第10話 解ける悩みと積もる雪

 十二月二十四日。凪沙なぎさの元いた世界で言うところのクリスマスイブは、こちらの世界でもみんなでお祝いをする日のようで。


「家族への贈り物にいかがですか〜?」

「今日は恋人に花束を贈りましょう」


 黒の広場周辺は店員の呼び込みと買い物客でいつも以上に賑わっていた。

 そんな騒がしい人混みの中、フードを被って俯きがちに歩いていた凪沙を嗄れ声が呼び止めた。


「ようナギサちゃん。せっかくの農神祭のうしんさいの日だってのに、なんだか浮かない顔してんじゃねぇか?」


 顔を上げると、そこにいたのは何でも屋の店主ブランツィノだ。


「こんにちはブランツィノさん。私、そんなに元気無く見えました?」

「まあナギサちゃんはいつも落ち着いてて物静かな印象だけどよぉ、今日は顔が暗いっつーか」

「確かに、ちょっと気分は落ち込んでるかもしれません」

「ありゃ。俺で良けりゃ相談の一つや二つくらい乗ってやるけど、どうかしたのか?」


 訊かれて凪沙は、一瞬どうしようか迷う。

 しかし、この青年になら話しても大丈夫なような気がして、思い切って相談することにした。


 暖房の効いた店の中、奥から持ってきた椅子を向かい合わせに並べたブランツィノ。値札が付いているからきっとこの椅子も売り物なのだろうが、店主である彼が気にしていない様子なので私も遠慮なく腰掛ける。


「で、ナギサちゃんのお悩み事って?」

「はい、えっと。ここ最近、王都の中に海異かいいが潜んでいるって海伐かいばつ軍が捜し回ってるじゃないですか? 実はその海異とお話ししたことがあって」


 するとブランツィノは、顎髭に指を当てながら前のめりな姿勢になった。どうやら興味深く思ったらしい。


「ほう?」

「それで私、アーシムさんとかオトさんから色々事情聴取されて。その海異の名前フロリダさんって言うんですけど、フロリダさんは別に悪い人じゃないんです。話せば絶対に分かり合えるはずで、なのに何度言っても誰も信じてくれなくて……」

「悪い人じゃない、ねぇ」

「挙げ句の果てに洗脳されてるんじゃないかってお医者さんに検査までされたんです」


 ここまでの凪沙の話を聞いたブランツィノは、う〜んと唸ってから慎重に言葉を選びつつ口を開いた。


「まあアーシムと女王様の立場を考えればそうなるわな。流石に検査はやり過ぎだとも思うが。でも、どうして話せば分かり合えると思った? 何か理由があるんだろ?」


 凪沙は頷いて続ける。


「フロリダさんが教えてくれたんです、海異とは何なのかを。海異は元々普通の海の生き物で、それが海洋汚染のせいで絶滅しそうになって。そんな厳しい環境に適応するために進化した存在が海異なんだそうです。それに、フロリダさんは決して人間が嫌いなわけではないと思っていて。フロリダさんには水路でゴミ拾いをしているコッツァちゃんっていう女の子の友達がいて、その子は綺麗な海を守りたいからゴミ拾いをしているんだって言ってました。それってつまり、フロリダさんは海を汚す人が嫌いなだけで、人間そのものを敵視してるわけじゃないんじゃないかなって」

「だからそのフロリダっつー海異とは分かり合えると?」

「はい」


 顎髭の青年が鋭い視線でこちらを見つめる。まるでその信念がどの程度のものなのか試しているような。

 だけど私にはこの考えは間違っていないという絶対的な自信がある。目を逸らすことなく、真っ直ぐに彼の目を見つめ返す。


 二人の視線がぶつかり合い、やがてブランツィノが表情を緩めた。


「なるほど、ナギサちゃんの意志はよ〜く分かった。要するにナギサちゃんは、環境問題を解決して人と海異が共生する社会を目指したいって思ってんだろ?」

「っ! そうです。どうしてそこまで分かったんですか?」


 心を読まれたのではないかというくらい、考えていることを完璧に言い当てられた。

 彼は得意げな笑顔を浮かべて言う。


「簡単な話さ。だってナギサちゃんは海異をただの海洋生物で、人に害をなす存在じゃないって捉えている。そしたらそれはもう人と動物の関係と変わんねぇじゃねーか」


 言われてみればそうだ。海異が殲滅すべき対象で無くなったなら、それは野生の動物や魚と同じ扱いということになる。


 それからブランツィノは口元に手を当てて、凪沙にしか聞こえないくらいの小さな声量で続けた。


「ここだけの話、俺もずっとナギサちゃんと同じこと考えてたんだ。海異なんて名前付けて化け物扱いしてるけど、結局のところあいつらも自然の生き物なんじゃねぇかなって。確かに海異は人を襲う。でもよ、鮫だろうが熊だろうが襲ってくる奴は襲ってくんじゃん? それと一緒だろってな」

「そうですよね! フロリダさんも言ってました。海異は食料のプラスチックを求めてるだけで人間を襲いたいんじゃないって」


 やっと共感してくれる理解者が現れた。しかも私が気付くよりもっと前からそう考えていたなんて。

 身近に同じ考えを持つ人がいたことが嬉しくて、凪沙は思わずブランツィノの手を握ってしまった。すると。


「おっとナギサちゃん、俺に鞍替えする気にでもなったか?」


 顎髭の青年は私の手を握り返しながら、いつもの飄々とした態度で冗談っぽくそんなことを訊いてきた。

 しまった、勢い余って余計なことを。

 我に返った凪沙は慌てて手を引っ込め、全力で否定する。


「いえ、ブランツィノさんに鞍替えなんてしませんし、と言うかそもそも、鞍替え以前に私は別にアーシムさんと何もありませんから」

「そうやって必死になるところが怪しいんだよなぁ」

「本当に何もないです。ただの知り合いです」


 きっぱりと言い切ると、ブランツィノは「はいはいそうですか」と適当に流すように呟いて椅子から立ち上がった。


「さてと、今日は折角の書き入れ時だってのにいつまでも店を閉めてちゃ勿体無ぇ。そろそろ本気出さねぇとな」

「すみません。私がこんな相談をしちゃったばっかりに」


 凪沙のせいで、商売人にとって大事な一日の貴重な時間を奪ってしまった。本来ならこの数十分だけでも相当な売上が望めたはずなのに。

 立ち上がって頭を下げると、店主は入口のドアを開けながらこちらを向くことなく言った。


「ナギサちゃんが気にするこたぁねぇよ。俺が勝手に相談乗るっつって貸切状態にしただけなんだからさ」


 いらっしゃいませ〜とブランツィノが外を歩いている通行人に呼びかけると、店が開くのを待っていたのだろうか、数人のお客さんが店内に入ってきた。


「んで、ナギサちゃんも何か買い物に来たんだろ?」


 問われて凪沙はこくりと頷く。


「あっ、はい。オトさんの使用人のデルフィーノさんにおつかいを頼まれたんです。今夜はお城で晩餐会があって、その準備で忙しいから手伝ってほしいって」

「ああ、あの毎年やってる女王様主催の宴ね。あれだけ派手な行事となると準備も相当大変だろうからなぁ。そりゃ一人じゃ限界あるわな」


 どうやらこの青年も農神祭の日に行われる晩餐会のことは知っているらしい。

 それならば話が早いと、ケープのポケットからメモを取り出す。


「それでブランツィノさん。これってこのお店でも売ってますか?」

「どれどれ?」


 メモを覗き込み書き記された品物に目を通した彼は、数秒間少考してから任せろといった様子で胸をぽんと叩いた。


「ちょっと待ってろ。すぐ用意してやっからな」


 良かった。頼まれたものはこのお店に置いてあるようだ。


 店主は先程どこかから持ってきた椅子を元あった場所へ片付けつつ、店の奥へと消えていった。

 それからしばらく待っていると、目当ての商品を詰めた袋を手にして戻ってきた。


「これで良いか?」

「はい、ありがとうございます」


 凪沙がデルフィーノに買ってきてほしいと頼まれたもの。それは十二月二十四日といえば定番のデザート、ケーキを作る材料だ。

 苺や生クリームなどメインとなる食材は、陸地のほとんどが海に沈んでしまったこの世界では希少品で。ちゃんと手に入るか不安に思っていたのだが、まさかこんなに簡単に見つかるとは。さすがはブランツィノの店、何でも屋を自称するだけのことはある。


「全部でいくらですか?」


 代金を支払うべく財布を取り出そうとすると、ブランツィノはなぜかそれを制止した。

 チッチッと人差し指を左右に振って、格好つけた感じで言う。


「お金なんて要らねぇよ。今日は農神祭だぜ? 俺からの贈り物だ」

「いやでも、そういうわけには」


 やっぱりちゃんと払わせてくださいと財布を取り出す凪沙に、顎髭の青年は無理やり袋を押し付ける。


「いいからいいから。黙って持ってけ」


 こんな高級品の数々をタダで貰うというのはとても申し訳ない気持ちだが、彼がそこまで言っているのだから断るのも失礼だろう。


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 ありがたく受け取ることにすると、ブランツィノは満面の笑みを浮かべて一言。


「ナギサちゃんに神の祝福があらんことを」


 これは多分、メリークリスマスみたいなものだろうか。

 分からないけどとりあえず、凪沙も微笑んで返す。


「ブランツィノさんにも神の祝福があらんことを」


 店を後にすると、人で溢れた黒の広場に真っ白な粉雪が舞い始めた。



 時刻は夕方の五時。徐々に雪が強まってきた王都の街を、アーシムは部下である海伐騎士軍遠洋遊撃隊の兵士数人を引き連れて巡回していた。


「捜し始めてからもう一ヶ月経ったのに、未だに痕跡一つ見つけられないなんてね……」


 肩を落として呟く大佐に、部下が声を掛ける。


「ここまで見つからないとなると、あの修道女による情報そのものが虚偽だったという可能性もあるのでは?」

「そうですよ。我が軍の優秀な部隊を投入して毎日捜索しているのです。それで手掛かりすら得られないのはおかしな話です」


 彼らの言う通り、確かに根本から疑いたくなるような状況ではあるけれど。

 アーシムは首を振って否定する。


「いや、それは無いと思うよ。サラーキア様は王家直属の修道女で、こんな嘘をつく理由は無い。それに他の接触者の証言も鑑みれば、王都内に人型の海異が潜んでいるのは間違いないんじゃないかな」


 遠洋遊撃隊の本来の任務は沖合に蔓延る海異を殲滅し、外国との航路を開通させること。その重要な作戦を中断してまで王都の警備をしている理由。それは一ヶ月前にサラーキアから寄せられた、ある海異についての情報だ。

 彼女曰く、その海異の名前はフロリダ。人間の姿をしていて言葉も話せる、そんな危険な海異が王都のどこかに潜伏しているのだという。

 修道女の荒唐無稽な証言を、最初は誰もが疑った。しかし、サラーキアの主張に沿ってコッツァという少女とナギサにも聞き取りを行ってみたところ、二人も同様の証言をした為これは事実であると判断。極めて緊急性の高い最優先任務として軍総動員で捜索することとなったのだ。


「では、大佐はどこか見落としている場所があるとお考えで?」

「そんなことは無いでしょう。王都の中は隈なく捜索しているはずです」

「そうだよねぇ。僕たちが見回っていない場所っていうと後は……」


 部下の発言を聞いて思考を巡らせるアーシム。

 この一ヶ月、軍の誰も足を踏み入れなかった場所。路地裏は何度も巡回した、建物も徹底的に調査した。もはや地上に隠れられるところは存在しない……。


 待て、どうして気付かなかった。王都には複雑難解な地下空間があるではないか。


「ある、あるよ……! 誰も捜索していない場所。地下水道だ!」


 点検以外で人が立ち入ることはないため勝手な先入観で無意識に除外していたが、海異は水の中を自由に泳ぎ回れる怪物だ。フロリダにとって水道は人目に付く心配の無い、まさに楽園のような場所。


「地下水道、ですか?」

「うん。相手は海異だ。隠れるなら人が来なくて水がある場所だって考えられる。そしたらその条件に一致するのは、そこしか無いんじゃないかな?」

「確かに仰る通りです大佐。これだけの人数で捜索していながら、なぜ誰も気が付かなかったのでしょう」


 ようやく敵に大きく近づけた気がする。

 一分一秒でも早く人型の海異を倒して、王都の平和を取り戻さなければ。

 強く拳を握りしめ、決意を滲ませるアーシム。


 そうと決まれば今すぐにでも地下水道の捜索を始めたいと、早速部下に指示を出そうとした矢先。突然背後から誰かに優しく肩を叩かれた。


「アーシム大佐、交代の時間だぞ」


 その声にアーシムがびくっと肩を震わせて後ろを振り向くと、立っていたのは海伐騎士軍王都警衛隊大佐のロンボだった。


「あ、そっか。もうそんな時間だったんだ」


 午前中から巡回任務に当たっていた早番の班は午後五時で遅番の班と交代する予定になっている。しかし今日はいつも以上に夢中になりすぎて時間を気にするのを忘れていた。


 フロリダを倒すこと以外見えなくなっていたアーシムに、彼は肩を竦めて笑いかける。


「あんたが感じてる責任感とか無力感は分からなくもないが、あんまりのめり込みすぎると周りが見えなくなって、最悪死んじまうぞ? 今日のところはこの辺にして、さっさと休め」

「ごめん、そうだね」

「それに、あんたは軍の代表として晩餐会に呼ばれてるんだろ? 地下水道なら俺が見てきてやる。だから農神祭、楽しんでこい」


 友人でもある同僚にぽんと背中を押されて、アーシムは申し訳なさそうな笑顔を浮かべつつ小さく頷いた。


「うん、ありがとうロンボ。この先はひとまず君に任せることにするよ」

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