第12話 乙姫は化け物と踊る

 状況は最悪だ。

 アーシムは完全に戦意を喪失し、剣も奪われてしまった。


 オトは一応凪沙なぎさを守るように前に立ってくれてはいるが、ただそれだけで。一言も発さず、静かに展開を見守り続けている。彼女は女王で、この国のトップ。つまりオセアーノの差別を黙認してきた人間。本来なら守る義理など存在せず、ここまでよくしてくれていたこと自体がそもそもおかしかったのだ。


 オトの使用人のデルフィーノや、こちらの味方をしてくれたアングイッラ卿が心配そうに見つめる中、メルルツォが口を開く。


「さあ、この海族かいぞくに天誅を下す時ですわ! 参りましょう、皆様!」


 金髪の令嬢の掛け声に続いて、王城内に貴族たちの鬨の声が響き渡る。

 各々が身近にあった刃物や鈍器を持って、忌まわしきオセアーノである凪沙に襲いかかる時を嬉々として待っている。


 人間の正義とは、ここまで歪むものなのか。

 正しいと信じて間違った方向に突き進む人の群れは、それこそ誰かに洗脳されているんじゃないかと思えるくらい、とても不気味な光景だった。


「よし、じゃあまずは誰かがそいつを押さえろ。それからたっぷりと痛めつけてやるんだ」

「あんまりやりすぎないでよね? ちゃんと苦痛を味わってから死んでもらわないと、償いにならないんだから」

「分かってる。軽く床に押し付けるだけさ」


 まずは力に自信のある男性陣が凪沙の腕や足を掴んで、身動きを取れなくさせる。

 そのまま今度は背中を押さえ付けて、無理やり床に腹ばいにさせられる。


「さて、最初は指でも切り落として差し上げましょうか」


 そう言ってメルルツォがナイフを手に歩み寄って来る。その表情は狂気に満ちた笑顔で。


「…………」


 やめてほしいと願ったところで通じる相手とは到底思えなくて、命乞いをする気力も最早湧かない。


 金髪の令嬢がナイフを高く振り上げる。

 私は痛みに備えて、ぎゅっと目を瞑った。

 と、その時。


「全く、弱い者いじめとは醜いな人間よ」


 どこかで聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 凪沙は驚いて目を開け、何とか顔を動かし口を開いた。


「フロリダさん、どうしてここに……?」

「言ったろう? 貴様の安全は保証するとな」


 まさか、私のことを助けに来てくれたの?


 突然の謎の乱入者に、水を差されたメルルツォたちが苛立たしげに反応する。


「ちょっと、誰ですの? この私の邪魔をする無礼者は」

「もしかしてその女の知り合いが助けにでも来たのか?」

「ってことは、こっちも海族だったりする?」


 貴族らの視線が一斉にフロリダに向く。

 そして、そこにいる存在の正体に気付いて会場は瞬く間にパニックとなった。


「か、海異かいいだ……! 海異が出たぞ!」



「みんなどいてくれる? 逃げられないんだけど!」

「押さないでくれ、俺も出口に行きたいんだよ!」

「このメルルツォが先でしてよ! 道を開けて下さいまし!」


 銀髪のような触手をうねらせ、蒼く光る瞳で慌てる人々を睨め付ける人型の海異。


 戦える武器を持っていたはずなのに誰もがそれを投げ捨てて、あれだけ悪者だと罵った凪沙の拘束も簡単に解いて。その脅威から我先に逃げ出そうと。

 一ヶ所しか無い出口に人が集中し、あちこちから怒号や悲鳴が上がる。


 その光景に、フロリダはひどく呆れて嘲笑した。


「銀髪碧眼の人間には強気に出ていた癖に。吾れもそれほど見た目は変わらぬはずだがな」

「確かに見た目はそうかもですけど。フロリダさんが纏っている雰囲気は人間とは全然違いますから。そんなことよりフロリダさん、助けてくれてありがとうございました」


 凪沙が礼を言うと、フロリダは先ほどまでとは一転した優しい態度で応じる。


「約束を果たしたまでだ、感謝されるほどではない。それに今日は、元々ここに用があったからな」

「用事、ですか……?」


 王城のどこかにプラスチックの山でもあるのかと考えたが、たったそれだけのためにフロリダがこんなリスクを冒すはずがない。

 だとしたら、一体何をしに?


「覚えていないか? れは為政者に天罰を下しに来たのだ」


 そういえばあの日、図書館でそんなことを言っていた気がする。


「まさかオトさんを殺すつもりじゃ……!?」


 はっとしてオトの方を見遣る。

 フロリダに今からでも思い直してもらわないと、彼女が危ない。


 しかし凪沙が動くより先に、オトが一歩前に進み出た。


「大丈夫よナギサ。私、そこそこ強いから」

「いや、ちょっと待って下さい! どうして戦おうとしてるんですか!?」


 紺青のドレスに身を包んだうら若き女王と、不気味なオーラを纏った人型の海異とが真っ向から対峙する。


 素人目に見ても明らかな絶望的な力の差。

 結果の分かりきった無謀な勝負。


「っ……! オト女王、危険です! 離れて下さい!」


 流石にこの異常事態に、アーシムも正気を取り戻したらしい。

 床に放り捨てられていた自分の剣を拾い上げ、フロリダに斬りかかろうと駆け出す。


 だがそれをオトは左手を上げて制すると、目の前の海異を見据えたまま言った。


「あなたは手を出さないで。これは私がやるべき仕事だもの」

「駄目ですオト女王。そこにいるのはあのフロリダです。ここは僕に」

「いいから大人しく見ていなさいな」


 女王の命令は絶対だ。彼女にそう命じられた以上、アーシムは黙って従うしかない。

 渋々剣を鞘に納め、不安げな様子で凪沙の隣へ。


「いい度胸だオト。その心意気は褒めてやるが、吾れは手加減せんぞ?」

「ええ、本気でかかってくるといいわ」


 武器も持たぬ少女との楽勝な戦いに余裕を見せるフロリダに対し、怯む素振りすら見せず自信ありげに挑発するオト。

 この圧倒的不利に追い込まれて尚、彼女には勝算があるというの?

 色の無い純白の瞳の奥で何を考えているのか、凪沙にはさっぱり分からない。


 デルフィーノが避難誘導に当たってくれたおかげで、宴に参加していた賓客は全員この広間から出られたようだ。

 凪沙とアーシム以外に人が残っていないことを確認してから、オトはおもむろに右手を持ち上げると人差し指で空中に波線を描き始めた。それからその波線を描いた辺りを見つめ、スマホを操作するように素早く指を滑らせる。


 直後、空中が眩く光り出して。何も無かったはずの空間から突如として細剣が出現した。

 慣れた手つきで女王はそれを右手で握ると、迷わずフロリダに切っ先を向ける。


「じゃあ、早速始めましょうか」


 えっ、今何が起きたの?

 オトが行った一連の動作と不可思議な現象を理解出来ぬまま、二人の真剣勝負が幕を開ける。


 先制攻撃を仕掛けたのはフロリダ。

 髪のような触手を針の如く鋭利に尖らせ、猛烈な速さでオトの心臓目掛けて伸ばす。


 しかしオトはそれをサイドステップで何なく躱してみせた。

 そしてその勢いのまま反撃に転じる。


 彼女が腰を低く落とすと、細剣の刀身がオレンジ色の光を帯びる。

 狙いを定めて足を踏み出した瞬間、目で追えぬほどの加速度でフロリダの懐に飛び込んだ。


 剣先がフロリダの胸元を掠める。


「甘いな」


 海異の肘打ちが女王の背中を襲う。


「くっ……!」


 オトはわずかに体勢を崩したが、追撃は寸前で回避することに成功。

 再び間合いを取って、呼吸を落ち着かせる。


「吾れら海洋生物が味わってきた苦しみは、こんなものでは無いぞ」


 またしても触手攻撃。

 刺し貫かれたら無事では済まない銀の針が、あらゆる角度からオトに迫る。


 これには流石に後ろに下がらざるを得ない。

 勢いよく床を蹴って、後方に飛び退るオト。


 二人の距離が大きく開いた。


 フロリダが触手による遠距離攻撃と体術のような近接攻撃を効果的に使い分けているのに対し、オトは必ず間合いを詰めなければならないレイピアでの刺突攻撃のみ。手こずるのも無理はない。


「貴様の力はその程度かオト。これでは貴様が一方的に消耗していくだけだぞ?」


 不敵な笑みを浮かべてフロリダが言う。追い込めている実感があるのだろう。

 けれどオトには未だ焦りの色は見られない。


「そんな訳ないじゃない。ソードスキルだってまだ基本技のジェットガストを一回発動しただけよ。人間を舐めないでもらいたいわね」

「ほう? ならば見せてみろ。人間の本気の一撃を」


 指をクイクイと動かして、かかってこいと煽るフロリダ。


 これは罠だ。

 間合いを詰めたら最後、触手でめった刺しにされてしまう。


 オトもそうと気付いているはずだが、彼女は敢えて挑発に乗ることを選んだ。


 海異を見据えたまま上体を反らして、細剣を大きく後ろに引く。

 すると刀身が白く発光した。


 女王の瞳と同じ、月の白色。


「神聖級ソードスキル、ムーンオブホープ」


 技名を口にした瞬間、吹き抜けになっているこの広間の天井に届きそうなくらい遥か高くまで跳び上がった。


「全く、愚かな奴だ。それでは吾れの攻撃を躱せぬではないか。残念だったなオト、貴様はこれで終わりだ」


 フロリダが勝利を確信し口の端を吊り上げる。

 落下軌道に触手を伸ばして、オトを頭から串刺しにすべく待ち構える。


 このままじゃ殺されてしまう。


「っ、オトさん!」


 私は思わず彼女の名を叫んでいた。


 隣のアーシムも緊迫した面持ちで剣の柄に手をかけている。

 いざという時には命令に逆らってでも女王を守らなければと、ギリギリまで見極めるつもりで。


 放物線の最高到達点でオトが身を翻す。

 レイピアの切っ先がフロリダへと向けられる。


 その時、燦然と輝くシャンデリアが後光の如く彼女を背後から照らした。

 オトは色の無い純白の目を細めて。冷酷な、静謐な微笑みを浮かべた。


 冬の新月の夜の、宵風のように冷ややかな。その眼差し。


 刹那、重力と剣技のアシストを受けて急激に加速。

 海異の銀色の触手と女王の白い細剣が交わる。


「オトさん! フロリダさん!」

「オト女王!」


 凄まじい衝撃波に、凪沙とアーシムは吹き飛ばされそうになった。

 腕で顔を覆いながら、収まるまで必死に耐える。


 結局、二人の戦いにアーシムが介入する間は無かった。

 どっちが勝ったのだろうか?


 オトは頭から真っ直ぐに串刺しにされてしまったのでは?

 もしくは反対に、フロリダが月白の細剣に貫かれてしまったのでは?

 そんな不安が頭をよぎる。


 怖いけれど、でも確かめなきゃ。

 ゆっくりと腕を下ろし、恐る恐る顔を上げる。


「っ!」


 すると凪沙の目に映ったのは、フロリダの眉間に剣先を突きつけるオトの姿だった。


 良かった、二人とも生きてた……!


「このまま突き刺してあげてもいいけれど、それだと何の解決にもならないわよね」


 オトの言葉に、フロリダが答える。


「そうだな」

「勝負は私の勝ちってことで、ここからは建設的な議論をしましょう。それでいいかしら?」

「ああ、構わん」


 フロリダが降参のポーズをとったのを見て、オトは細剣を下ろす。


 どちらも死ぬことなく戦いが終わったことに、凪沙は安堵しホッと息を吐いた。


「オトさんもフロリダさんも無事で、本当に良かったです……」

「うん。ひとまずは安心、かな……」


 アーシムは全身の力が抜けてしまったのか、凪沙にふらりと凭れかかってきた。

 当然だ。万が一の事態に備えていつでも剣を抜き放てるよう、ずっと緊張状態にあったのだから。

 私は彼の腰に手を回して、優しく支えてあげた。

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