42話 小さな一歩

「――こころは、服のブランドにこだわりとかあるか?」


 雑踏を進んでいく中で俺はこころに訊ねる。


 余所行きの服は一着しか持っていないこころだが、もしかしたら好きなデザインのブランドがあるかもしれない。

 あまりにも有名で値段の高いブランドには手がつけられそうもないが、せっかくの誕生日だからなるべく要望には応えたかった。


 だがこころは、俺の問いかけに対して首を横に振った。


「正直言うと私、どんな服のブランドがあるのかよく分からないんだよな」

「そうなのか?」

「うん、雑誌とかもあまり見ないし。あっ、でも前にここの通りで綺麗なデザインの服をショーウインドウ越しに見た気がする」

「じゃあまずはそこに行ってみるか。場所は何となく覚えてるか?」

「確かこっちの方だった気がする」


 そう言って俺の手を引っ張るこころの表情は楽しげに笑みを浮かべている。

 何だかんだ言って彼女も女の子なのだ。

 お洒落なデザインに目を奪われることだってあるし、それで気分が上がったりもする。


 デート中の今でさえ、きっと人目を気にして口調を変えるようなクールよりも冷たい立ち振る舞いをしている彼女だからこそ、こうして年相応な可愛い反応をしているとこっちまで頬が緩んでしまう。

 ルンルン気分で店を探していたこころだったが、やがて俺の視線に気づいたらしく不思議そうに俺の顔を見た。


「どうかしたか?」

「いや、楽しそうだなぁって思って」

「そ、そうだったか?」


 俺の指摘が図星を指したのか、恥ずかしそうに目を泳がせるこころ。


「そりゃあもう。服のことでそんなにテンションが上がってるこころを見るのは初めてだから、新鮮すぎてちょっと見入っちゃった」

「や、やめろよ、恥ずかしい……」


 こころが顔を赤らめてぷいっとそっぽを向くものだから、思わず悶えそうになったのを何とか堪えた。


「ほら、人が多いんだからあんまりよそ見するなよ?」

「よそ見させてるのは誰だよ」

「自分が勝手によそ見してるだけじゃないか?」

「な、なんだと……?」


 俺の言葉にいちいち表情をコロコロと変えるこころが可愛くて仕方ない。

 ちょっと前まで全く表情を変えなかったこころが、怒ったり笑ったりしてくれる。


 当たり前を取り戻せたことが、こんなにも嬉しいことだとは思わなかった。

 それが好きな人だからなお嬉しいのだろう。


「……なんか私、留衣のてのひらの上で踊らされてる気がする。本当に付き合ったの初めてなのか?」

「違うって、言ったらどうする?」

「いや留衣に限ってそんなことはない」

「即答するなっ!」

「でも実際初めてだろ?」

「……まぁ、そうだけどさ」


 仮にもお前が選んだ男だぞ?

 もうちょっと疑ってくれてもいいんじゃないのか?


 地味に負けた気分になっていると、隣でこころがクスクスと笑っている。

 そんな様子に、俺はふと笑みくずれてしまった。


 ……まぁ、初めてがこころで逆によかったかもな。


「あっ、ここだ」


 物思いに耽ていると、こころが瞳を輝かせる。

 彼女の視線を追えば、そこには御伽噺おとぎばなしに出てきそうな可愛らしい外観のブティックがあった。

 ショーウインドウには白のレースがあしらわれたブラウスがマネキンに飾られてある。


「私が前に見た服と同じ」

「じゃあ、とりあえず入ってみるか」

「うんっ」


 そう言って店に入ると、お洒落な店員が「いらっしゃいませ」と頭を下げた。

 内装も店の外見に差異がないくらいお洒落で、「服は着られればそれでいい」と思っている俺には少しハードルが高くそわそわとしてしまう。

 だがこころはそんなことを微塵も感じていない様子で、店内に飾られてある服に視線を行ったり来たりさせていた。


「どうだ、何か気になるものはあったか?」

「とりあえず、さっきショーウインドウで見た服を試着してみたいかも」

「分かった」


 見えるところにさっきの服がなかったので店員に訊ねようとすると、こころは「待って」と俺を引き止めた。


「どうした?」

「……私が、聞きに行く」


 こころの発言に、俺は目を見開く。


 彼女はあの日の事故から自分を塞ぎ込み、他人と関わるようなことは一切しなかった。

 だから俺が彼女の代わりに試着のことを聞きに行こうとしたのだが……まさか彼女が、自分から他人に関わりに行こうとするとは思わなかった。


 もしかしたら、変わりたいのかもしれない。


 彼女だっていつまでも心の扉を閉めているのは駄目だと分かっているだろう。

 だから彼女は今、勇気を振り絞ってその一歩を踏み出そうとしている。

 なら俺は、その一歩を傍で見守るだけだった。


 緊張に顔を強張らせているこころの手をぎゅっと握って、彼女が少しでも安心できるように笑って見せる。


「分かった。じゃあ、俺はこころの隣にいるよ」

「……ありがとう」


 緊張が少し和らいだのか俺に微笑んだこころは、ゆっくりと店員に近づいていった。


「……あのっ」

「はい、なんですか?」


 店員の声に体をビクッと震わせるも、こころは少しだけ視線を落として深く息をつく。


 ……頑張れ。


 やがて決意をするように店員を見ると、ゆっくりと言葉を紡いでいった。


「シ、ショーウインドウに飾られてる、レースのブラウスを試着したいんですけど……出来ますか?」

「はい、出来ますよ。今持ってきますので、試着室の前でお待ち下さい」


 こころの問いかけに店員は笑顔で対応すると、店の奥へと消えていった。

 二人きりになったところで、こころが一言。


「……やった」

「よくやったな」

「私、ちゃんと店員さんに話しかけられたよ」

「あぁ、しっかり見てた」


 歓喜するこころはまるで幼い子供のようにあどけなく笑う。

 その笑顔が嬉しくて、俺まで笑顔になってしまう。


 ――こころのお父さん、お母さん、見てますか?

 こころはちゃんと、貴方がたの死を乗り越えていますよ。


 俺に笑いかけるこころを見ながら、俺はこころの両親に心の中で語りかけるのだった。

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