小さい男とバイクの話
高橋 アオイ
第1話 始動
男はその時を待っていた。
時計の針は午前9時55分。
刻々と刻む長針を見ながら男は高鳴る胸を押さえていた。
ブーツカットのジーンズにエンジニアブーツ、黒いライダースジャケットに身を包み時計を見つめる。
あと2分・・・
あと1分・・・
とうとう時計の針は午前10時を指した。と同時に構内にチャイムが響き渡った。
男はすっと立ち上がりドアを出る。
指示された場所に向かい歩みを進める。
まるで映画の1シーンのようにゆっくりと、確実に・・・。
指定されたところに到着すると40代半ばの男が立っていた。
そしてその傍らには女性が一人。年は同年代だろうか。
やや緊張した趣きでこちらを見ている。
「高橋さん?高橋マサミさんですね?」
40代半ばの男は教官だった。
ここは自動車の教習所である。マサミはここで自動2輪中型の免許を取得すべく入校したのだ。そして今回がその第1回目の教習だったのだ。
マサミは19歳。田舎から専門学校に通う為新潟市に出てきた。そこで知り合った仲間達の影響を受け自動2輪の免許の取得を決心したのだった。
「車の免許があればほぼ実技だけだから1週間ぐらいで取れんじゃねぇの?」
「そうだな、余裕だな。」
そんな仲間達に恥ずかしいところは見せられない、マサミは気合が入っていた。
毎日2時間。学科を除けば既定の10時間に5日で到達する。
1限目、まずはバイクを押して動かす事と起こす事。
バイクのハンドルを掴み車体を起こす。スタンドを上げバイクを押す。
余裕だ。少し緊張はするがバイクに寄り添うようにすれば問題ない。
隣では一緒に受講していた女の子が教官に支えられ何とかバイクを押していた。
次は倒れたバイクを起こす。
教官に言われた通りうまく体を寄せてバイクを起こす。
これもいける。
隣ではやはり女の子が車体を起こす事ができず教官に支えられていた。
ここまで順調だ。マサミは「自分ならできる」と言い聞かせて何度も練習をした。
次はバイクにまたがる。これだ、これが一番不安な事だった。
『足がつかない・・・』
『倒れそうで怖い・・・』
マサミは身長160cmにも満たない小男だった。
『これにビビってたら一生バイクに乗れないぞ。足が届かなくても運転のうまい人はたくさんいる。』
自分にそう言い聞かせ感触を探る。
右足をつけば右側に偏る。左足をつけば左側に偏る。
何度も繰り返すその動きは傍から見ていると滑稽だった。
今度は実際にエンジンをかけてみる。
これは簡単だ。問題ない。
高校時代に原付に乗っていたからバイクは乗れる。ただ車体が大きく重いだけなのだ。
キーをひねりセルボタンを押す。
「キュキュッドルルン!」
4ストロークエンジンが始動する。
2限目、いよいよ走行に入る。
まずは低速での走行。
オーバルコースを半周する。
バイクのタンクには無線機がついておりそこから教官の指令が聞こえるようになっている。
「高橋さん、ゆっくりスタートしてください。」
教官の乾いた声に従い走行する。
数回周った後スタート地点に戻る。
何度か繰り返すうち慣れてきた。周りを見渡す余裕もある。
「高橋さん、あと半周したらスタート地点に戻ってバイクを格納してください。」
横目で見るとあの女の子がこっちを見ている。
『ははぁん、さては俺のうまさに見入っているな』
マサミは自意識過剰になっていた。
おかげで半周でスタート地点に戻るはずがオーバーしてしまいもう半周回ってしまう事になってしまった。
スタート地点に戻るとあの女の子が先にバイクを格納するところだった。
本来なら駐車スペースにそのまま入ればいいだけだったが半周余計に周ったせいでバイクの侵入向きが逆になってしまった。
想定外の動きに緊張が走る。バイクの方向を変えなければ・・・。
マサミはバイクを降り方向転換をしようとした。
思わずつぶやく。
『くっ、この動きは練習していないぞ』
異変をキャッチしたのか無線機から教官の声が聞こえる。
「高橋さん、バイクはそのままでいいですよ。」
教官はわかっていた。バイクから降りたがエンジンを停止していない。
ギアは1速に入ったままクラッチを握りしめていた。
『何言ってやがる、バイクの方向くらい変えられる。しかもあの女の子も見ている。』
ハンドルをめいいっぱい切り後ろに下がる。
その時だった。車体が大きく傾き向かい側に倒れていった。
車体を抑えようと必死に力を入れる。
しかし止めることはできない。右手は必死につかんでいたが左手はクラッチ握っていた為力が入らずたまらず離してしまった。
自然と右手はアクセルを全開にした状態になる。
完璧なタイミングだった。
ドギャギャギャギャ!!!!!
凄まじいエンジン音と共にバイクは激しくスピンした。
その車体の上で小さい男はもんどりうっていた。
一瞬の出来事だった。
エンジンの停止したバイクの無線機から乾いた声が聞こえた。
「高橋さん、大丈夫ですかぁ?」
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