37話 初心な二人

「…………」

「…………」


 現在こころと一緒に下校している最中だが、やはりこころは俺に話しかけてこない。

 何か言おうと口を開いてやめている辺り、俺と話したくないわけではなさそうだ。

 さしずめ俺と同じく、いざ言葉を交わすとなると緊張するのだろう。


 俺も午前中まで、こころと会話することに緊張を覚えていた。

 だがそれはこころを恋人だと意識していたからだ。


 勿論こころが俺の恋人なのは事実だが、それでも中身は付き合う前のこころと同じ。

 いつも通り話しかければ、きっと大丈夫。

 俺はこころに気づかれない程度に鼻から深く息を吸って吐くと、隣にいるこころに話しかけた。


「なぁ、こころ」

「ななっ、なんだ?」


 ビクッと体を震わせて動転しながら返してくるこころに、俺は思わず吹き出してしまった。


「お前、緊張しすぎ」

「そ、それは留衣も同じだろう? 今まで話しかけて来なかったってことは」

「確かにそうだな。今だってすごく緊張してる」


 でも、午前中ほどではない。

 こころの反応に笑える余裕も出てきたし、こうしてこころと会話することで更に緊張が和らいだ。


「ほら、やっぱり留衣も同じなんだ」

「でも、いつまでもこのままな訳にはいかないだろ? せっかく付き合えたのに何も話せないのは嫌だからさ」

「それは、そうだけど……」


 焦れったそうに眉をひそめるも、こころはなかなか次の言葉を口にしそうにない。

 どうやら彼女はまだ緊張しているようだ。


 なら、俺がリードするしかない。

 俺はしゅんとしているこころの手をゆっくりと掴んだ。

 瞬間、またこころの体がビクッと跳ねる。


「これで少しか安心できないか?」

「ん……」


 こころの表情は依然として強張っている。

 だが時間が経つにつれ徐々に柔らかくなっていき、俺の手もゆっくりと握られていった。


「少し、緊張が溶けてきた気がする」

「ならよかった」


 こころの温もりが、手を通じて伝わってくる。

 昔いつも繋いでいたその手が妙に愛おしいのは、こころが俺の恋人になってくれたからだろう。


 いや、それだけじゃない。

 こころの声も仕草も、何もかもが全て愛おしく感じる。

 俺とこころの間柄に一つ名前が増えただけなのに、幸せな気持ちが限りなく胸の中に広がっている。


 本当に、幸せだった。


「……好きだよ」

「なっ、なんだいきなり」

「いや、言いたくなっただけ」

「し、心臓に悪いからやめてくれ……」

「なら言わない方がいいか?」

「そ、それは…………いじわる」


 言いながら、こころは自分の肩を俺の腕にぶつけてくる。


「言ってほしいに決まってるだろ。……好き、なんだから」

「こころ……」


 ぼそりとつぶやかれたその言葉にこころを抱き締めたくなってしまうが、ぐっとそれを抑える。

 いくらなんでも、人が行き交う中で抱き締めるわけにはいかない。


 だから俺は自分の家につくと、こころにある提案をすることにした。


「今日、バイトは?」

「いつもの時間に入ってるけど……」

「なら、それまで俺の部屋にいないか?」

「……いいの?」


 俺を見上げるこころの瞳はとろんとしていて、俺はその瞳から視線を動かすことができなかった。


「まだ、一緒にいたい」

「……私も」



         ◆



 部屋の扉を開くと、俺はそのままベッドに腰をかける。


 ……なんか、このまましそうな雰囲気だな。

 別にするつもりはないのに。


「とりあえず、こっちに来い」

「うん」


 俺が自分の隣をポンポンと叩けば、そこにこころが腰を下ろす。


「そういえば、もうすぐこころの誕生日だよな。何か欲しいものとかないのか」

「今のところは。それに、欲しかったものはもう手に入ったし」

「そ、それって……」


 俺がこころの欲しかったであろうものを言おうとすると、こころが俺の腕をぎゅっと抱いてきた。


「い、言うな! 分かってるならわざわざ言う必要ないだろう!」

「ごめんごめん」


 笑いながら、俺はこのやり取りに少し安心を覚える。

 ようやく普段の雰囲気が戻ってきた。


「まったく……私が照れるのを分かってて言おうとするんだから尚更たちが悪いよな」

「悪かったって。――じゃあこころにも選んでもらうか、俺の時みたいに」

「私は別にいい」

「駄目だ。お前に買わせたんだから、俺にも何か買わせろ」

「うっ……」


 ただでさえ金銭面に悩みを抱え続けているこころだ。

 日頃の感謝も兼ねて、何か生活が楽になるようなものをプレゼントしたい。


 もう言い逃れする気は失せたのか、こころは諦めたように息をついた。


「分かったよ。じゃあ――」

「じゃあ?」


 予想していなかった言葉に疑問符を浮かべた瞬間。


「――――」


 唇に、柔らかい感触。

 目の前には、目を瞑ったこころの姿。


 ……今、何が起こっている?

 こころは今、何をしている?

 それを理解する前に、こころは俺から離れた。


「……今」


 こころは俺に、キスをした……?


「ねぇ、留衣」


 戸惑っていると、こころは熱に浮かされたような顔で俺の名前を呼んだ。

 荒く息をつき、頬を紅潮させている彼女の姿を見ている中で、下腹部が熱くなっているのを感じる。


「まだ、してもいい?」

「そんなの……」


 全て言葉を言い切る時間すら、俺は我慢できなかった。


 彼女の顔に手を添えると、俺は物欲しそうにしている彼女の唇を奪った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る