と野崎が言ってたことに食い違いがある。

 前者は好意的に結花が頑張ってることを評価しているが、後者は勤務態度が悪いとか、言葉遣いが酷い、覚える姿勢がないから、そろそろやめさせてくれと。

 野崎から段々恨み節が出ているのは、彼から送られるメッセージアプリで伝わっている。

 確かに向こうからすると、非常識な嫁を自分の勤務先に配属させやがってということなんだろう。手を焼くからもう無理ということで、尾澤を教育係で送った。

 尾澤は表向き陽気でサバサバしているし、見た目が見た目なので、女性スタッフのファンが多い。しかし態度悪い人や要領悪い人には容赦ないところがある。だから社内で厳しい人として恐れられているし、新入社員やスタッフ達も彼女の"洗礼"を受ける。

 一応結花は洗礼を受けて、彼女と上手くやっていると聞いている。勤務態度も最初よりましになったと。

 もしかして身内に甘えているのだろうか。それとも、尾澤の前だけきちんとやって、他の人の前では……ということだろうか。やっぱり根っこは変わらないか。

「……もうこれ以上周りに迷惑かけないようにしないとな。責任取らなきゃなー」

「ま、待ってお父さん……もしかして? 私は反対!」

 陽鞠は正気になってと言わんばかりに、悠真の肩を揺らす。

「――陽鞠、国民の三大義務は習った?」

「納税、勤労、教育を受ける」

「そう。パワハラやったり、問題起こしてる社員や上司でも、介護とか病気とかじゃない限り、働かないといけない」

 世の中は他人の犠牲や不幸の上で平穏に暮らせる。

 問題ある社員やパワハラ上司も、会社に所属している以上、どこかに配属しないといけないし、部署や事業所のスタッフ達が犠牲になるのは避けられない。

 今回たまたま犠牲者が明王寺店のスタッフ達で、それが春の台でも変わらない。

「犠牲者を間接的に増やしてたのは事実。だからこれ以上増やさないように、お父さんがまたなればいい。陽鞠とは関わらせないから」

「ちょっとまって、陽鞠と関わるの禁止⁈ ふざけんなよ? 私の娘でしょ!」

 結花は机の上を強く叩く。しかし、悠真の顔色は変わらない。陽鞠は突き刺す視線を向ける。

「あー、変わってなかったな。根っこは。3ヶ月間何してたんだ? 働いてから何を得た?」

「頑張ってんじゃない! ゆーちゃんとひーちゃん帰ってきて欲しいから」

 腕を組み頬を膨らませて怒ってますアピールする。

「きっしょ、40前でこんなことしか出来ないの⁈ こんなの同級生でいたら総スカンよ? 親ガチャ外れね」

 陽鞠は手をひらひらさせながら煽る。

 目の前で子どもから親ガチャ外れと言われた結花は、泣き崩れる。

「全部自分で撒いた種でしょ? ねぇ? 娘から外れ呼ばわりされて、どんな気持ち? ねえ? ねえ? ねえ?」

 陽鞠は立ち上がって結花の顔に近づき追いつめる。

 結花は唇を噛みしめてじろりと陽鞠の顔を睨む。

「なんなの? その目は? 威嚇してるつもり? ウケるー!」

 手を叩いて大声を上げる。その姿に悠真は「もういい加減にしなさい」「言い過ぎだから」「お母さんに失礼だ」と低い声で窘める。

 しかし陽鞠は止めることなく、結花に罵倒の言葉を浴びさせる。

 まるで今までの鬱憤を晴らすかのようだった。

 

 あの人のせいで。私もお父さんも苦しんできた。

 元いじめっ子で男性を奪い取った人の娘であり、トラブルメーカーの娘であることを知った時、全てが繋がった気がした。

 周りがあの人に対して、機嫌を伺うような、よそよそしい態度。

 同性にいじめられてたから苦手なの、男性の方が関わりやすいではなく、自分で首を絞めてきただけだった。いつも被害者でいたいだけ。

 あの人に憎しみを持ってる人達が身近にいる。

 私もその一人である。

 憎まないあの人に甘い父も同類に見えてくる。

 もうこんなことだったら、あの人が自滅するまで追いつめる。それがだ。


「――お父さん、この人と一緒にいていいよ。でも条件がある。――4月から学校行かない。中学生卒業までおじちゃんおばあちゃんとお父さんとあの人と住む。高校は絶対寮付き、この人と離れるためなら国外でも行く」

 陽鞠の苛烈な目は揺るぎなかった。

「えっ、同居⁈」

 結花は同居の単語に嫌なイメージを浮かべる。

 嫌だ、あんな田舎もんみたいな家にいたくない。

 家もしょぼいし。

「そうしよう。それが家族とやり直す条件だ。もうこれ以上お前の好き勝手にさせない。継続して働いてもらう。日下部さんを騙した償いはまだ続いている」

「そ、そんな……!! ど、同居は……」

「なら、離婚だ。親権は俺だ。陽鞠はお前と二人で住みたくないと言ってるからな」

 一人は嫌だし、かといって……あ、家事押し付ければいいか?! まだ私は勢いがあるから。どうせ老いぼれ2人は体力ないし、うちに頭が上がらないし。

「……わ、分かったわよ!! 同居すれば良いんだね? ならもとに戻ってくれる?」

「ああ、そうしよう。約束だ」

 結花は不承不承ふしょうぶしょうにも同居を条件に家族でやり直すことを決めた。

 しかし、これが結花へのだと知らずに。

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