1章

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夫を見送った後、依田結花よだゆいかは徒歩数分の実家の母とお手伝いさんを呼んだ。

「結花ちゃん、今日はどこにいこうかしら? 松翁屋しょうおうやさんにいく?」

「えー、どこでもいいや。お母さんが決めたとこでいいよ」

 結花は母の周子ちかこの質問に投げやりで答える。

 テレビに夢中だったのに話しかけられて、なんとなく腹が立つ。

「じゃ、さんね。その前に掃除しないと」

「いーじゃん、お手伝いさんに押し付ければ」

 結花は睨みつけるように、台所で洗い物をしている女性に目を向けた。

 呉松家のお手伝いの野田のだである。

 歳は60代後半。元々小柄で少し腰が曲がり気味にもかかわらず、無理して高い戸棚からコーヒーを取り出す。

 元気な結花と周子は全く手伝うそぶりを見せない。

「ねー、野田さーん、早くしてよ! さっきからずっとまってるんですけどぉ!」

 結花は強い口調で野田を急かす。

「そうよ。結花ちゃんが首を長くして待ってるじゃない。早くしてよ」

 周子がさらに追い討ちをかける。

「少々お待ち下さいませ」

 せっつかれた野田は、不手際をしないように準備をして二人のもとへ渡す。

「お待たせしました。結花お嬢様、奥様」

「あんたトロ臭いんだけど」

 結花がコーヒーを一口つけた瞬間、野田に向けてコーヒーをかける。

「苦いんだけど! 私、いつもお砂糖二つって言ってるよね? お砂糖一つも満足に入れられないの?! バカなの?! あんたの頭お飾りなんじゃない?!」

 キャンキャン吠えるように喚く結花。

「……申し訳ございません。ただ今作り直しますので」

 熱いのを堪えながらコメツキバッタのように、申し訳ございませんと何回も繰り返す。

「1番上の棚にあるコーヒーいれて。粗相したらコーヒーまたぶっかけるから。あとこぼしたコーヒーの掃除して」

「……はい、ただ今」

 野田は何も言い返さず、結花言う事を聞いてコーヒーを淹れ直した。

 1番上のを取り出すのも、野田の腰が悪いことを分かってて言っている。

「あー、ムカつく。野田は役立たずだし、つまんないわ」

「結花ちゃんかわいそうに」

 隣で周子がヨシヨシと結花を宥める。

 野田はかわいそうなのは、おたくのお嬢様の頭だといつもいいそうになる。必死に唇噛み締めて、言われた通りにする。本当は泣きたい所だが、また結花から追い詰められるようなことを言われるだけだ。

 陰険なお嬢様だと思いつつ、無理矢理笑顔を作って、結花にコーヒーを渡す。すぐに持ち場へ戻った。

 呉松くれまつ家のお嬢様こと依田結花は性格に難あり、ワガママ、世間知らず、家事がろくに出来ない、22歳になっても働いた事がない。学生時代にバイトすらしたことない。

 その性格に拍車をかけてるのが、結花の母周子だ。

 結花の機嫌を損ねないように、なんでもはいはい言うこと聞いている。

 ちなみに周子も働いたことがない。女の子が働くなんてかわいそうの考えの人だ。家事は全てお手伝いの人たちに丸投げしている。

 結花が会社で働くことを反対している。うちの可愛い結花ちゃんが会社勤めなんてしたら、女性から嫉妬されていじめられそうだわと。

 実際、結花は女性から嫌われるタイプだ。

 小学校から女子からきつく当たられ、良く思われていなかった。それもそうだ。男子と女子と態度が全然違う、同性の女子で気に入らない子がいれば嫌がらせをするわ、自分勝手すぎるため総スカンを食らっていた。そのため、結花の友達は基本男性ばかりだ。甘えさせてくれるから。

 そんな彼女にも夫がいる。

 大学卒業と同時に結婚した。4つ上のローカルスーパーの経営者の息子。

 結花はとにかく働きたくないが為に、高校時代から、出会い系アプリのようなもので、男性遊びにふけていた。

 そんな中かなり熱心だったのが結花の夫、依田悠真ゆうまだった。

 結花を振り向かせようとあの手この手で、アプローチしての結果だ。

 結花としては結婚してやったと思っている。

 悠真の実家がローカルスーパーの経営者なのに対し、天下の呉松家とは天と地の格差がある。

 そのため結婚する時にかなりもめた。

 特に周子が終始悠真の実家を見下す言動をしていた。

 結婚を認める条件として挙げたのが


 結花を専業主婦にさせること。

 全て結花の言うことを聞くこと。

 呉松家を贔屓すること。

 結花が依田家の実家と同居するのはNG。

 依田家との付き合いを結花にさせないこと。


 これらを考えたのは結花と周子だ。

 一方的に結花に有利な形だった。

 しかもこれをきちんとした誓約書のような形で署名させた。

 惚れた弱みなのか、悠真は終始結花の言うことを聞いている。

「あの人、今日も仕事忙しいから帰り遅いってさ」

 唇をとがらせて呟く結花。

 ここ半年ぐらい悠真の帰りが遅い。きつく問いただしても、仕事が立て込んでいると返すだけだった。

 悠真が経営しているローカルスーパーは、朝の7時から閉店は夜の10時と遅くまで営業している。悠真の両親と協力して、人がいない店舗にヘルプで行く。それが日常茶飯事だ。

「それ、浮気してんじゃないの?」

 縁起でもないことを言う周子。

「それどうやったら分かる?」

「探偵さんにお願いしないとね。お母さんの知り合いがやってるからやってくれるわ」

「本当?! お母さん! さすが!」

 周子は早速知り合いがやってるという探偵事務所に連絡した。

 横で結花が静かに見守る。どうか私に有利な形になりますようにと。

 浮気がガチなら、呉松家のコネを使ってでも、夫及びその家族を社会的に潰す。ついでにあのローカルスーパーも。

 もし何もなかったら月のお小遣い減らす!

 悠真の月のお小遣いは3000円だ。まるで、中学生のお小遣いレベルだが“節約”のために、この金額に設定している。

 年数回ある飲み会だけ、当日に5000円渡して終わりだ。

 使えるお金を制限すれば、否応なく、家のことに専念してくれるし、余計な出費がなくなるだろうという考えのもとだ。

「結花ちゃん、やってくれるって」

「ほんと?! まじ?」

目を輝かせて心の中でほくそ笑む。

「ええ。お母さんは結花ちゃんのためなら、いくらでもお金だすわ」

 浮気だろうが何だろうがどっち転んでも罰として私の言うことを聞いてもらうわよ。

 世界一可愛い私のためなら、犠牲になるのも当然でしょ?

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