53話 一生の約束

「――見つからないと思ったんだけどな」


 一瞬の間のあと、こころは口を開く。

 屋上の風は、やけに冷たかった。


「灯台下暗し、だよな?」

「そういうことだ」


 やっぱりこころは、俺のことをちゃんと分かっている。

 そして、夕陽のことも。


「夕陽とここで話したあと、夕陽は留衣に必ずここであったことを伝えると思った。だから私はここを出たあと、もう一度ここへ戻ってきたんだ」

「俺はこころがここを出ていったことを知っているから、こころを探すときに無意識のうちにここを選択肢から消してしまう。それに俺は焦ってた。だから頭の回転が効かず、ここにこころがいるかもしれない可能性を考えられなかった」


 選択肢の中に学校を入れてくれた母さんには感謝しかない。

 母さんがあのとき「学校」と言ってくれなければ、きっと手遅れになっていただろう。


「留衣のお母さんも一緒だったのか?」

「だって、この足じゃ動こうにも自由に動けないだろ?」


 そうして俺は、ギプスのついた足を見せるように前に出す。

 俺の足を見たこころは、顔から微笑みを消した。


「……一緒に帰ろう」

「嫌だ」

「どうして――」

「だって私が留衣の傍にいたら、留衣が死んじゃうかもしれないだろう!」


 付き合ってから聞かなくなった、こころの男勝りな口調。

 心を、閉ざしている証拠。


「留衣がここにいるってことは、夕陽から事の顛末てんまつを聞いたのは必然なんだ! 留衣なら、私の言いたいことを分かってくれるだろう!?」

「確かに、こころの言いたいことは分かる。俺もこころと同じ立場なら、きっと同じようにしていただろうからな」

「だったら――」

「でも、理解できるだけだ。納得はできない」


 俺の言葉に遮られたこころは、噛み締めるように顔をしかめて瞳を伏せる。


「……どうして、だよ」


 そう呟いた次の瞬間、こころは物凄い形相で声を上げた。


「どうして納得してくれないんだよ! 私はお父さんとお母さんを殺した! だからその償いをするために、留衣をこれ以上巻き込まないために、私は死ぬしかないんだ!」

「こころが死ななきゃいけない理由なんてどこにあるんだよ!」

「っ――!?」


 俺の怒りの声に、こころは怯えたように体を震わせる。


 こころを怖がらせるかもしれない。

 でも、なりふり構ってなどいられなかった。

 俺は自分の心の内にこびりついていた苦い思いを思い切り吐き出す。


「確かに傍から見ればこころが殺したのかもしれない。でも、こころの親を撥ねたのはあの車だ! だったらどう見たってあの車が悪いに決まってるだろ!? どうしてこころが殺したなんて結論になるんだよ!?」


 本当なら、もっとこころに寄り添うような言い方をしたほうがいいのだろう。

 でも、俺はそこまで大人じゃなかった。

 不満を溜めたままにしているのは嫌だし、気持ちを抑えることももちろん出来ない。


 こころは俺の叫びを怯えた目で見つめていたが、やがて小さな声でぽつりと呟いた。


「……そんなの、関係ないよ」

「っ――」

「結局お父さんとお母さんは、私のせいで死んだんだ。そうなれば、お父さんとお母さんが私のことを恨むのは当然。私の幸せを奪おうとしてくるのも、至極当然なんだ」

「どうしてあの人たちがこころを怨んでるって決めつけるんだ?」


 俺の発言に、こころは言葉を失う。


「だって、私のせいでお父さんとお母さんが死んだんだぞ?」

「違う、こころのせいじゃない」

「どうして私のせいじゃないって言い切れるんだよ!? 仮に留衣の言っていることが本当だとして、だったら一体誰のせいなんだよ!?」


 こころの悲痛の叫びが薄暗い屋上を木霊する。

 まるで懇願するような目でこちらを見てくる彼女に、俺はゆっくりと近づきながら口を開いた。


「強いて言うならあの車って言いたいところだけど、死を望んだのはあの人たち自身だ」

「なんでそうなるんだよ!? 私がお父さんとお母さんを殺したんだ! だから私を怨むに決まって――」

「だったら、どうしてあの人たちはこころを車から庇ったんだよ」

「そ、それは……」


 言葉に覇気を失くすこころ。


 彼女は今、自分の罪の意識であの人たちの本当の姿を見失っている。

 あの人たちは、こころを怨むような人じゃない。

 そう確信できるのは、あの現場を見ていた俺だから言えることだった。


「あの人たちは馬鹿じゃない。だから、こころを庇えば自分が死ぬことくらい分かってただろうよ。それでもあの人たちは、こころを庇うことを選んだんだ。それがどういう意味か分かるか?」

「……どういう、意味?」

「こころに生きてほしいって。自分たちは死んでもいいから、こころには幸せになってほしいって、そう願ってたからだよ」


 でなきゃ、こころを庇うわけがない。


「俺たちが事故にあったのも、絶対に偶然だ。ただ単に運が悪かっただけなんだよ」

「…………」


 俯いて黙り込むこころに、俺はポケットからある物を取り出して掲げた。


「それは……」

「あぁ、こころの部屋の鍵だ。勝手に上がったのは悪かったと思ってる。だけど、戸締まりもしないで出ていくのはよくないな」

「関係ないよ。だって、私は今から死ぬんだもん……」

「いや、嘘だ」

「どうしてそう言い切れるのさ」


 こころの疑問は分かる。

 さっき俺も、こころの発言と同じ考えを持っていたから。

 だから母さんにそれを否定されたとき、疑問が生じた。


 でも、今なら母さんの言っていた不自然の正体が分かる。

 こころが鍵を自室に残したのは、私物を放棄するためじゃない。


「それは、こころの足元にある学校用の鞄が証拠だ」

「私の、鞄……」


 こころの語尾に、疑問符は浮かんでいない。

 それが、俺の予想を確信に変えてくれた。


「この鍵はきっと、その鞄で管理してたんだろ?」

「……そうだ」

「ならこころの部屋に鍵だけ残っているのが不自然になる。でもよく考えてみればその不自然こそ、こころからのメッセージだったんだよ」

「メッ、セージ……」


 こころの目尻から、一つの雫が零れ出て頬を伝う。

 泣くのを必死に我慢するように体を震わせる彼女の体を、俺は左の松葉杖を投げ捨てて、抱き締めた。


 そうして、俺はこころの耳元で囁くように言う。


「俺に、自殺を止めてほしかったんだろ?」

「あ……ぁ……」


 こころの押し殺すような嗚咽が、耳元で聞こえる。


 彼女は鍵を机の上に置き、学校用の鞄を持って部屋を出た。

 夕陽と話をして死ぬだけなら、何も持たなくてもよかったはずだ。

 だったら何故こころは鞄を、それも学校用のを持って部屋を出たのか。

 そして、図ったように机に鍵を置いたのか。


 それは、自分が学校にいることを俺に知らせたかったからだ。


 学校に関係のあるものから連想させれば、こころが学校にいることは容易に想像がつく。

 現に俺は、部屋になかった学校用の鞄と母さんの発言からこの場所を見つけ出した。

 そしてその連想をさせるには、学校用の鞄の存在を俺に認知させる必要がある。

 だからこころは学校用の鞄で管理していた鍵をわざと部屋に残し、俺に学校用の鞄の存在を認知させたのだ。


 彼女も、頭では理解できたのだろう。

 自分が親を殺したから、親が自分の幸せを奪うのは当然だと。

 だから自分は、死ぬしかないのだと。


 でも、彼女は俺と同じく納得が出来なかった。

 だから、俺に自殺を止めてほしかった。


「……私だって、死にたくないよ」


 その時、こころはぽつりと言葉を零す。


「私だって、出来るならもっと留衣と一緒にいたい。留衣と一緒に、幸せになりたい。だけど、お父さんとお母さんはそれを許してくれない。だから私は……死ぬしかなかった」

「あの人たちは、こころが思ってるような人たちじゃない」


 俺は何回でも言う。

 こころは自分の罪の意識であの人たちの本当の姿を見失っているだけ。

 本当のあの人たちは、もっとこころを愛していた。


「……本当に、幸せになっていいのかな。お父さんとお母さんに、怒られないかな。『幸せになるな』って」

「こころはあの人たちの分まで幸せになる義務がある。だから、こころは幸せにならなくちゃいけないんだ。そしてそれを、きっとあの人たちは望んでる」

「留衣……」


 彼女は先程とは違う、懇願するような瞳で俺を見つめる。

 それはまるで、毒親に囚われた女性が恋をしている男性に「私を連れ出して」とでも言うかのように。


 だから俺は、こころを抱き締める力を強めて言った。


「こころは、俺が一生をかけて幸せにする」

「あ……あぁ……!」


 こころは再び嗚咽を零す。

 それは、さっきの押し殺すようなものじゃない。

 まるで胸の内に残ったわだかまりを全て洗い流すような、そんな大きな嗚咽をあげて彼女は泣いた。


 ずっと、孤独だったのだ。

 親に不完全な愛しか貰えなかった彼女は、一番大切な親すら疑うしかなかった。

 それはきっと凄く辛いことで、俺には想像もつかないような辛さなのだろう。


 でも、もう疑わずに済む。

 俺が彼女の傍にいて、彼女の親を信じ続ける限り、彼女は自分の親を信じられるから。


「……大好き」


 息を落ち着かせた彼女は、俺の背中に腕を回して呟く。

 そんな彼女の言葉に、俺も精一杯の想いを込めて返すのだった。


「俺も……大好きだよ」

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