第23話 地の底の策謀

※ 今回の話に含まれるネットゲーム用語が分からない人は以下の用語解説を参照してください。

https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16818023212014450398



「ええ、構いませんよ」


 ゴブリンチャンピオンの挑戦を平然と受け入れ一歩東風さんが前に踏み出すと、この太った大男を囲っていたゴブリン達が数歩退く。


「ガウッ、ゲゲゴオ、ガガガウ、ゲゲエ!」


 同時にゴブリンキングの声が洞窟の広間に響き渡り、東風さんと段に群がっていたゴブリン達が一斉にべべ王とイザネの方に向かう。そしてその一方で、ゴブリンキングの周囲にいたホブゴブリンのうち六匹が槍を構えて段の前に進み出た。


「へえ、俺の相手はこいつ等って訳か! 面白れえっ!」


 段が胸の前で両手を合わせ、ゴキリッと拳を鳴らす。


(なるほど、拳闘は武器を持った相手を想定した格闘技ではないからな……)


 ナイフやショートソード程度ならばそれでも対応できるかもしれないが、拳闘で槍の間合いを制するのは厳しいだろう。そして、それを見越してゴブリンキングは槍を携えた者を段に向かわせたに違いなかった。

 しかし、いくら槍の相手が難しかろうと、段を傷付けるだけの攻撃力がホブゴブリンにある訳もなく、それは脅威に値しない。


『ラパルルリッパポポプルルン』


 俺は呪文を唱え魔導弓に魔法の明かりを灯す。

 俺達の光源となっているのはべべ王の盾に付けた魔法の明かりなのだが、べべ王とイザネがゴブリンの大群により足止めされ、尚且つ東風さんと段がそれぞれゴブリンチャンピオンとホブゴブリンの槍隊の相手をするために前進して距離が離れたため、光が届きにくくなっていた。

 俺は明かりを灯した魔導弓を片手に、前方の二人へ光を届けるべく駆けだす。


(おかしい……)


 しかし数歩も踏み出さぬ内に、俺は違和感を覚えて立ち止まっていた。


(なんで俺だけノーマークなんだ?)


 他の4人に比べれば地味な活躍しかしていないかもしれないが、俺だってゴブリンシャーマン隊をアイスアローで全滅させている。また光源となっているべべ王と前線で戦っている二人を引き離す戦術的意義から見ても、明かりの魔法を使う俺はゴブリンキングにとって邪魔な存在の筈。


(この俺を作戦から漏らす筈がない……)


 俺は自分の周囲を慌てて見渡すが、近くにゴブリンが隠れられそうな岩陰や横穴はなかった。となると……。


(上か?!)


 洞窟の天井を見上げると、丁度こちらに向かって飛びかかって来る小さな影が目に入った。


「おらぁっ!」


 俺は洞窟の天井から飛来する影が振り下ろす重い武器を、雄叫びと共に魔導弓で横に受け流す。


ガキィッ!


 金属音が鳴り響き、魔導弓に付けられた魔法の明かりを直視した襲撃者は、目を腕で庇いながら着地する。


(こっちは二度も大猿に上からの奇襲くらってるんだ! 三度もやられてたまるか!)


 魔導弓をかざし襲撃者の正体を見定めようとした俺の目に、血のような赤い帽子が飛び込んできた。


(こいつは、レッドキャップか?!)


 赤い帽子に身の丈に合わぬ大きな斧を構えた不気味な小鬼は、こちらを睨んでニタリと笑う。


(ふん、笑いたいのはこちらの方だ)


 俺はレッドキャップについて詳しくはない。ギルドでも、ゴブリンの亜種で強さのランクが数段上のモンスターである事くらいしか聞けなかった。

 しかし、だからどうしたというのだ。

 たかがゴブリンの数段上にランク指定される程度のモンスターが、大猿の攻撃を完全に防いだ守備力上昇の指輪をやぶれる訳がない。それに……。


カンッ


 俺はレッドキャップの振り下ろした斧を、魔導弓の穂先で払いのけた。

 大猿ほどのスピードもパワーもなければ、武技も大した事はない。今の俺にとって、こんな攻撃はもう物の数ではなかったのだ。


「ふふっ」


 圧倒的な余裕を感じた俺の顔からは、この時笑みが漏れていた事だろう。俺はこの数日間で、今までとんでもない勘違いをしていた事に気づき、自信を付けていた。


 自分には剣の才能がない……俺は今までずっとそう思い込んでいたし、ギルドで受けた剣術の訓練も、殆ど無駄だったと考えていた。ギルドの訓練場で何度も剣術の試合を経験したが、勝った覚えは一度もなかったのだから当然だ。

 だが、イザネに稽古をつけて貰ってわかったのだ。

 きちんと丁寧に教えてくれる師匠さえいれば、俺の剣もまだまだ成長できる。そしてギルドで受けた剣術の訓練も、イザネに教えられた技術を吸収する土台となる基礎訓練として役に立っていたのだ。

 今まで勝手に無駄だったと信じて疑わなかった剣術のための努力の積み重ね、それが今になって俺の中で花開こうとしているのだ。


「ギャオッ!」


 赤い帽子から覗く醜い顔を睨みながら間合いを詰める俺に向かって、レッドキャップが斧を横に振るう。もうその顔から笑みは消え失せていた。


ガキッ!  カラララ……


 俺はレッドキャップの振るう斧を上から抑えるように魔導弓を振り下ろし、そのまま穂先で円を描く。斧は俺の魔導弓に絡み取られるように軌道を変え、レッドキャップの手から離れ地面に転がった。


(気長に頑張るつもりだったのに、数週間でここまで強くなれるなんて思わなかったぜ!)


 稽古でさんざんイザネにやられた技だが、自分でやるのは気持ちがいいものだ。しかもそれが実戦であれば、感動すら覚える。


「せいっ!」


 俺はレッドキャップに止めを刺すべく、続けて魔導弓を振るったが弓の穂先はレッドキャップの肩をかすめただけだった。ギルドでランクが高いモンスターに指定されるというだけあって、俺が想定したよりずっとレッドキャップの身のこなしは素早かった。


(くそっ!)


 俺は続けて弓の穂先でレッドキャップの上半身を狙うが、レッドキャップはゴロゴロと地面を転がりそれを避けたかと思うと一目散に逃げだす。レッドキャップの逃げ出した先を見た俺は思わず息を呑んだ。

 そこにはゴブリンしか通れないような小さな穴があったのだ。もしここでレッドキャップを逃したなら、それが後々どれだけの被害を生むかわからない。そして俺の足で、全速のレッドキャップに追い付けないのは確かな事だった。


ドスッ……


 鈍い音が洞窟に響いたかと思えば、レッドキャップの側頭部にイザネの丸盾がめり込んでいた。


「俺の弟子に手を出して、ただで済むと思うなよ!」


 イザネの方を見ると、周囲に群がっていたゴブリン達はみな地に倒れ、丁度最後の一匹からべべ王が白く光る魔法の刃を引き抜くところだった。


『ロドゥムエィガリル! ポチ! 戻ってこーい!』


 イザネが呪文を唱えると、既に倒れたレッドキャップから丸盾が引き抜かれ、一直線にイザネに向かって飛んでいく。


「うげぇ……ベトベトォ……」


 ゴブリンの血にまみれた丸盾をイザネが指でつまむ。


「助かったよイザネ。逃がすとこだった」


「そんな事より、ちょっとは経験値は入ったのかよ?」


 イザネがこっちを見て腰に手を当てている。


「この世界に経験値なんて存在してないって、前にも言ったろ」


 俺はイザネ達から視線を外し、東風さんと段の方へと振り返る。

 ゴブリンチャンピオンは、体格に勝る東風さんに下手に手を出す事もできずにいる様子だった。ひょっとすると敵の目的は東風さんの足止めであり、積極的に攻める必要がなかったのかもしれない。が、それを加味しても奴が気圧されているさまは、その情けない表情にありありと表れている。

 東風さんの方も困ったような表情を浮かべているのが少し気になるが、あの人が本気になればすぐにでも勝負はつけられるだろう。


 一方段は、槍を持ったホブゴブリン達に壁に追い詰められていた。六匹の内一匹はノックアウトしたものの、槍の間合いで拳闘で戦うのはやはり難しかったのだろう。


「おーい、ジョーダン! 手伝ってやろうか?!」


 両手を頭の後ろで組んだイザネが、広間に響く大声で尋ねる。


「バカ言え、これから……」


 段がその言葉を発しきる前に、彼を取り囲んだホブゴブリン達が段に一斉に槍を突き出す。


バッキィィン


 突き出された槍の穂先が一斉に四方に散り、五匹のホブゴブリンの内四匹が陥没した顔面を晒して崩れ落ちる。


「よもや武器破壊まで実装しているとはな! 流石は神様の作った世界だぜ!」


 槍をパンチでへし折った段がはしゃぐ。


「グブゥゥ」


 残った最後の一匹のホブゴブリンはへし折られた槍を構えたまま数歩退がった後、それを手から放り出して踵を返す。


「逃すかよ! ゼペック直伝! 1発退場反則キーーーック!」


ドガァッ!


 段は身体を空中で勢いよく1回転させ、踵から逃げ出したホブゴブリンの後頭部に着地する。ホブゴブリンは勢いよく地面に顔から突っ込み、その動きを停止した。

 確かにあんな蹴りを拳闘の試合で使えば一発でクビになってもおかしくないが、本当にゼペックはあんな曲芸まがいの蹴りを試合中にやったのだろうか?


「残るは東ちゃんだけじゃな。ほれ、遠慮せんでさっさと勝負を付けたらどうじゃ?」


 べべ王に声をかけられ、東風さんがこちらを振り返る。


「それが、このモンスターのアルゴリズムがバグったみたいなんですよ。いつまで経っても攻撃をしてこないんです。

 こんな時はどうしたらいいんでしょう? ドラゴン・ザ・ドゥームではマスターが運営にバグを報告して修正してもらっていましたが、この世界は神様が作った世界ですし、お祈りすれば直るのでしょうか?」


 俺には東風さんの言ってる意味が良くわからなかったが、戦闘中に敵から目を離すのは、いくら東風さんでも流石にヤバい。


「東風さん! ゴブリンは東風さんを恐れて攻めあぐねているだけです! 早く前を見て……東風さんっ!」


 だが俺が叫んだ時には既に、ゴブリンチャンピオンは金棒を東風さんに振り下ろしていた。

 東風さんの身体を金棒が貫通し、そのままの勢いで地面を抉る光景を見て俺は絶句する。


(そんなバカな! あの指輪は大猿の攻撃だって無力化したじゃないか!

 東風さんだってあの防御力を上げる魔法の指輪をしていたんじゃないのか?! どうして?!)


 俺は思わず東風さんに駆け寄ろうとしたが、東風さんの姿はカスミのように消え去り、代わりにゴブリンチャンピオンの首が俺の前に落ちてきた。


※ 挿絵

https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16818023212014386867


「うわっ!」


 驚いて後ろに飛びのくと、首を失いゆっくり倒れるゴブリンチャンピオンの後ろから東風さんが姿を現した。


「いや、驚きましたよ。いつまでも攻撃してこないからてっきりバグだとばかり……、こんな事もあるんですね」


 どうやら東風さんは平常運転のようだが、俺は今起きた事にまるで納得がいかない。


「いったい何をしたんです? なんで東風さんが……だって、金棒に貫かれて……」


「影陣殺(えいじんさつ)の事かの?

 影を囮に敵の攻撃を誘い、陣に踏み込んだ者に強力無比な反撃を見舞う技じゃ。いわゆる当て身技と呼ばれるものじゃよ」


「武術の常識から言うと、ああいうのは”当て身”じゃないんだけどなー」


 べべ王が解説し、イザネはそれにちゃちゃを入れる。


「レベルが低いとはいえ中ボスクラスの敵ですから、耐久力もそこそこあるものと推測して、大ダメージを狙える技を使ってみたんですよ」


「だからって首が落ちる事はないだろ。この世界のグロ表現に少しは慣れてきたつもりだったけど、これはやり過ぎだぜ」


 東風さんとイザネの会話は、既にリラックスしたいつもの空気へと戻っている。


「さて、残るはボス戦のみだな」


 段がゴブリンキングの方にゆっくりと顔を向ける。

 もう既にゴブリンキングの周囲にはホブゴブリンが3匹いるのみで、広間に集まった他のゴブリンは全滅していた。


「俺! お前たち! 降伏する!

 俺達負け! みとめた! お前たち! 逆らわない!

 許す! くれ!」


 ゴキッと拳を鳴らしてゴブリンの前に立ちはだかる段に向かって、ゴブリンキングは一歩前に進み出た。


ガチャン


 ゴブリンキングが腰に差した剣を棄てると、ホブゴブリン達も自分の武器を投げ捨て皆一斉に頭を地面に擦り付け許しを乞う。


(バカな真似を……そんな茶番に今更誰が惑わされるものか!)


 俺は湧き上がる怒りと共に、その光景を睨み付けていた。


 ゴブリンの降伏など信じてはならない、許してはならない。それは冒険者の……いや、それ以外の多くの者にとっても、もはや常識と言っていいくらいだった。

 それを信じたが故にある冒険者は不意をつかれ命を落とし、またある村は降伏した筈のゴブリンの襲撃を受けて虐殺された。

 それが幾度も繰り返されてきたのだ。


(誰が許してやるものか! あんな! あんな真似をする奴等を!)


 俺はかつて見た、ゴブリン襲撃跡の村の光景を脳裏に描いていた。


「マジかよ! この世界だとモンスターが降伏する事があるのか?!」


(え?)


 振り向くと段が目を見張って驚いている。さっきまで強く握っていた拳も開かれ、彼の戦意が消え失せているのが一目で分かる。


「どうする? これ?」


「そうですね、戦意がないのなら許してあげてもいいんじゃないでしょうか?」


「ワシ等としても村さえ守れればいい訳じゃし、経験値もないこの世界では戦っても得るものがないしのう」


 イザネも東風さんもべべ王もすっかりゴブリンの降伏に驚き、乗せられてしまっている。

 冒険者ならどんな新米でも知っている事を、なぜベテラン冒険者である筈の四人が知らないのか、俺にはまるでわからなかった。


「ちょっと待てよおまえら! ここに来るまでの通路にあった白骨を見なかったのかよ!

 こいつ等がどれだけの人を殺したのかもわからないのか?!」


「あれって、よくある雰囲気作りのためにダンジョンに設置されたオブジェクトじゃないのか?」


 思いもよらぬイザネの言葉に、俺は血が逆流するような感覚を覚えた。


「”オブジェクト”ってなんだよ?! 誰がどう見たって人骨じゃないか!

 あいつ等が人を殺して洞窟の通路に捨てたんだよ!」


 俺は地に頭を擦り付けるゴブリンキングを指さして怒鳴る。


「ゴブリン! 人間達と! 敵! でも俺! 人間殺す嫌い!

 俺の部下! 人間嫌いな奴いる!

 俺! それ! 気づかない! すまない!

 でも! 俺! 人間殺さない!」


 ゴブリンキングの見苦しい言い訳が、更に俺の神経を逆なでる。


「現に俺達を殺そうとしただろうが!」


「俺! 怖かった!

 人間! 襲われる! 仲間守る! 思った!

 許すくれ! もう! しない!」


 ゴブリンキングは頭を地面に擦り付けたまま涙を流す。

 こんなものは茶番に違いないのだが、それを見た四人に更なる動揺が走った事をその表情から悟り、俺は焦っていた。

 もう彼等に、モンスターに対する警戒心は微塵も感じられない。イザネなど、ゴブリンキングに同情するかのように、眉を八の字にしてすっかり優しげな顔に変ってしまっている。


「このゴブリン討伐のリーダーは俺だよな、爺さん!」


「そうじゃ」


「ならリーダーの指示に従ってくれ! 今すぐこのゴブリン達を殺すんだ!

 逃がしたら後で多くの人が犠牲になるんだ! 確実に!」


 俺は慌ててべべ王に詰め寄ったが、既に四人の気持ちはゴブリンキングに支配されていた。


「いや、しかしのぉ……」


「なぁ許してやろうぜ、反省しているみたいだし、わざとじゃないみたいじゃねえか」


「そうですね。考えてみれば、実際にこのゴブリン達が村を襲った訳でもありませんし」


 べべ王は迷っているようだし、イザネと東風さんは至っては完全にゴブリンキングの話を真に受けてしまっている。


「ジョーダンはどうなんだよ?! 本気で許す気なのか!」


 俺は半ばすがるような気持で段に尋ねたのだが……。


「カイルは少しゴブリンに厳しすぎやしねーか?

 ルルタニアじゃ、ゴブリンキングと素材交換だってした事だってあるんだぜ。悪い奴ばかりじゃねーよ」


「”素材交換”だと! ふざけんな!」


 俺は湧き上がる気持ちを押さえられずに、思わず段の胸倉を掴んでしまう。だが、それは完全にゴブリンキングの術中に嵌る行為だった。


「仲間割れ! よくない!

 でも! その弓使い! 気持ち!わかる!

 ゴブリン! 悪い奴! 多い! 誤解しかたない!」


「だから悪い奴ばかりじゃなかっただろ」


 段はそう言い放って俺の手を振りほどく。

 思わぬ冷水を段から浴びせられた俺は、四人の中に味方になってくれそうな奴が残っていないか見渡したがもはや手遅れだった。段だけでなく、他の三人も既に武器を収め、心の中ですっかり奴等を受け入れてしまっていたのだ。


(くそ! どうすれば?!)


「まぁ気にするなよ。あいつには後でよく言っておくから」


 イザネはそう言ってゴブリンキングに近づき、ゴブリン達がその優しさに撃たれ感動したかのような猿芝居を開始する。


「アナタ! やさしい……」


 俺はただなすすべもなく、黙ってその光景を睨み付ける事しかできなかった。


(なんだ?)


 ゴブリンキングの後方に控えたホブゴブリンの内の一匹が、肩をかすかに震えさせている。そのホブゴブリンは顔を伏せていたが、よく見ると口元が歪んでいるのが俺には見えた。


(笑っているのか……)


 恐らくあのホブゴブリンは、人間の言葉がわかるのだろう。そして、ゴブリンキングの誘導により俺が孤立させられている事も、俺さえ黙らせれば自分達が助かる事も理解し、そしてまんまと罠にかかった四人をあざ笑っているに違いなかった。

 奴はもう、勝利を確信して笑っているのだ。


(そういう事かよ!)


 俺はうつむいたまま力なく退がり東風さんの後ろに隠れると、アイスアローを宙に描き、みんなに見つからないように氷の矢を作りだす。

 幸いにも魔導弓に付けた明かりの魔法が、俺の作るアイスアローの淡い光を隠してくれた。


「みんな離れろ!」


 俺はこちらを振り向いたみんなが避けられるよう僅かな間を開け、アイスアローをゴブリンキングに放った。最早、この広間の気温がどこまで下がるかなど、気にしてはいられない。


シュッ……カチィィィーーン


 ゴブリンキングはもちろん、残りのホブゴブリンは全て一瞬で凍り付き、広間の温度は肌寒く感じる程に低下していた。


「おい! どういうつもりだカイル! 悪い奴じゃねーって言ったろーが!」


 今度は段が俺の胸倉をつかみ、俺を宙づりにする。


「おまえこそ気づかなかったのかよジョーダン! あのホブゴブリンが俺達を笑っていた事に!

 ゴブリンキングに騙された、おまえら四人をあざ笑っていたんだぞ!」


 俺は笑いを押し殺していたホブゴブリンを、地に足が付かぬまま指さす。


「そう、なのか?」


 俺の言葉に驚いたのか段の動きが止まる。そのホブゴブリンは、あざけるような笑みを讃えたまま氷の中に閉じ込められていた。


「他の三人はどうだ?! 自分達の王が涙を流して俺達に謝っているのに、あのホブゴブリンはその様子を見て俺達を笑っていたんだぞ! 不自然だとは思わなかったのか?!

 まさか一人も気づかなかったのかよ!」


「すいません」


 俺の問いに東風さんだけが身体に似合わぬ小さな声で答えた。


「いい加減に手を離せよジョーダン!」


 俺は段の手を振りほどき、ようやく地に足を付けた。しわになった服を直しながら改めて四人の顔を見渡してみたが、まだその表情に迷いの色がある。


(俺が訳もなくこんな事をするなんて、みんなも思っていないだろうけど、納得もしていないってとこか……)


「なぁ、本当に……」


 何かを言おうとしたイザネの言葉を、俺はあえて遮る。


「文句があるなら地上に戻ってからいくらでも聞いてやる! 説明して欲しいなら、それも地上に戻ったらいくらでもしてやる! それでも気に食わないっていうなら、俺をクランから外して貰っても構わない!

 けど、約束通りこの洞窟にいる間は俺がリーダーなんだからな! 忘れないでくれよ!」


 広間の奥を見渡すと、すぐにゴブリンキング達の後ろに通路を発見する事が出来た。覗き込んでみると、思った通りそこにはゴブリン達の足跡が多く、奴等の生活空間がこの先にも広がっている事を物語っていた。


「ここから先は俺一人でやる。

 文句があるならこの広間で待っていてくれ。すぐに戻る」


 俺は書きかけの地図を取り出すと大まかに広間をそれに書き足し、そして今から進む通路の入り口にチョークで印を付ける。


(この広間が奴等の最終防衛ラインなら、目的地は近い筈だ)


 俺が通路に侵入すると、四人とも俺の後ろに黙って着いて来た。これから先、俺がやろうとしている事はみんながいない方がむしろやりやすいのだが、肌寒い広間に残っていろというのも、考えてみれば酷な話だった。



         *      *      *



 俺の予想どおり、目的地に着くまで5分もかからなかった。

 先ほどより一回り狭いその広間には、以前とは違う気配と悪臭がただよっている。そしてその悪臭の正体が、そこかしこに散らばっている人骨から漂っている事に俺はすぐに気づく事ができた。

 ゴブリンに捕まった者はもうこの洞窟にはいなかったのだ、少なくとも生存者は。

 そして生存者の代わりにそこに居たのは、ゴブリンの子供達だった。


ピギィー


 ゴブリンの子供たちは俺達を見ると事態を悟ったのだろう、哀れみを乞う声を発して膝を折った。

 俺は口をつぐみ、もう一度アイスアローを生成すべく魔文字を描き始める。


「お、おい! いくらなんでも!」


 俺の腕を掴んでそれを邪魔をしたのはイザネだった。

 その悲しそうな表情から、その必死さから、彼女が何を訴えたいのかを伺い知る事ができたが、俺はそれを止める訳にはいかなかった。


「この人骨の山が見えない訳じゃないだろう。放してくれよイザネ」


 イザネはぶんぶんと首を振り腕を離してくれない。俺はやむを得ずマジックアローを作る事を諦め、みんなの方に顔をむけた。


「なぁ、この巣穴に入ってからメスのゴブリンに会ったか?」


「いや、一匹もそれらしいゴブリンは見なかったのぅ」


 答えるべべ王に、俺はもう一度問う。


「じゃあ、あのゴブリンの子はどうやって生まれて来たと思う?」


「確かにルルタニアでも、この世界でも、子がいたのは結婚した夫婦の家族のみでしたね。

 なぜゴブリンだけが、夫婦を作らずに子を作る事ができるのでしょう?」


 若干ズレた回答をする東風さんだが、おおよその所はわかっていると考えてよいのだろう。


「メスゴブリンがいなくとも、人間やエルフの女をさらってきて子を産ませる事ができるんですよゴブリンは。

 こんな臭くて暗い穴倉に閉じ込められて子を産ませられる女の人が、どんな思いをしたか考えられます?」


 俺の腕を掴んでいたイザネの手から力が抜ける。うつむいて肩を震わせているその様子から、相当のショックだった事が伺い知れる。


「けどよカイル、おかしくねーか?

 だってこの洞窟には、人間の女もエルフの女も一人も居なかったじゃねーか!」


 段の疑問はもっともなのかも知れない、ゴブリン達の残虐性をまるで知らない者であるならば。


「子を産ませたら、ゴブリン達にとってさらって来た女はもう用済みだ。出産後、彼女達がどうなったかは想像もしたくない」


 俺は本気でそれを想像したくもないのだが、地面に散らばる白骨がどうしてもその惨状を訴えかけてくる。


「うぅっ……ぐす……」


 手で顔を覆うイザネから、しゃくり上げる声が聞こえてくる。


(……泣いている……俺は冒険者として当然の事を教えようとしたつもりだったのに、あいつをこんなに傷つけてしまったのか……)


 東風さんが、そっとイザネの肩に手を添えるのを横目に俺は言葉を続ける。これは、どうしても彼等が知らねばならぬ事なのだから。


「ゴブリンは弱いモンスターだ。場合によっては一対一で子供に負けてしまう事もあるくらいに。

 でも、そんな弱いモンスターがなぜ恐れられるかといえば、その行動があまりに邪悪に過ぎるのさ。この子供等が成長して何をするか想像してみろよ」


 俺は再びゴブリンの子供達の方を見た。恐らく人間の言葉を理解する事などできないのだろう。哀れみを誘う芝居を未だに続けている。

 そしてその時、魔導弓に付けた明かりに照らされて、ゴブリンの子の足元に何か光る物がある事に俺は気づいた。それは酷く汚れてはいたが、女物の髪飾りだった。


(こいつ等まさか、自分の母を喰らったのか?!)


 静かに泣き続けるイザネによって冷やされた俺の殺意に、再び熱が戻る。


「すぐに殺すぞ! もう文句はないよなジョーダン」


 俺は隣にいる段が黙ってうなづくのを確認してから、再び宙に魔文字を描きマジックアローを作り始めた。

 イザネは鼻をすすりながら止まらぬ涙を拭い、べべ王は腕を組んだまま顎髭に手を当てて静かに俺を見守っている。


シュ……


 その時、不意に起こった強風を頬に受け思わず目をみはると、東風さんがいつの間にか洞窟の最奥へと到達していた。信じられない事だが、音もなく一瞬で俺とゴブリンの子供達の脇を駆け抜けたのだろう。


「カイルさんの言いたい事は理解しました。

 しかし、まだ罪も知らぬ子供の命を絶つのです。死の恐怖も痛みも感じさせぬまま黄泉へと送るのが、せめてもの情けというものかと」


 目にも止まらぬ速度で刃を振るっていたのだろうか、東風さんがそう言い終わると同時に一斉にゴブリン達の首が落ちる。イザネがそれを見て肩を震わせるのに気づいた俺は、視線を遮るように彼女の前へと移動した。

 悲しそうな目でこちらを眺める東風さんは、既にナイフを腰に収めて広間の奥にたたずんでいる。しかし俺は、彼と同じ感傷には浸れなかった。


(確かにそれは東風さんらしい、優しい考えかもしれないけれど……)


「あまいですよ東風さん」


カチャーン


 首を失ったゴブリンの子供達の身体が倒れるのと同時に、隠し持っていた小さな刃物が一斉に地面に落ち、東風さんが驚きのあまり目を見開く。

 地面に落ちたその刃には、既に乾いた赤黒い血の跡がこびり付いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る