第42話 moon phase 25

山尾からリナリアを紹介されてから、ちょくちょく一人でお茶を飲み行くようになってから数年。


甥っ子大晴たいせいと同じクラスの那千なちの母親がアルバイトで時々顔を出していることを知ってから、通う回数が若干増えた。


山尾の幼馴染でもある早苗は、恵にも気さくに話しかけてくれるので助かっている。


「こんにちはー」


カウベルを鳴らしてリナリアのドアを潜れば、カウンターの奥から振り返ったのはマスターではなくて早苗だった。


「あ、いらっしゃーい!めぐちゃん!」


那千なちくんママ!こんにちはー!今日は出勤日なんですね」


「そうなの。ここってシフトないからさー。来れる時に来てるって感じ。ちょうど一人で退屈してたのよ。座って座ってー。ブレンドでいい?」


「お願いします。マスター今日は?」


「今、接骨院。この間二階のベッド入れ替えたんだけど、その時に痛めちゃったみたいで。うちらでするから見学してろって言ったんだけど、大丈夫って言って参加したら案の定このざまよ。もう年だから大人しくしててってお願いしてるんだけどさぁ」


山尾たちと仲の良かった幼馴染が子供の頃に亡くなって一人になったマスターのことを、早苗たちが家族同然に大切にしていることは知っていた。


今でも夕方遅めにお店に行けば、早苗の父親が仕事帰りに顔を出しているのをよく見かける。


本当に家族ぐるみの付き合いらしい。


「心配ですねぇ」


「いつまでも元気で居て貰わなきゃ困るってのに・・・ほら、来週運動会あるし」


「たしかに!那千くんすっごく楽しみにしてますもんね」


大晴も大概ごんたでずっと走り回っているのだが、その上を行くのが那千で、当然かけっこはクラスで一番早かった。


去年の運動会も、那千は早苗の父親の大声の声援を受けながらゴールテープを華麗に切ったのだ。


真っ直ぐ走れない子の方が多いのに、ちゃんと先生の待つゴールに向かえただけでも素晴らしいし、その上一度も止まることなくゴールしたのは那千を含めた数人だけだった。


「そうなの。だから戻って来たら上で休んでもらうつもり。はーい。お待たせー晴ブレンド」


「ありがとうございます。頂きます」


「山尾っち元気?」


「え?ああーたぶん、元気じゃないですかね?先々週かな、レセプト終わった後で飲みに行きましたよ。っていうか、私より那千くんママのほうが会ってるんじゃないんですか?しょっちゅうご飯差し入れして貰ってるって先輩から聞いてますけど」


「差し入れはしてるんだけど、基本的に診療時間に勝手に家上がって冷蔵庫に放り込むか玄関に置いて帰るからさー・・・ふーん。差し入れしてることは聞いてるんだ」


都会では考えられないようなご近所づきあいが成立してしまうのが田舎の凄いところだ。


同じ敷地に医院と自宅がある山尾は、自宅玄関の鍵をかけないことのほうが多い。


しょっちゅう誰かがやって来るからだ。


雨が降りそうな日、一緒に飲みに行く約束をして家に迎えに行った際に、鍵空いてるから病院閉めるまで家で待っててと言われたことがあって驚いたが、もう慣れた。


いまではこの町はそういうもんだと納得している。


「聞いてるっていうか、飲んでるときにちょっと聞いたくらいですけどね。山尾先輩ってあんまり自分のこと喋らないし・・・・・・まあ、守秘義務あるから、余計だと思いますけど」


「そうなのよ。山尾っちて、ほんと何考えてるのか分かんないの!いっつもニコニコして、大丈夫だよーってお医者さんの顔しちゃうから、安心する時もあるんだけど、肩の力抜ける時あるのかなぁって心配でさー・・・うちらも話聞きたいけど、夜は子供居てなかなか出れないし」


「那千くんママの前でもそうなんですか?もっと饒舌なのかと思ってた」


「あたしと華南がしゃべりすぎってのもあるのかもしれないけど、基本聞き役なのよねぇ・・・でも、めぐちゃん相手だと色々喋りそうだなって思って」


「・・・・・・そんなに喋らないですけどね。うちのお姉ちゃんがいると玲子独壇場になっちゃうし」


「あはは!玲子先生最強だからな!!」


ちなみに去年の保育園の運動会で一番目立っていた父兄は早苗の父親と、玲子だった。


「まあでも、山尾っちがここにめぐちゃん連れて来たってことは、それだけ居心地いいってことだからさぁ・・・」


どうかよろしくね、と笑顔を向ける早苗に頷き返す。


高校時代から今日まで、ほとんど人と深く関わることなく過ごして来た恵の他人との距離感は遠い。


なんとなくそこが、山尾にとっては心地よかったのではないだろうかと勝手に思っている。


早朝の生徒会室でたまに顔を合わせる山尾は、穏やかな表情をしていたけれど、決して気安くはなかった。


「で、めぐちゃん的には、山尾っち、どうなの?」


「那千くんママ、うちのお姉ちゃんみたいなこと言いますね?」


「え、玲子先生にも言われたの?」


「結構前ですけどね。どうもなにも、いい先輩ですよ。大晴もしょっちゅうお世話になってるし、若先生なしにこの町で子供育てられませんよね」


「あ、それだけなんだ?」


「・・・・・・・・・山尾先輩って・・・高校時代からずーっとよくできた人なんですよね。うちのお姉ちゃんもおんなじで、自分が設定した目標にぶれずに真っ直ぐ突き進んで、夢を叶えて周りの人も幸せにしちゃう。なんか、完璧すぎて私が生きてる世界とは別次元を生きてる人っぽいというか・・・」


だから、彼が失恋でぺしゃんこになった時には驚いたけれど、安堵もしたものだ。


彼も普通の人間で、ちゃんと人の子だったのだと。


あの時一瞬だけ見せてくれた山尾の弱い部分は、次に会った時にはもう見えなくなっていて、山尾はいつもの先輩に戻っていた。


それが少しだけ寂しいなと思った。


けれど、当然のことながら恵はそれ以上彼に踏み込むつもりもなかったし、彼もそれを望んでいなかった。


たまに顔を合わせたら一緒に和来屋わらいやに行ってお酒を酌み交わす距離がちょうどよいのだ。


出会ったすべての人間が、唯一無二になるわけではない。


ほどほどの距離でほどほどの関係を続けたって良いじゃないか。


だって恵は脇役未満なのだから、輝かしい彼の人生を側で見守れればそれで充分なのだ。


「そうかなぁ?山尾っち、意外と普通だけどね。そりゃあお医者さんとしては間違いなく頼りになるけど・・・・・・ああそっか、山尾っち、めぐちゃんの前ではイイカッコしたいのかぁ・・・」


「それはないと思います。だって知り合った時から今日までずーっとおんなじ態度ですもん」


「・・・・・・ふーん、そうなんだ。あ、でもね、めぐちゃん。山尾っちがうちら幼馴染以外で、女の子のこと名前で呼ぶのって、めぐちゃんだけなんだよ」


「お姉ちゃんと同じ苗字だから、高校の先輩たちはみんなそう呼ぶんですよ」


そこに潜む他意はないはずだ、はっきりと言い切れる。


けれど、早苗はニヤニヤ人の悪い笑みを浮かべたまま、言い返した。


「たぶんだけどね、それだけじゃあないんだよ」

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