第9話 食前の祈り
※ 今回の話に含まれるネットゲーム用語が分からない人は以下の用語解説を参照してください。
https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330657061239345
「やぁ、これは酷い」
東風さんは池に写る自分の顔を見て笑う。手櫛で髪を整えようとするも、東風さんの指は太すぎて、うまくいかないようだ。
「せめて鏡があれば便利なんですが、あとでクラフトルームで作っておきましょうか」
「鏡も作れるんですか?!」
俺は、にわかに東風さんの言葉を信じられなかった。鏡はガラス職人がいないと作れないと聞いていたからだ。
「大抵の物は製作できるぞ。素材も倉庫に大量に溜めておるしのぉ」
隣で髪を整えていたべべ王が教えてくれる。
「じゃあ櫛(くし)も作れます? 持ってくれば良かったんですが、忘れちゃって」
「櫛ってなんですか?」
櫛を知らない? 寝る必要のない世界の住人だったらしいし、寝ぐせとも無縁だったからかな?
「こういう道具なんですが……」
俺は地面に櫛の絵を画いてみせた。
「これ頭に付けるアクセサリーじゃねぇか? 確かルルタニアでも似たようなの見た事あったぞ」
顔をさっさと洗い終えて手持ち無沙汰にしていた段が、俺の絵に感想を漏らす。
「確かにアクセサリーとして飾りの付いた櫛を使うけど、本来は髪を整える道具だよ」
ハゲには関係ない事だろうが……。
「他にも必要な道具はあるかの?
もしあるのなら、後でまとめてクラフトするとしよう」
「そうだね。
とりあえず思いつくのはフォークやナイフなどの食器の類と、これかな……」
俺は三人に歯ブラシを見せる。
「小型のブラシですね。 いったい、何に使うのですか?」
「これはですね……」
俺は歯ブラシを口に入れて、実際に使ってみせたのだが……。
「ギャハハハハハッ!
こいつ、ブラシを口の中に突っ込みやがったぞ! バカじゃねーの!」
「ぷ~クックックックッ」
例によって、ハゲとジジイが俺をからかおうとする。
歯磨きを知らないのは仕方ないにしても、イチイチ会話がこの流れになるのはどうにかして欲しい。
「歯を磨かないと、歯が痛むんだよ! 虫歯になっても知らねーぞおまえら」
「虫歯って、もしかして歯に虫が湧くのかよ?」
「そうだよ、目に見えないほど小さな虫がね」
「ひいいいぃぃぃ~~~っ!!」
俺と段の話を聞いていたべべ王が、両頬を抑えて大きな悲鳴を上げた。
「は、歯ブラシだけは速攻で作ろうぜ……」
段も青ざめた。
少し大げさな反応のような気もするが、なにはともあれ歯磨きの大切さに気づいて貰えてよかった。
(今のうちに合言葉の登録も済ませておくか)
おれはカバンからイザネに貰った魔導弓を取り出し、弓の中心に設置された魔石の波動を探る。魔石からは激しい波動が伝わってくるが、周囲に配置された小さな四つの魔石がその波を適度に抑え、安定させる働きをしてくれているようだ。
魔力を制御しやすいように、イザネが工夫してくれたのだろうか。
『ガラハィウムハーレェ! 戻れ我が弓よ』
「なにやってんだおめー?」
思った通り、段が食いついてきた。
* * *
『ロドゥムエィガリル! 我が杖よ我が元へ来たれ!』
クラン拠点の庭で、段が覚えたての魔法を連発してはしゃぎまわり、なぜか一緒になってべべ王もはしゃいでいる。宙を飛んでは段の手に戻る杖が、空を何往復したのかもう数える気もならない。
(ジジイはともかく段は結構渋い顔してるんだから、もう少し落ち着いた態度でいればいいのに……)
段の魔法の習得は、イザネの時の半分以下の時間しかかからなかった。
流石は魔法のエキスパートといったところだが、それを習得するのに半日かかった俺としては、自信を更に薄く削がれる思いだった。
「バカやってないで、そろそろ朝食の準備をしようぜ」
俺はカバンに魔導弓をそそくさとしまい、昨日食事をした広間に向かおうとしたのだが、東風さんが心配そうに呼び止める。
「ちょっと聞いてもいいでしょうか?
カイルさんはその弓を貰ってもあまり喜んでいないように見えるのですが、なぜでしょう。なにか気になる事でも?」
「イザネさんがこれを作ってくれた事には感謝してますし、嬉しいですよ。
俺のために使いやすく作っているのもわかりますし。でも、この魔導弓がどのくらい強いのか使ってみるまで俺にはわかりませんし……力を得た実感がまだないというか……うまく表現できないのでずが」
例えば伝説の宝剣を苦労の末に強敵を倒し、やっと手に入れたのならば、それは嬉しいだろう。
しかし、散歩の途中で道端に伝説の剣が落ちていたならば、どうだろうか?
”やった!”という気持ちより”こんな簡単に手に入れていいのか?””本当に俺が手に入れていいのか?”という疑問が勝るのが普通だろう。今の俺が丁度その状態だった。
力が与えられた事は確かに嬉しいが、しかしそれ以上に腑に落ちないのだ。俺は何もせずにこの魔導弓を手に入れたのだから。
(こんな事なら、この世界にも装備レベル制限っていうのがあったら、よかったのかもな……)
楽して強くなりたい、と心のどこかで思っていた過去の自分が滑稽に思えた。
「なら心配ないですよ。使ってみればその弓の凄さはすぐにわかりますから」
東風さんは、俺の誤魔化しの言葉に安心した様子で、広間に続くドアに向かって歩き出した。
「飯は昨日と同じ料理でいいよな。あれなら倉庫にたくさん余ってるし」
ようやく杖を投げるのに飽きてくれたのか、段も東風さんの後に続くが、俺はその不穏な一言を聞き逃さなかった。
(”あれなら倉庫にたくさん余ってる”……だと……?)
あの料理の正体が、にわかに怪しくなった。
「そういえば、昨日の肉料理って何時、誰が作ったものなの? どうやればあんなに同じ形の肉ばかりが揃えられるんだい?」
「あれは去年のクリスマスイベントの時に集めた、クリスマスチキンじゃよ」
べべ王が平然と答えるが……。
「きょっ!……きょきょきょきょっ去年の料理ぃぃぃ~~~~っ!」
俺の声は裏返っていた。貴族の館には稀に、食べ物を低温で長期間保存する魔道具があると聞いた事があるが、ここにそれがあるとは思えない。
「今すぐ俺を倉庫に案内しろっ! 今すぐにだぁっ!」
倉庫はどんな状態になっている事やら……。俺は湧き上がる不安を抑えられなかった。
* * *
思ったとおり、案内された倉庫は冷却などされていなかった。
せめて地下であればまだ涼しいのだが、ここは一階。こんなところに生ものを保存してたら一溜りもない。
鉱石や砂、モンスターの爪や牙・鱗等々、無数の素材を並べた棚の一角に、無造作にその料理は並べられていた。
(食糧を保管するには、最悪の環境じゃないか……)
鼻を近づけると相変わらず香辛料のいい匂いもするが、すえた臭いがハッキリと混ざり始めているのにもすぐ気がついた。
(案の定、食べられる状態じゃないが、去年の料理である筈なのに腐敗はそこまで進んでないな。まさか、昨日この世界にこの建物がやって来た時から、腐敗が始まったのだろうか?)
「大丈夫でしょうか?」
心配そうにのぞき込んできた東風さんに、俺は料理の皿を差し出した。
「ちょっと臭いを嗅いでみてください」
東風さんとその隣にいたべべ王が顔を近づけて、臭いを嗅ぐ。
「妙な臭いが混ざっとるのぉ」
「そうですね、ゾンビの毒沼に行った時に嗅いだような臭いが、かすかに混ざってますね。
でも、まだ食べても大丈夫そうな気もするんですが……」
「物が腐るとそういう臭いがするんですよ。無理して食べるとお腹を壊してしまいますよ」
料理をもったいなさそうに見つめる東風さんに、俺は警告した。
「腹を壊すとどうなるんだ?」
興味なさげに近くの棚を漁っていた段が尋ねる。
「長時間トイレにこもってウンチを垂れ流すはめになるだろうね。捨てるしかないよこれは」
「そ、それは勘弁して欲しいですね。もったいないですが諦めましょう」
下痢に怯えた東風さんが、やっと料理を諦めてくれた。
「他に食料はないの? 日持ちのする物ならまだ大丈夫だと思うけど」
「これも去年のハロウィンイベントで集めた物だがどうだ? ここにある食べ物はもうこれしかないぞ」
そう言って段は、漁っていた棚から小袋を取り出し、俺に投げてよこす。
パシッ……
小袋は勢いよく飛んできたが、思ったよりずっと軽くて、楽にキャッチする事ができた。
「ちょっと物足りないけど、まぁこれでもいいかな」
袋の中身は、カボチャ形のクッキーだった。
* * *
『天におられし偉大なる神よ。
あなたの恵みに感謝します。
与えられし糧を我らの光とする事を許し給え』
「これが食前の祈りなのか?……ちょっと変な文句だな」
クッキーを摘まみながら段がぼやく。
「食料を得られた幸運を神に感謝するって理屈もあるんだろうが、それなら俺様は食料そのものにこそ感謝すべきだと思うぜ。実際に何をしてくれたかわからない神様と違って、目の前にあるんだしよ」
「それはドルゥード教の考え方に近いな。
彼等は万物に神が宿るって考え方だから、当然食物にも神が宿るって考え方なんだ。だから食前に食べ物へ感謝を伝える。
ただ、その考えは、この国で口にしない方がいいよ。この国ではソールスト教が国教になって以来、ドルゥード教とその教義は敵対視されてるから」
「この世界のNGワードは随分と難しいんじゃのう」
そのべべ王の言葉に、俺は違和感を覚えていた。ドルゥード教が排斥される日常が、俺にとって当たり前になっていたからかもしれない。
「祈りの最後の”糧を我らの光とする”とはどういう意味なのでしょうか?」
「例えばこのクッキーにも、我々の元に届くまでに神が光をその内に与えて下さっている、と教えられているんです。
我々はそれを頂く事で神の光をその身に宿す事ができるという、そういう教えです」
俺は目の前のクッキーを指二本でつまんで持ち上げながら、東風さんに説明する。
「では、このクッキーをワシ等に与えたドラゴン・ザ・ドゥーム運営にも、神の光が宿っていたという事になるのかのう」
「たぶんそういう事になるんじゃないかな。
その食料を育てた環境や調理した者が多くの光を宿していると、それを食べた時に宿す事のできる光も大きくなると言われてるから。
逆にそれを育み形作る過程で光がまるで与えられない、光を逆に奪われかねない環境にあった食べ物だと、それが如何に美味しくとも災厄に通じるとされてるんだけどね」
べべ王の質問に少し笑いながら俺は答える。声を大にして言える事ではないが、俺だってそこまで信心深い訳じゃない。
「じゃあ、このクッキーは呪われてんじゃねーか? あの運営に神の光が宿ってるとは思えなかったからな」
一足先に食べ終えた段は、空になった皿の上で手をはたいてクッキーの粉を落とている。
「さぁ、飯も食ったし冒険にいこうぜ」
「その前に皿洗いくらい手伝えよ。昨日その皿を洗ったの俺なんだぜ」
「なんでそんな事する必要があるんだよ?」
「この世界じゃ食べ物を消費しても皿は消えないし、昼飯の時にも皿を使うからさ。
だいたい、昼飯はどうするつもりなんだ? まさか昼もクッキーとは言わないよな」
あからさまに不服そうに口を尖らす段に向かって、俺は言い返す。
「確かに昼もこれでは、腹がもつ気がしませんね」
これには人一倍食う東風さんが、まっさきに同意してくれる。
「では報酬に食料が貰えるクエストを回して蓄えておくとするかの。カイルはそういうクエストに心当たりがあるんじゃろ?」
(おいおい待ってくれよ)
思わず俺は、眉間を指で押さえた。べべ王の言うクエストとは冒険者への依頼の事なんだろうが、食糧を現物支給する依頼など聞いた事もない。
「そんなもん、自分達で食料調達しちゃえばいいんだろ」
俺は精一杯の軌道修正をしたつもりだったが、三人はその意図もわからぬ様子でポカンとしている。やれやれ、また詳しく説明してやる必要がありそうだ……。
* * *
「なぁ、要するに環境生物だったらなんでもいいんだろ?」
周囲の森を見回しながら、段が俺に尋ねた。
食後の話し合いで俺と段は狩りを、東風さんは木の実や茸などの採取を、べべ王はクラフトで櫛・食器・歯ブラシの制作を担当する事になっている。
あのいい加減な爺さんが、裏方の仕事を率先して引き受けたのは意外だった。しかし、あらためて考えてみれば、普段はふざけていても、こういう時にクランメンバーを支える仕事をまっ先にこなすからこそ、クランマスターとして皆をまとめていられるのかもしれない。
「環境生物というか、普通の動物だけどね。十分に食べられる大きさなら、大抵は問題ないよ」
俺と段は今、クラン拠点から少し離れた地点の森にやって来ている。
当初の俺の目論見では、レンジャーの技術で獣の足跡を追跡する筈であったが、まだ肝心の足跡を発見できていなかった。
「なら、あそこの鳥でも構わないわけだな。
『おん きりきりばさら うんはった!』」
シュゴオオオォォォォッ!
段が聞いた事もないような呪文を唱えると、掌から炎が勢いよく飛び出して飛んでいた鳥を直撃し、瞬時にそれを消し炭に変えてしまった。
「よし! いっちょあがりぃ!」
「なにが”いっちょあがり”だよ! 炭になった鳥をどうやって食うつもりだ?!」
得意げな笑顔をこちらに向けた段に、思わず怒鳴る。
初めて見た段の魔法は、確かに凄い威力だった。もしモンスターが相手だったら、とても心強かったに違いない。
だが、狩りをするには火力が強すぎて、なんの役にも立たないのだ。
「あぁそうかそうか、うっかりしてたぜ。
でもドロップアイテムくらいは落ちないのか?」
「ないから! ドロップアイテムとかここの世界には!
もういい! 今度は俺がやるよ」
近くに鳥が飛んでいるのを見つけた俺は、新しい魔導弓を構えながら吐き捨てる。
いつものように、宙に魔文字を描いてサンダーアローを生成し、魔導弓の中心の魔石にセットすると、サンダーアロがなぜか一回り大きく成長した。
(新しい魔導弓の力でサンダーアローがパワーアップしているのか? でも、多少威力が上がったところで、サンダーアローならば獲物を感電させるだけで済む筈だ)
シュ…………バチバチバチバチィッ!
俺の放ったサンダーアローは、今まで見た事がないような速度で飛び鳥に命中した。 だが、俺の目論見と違い、鳥は火花を激しく散らしながら、あっという間に黒く焦げていく。
「ギャハハハハッ! お前だって同じじゃねーか!」
「嘘だろ…」
俺は呆然としてその光景を見つめ、段が爆笑する。
獲物を黒焦げにしてしまうほどの雷なら、火花が飛び散って森が火事になる可能性すら警戒せねばならない。
「なら、アイスアローで!」
俺は今度はアイスアローを宙に描き、再び魔導弓につがえると、次に見つけた鳥に放つ。
いくら魔導弓がパワーアップしていようが、これで獲物が黒焦げになる事はない。
シュ…………カチィーーッ
アイスアローが命中した鳥は、大きな氷塊と化して森に落ちてくる。
「バカな……」
俺は慌てて落下地点に走ったが、そこで地面にめり込んだ氷塊の前に立ち尽くす他なかった。
その氷塊は余りに大き過ぎて、焚火で溶かすにも、力で割るにも難しいのは一目でわかる。なにせ、俺の膝上を超える高さの氷塊の真ん中に、鳥が閉じ込められているのだから。
ガンッ! ガンッ!
段が杖の先で氷を突いてみたが、ひびが入っただけで割れるまでには時間が掛かりそうだ。
「面倒くせぇなぁ……
『おん きりきりばさら うんはった!』」
おい、やめろバカ!
俺がそれを口にするより早く、段の手から炎がほとばしり氷を消し、その中の鳥を炭に変え、周囲の森にまで火が燃え広がる。
「バカかてめぇ!」
叫びながら俺はアイスアローを次々と生成し、周囲の炎に向かって順に撃ち込む。高速で魔文字を描く俺の指が、周囲の炎に照らされ赤い残像を従えている。
もし森全体に燃え広がるような事態になったら、それこそ大惨事だ。パチパチと炎が森を焼く音と熱、そして辺りに充満する草木の焦げる臭いが、俺を一層焦らせる。とにかく必死だった。ホントになにやってんだよ、あのハゲは!
「悪い悪い。地形に破壊判定があるのを忘れてたぜ」
笑顔で謝る忌々しい段を、俺はアイスアローを放つ手を止めずに睨みつける。
「なんで消火を手伝ってくれないんだよっ!」
「氷とか水の魔法を覚えていないんだ。
俺様は、派手な魔法が好みだからな!」
(くそったれがっ!!)
段の後ろの茂みに残った最後の炎に、俺はアイスアローを叩き込んで、それを氷の塊に変える。なんとか火事は消し止めたられたものの、俺は魔力の殆どをアイスアローに変えてしまって枯渇寸前だ。俺はぜぇぜぇいってる息を整えて、額の汗を拭う。
俺達を中心に焦げた草木が周囲に散らばり、その上には俺が作った氷塊がゴロゴロと転がっている。鳥を狩るつもりが、森をこんなに台無しにしてしまった……。
俺は手に持った魔導弓をあらためて眺める。
(この魔導弓は威力がありすぎて、狩りには使えないな……。いや、それどころか、このまま使い続ければ、どんな事故を起こすかもわからない。クラン拠点に帰ったら、イザネに以前の魔導弓を返してもらわなければ)
「どうしたんですか、これは?」
顔を上げると、東風さんがこちらの騒ぎを聞きつけてやって来ていた。どうやらあの騒ぎで、食料採取を中段させてしまったようだ。
「ジョーダン(大上=段)が、バカやったんですよ」
「バカやったのは、お前も同じだろーが」
くやしいが段に言い返せない。新しい魔導弓の力を把握していなかったとはいえ、はたから見れば俺のやっていた事もバカとしか表現できないだろう。
「ま、まぁお二人とも気を付けてくださいね」
そう言いながら、東風さんは程よく膨らんだ布袋を俺に差し出した。
「カイルさん、採取したものをこの袋に詰めておきましたので、食べられるかどうか後で教えてください。
それから……」
俺が袋を受け取ると、東風さんは歩いて来た方向を指さした。
「……あちらの方に環境生物の足跡を発見したので、来ていただけますか。確かレンジャーのスキルをお持ちのカイルさんなら、追跡が可能なのですよね」
「でかした東風!
さっさと行こうぜカイル」
東風さんの報告を聞くや否や、段が俺の腕を勢いよく引っぱる。さっきあんな騒ぎを起こしたのに、奴はまるで気にしている様子がなかった。
* * *
「イノシシを見つけても、さっきみたいに魔法で黒焦げにすんなよジョーダン。
ちゃんと獲物を解体しないと料理もできないんだからな」
俺はイノシシの足跡を追いながら、すぐ後ろにいる段に向かって注意する。
「お前だって、さっき黒焦げにしてたじゃねーか」
「あ、いや確かにそうだけどよ……気を付けろよとにかく」
くそっ、減らず口を。弱みを握られたくない奴に秘密を見られてしまった気分だ。
冷やかす段とは対照的に、東風さんはレンジャーの技術に興味津々らしく、俺が足跡を追跡するさまを熱心に観察している。
「あ、イノシシがいましたよ」
東風さんが遠くの茂みを指をさすと同時に、段が全速力で駆け出す。
「よし! 俺様にまかせろぉ!」
「まてよジョーダン!」
俺は叫んだが、段は既にとんでもない速さで茂みの中に消えていた。
確かにあれだけ早く走れるのなら獣に追い付く事も可能なのかもしれないが、森の中では話が別だ。段はすぐに手ぶらで戻ってきた。
「なにやってんだよ」
「あいつ汚ねーんだよ。
狭いとこばかり逃げ込みやがって。せめて周辺マップさえあれば、逃がさねーんだが」
段は服のあちこちに細かい木の枝や葉っぱをつけていた。
「この世界の環境生物は随分手ごわいんですね。あんなに早く逃げるとは、驚きました」
東風さんは目をパチクリして本気で驚いている様子だが、野生動物が用心深く逃げ足が速いのは当たり前だ。やはり東風さん達が言う環境生物とは、この世界の動物とは根本的に違う物なのだろう。
「音とか臭いとか、とにかく感覚が鋭くてこちらの気配を察知したらすぐに逃げてしまいますから、そう簡単には掴まらないですよ。
罠を仕掛けるか、気づかれないように遠くから狙って仕留めるしかないですね」
「でも遠くから魔法で吹っ飛ばすのも駄目なんだろ。いっそ毒霧の魔法を試してみるか?
獲物は吹っ飛ばないし、毒耐性の指輪があれば食ってもなんとかなるだろ」
また段の奴が無謀な事を言う。
とはいえ今の俺と段の魔法では、威力があり余り過ぎて狩りに使用するのは不可能だ。
(アイスアローをイノシシの足元の地面に命中させて、動けなくするしかないかな)
魔力残量が残り少ないのが不安ではあるが、他にイノシシを狩る方法を俺は思いつかなかった。
「次にイノシシを見つけたら私に任せてくれませんか、ちょっと考えがあるのです」
東風さんが、次のイノシシの足跡の形を確認しながら言った。
出たとこ勝負の段と違い、東風さんはなにか思いついたのだろう。反対する必要はなさそうだ。
「ええ、ちゃんとした作戦があるなら構いませんよ。でも、そっちの足跡は古いのでこっちのを追いましょう」
俺は東風さんの追おうとしていた足跡とは、別のものをさした。
「なんでそっちのが新しいってわかるんだよ?」
「上に新しい葉が積もってないからさ」
俺は足跡の続く方向に歩き始めながら段に答える。
「葉っぱが?」
「なるほど足跡が付いた後に葉が落ちたから、上に積もってたんですね。
それに比べてこちらの足跡の上には、葉がまだ積もっていない」
段とは違い、脇で聞いていた東風さんは完璧に理解していた。
「そのとおりです。
慣れた人なら足跡の深さから獲物の体重も正確に測れるし、健康状態まである程度わかると聞くんですが、俺にはとても無理ですね」
「そこまでわかるものなのですか!?
ドラゴン・ザ・ドゥームには足跡追跡システムなんてなかったから、新鮮ですよこういうのは」
その時、段が杖で俺達の行く手を遮り、遠くの木を顎で指した。注意深く観察すると、木の陰からイノシシの足が僅かに覗いているのがわかる。
東風さんは黙って頷いて覆面を被ると、胸の前で手を数回組んでから静かに地面に沈んでいく。
むぐっ!
驚いて声を上げそうになった俺の口を、段が塞ぐ。
よく見ると東風さんは、地面ではなく自分の影に吸い込まれていた。完全に影だけになってしまった東風さんは、音もなくそして高速でイノシシの方に向かって行く。
※ 挿絵
https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330657676442736
プギィッ!
イノシシの悲鳴とともに木の陰から覗いていた足から力が抜け、イノシシを肩に担いだ東風さんが姿を現した。
「肝心なとこで声を出そうとしやがって、世話のやける奴だな」
俺の口を塞いでいた段が、ようやく俺を開放する。
「おい、さっきのあれなんだったんだ?」
「忍術だよ。
お前は見るのが初めてだったのか?」
動揺を隠せない俺とは対照的に、段はさも当たり前のように落ち着き払っている。
「ああ、初めて見たよあんなの。そもそも忍術って何? 魔法の一種?」
「魔法とはちょっと違いますね。
先ほどの技は臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の九つの印を決まった順に組み合わせ、チャクラを利用して行う術の一種ですよ」
東風さんがこちらに向かって歩きながら教えてくれる。もっとも俺は、チャクラがなんのかさえ知らないのだが。
肩に担いでいるイノシシを見ると、首があらぬ方向を向いていた。恐らく影の中から近づいて組み付き、首をへし折ったのだろう。
「気配に敏感ですぐに逃げてしまうのならば、気配を完全に殺して近づけばよいと考えたのですが、大正解でしたよ」
確かに野生動物の勘がいくら優れていようとも、影の中から大男に突然襲ってこられてはどうしようもあるまい。
こうして十分な獲物を得る事ができた俺達は、クラン拠点へと戻る事にした。
「あの、東風さんのクラスってなんなんですか?」
クラン拠点への帰路で、俺は東風さんに尋ねてみた。
戦力の詳細を問わずとも、彼等は強すぎて苦戦をする事もなさそうだし、クラスくらい戦い方を見ればすぐにわかるだろうと俺は高を括っていた。だが東風さんのクラスは、その技術を目の当たりにしてなお想像がつかなかったのだ。
「忍者だよ。
忍術って聞いてわからなかったのか? 盗賊の上級ジョブだ。
ちなみに俺は密教僧な。」
「ジョーダンさんの密教僧はフレーバー設定じゃないですか。本当は魔術師でしょう」
よくわからないが、段のボケに東風さんがツッコミを入れているようだ。
それにしても、東風さんがシーフクラスとは想像もつかなかった。
常識的にあんな大きな体の人にシーフなど務まらないと思っていたのだが、影に潜む術を使えるのなら、確かに忍び込むのに不便はなさそうだ。
「おや、今日は大漁のようですね」
東風さんが足を止め、肩に担いだイノシシをドサリと地面に降ろした。
視線の先を追うと、遠くでイノシシが餌を探しているのが見える。かなり飢えているのだろうか、まだこちらに気づく様子もない。
「もう一度行って参ります」
東風さんは小声でそういうと再び影に潜り、イノシシの方へ向かう。
俺と段は息を潜めてその帰りを待ったが、東風さんは何事もなかったかのように、すぐに影の中から出て来てきてしまった。
イノシシは相変わらずこちらに気づかずに餌を探している。
「らしくねぇな東風。術をしくじったか?」
「いえ、あのイノシシを狩るのは止めました。あのイノシシには子がおりましたので」
そう話す東風さんは、いつもよりずっと静かな声だった。
「環境生物に家族がいるのかよ!? ありえないだろ!」
段が目を丸くする。イノシシの方に目を凝らすと、小さなうり坊達が母親の足元で遊んでいるのが見える。
「私も驚きました。家族がいるのはNPCだけだと思っておりましたから」
先ほど地面に置いたイノシシを、東風さんは抱き抱えるように丁寧に持ち上げた。
「私にも、なぜこの世界では食前に感謝の祈りを捧げるのか、その理由がわかったような気がいたします。
カイルさん、クラン拠点に戻ったらイノシシの解体の仕方を教えて下さい。このイノシシは最後まで私が面倒をみるべきだと思うのです」
俺は黒焦げにしてしまった鳥達を思い出し、いたたまれない気持ちになった。
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