第27話 仲間
「イザネさんはどうしたんだい?」
マークさん一行を歓迎する宴が開かれている村の広場で、俺はキースに声をかけられた。彼の持つ木のコップからは、酒の臭いが夜風に乗って漂ってくる。
「あいつはもう潰れましたよ。さっき東風さんがベッドに運んでいきました」
意気投合したのか、段とガフトとゼペックが肩を組んで音痴な歌を歌っている方に向けていた視線を、俺はキースの方へと傾けた。前髪の陰から覗く切れ長の目が、広場の松明の光に揺れながら俺を見下ろしている。
それにしても間が悪い。俺はさっきまでイザネと東風さんと一緒に飲んでいたのだが、イザネが酔い潰れてからまだ数分も経っていない。俺の肩にはまだ、つい先ほどまでイザネが寄りかかって寝ていた感触が残っている。
「残念だな、是非彼女とは話をしてみたかったんだが……」
キースはそう言うと、俺の隣に腰を下ろした。
「そういえば君は、昼の試合でなぜ僕に一本取られたか理解しているのかい?」
キースはそう言いながらコップの酒に口を付ける。
稽古の合間にイザネからそんなふうに尋ねられた事は何度かあったが、試合をした相手から問われたのは初めての事だった。
「キースさんの方が強かったからじゃないですか? 専門のファイタークラスだから、力も場数も俺よりずっと上だったでしょうし」
俺の返事にキースは笑いながら静かに首を横に振って答える。
「いや、そういう事じゃなくてね。
そうだな……、実戦での反応速度は、頭で考えてからの行動では遅いって話は知ってるかい?」
「イザネから『考える前に動け』みたいな事は、言われた覚えがありますけど……」
「たぶん、それだな。
要は、頭で考えてから動いていたんでは実戦では反応が間に合わないから、身体に覚えさせて反射で動くくらいにしておかなければならないって事さ。
君はまだそれが不十分だから、少し反応が鈍いんだよ。もし君がその領域に達していたなら、僕は最初の一撃で負けていただろう」
キースの言葉のとおりならば、ゴブリン討伐の時、レッドキャップに俺の攻撃が届かなかった原因もそれだろう。
試合を通してライバルに教えられるなど俺とは無縁の事だと思っていたので、キースの助言には奇妙な感激を覚えてしまう。
「ありがとうございますキースさん! これからの課題が見えました!」
が、それを聞いたキースは、困ったような顔で俺を覗き込んでいる。
「君はわかっているのかい?
イザネさんも当然それに気づいているし、それを克服するための訓練だってもう彼女の頭の中にある筈さ。
彼女の次の稽古は、きっとキツイものになるから覚悟するといい。なにせ、身体に動きを覚えさせるには、気が遠くなるほど反復練習をしないといけないからな」
「ゲッ!」
思わず気持ちが声に出てしまった俺を見て、キースは笑う。
「ハハハッ、気づくのが遅いよ」
キースにしてやられた俺は、黙ってコップを持ち上げて、酒を口の中に流し込んだ。
(そういえば、俺からもあの試合の事でキースに聞きたい事があったんだっけ)
俺は口を腕で拭いながら、改めてキースの方を向いた。
「あの試合の事といえば、俺が待ちの構えで、あからさまに後の先を狙っている事はキースさん知ってましたよね?
なんでその誘いに乗るように、攻めに続けたんですか?」
俺がキースの立場なら、待ちに徹している相手に対してそう簡単に仕掛けたりはしない。もっと焦らして、時間をかけて、相手が隙を晒すのを待つ。
俺の戦法を読んでいた筈のキースがなぜそうしなかったのか、試合の後も不思議でならなかった。
「そうだな、例えば君のパーティの前衛が、敵の後衛相手に手をこまねいていた場合、どう思うかな?
普通は敵の後衛と接近戦で1対1に持ち込める状況があったとしても、相手に時間を稼がれては、敵のパーティの前衛が邪魔しに来るものと僕は考える。
だから、そうなる前に決着がつくようにしないといけないだろ」
「実戦を想定してたんですか?」
「プロの冒険者ならそうするもんさ。でないと試合の経験を実戦に活かせないじゃないか。
そして実戦を想定するなら、短時間で決着を付けられなかった時点で僕の負けと言っても差し支えない内容だったんだよ、あの試合は」
キースは実質的に自分の負けだと主張するが、むしろ俺は自分の完敗だった事を思い知る。
俺は目の前の相手に勝つ事ばかりを考え、実戦を想定する事も、試合の経験を後日実戦で活かせるようにする事も、まるで頭になかったのだから。
「俺はとにかく必死で、そこまで考えられなかったですよキースさん。
それからもう一つ聞きたいんですけど、最後に俺がキースさんの攻撃を捌ききれなかったのはなぜですか?
自分ではキースさんの攻撃を完全に捉えたつもりでいたんですよ、あの時」
そうだ、あの時の俺は、キースが力任せに突っ込んで来たとしか思わなかった。だからこそ、自分の技が通用しなかった事に気づくのが遅れ、その後の動きにも影響が出てしまっていた。
「君の反応が僅かに遅い事に気づいてたからね。だから思い切って踏み込んで間合いを潰したんだよ。
君が反応する前に踏み込んで技の間合いを潰してしまえば、その技は完全な物にならない。だからそれを狙って、力づくで君の防御をこじ開けるつもりでいたんだ。
ま、結果はそれでもこじ開け損なって、次の君の攻撃をカウンターしてやっと一本取る事ができたんだけどね」
「なんだ、負けるべくして負けてただけだったんですね。俺、そこまで頭が回ってなかったですよ」
「引・き・分・け・だろ」
キースはその言葉に合わせて酒の入ったコップを左右に揺らす。
冷静そうなキースらしからぬ愉快なしぐさから、彼にも若干の酔いが回ってきているのを察する事ができた。
「僕からも君に聞きたい事がもう一つあるんだが、いいかい?」
キースが先ほどより少し赤らんだ顔でこちらを見ている。
「ええ、俺に答えられる事なら」
「君はあの大猿を一人で倒したそうじゃないか。どうやったのかを教えて欲しいんだ。
僕等はガフトがあれを罠にかけてくれたから倒せたけど、一人でどうやったらあのモンスターを倒せるのか見当がつかないんだよ」
ああ、その事か……と俺はキースの問いに肩を落とした。たぶんキースはブライ村長にでも、その話を聞いたのだろう。
「あれは俺の実力ではないんですよ。イザネとべべ王に貰った武器と防具が優秀過ぎたんです」
そう言って俺は手袋を外して、べべ王に貰った指輪をキースに見せる。
「信じられますか、この指輪を付けてるだけで大猿に何度引っかかれても殴られても無傷でいられるんですよ。必死で抵抗する大猿が気の毒にさえ思えるくらいでした。
イザネの作ってくれた魔導弓も、一撃で大猿を仕留められる威力ですから、あれで勝てない方が不思議ですよ」
キースは俺の指輪をまじまじと見つめて息を飲んだ。
「正直、信じられないな。
様々な力を持つ魔法の指輪があるのは知っているが、そこまで強力な物は噂でだって聞いた事がない」
「ええ、でもそれを使ってる俺の方はまだまださっぱりで、早くこの指輪を身に付けていても恥ずかしくない、強力なアイテムに見合う実力を身に付けたいんです」
「マジックアーチャーである君が、あれほどの槍術を身に付けた理由もそれかい?」
「はい。装備ばかり立派で実力が伴わないのは、冒険者として恥ずかしいですから」
「確かに冒険者として恥ずかしいという気持ちは、わからなくもないが……」
キースは腕組みをして、少し目を閉じて考え込んでから言葉を続けた。
「それでも僕だったら、なんの躊躇もなくその装備を使い続けるだろうな。
少なくとも君の持ってる装備があれば、僕達のパーティはもっと多くの村を救う事ができたよ。
それに村の人達からも話を聞いたけど、みんな大猿を退治してくれたカイル君に感謝しているよ。そんな事をあまり気にしない方がいいな。
君が気にしているほど、周囲の人はそれを気にしてはいないのさ」
キースの言葉に俺の頭は混乱した。
確かに、依頼人達にとっては俺が実力で依頼を達成しようが、装備に頼って達成しようが助かる事に違いはないし、その感謝の気持ちに変化が起こる事もない。
俺が今まで気にしていたのは、自分の中にある自己肯定感やプライドや矜持、そして同業者達から向けられるであろう妬みだったのだ。
それに対してキースの視線は、しっかりと依頼人の方だけを見据えている。
「確かに村の人達にとってはそれでいいのかもしれません、けど……」
俺の中で、過去に冒険者としての夢を、自分を否定された数々の記憶が渦巻く。そしてそれらが大きな自我となって、キースの前向きな考えを押しのけようと抵抗していた。
「だから、そんなに焦らなくていいと思うぜ。君は一か月足らずでそれだけ強くなったそうじゃないか。
それは凄いと思うけど頑張り過ぎなのも考えものなんだ。今の君の目標は、”貰った装備に見合う実力を身に付ける事”なのだろう?」
「はい」
「でもその目標は高すぎて、自分の前に崖を作るようなもじゃないかな?
崖をよじ登る余力がある内はいいが、崖の頂上が何時まで経っても見えなければ、そのうち気力が萎えて挫けて落ちてしまう。
だから、毎日毎日少しずつでも自分が成長できるような、例えるなら階段のようなすぐに登れる目標を連続でこなしていくようにした方が無理がないんだよ。
長期の目標としては、あえて高い目標を持つのはいい事なんだけどね」
そうか、キースさんは俺の事も心配してくれていたのか。
考えてみれば、俺はこの悩みを誰にも打ち明けた事がなかった。冒険者ではない村の人達に話しても理解してもらえそうになかったし、自分の成長に期待してくれているべべ王達にも弱音を吐きたくなかったからだ。
(なぜキースさんには、それを相談できたのだろうか?)
酒に酔った勢いか、それともお互い全力をぶつけ合った相手だったからだろうか?
「ありがとうございます。ずっと思ってたんです、俺なんかがこんな強い武器を持ってていいんだろうかって。
これは俺より強い冒険者が持つべき物なんじゃないかって……そんなふうに、みんなからも思われたくなくって……」
知らず知らずの内に俺の声は震え、涙ぐんで視界が少し歪んでいた。
深く心の中に沈めていた思いが俺の意に反して浮かび上がり、過去のトラウマとも混ざり、俺の中で複雑な化学反応を起こしていた。
「村長さんが言ってたよ。
”カイルがいなかったら、あの召喚勇者達をこの村に住まわせる事は難しかっただろう”ってさ。
それにカイル君が苦労してあの四人にいろいろと教えてあげなければ、あの人達はこの世界で生活する事ができなかったんだろ。だから、そのお礼として、そしてこの世界の仲間としてその装備をくれたんだと僕は思う。
君以上に、その武器に見合う人物はいないよ。それに……」
キースさんは、段とゼペックと一緒に肩を組んで歌い続けるガフトを指さす。
「あいつはな、剣は俺より下手だし、お調子者のトラブルメーカーだなんだが、それでも一緒にいるだけで俺やフィルは力が湧くんだ。
もし強い奴がパーティに入ったからと、今までの仲間を切り捨てるような真似をしていたら、本当の仲間なんてできやしないよ。
そして、その事は彼等も知っているし、君の成長を待つだけの余裕もある筈さ。あのモンクだかソーサラーだかわからないハゲ野郎が、なんで俺に試合を申し込んだと思う?」
キースが、ご機嫌で赤ら顔を晒している段見ながら尋ねる。けれど俺にはその質問の意図がわからない。
「いえ、新しいパンチを試したかっただけかと思ってましたけど」
「それじゃあ、彼がかわいそうだよ。
彼は君の仇を取るために僕に試合を挑んできたんだよ。すぐカッとなる性格みたいだかし、仲間に土を付けた僕が許せないと感じたんだろうね。
僕はあの時、彼の行動をかわいいとすら思っていたんだぜ」
俺はこの時やっと気づいた、自分の事に必死になり過ぎて周囲がまるで見えていなかった事に。そして自分がこんなにも恵まれていた事に。
キースさんの目を通して自分を見る事で、ようやくそれに気付く事ができたのだ。
今考えてみれば、デニム達だって俺の事をとっくに認めてくれていたし、暖かい言葉も投げかけていてくれていた。それに気づかず、受け入れなかったのは俺自身……、この村でだって、俺を否定し続けていたのは、俺自身以外に誰もいなかったのだ。
(そうか、俺は自分の事がこんなに嫌いだったのか……)
俺が自分を嫌いになったのは、たしか子供の頃だった。虐められ、一発も殴り返せずに帰ってきた俺に親父は言った”意気地のない奴だ。それでも男なのか?”と。ギルドの剣技の教官も、俺の事を貧弱と評してはばからなかったし、そう評価されてしまう自分が情けなく、嫌いで嫌いで仕方がなかった。同期の訓練生たちに至っては、最早言うまでもない。
(そうか、俺は奴等を見返したいと思っていただけなんだ)
フッと笑みが漏れた。それが本当に下らない事だったと分かったからだ。
(俺はただ、また奴等にけなされる事を恐れ、奴等の視線を恐れていただけだったんだ……)
自分自身の評価を奴等に託す必要など、どこにもなかった。奴等がいくら俺を貶めようが、今は俺の事を認めてくれる人達も、仲間もいる。いや、そもそも俺がそこまで人の評価を気にする必要だって全くなかった。例え認めてくれる仲間がいなかったとしても、最初から気にしないで済んでいた筈の些末な事だったのだ。奴等の言葉に傷ついて劣等感を植え付けられてさえいなければ、ありのままの自分を許すなど容易い事なのだから。
それにようやく俺は気き、今自分の手にしている物の豊かさに感動すらしていた。
(俺が気づいていなかっただけで、本当に求めていたものは、とっくの昔に手に入れていたんだな……)
「ありがとうございます、キースさん」
思わず頭を下げる俺に、キースさんは手をヒラヒラさせながら笑顔で答える。
「まったく調子が狂うなぁ、君は。
僕は、後衛クラスの癖に自分と互角に張り合った新人冒険者に”調子に乗るな”と忠告してやるつもりで来たんだぜ。ようやく苦労してCランクの冒険者になれた矢先に、Fランクの新人冒険者につまずきそうになるなんて思いもしなかったからショックだったんぞ、こっちは」
そんなキースにつられ、気づくと俺もいつの間にが笑顔になっていた。
「おいキース! 気取ってないで、お前もこっちに来て歌え!」
「カイル! お前もだ! こっちに来いこっちに!」
ガフトと段が、俺達を手招きするのを見てキースが腰を上げた。
「行こうかカイル君、僕達の大切な仲間が呼んでいる」
俺はうなずくと、コップの中身を一気に飲み干してキースの後に続いていた。
* * *
「ファー……」
あくびをしていた俺の尻を、イザネが木剣で軽くはたく。
「こら! さっさと稽古を始めるぞ!」
「おーーす」
俺は早朝にイザネに叩き起こされ、朝食前の稽古に引っ張り出されていた。寝ぼけ眼をさすって俺は木剣を構える。
昨夜キースさんが予見していた通り、イザネは俺の稽古をすぐにでも強化するつもりでいたようだ。朝日を背にして腰に手を当てたイザネが、不敵に微笑んでいる。
「昨日のような負け方を二度としないように鍛えなおしてやるから、覚悟しとけよ。
じゃ、俺が打ち込むから教えてやった型で返してみな」
「おっす!」
カンッ! コン! カン! カン!……
俺の棍とイザネの木剣がぶつかり合い、朝の冷えた空気に心地よい音を響かせる。
しばらくの間イザネは俺に向かって木剣を振るっていたが、何かに気づいたのか手を止めた。
「なんか変わったなカイル」
「そう?」
「なんていうか、剣から迷いが消えている感じがするんだよな。昨日の他流試合でなにか掴んだのか?」
「あの試合というか、イザネが酔って寝てる間に気づかされた事があった……と言った方が正解かな?」
俺は自分の顔が自然と笑みで歪んでいるのに、その時は気づいていなかったようだ。
「なんだよニヤニヤして気持ちわりぃなぁ。以前より動きが柔らかくなったのはいい事だけどさ」
イザネはそう言うと木剣を構えなおした。
「さっきより早く打ち込むから、しっかり返せよ」
カッ! カンッ!
イザネの木剣が勢いを増すが、今日は体が妙に軽く、俺はそれが苦にならなかった。
「おはよう。早速やってるな」
キースさんとフィルデナンドがダニーとクリスの案内で門の前の広場にやって来ていた。そういえば、そろそろダニー達が門番を始める時刻だ。
「チーっす」
「おはよう、みんな」
「おはようございます、みなさん」
ダニー、クリスが順に挨拶し、ややあってから控えめな声でフィルデナンドさんも挨拶をする。
「おはよう」
「おはよう。稽古を見に来たのキースさん?」
イザネの後に続いて挨拶を返したついでに、俺はキースさんに尋ねてみた。
「ああ、イザネさんがどんな稽古をしているのか興味があったからね。
見学しても構わないかな?」
「構わないぜ」
イザネが素っ気なく答えると、キースとフィルデナンドは広場の傍らの芝生に腰かけた。
ギギィ……
続いてダニーとクリスの村の門を開ける音が、辺りに響く。
「さ、続きだ」
イザネは木剣をくるくるっと回すと、俺への打ち込みを再開する。
カカッ! カッ! カァンッ!
「……ん?」
暫くイザネは俺に向かって木剣を振るっていたが、なにかに気づいたらしくすぐに動きを止めてキースさんの方を向いた。見るとキースさんが広場に落ちていた木剣を取り、イザネの真似をして構えていた。
「お気になさらず」
キースさんはそう言ったが、イザネがそれをほっとく気はないようだ。
「もしかして、技を習いたいのか?」
「ええ、でもカイル君の邪魔をする気はないですよ」
イザネは腰を捻って上半身だけをこっちに向ける。
「なぁ、こいつの相手してもいいか?」
「いいよ。
俺の事は気にしないで、キースさん」
「や、これは済まないな」
キースさんは俺に軽く頭を下げる。
「で、今カイルがやってた型を覚えたいのかい?」
「それも興味あるけど、できれば昨日ガーフにやった技を教えてくれないか」
キースさんは木剣を持ったまま広場の中央に向かって歩みながら、イザネに答える。
「じゃ、ゆっくり技をかけてやるから、打ち込んできてみな」
イザネは木剣を構えて、目の前に立つキースさんと対峙する。
「オーケー」
カッ
キースさんの木剣を自分の木剣に絡めるようにして、イザネはその角度を曲げると同時に左手でキースさんの手首の関節を取った。
※ 挿絵
https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16818093074958786417
「な、剣がこの角度になっちまうと手が離せないだろ」
「くっ……なるほど、手首の関節を極められてるから思うように動けないのか」
イザネはキースさんの理解が追い付いたのを確認すると、体を半回転させるようにしてキースさんの両肘を脇にはさむように動く。
「で、こうやって肘も取ってしまえば……」
イザネがキースさんの腕を斜めに振り下ろすようにそのまま引くと、キースさんの姿勢が崩れて地面に背中から落ちる。
「なるほど、これは殺法というより捕縛術に近いかもな」
「でも、ちょっと応用すれば殺法にもなるぜ」
「ああ、少し角度とタイミングを変えるだけで両腕の関節がもっていかれるな」
イザネが手を離すと、地面に寝ていたキースさんが上体を起こした。
「じゃ、今度は自分でやってみるかい?」
「よろしく頼む」
「おーい、カイル手伝ってくれ」
フィルデナンドと一緒に芝生に腰かけて眺めていた俺は、イザネの声で土を払って立ち上がる。
「キースさん、お手柔らかに」
イザネの稽古の仕方は分かっている、これから俺はキースさんの技の練習台を務めるのだ。
* * *
「なにやってんです、イザ姐?」
宿の方からやってきた東風さんが首を傾げる。イザネは丁度、キースの技を受けて地面に転がったところだった。
俺が練習相手を何度かこなしてキースさんが技を一通り覚えたと判断したイザネは、自分の身でキースさんの技を受け、その完成度を直接確認しているところだったのだ。
「キースに教えてたんだよ。結構筋がいいぜ」
「イザネさんの教え方が上手いんですよ」
キースさんがイザネの腕から手を離すと、イザネは足で勢いをつけて軽く飛んで、そのまま立ち上がった。
「おや、キースさんまで弟子入りですか?」
「正式に……ではないけどね」
キースさんが笑顔を東風さんに向ける。
「そうですか、でも稽古はもうおしまいにしてください。
ララさんからの言伝(ことづて)ですが、そろそろ朝食ができあがるので宿に戻ってください。
ダニーさんとクリスさんには、後でお弁当を届けますので、門番をよろしくお願いします」
東風さんの話を聞いたキースとイザネは、練習用の木剣を広場の片隅に置きに行く。
「ところで、ダニーくんとクリスさんの剣はジョーダンさんが作ったそうだけど、それはカイル君に渡した武器と同質なのかい?」
木剣を広場の隅に片づけながら、キースがイザネに尋ねている。
「いや、あれはルルタニアから持ってきた材料は使っていないんだ。
だから普通の剣よりランクはいくつか上だろうけど、カイルに作った物とは比べ物にはならないな」
「でも、この剣は軽くてあたしにも使いやすいんです。それにファルワナ祭が終わったら鎧も作ってもらうんですよ。
ジョーダンさんが鎧に色を付ける技術も使うって言ってたから、かわいい色に染めてもらうつもりなんです」
クリスが、キースとイザネの会話に混ざってきた。
「かわいい鎧ですか? 鎧にかわいさを求めるなんて聞いた事がないのですが」
「ルルタニアでは、普通にそういう鎧の需要がありましたよフィルさん」
東風さんがフィルデナンドに答える。そういえばこの二人は意気投合したのか、昨日の宴会でも一緒に飲んでいたっけ。
「もしキースさん達もカイルと同じような装備が欲しいなら、イザ姐達のクランに入ればいいんだよ。
俺達と違って正式な冒険者なんだから、クランに入る条件だってクリアしてるだろ?」
村の外を横目で見張りながら、ダニーがキースに提案する。
「クラン?」
「俺達の冒険者クランだよキース。冒険者が集まって一つの隊を結成するんだよ。
ルルタニアから持ってきた素材はクランの共有財産だから、クランに入ってる者にしか与えられないんだ」
「それは興味深い話ですね。考えてみてもいいのではないですかキース?」
イザネの話を聞いたフィルデナンドが目を輝かせている。
「もし皆さんがクランに入団するなら、私も歓迎しますよ。べべ王さんも十人前後のクランを理想としていますから、きっと喜びます」
東風さんもフィルデナンドに賛成してくれている。俺としてもキースさんには先輩冒険者としてもっといろいろ教えて欲しいし、この提案は大歓迎なのだが……
「ははは、マークの旦那との契約が切れたら考えてみるか」
そうか、キースさん達はまだマークさんとの契約期間が残っているんだっけ。
「ま、冒険者クランなのに、俺達はまだこの世界の冒険者じゃないんだけどな、正式には」
イザネはそう言って笑い、稽古で服ついた土を払いながら宿に向かって歩き始めていた。
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