第6話 入団
※ 今回の話に含まれるネットゲーム用語が分からない人は以下の用語解説を参照してください。
https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330656335672045
「異世界から来た勇者様? もしかしてそれがシーズン6のシナリオなのかよ?!
いくらなんでも、ちょっとぶっ飛び過ぎだろ」
段が呆れたように言い放つ。しかし、この場で彼に同意する者はいなかった。
「いえ、本当かもしれません……。
言われてみれば、マスター達がログインもしていないのに我々が動ける事自体がすでに異例の事です。バグと考えるにもあまりにおかしい。
それにシーズン5でサービス終了するという告知は確かにありましたが、シーズン6については予告すらありませんでした。
我々が見知らぬ世界に来たとするなら、確かに道理は通ります」
「いや、通らないって」
段は東風の言葉を軽く一笑に伏せてみせた。が、続いてイザネが少しためらいがちに口を開く。
「だけどさ、あのやたら渋い事で有名なうちの運営が、FFやら障害物への破壊判定なんて大きな追加要素を一度に出す事の方がありえないぜ。新シーズンが到来したのに使いまわしアイテムの大量に混ざった新ガチャの宣伝すらなしだ。
ここが異世界だなんて俺も信じられない気分だけどさ、でも否定もできねーよ」
「確かに頭上に名前が表示されないのも、ステータス画面が開かないのも、周辺マップが機能しないのもおかしな事じゃ。
やはり我々は本当に異世界に来てしまったと考えるべきなのじゃろうなぁ………………………………………………………………………………マジかよ、どうしよう」
べべ王が頭を抱えて悶える。
段はその様子を横目で見ながら気分を落ち着かせるように、そして観念したかのようにフーッと大きく息を吐いた。
「わかった、わかった。まー考えてみれば、例えここが異世界だったとしても別に構わねーのか。
シーズン5終了と共に暗闇に閉ざされてしまったからな、ドラゴン・ザ・ドゥームの世界は。あそこでいつまで経ってもログインしないマスター達をじっと待っていてるより、この世界で冒険の続きをした方がよっぽどマシかもしれねーや」
段はそこで言葉を区切ると、一歩デニムに近づいた。
「俺はまだ実感が湧いてこないんだけどよ、どうやらあんたの言う通り俺達は異世界からここに来たらしい。
だが、あんたの言った中で確実に間違ってる事が一つあるぜ。俺達は冒険者だ! 勇者様なんかじゃねぇよ」
「すまない。勇者としての資格を持たぬ者を異界から召喚した、なんて話を聞いた事がなかったんだよ」
デニムが軽く謝る。
俺も異世界から召喚された勇者の噂を聞いた事くらいはあったのだが、確かに一介の冒険者ふぜいが召喚された話は聞いた事がない。
そもそも異世界の勇者は国の危機、あるいは世界災害規模の緊急事態に呼ばれる筈だ。勇者召喚の儀式には膨大な貢物と多くの召喚士が必要であるため、豊かな王家や莫大な資産を持つ秘密結社でなければ不可能とも聞いている。最も秘密結社については、その存在自体が陰謀論とされているのだが。
少なくとも小さな村に出た大猿退治のために異界の者を呼ぶなどという話はありえない。勇者の活躍の舞台は華やかな王宮や激しい戦争の中心で、俺達のような庶民とは住む世界が違うのだ。そしてそんな遠い世界の話だからこそ、俺達は嘘か誠かもわからぬぼんやりとした噂の中でしか、異世界からの来訪者のことを知らないのだ。
「やれやれジョーダン(大上=段)の言う通り、わし等はこの世界で冒険者を続けるしかなさそうじゃのう」
立ち直ったべべ王がデニムを見上げる。
「そうなると、尚更この世界の知識のある者にクランに入って貰いたいのだが、どうじゃろう? わしらのクランへの加入条件は”他の冒険者に迷惑をかけないこと”だけじゃよ。入って損はないと思うがの」
けれどデニムはべべ王に向かって自嘲するよな笑みを浮かべ、首を横に振った。
「命の恩人からのせっかくの申し出はありがたいのですが、その条件では俺とルルはクランに入れませんよ。
俺達はかつて二人の……いや、三人の冒険者仲間に大変な迷惑を掛けてしまい、今でも恨まれ続けている。これからだって迷惑をかけずにやっていける自信はないですよ」
俺は冒険者ギルドでチコの言っていた事を思い出していた。
『デニムは女絡みの揉め事でパーティをバラバラにしちまったクズリーダーだ』
俺はデニムを決してクズとは思っていないが、それ以外は事実だと思っている。これからだってデニムとルルが何かにつけて周囲の冒険者に迷惑をかけかねないのも、本人が言った通りだ。実際にパーティを組んだ俺にはそれがよくわかってしまう。
「カイルはどうする?」
不意にデニムが俺に問いかけてきたが、そんな事は問われるまでもない。断るに決まっているじゃないか。俺はこれからもデニム達とパーティを組むつもりなんだから.
「俺とルルはもう冒険者を引退するつもりだから、俺達の事を気にする必要はないよ。済まないな、カイルとの約束はなにも果たせていないのに」
「なにを言ってるんだよデニム?!」
俺は思わずそう叫んでいた。だが、デニムがなぜ急に冒険者引退を決意したのか、俺はすぐにその理由を理解できた。さっきからルルがデニムの腕にしがみついたまま、手を離そうとしないのだ。
「ごめんね、せめて大猿退治の報告が終わるまでは我慢しようと思ってたんだけど……」
デニムを掴むルルの手が震えている。
瀕死の重傷を負って倒れる恋人の姿を目の当たりにしたルルは、既にかつてのルルではなくなっていた。彼女にとって、もうこの森にいる事自体がトラウマになってしまったのだろう。不安に怯える今のルルは、まるで幼い子供のようにすら見える。
「俺も大猿と戦って自分の身の程を思い知らされたよ。今の実力で冒険者を続けたら、ルルにもっと心配をかけてしまいそうでさ……」
「仕方……ないですよ」
俺は肩を落として静かに首をふっていた。この状況でデニムとルルを引き留めるのは余りにも酷だ。
「残念じゃが仕方ないのぉ。
で、カイルくんはわしらのクランに入る気があるのかな? もし不安なら仮入団という扱いにして、いつでも退団できるようしてもいいのじゃが」
べべ王に問われ、俺はさっきまでデニムに丸投げするつもりだった決断に迫られた。
……もしパーティを解散して再びゴータルートの街のギルドに一人で戻ったら、俺はその先どうなるどうなるだろう?
きっとチコがまた俺に絡んで来るだろう。奴と強引にパーティを組まされて、威張り散らされて、そして報酬をかすめ取られる。そんな冒険者生活が待っている。
ならばべべ王達のクランに入ったのなら、その先には何が待っているだろうか?
この召喚者達は力はあるが常識がまるでなく、何をしでかすかわからない。また出会ったばかりでその性格も人となりにも信頼がおけるわけでもなし、何より言ってる事が意味不明でまともにコミュニケーションを取る自信すらない。
チコと組んだ場合はどんなに最悪を想定したってたかが知れているが、もしべべ王達と組んだらどんなリスクが待ち受けているか想像すらつかないのだ。チコに頭を下げる羽目になるのは癪だが、べべ王達はそれ以上に不安要素がでか過ぎる。やはりこの誘いは断るべきだろう。
『……おまえにどんな冒険ができるというのだ?!』
ふと俺の頭の中に、冒険者になる直前に親父に言われた言葉が浮かんだ。
『まともに喧嘩すらした事のない奴が、ちょっとばかり魔法の才能があったからといって冒険者になれるとでも思っているのか?!
だいたいおまえにどんな冒険ができるというのだ?! なにかあればすぐに楽な道に逃れようとするお前が、これまでどんな挑戦をしてきた?!
俺の跡を継ぎたくないならそれでいい。俺のやってきた事が気に食わないならそれでも構わない。だがお前に冒険者だけは無理だ!!』
俺の頭の中で街の金持ち連中に頭を下げひたすら愛想を振りまく親父の姿と、その隣でチコに頭を下げひたすら愛想を振りまく俺の姿がリアルにイメージされていく。
(黙れ!黙れ!黙れぇ!クソ親父! 俺だって、俺だって冒険者になれる! 俺はお前とは違う! 絶対にそれを証明してやる!)
覚悟は決まった。
「俺はクランSSSRに入りますよ。仮入団ではなく、正式な入団でお願いします!」
べべ王達からどっと歓声があがり、段が俺の首に腕を絡める。
「お前は見どころがあると思ってたぜ!」
グイグイと太い腕でおれの首を絞める。段は力を加減してるつもりなのかもしれないが痛い。かなり痛い。
「やっぱりカイルは冒険者に向いてるな」
俺達の様子を眺めていたデニムの顔からいつもの笑みが漏れた。
「村には俺から伝えておくから、カイルは大猿を倒した証を後で持って帰るといい。村からの報酬は、ゴブリン退治の分も含め全て君達に譲るよ」
デニムはそう言うとルルを支え、壊れた鎧を引きずりながら村の方へ引き上げて行った。
あえて冒険者としての責務を問うのなら、今のデニムは無責任となじられるだろう。俺に任せるのではなくデニム自身が大猿の死を確認し、責任をもってを依頼者に報告すべきなのだから。しかし、今のデニムにそれは無理な相談だ。彼は他のなによりも、一刻も早く怯えるルルを森から出してやりたいに違いない。
「俺達の周りにもマスター達が女絡みで問題を起こして引退した奴とか、リアル事情で引退した奴とかいろいろいたけどよ、引退する冒険者を見送るのは異世界でも寂しいもんだな」
俺の首を絞めていた段の腕が緩んだ。
「しかし、あいつらはちょっと大袈裟だな。怪我なんて宿屋で泊まれば一瞬で治るだろうが」
(……今なんて?)
俺は思わず段の顔を見上げる。さっきの決断を、俺は早くも後悔しはじめていた。
「ところで皆さん、さっきからちょっとおかしくないですか? なんか、妙なダルさを感じるんですよ。いつの間にか状態異常にでもかかったんでしょうか?」
デニムを手を振って見送っていた東風が、腹を抑えている。もしかしてその辺に生えてる変なキノコでも食ったのだろうか?
「そういえば俺もそんな感じがする。知らないうちにデバフでもされたのかな?」
続けてイザネも不安げな声を上げた。
「確かにさっきから少し体調がおかしいが、いつものデバフとちょっと違う感じがしないか?
ジジイとカイルは大丈夫かよ?」
「そうじゃのう、この感覚はルルタニアで味わった事がない。いったいなんじゃろう?」
段とべべ王も同様らしい。
「俺はなんともないですよ。一体みんなどうしたんで……」
グウゥゥゥ~
その時、東風のお腹から大きな音が響き渡り、召喚者達は一斉に彼の腹を見つめた。
「……腹が減ってるなら飯を食えばいいじゃないですか」
(そういえば、そろそろ俺も腹が空いてきたな)
そんな事を呑気に考えながら、俺はなにげなくそれを口にしたのだが……。
「なぜダメージを受けたわけでもないのに食べ物を使う必要があるんじゃ?」
「この状態異常は”腹が減る”っていうのか? マジで食べ物なんかで治るのか?」
「状態異常を治せる食い物なんか俺様は知らねーぞ? この世界では、食い物にそういう効果があるのが普通なのかよ?!」
「あの、私のお腹から変な音がしてるんですが大丈夫でしょうか?」
途端に騒ぎ出す召喚者達。まさかここまで常識がないとは……。
「食べないと飢えて死ぬからですよお爺ちゃん。
単なる生理現象です。本当に食べれば治まるから安心して下さいイザネさん。
特別な治療効果のある食材なんて滅多にないですよ段さん。
腹が減るのも、腹が減った時にお腹が鳴るのも、ごく自然な事ですから安心してください東風さん」
俺は四人に向かって一気にまくし立てた。
召喚者達はまだ俺の言葉の意味を理解しきれていないのだろう、皆一様にキョトンとした顔のまま黙りこくり、東風の腹の音だけが辺りにひびく。
さっきまでは召喚者達の話に俺がついて行けず一人で右往左往していたのだが、立場が逆になったという訳だ。ざまぁみろ。
「クラン倉庫に食べ物が余ってたよな。東風の腹もうるさいし、食えば治るならとっとと治そうぜ」
「どうもすいません」
こうしてイザネの提案に従い、俺達はクラン拠点に戻る事になった。さっきから腹の音が止まらない東風は、その大きな身体を小さく畳むようにして申し訳なさそうにのそのそと後ろの方を歩いている。
俺は帰りの道すがら”NPC”や”FF”や”障害物の破壊判定”やら、先ほど理解できなかった言葉の意味を彼等に訪ねてみたのだが、どうもハッキリした事はわからなかった。
こちらから話しかけるまで何もせず、話しかけたとしても決められた事をパターン通りにこなすだけの人間がいるなどと、どうして理解できようか。味方には一切攻撃が当たらず剣も魔法も素通りするなどと、どう考えても道理が通らない。森の木を切る事すらできない世界があるというのなら、その世界ではどうやって森を開拓するというのだ?
が、これらの疑問に対する彼等の答えは”そういう仕様だから”の一辺倒である。一体この四人はどれだけおかしな世界からやってきたというのだろう?
クラン拠点が見えてくると、その前に放置された大猿の首なし死体も目に入った。今の内に大猿退治の証拠を取っておくとしよう。
「ちょっと用事を済ませてきますから、先に行っててください」
俺はそう告げると大猿の死体に近づき、その指を一本切断する。
本当は鼻とか耳とか顔のパーツの方が討伐の証としては確実なのだが、頭はイザネが潰してしまったのだから仕方がない。
ふと気づくとイザネが俺の手元を覗き込んでいた。
「お前なに気持ち悪い事してんだ?」
怪訝な顔でイザネが尋ねる。
「大猿退治の証を取ってるんですよ。証拠もなしに”大猿を退治しました”って言ったって、よほど高ランクの冒険者でもなければ、そうそう信じてくれる訳がないじゃないですか」
「今まで何百何千とクエストをクリアしてきだが、一度だってモンスター退治の証拠なんて必要なかったぜ。この世界の冒険者はよっぽど信用がないんだな」
むしろ彼女等の世界の冒険者が、ありえないほど人々に信頼されていると言うべきだ。
冒険者というは金で雇われ、冒険によって対処すべきトラブルを解決する者の事だ。よって、金より命が惜しければ依頼をほっぽり出して逃げ出すし、危険な依頼であればあるほど依頼者を騙して金だけ貰おうという奴が出て来る。
だからこそ冒険者ギルドが信頼のおける冒険者の身分をランク付けして保証し、間違いが起こらないようにしているのだ。モンスターの体の一部を持ち帰り依頼者の疑いを晴らすのも、そういった事情を鑑みれば当然の事だった。
(この大猿の死体は腐り始める前に片づけないといけないな。けど、解体しても得られる物はなさそうだ。
大きな毛皮は取れるかもしれないがあまり上質な物にはなりそうにないし、人喰い猿の肉が美味いとも思えない。おまけに素材を加工してもらいに村まで運ぶだけでも大変な手間だ)
俺が思案を巡らせていると、またイザネが話しかけてきた。
「なぁ、こいつはドロップアイテムに変わらないのか?」
「そのドロップアイテムってなんです?」
その言葉の意味を理解できず、俺は聞き返す。
「え?
普通モンスターを倒したら素材アイテムを落とすだろ。ドロップアイテムがないなら、どうやってモンスターから素材を取るんだよ?」
「例えば毛皮が必要なら……」
俺は実際にモンスターから素材を取る工程をイザネに見せてやるため、手に持ったナイフで大猿の皮を少しだけ剥ぎ取る。
「うげぇぇ……。
こんな事しなきゃならないなら、俺はもうモンスターの素材いらないかも」
プッ……
「アハハハハハッ」
俺は思わず吹き出していた。
「なに笑ってんだよ……」
「だってイザネさんが急にお嬢様みたいな事を言うから……ククククッ」
そこいらの町娘だって肉屋が軒先で動物の皮を剥ぐところくらい見慣れている。それを”うげぇぇ”だなんて、箱入り娘でもあるまいし……。そう考えると、更に笑いがこみ上げてきた。ウププププ。
「なんだよ、感じの悪い奴だなぁ……」
ふて腐れてクラン拠点に入っていくイザネの後を、俺は笑いをこらえながらついていった。
クラン拠点の戸を押すと先ほどとは違いあっさりと開ける事ができた。俺もこのクランの一員になってしまったのだという実感がようやく少しずつ湧いてくる。
クラン拠点の入口から奥の屋敷との間には広い庭があり、庭の中心の大きな池とその脇の方にちょこんとある井戸が見える。左手にある小さな小屋は納屋だろうか?
正面の大きな屋敷の壁を見上げると、帯状で水色の下地に金の船のマークが描かれていた。恐らくあれがクランのシンボルなのだろう。
「結構立派だろ」
先に入って待っていたイザネがさも自慢気に、そして少し可愛らしく笑う。もう既に奥の屋敷に入ってしまったのか、見渡してみても他の三人の姿はない。
「なんですかここは? こんな立派な屋敷、貴族の別荘と言われたって信用しますよ」
俺は庭の池で手を洗い、大猿の血を落としてから井戸へ向かった。喉が渇いていたし、大猿を追って森をさ迷ってる間に水筒も空にしてしまっていたのだ。
ガラガラと井戸の鶴瓶を引き上げ、井戸水を手のひらにすくい取って水質を確認する。
(問題ない。飲めそうだな)
俺は空の水筒に井戸水を満たして喉を潤わせる。昨日デニムに買ってもらったばかりの新しい水筒は、トクトクとリズムを刻むように軽快な音を鳴らしている。
(この水、美味しいな……)
冷たい井戸水が俺の身体の隅々まで行きわたり、生気が蘇る感覚にしばし酔う。
「今度はなにやってんだ?」
またまたイザネが俺のことを珍しそうに見ていた。
「水を飲んでるんですけど?」
「状態異常を回復するには、食べ物を食べればいいんじゃなかったのかよ?」
イザネが眉をひそめる。
なるほど、食べる習慣がないのなら飲む習慣もなくて当然なのかもしれない。俺はいい加減説明するのも面倒になったのでイザネに水筒を差し出した。
「飲んでみればわかりますよ」
イザネは半信半疑の様子で水筒を受け取ったが一口水を飲むや目を見開き、一気に水を喉に流し込んだ。
ゴクゴクと勢いよく彼女が喉を鳴らす音が聞こえてくる。やがて満足したのかイザネは水筒からプハッっと口を離し、乱れた息を整えた。
「ね、水も必要でしょ」
「ああ、水ってすげーんだな」
そう言うなりイザネは俺の水筒を持ったまま、夕日に染まる屋敷の方に走り出していた。
「みんなにも教えてくるぜ!」
(あいつら状態異常とか言っていたけど、空腹なだけでなく脱水症状も起こしていたのかもな……)
俺は水で濡れた口を拭うと、イザネに続いて屋敷の戸を開ける。
屋敷の中は三階まで吹き抜けのホールになっており、何十人も座れるような長テーブルが左右に一つずつ据えられていた。外見だけでなく中も贅沢な作りではあるのだが、お屋敷というより王宮騎士の集会場と考えた方がしっくりくる間取りだった。
イザネはべべ王の向かいの席に着き、べべ王はイザネから受け取ったであろう俺の水筒をラッパ飲みしている。東風は形のいい骨付き肉を何皿もテーブルに運び、段は手袋を付けたまま料理に手を伸ばそうとしているが……いや、ちょっと待てや!
「食う時は手袋くらい取れよバカッ!」
俺は思わず叫んでいた。
4人が動きを止めて一斉にこっちを見る。なんとか間に合った。段は料理に触れる直前で手を止めている。
「今、俺様の事を馬鹿っつったか?」
目元は帽子の広いつばが邪魔で確認できないが、不機嫌そうに段の口がへの字に曲がったのは俺にも見えた。
(あっ、まずい。言い過ぎたか……)
思わず勢いで口を滑らせてしまった事を後悔する。
(ぶ……ぶん殴られる?!)
意識すまいとしても俺の目は、段のソーサラーらしからぬ太い腕と、節くれだった手の甲に吸い寄せられてしまう。俺は一生懸命にどう言い訳しようか考えたが、なにも思い浮かばずにしどろもどろになっていた。
「ば、バカというのはその……わ、訳があって。え、えっと、ですからね……」
(……いや、これはみっともないな)
俺は間違った事は言っていない。言い方は悪かったかもしれないが正しい事を言ったのだし、既に言ってしまった事は取り消せない。
今更相手の顔色を伺ってなにをどう取り繕おうというのだ! どうせ殴られるのならば、もういっそのこと……
「……バカなことしてるからバカって言ったんですよ!」
気付いた時には、自分でも呆れるくらい開き直っていた。
「なんで手袋つけたままなんです? 食事をする時に汚いとか思わないんですか? 普通手くらい洗いますよね? 綺麗な水ならそこの庭にいくらでもあるじゃないですか!
だいたい食事する時は帽子くらい脱ぐのがマナーってもんでしょうが!」
「そうなのか? マナー違反はまずいな」
驚くほど素直な段に俺は拍子抜けしてしまった。認めたくはないが、臆病風に吹かれて俺はとんだ独り相撲を繰り広げていたらしい。
段は何事もなかったように目深に被ったでかい帽子を脱いで手を洗いに庭に向かい、俺はしなくてもよかった取り越し苦労を嫌悪しながらそれを見送る。
(ハゲ? いや違うな眉まで剃ってる。僧でもないのに剃髪でもしているのか?)
段の帽子の中から現れたのは色黒で意外に端整な顔であった。歳は30過ぎであろうか。頭髪から眉まできれいに剃り上げている。
「段の言う通りじゃな。”人に嫌われるようなマナー違反はSNSに晒されしまう”とマスターから聞いた事もある。わしらも炎上せぬように、この世界のマナーをきちんと学んでおくとしよう」
俺と段とのやりとりを傍観していたべべ王の一言で、他の三人も段に続いて庭へ出ていった。
「お前は手を洗わなくていいのか?」
一足先に手を洗って戻って来た段が俺の前の席に戻ってくる。
「俺はさっきそこの池で洗いましたから」
「俺様は井戸の水を使って洗ったんだが、池の方がいいのか?」
「どっちでもいいんですよ清潔な水なら。要は食事の前に手の汚れを落とせればいいんです」
俺は段の前に手を開いてみせて、汚れがついていない事をアピールしてみせた。
「そういうものなのか。ルルタニアでは気にした事もなかったぜ。食い物もポーションと同じように戦闘中によく使うアイテムだったからな」
戦闘の真っ最中に食事をしていたのか? 一体どうやって?
それにまた俺の知らない単語が出てきてるじゃないか。
「その”ルルタニア”っていうのはなんですか?」
彼等の食事に対する認識を理解不能と判断した俺は、とりあえず”ルルタニア”について尋ねてみた。
「俺達の故郷さ。俺様達はそこでマスター達によって作られた冒険者なんだぜ」
(作られた? なぜ? どうやって?)
俺には段の言う事が理解できなかったが、それ以上は尋ねなかった。彼等の説明を聞いたとしても、俺がそれを納得するにはかなりの時間が必要だろう。聞けば聞くほど、どんどん疑問が増えてくるのだから。本気で腹が減ってきたし、そいつは後回しにすべきだ。
それよりも、今俺が忘れぬ内に言うべき事は……
「あの、ところで段さん。
さっきバカって言った事は謝ります。言い過ぎでした。すいません」
「ん?ああ、さっきのアレか。別に構わないぜ。
けどよーー、俺達相手にそんな細かい事をイチイチ気にしてんなら……」
段はニヤリと笑ってみせた。
「……お前の方がバカだぜ」
* * *
「では、はじめてくれ」
全員が席に戻ると、べべ王が食事のマナーについての説明を俺に求めた。
「まず最初に神に対して祈りを捧げ、食事への感謝をします。ですがこれは急いでいる時には省略する事がありますし、今回は……」
グギュルルルルゥゥ~~ッ!
東風の出っ張った腹がひときわ大きな唸りを上げる。
「……東風さんが限界っぽいので、省略します。
通常、料理を食べる場合はフォークなどの食器を使用するのですが、ここには置いてないようですし、幸いこの形の肉でしたら骨の部分を掴めばきれいに食べる事ができますので、今回は素手で食べます。
では……」
俺が手を伸ばし皿の上の肉から飛び出た骨を掴むと、四人も俺の真似して同時に骨を掴む。俺はゆっくりと肉を口元に運んだ。形状から察するにこれは鳥のもも肉だろう。
残念ながら料理はすっかり冷めていたのだが、肉に振りかけられた香辛料の匂いはそれでも尚健在で俺の鼻孔をくすぐってくる。今まで嗅いだことのない芳醇な香辛料の臭いに誘われるように、俺は迷いなく肉に噛り付いていた。
(美味い!)
これほどまでに香辛料を贅沢に使った料理は初めてだったが、その香辛料が下手に自己主張せずに肉のうまみを引き立て、後味に僅かな辛みと香りを残すのみに留まっている。これ程の料理は貴族の邸宅にでも行かなければ味わえる物ではないのではないだろうか。
「すごく美味しいですね。これ誰が作ったんですか?」
皆の方を見た俺は、料理の美味さも忘れ唖然とした。
一心不乱に肉に食らいつき、骨をしゃぶる東風。一口食う度に身もだえしているイザネ。机の上に片足を乗せ、一口食う度に雄たけびを上げるべべ王。
そして……
「おい!なんだよこれ! 一口食う度に口の中がとんでもないんだが!
ルルタニアで食った時には何も感じなかったのに、この世界ではなんで一口食う度にこんなに舌が幸せになるんだよ!」
……口に物を含みながら大興奮で話しかけてくる段。
「食うのかしゃべるのかどっちかにしろ! そういうのがマナー違反なんだよバカッ!!」
俺は容赦なく唾を飛ばす段に怒鳴り返していた。
※ 挿絵
https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330656335582136
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