第48話 早花月その1
その報告を受けた時、最初に覚えた感情は、安堵。
そして、次に次に襲って来たのは、罪悪感。
自分の嫉妬深さが心底嫌になって、思わず溜息が零れた。
「え、そんなショックだった?折原が異動になるの」
荷物を置いてリビングに戻って来た朝長が、げんなりを肩を落としている愛果を見つけて意外そうな顔になった。
さして関わりの無かった自分の部下の異動に、妻がそこまで心を痛める理由が分からないのだろう。
「・・・・・・違うの、自己嫌悪・・・ああああもう、私ほんっとに性格悪い・・・」
「俺は性悪女とは結婚しないよ」
眉を下げて笑った朝長が、腕を伸ばして抱き寄せてくる。
ここで甘えてしまうのも違う気がしたけれど、もう慣れてしまった夫の腕を拒むなんて絶対に出来ない。
いつものように、屈んで胸元に顔を埋めた朝長が、息を吐いた後もそのまま居座っている。
部屋着の薄いTシャツ越しに彼の吐息が肌を擽ると、すぐに落ち着かない気持ちになった。
最近は、こうして容易くスイッチを入れられてしまうから困るのだ。
そのうち鼻先が胸のふくらみを探り始めて、見つけた凝りを甘噛みされたら途端何も考えられなくなってしまう。
中途半端な姿勢のまま動かない朝長のくせっ毛をそっと撫でたら、笑い声が聞こえて来た。
「そこで・・・笑わないで」
「なんで」
「・・・なんでも・・・」
「別に気持ち良くなっていいのに」
Tシャツの襟元を引っ張って胸の谷間にキスを落とした朝長が、ちらっと上目遣いにこちらを見上げて来た。
誘いにのってなるものかと必死に踏ん張る。
「・・・・・・お、折原さんの異動って・・・前から決まってたの?」
そういう雰囲気になる前に話題を変えようと、疑問を口にすれば。
「いや、めちゃくちゃ急に決まった。しかも役員命令」
「え、なんかすごいね・・・」
朝長が勤める西園寺グループは、不動産業を主軸に、最近では医療関係の事業に力を注いでいる。
地方都市の企業である西園寺グループが、全国的に名前を知られることになったきっかけは、ここ数年で世界的に知られることになったオメガに対する
西園寺グループでは、グループ間異動というものが存在しており、定期的に系列会社間で人事交流が行われているのだ。
今回、決算を直前にして朝長の部下である女性事務員の折原が、グループ内では一番新しい西園寺メディカルセンターに急遽異動することが決定したらしい。
西園寺メディカルセンターのセンター長直々のご指名なんだとか。
「メディカルセンターで、産休予定だった事務員が体調崩してそのまま早期産休に入るらしいんだ。んで、代わりに使える人員をすぐにグループの母体であるうちから出さなきゃいけなくなって、選ばれたのが優秀な折原・・・参ったよ」
「支店の決算は大丈夫なの?」
この時期からの異動で、一番苦労するのはもちろん動かされることになる折原自身だろうが、残されたメンバーで彼女の穴を埋めて決算を終えるのはかなり大変そうだ。
「んー・・・まあ、下も育ってきてるし、本社から人を入れてもらうからどうにかなるとは思うけど・・・しばらくはバタつくな」
「それで、折原さんはなんて?」
「緒巳さんと面談して、色々と納得はしたらしい・・・まあ、納得してなくても行ってもらうしかないんだけどな・・・」
「・・・そっか」
「メディカルセンターにさ、立ち上げスタッフで入ってる女子社員がいるんだけど、折原が入社当時面倒見て貰ってた先輩で、かなり懐いてたんだよな・・・その人もめちゃくちゃ仕事できる人で、俺も昔はかなり頼らせて貰ってたから、あっちに赤松さんがいるっていうのは大きいと思う・・・・・・・・・」
「でも、蘇芳、だいぶ折原さんのこと買ってたよね」
「当分結婚するつもりはないみだいだったから、このまま実績積んでもらって、俺が本部異動するときに向こうに連れて行きたかったんだよなぁ・・・・・・」
まさかそんな長期的なことまで考えていたとは。
しょっちゅう名前が出て来る支店のメンバーにはかなり思い入れがあるとは思っていたが、折原を自分の右腕として育てるつもりだったことまでは知らなかった。
そんな風に思って貰える折原が、やっぱり羨ましい。
まさかここでメディカルセンターに獲られるとは、と悔しそうに朝長が零した。
すでに来週から新しい事務員が着任予定で、引継ぎが終わり次第折原はメディカルセンターに向かう事になるらしい。
話に聞いているだけでもかなりのハードスケジュールである。
部下を纏める朝長としても、色々と気苦労が絶えない決算となりそうだ。
「・・・春までしんどいね」
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