第17話 花咲月その1
「朝長さーん、今日って西山くんと同行じゃなかったですっけー?」
事務員の
彼女が部下の名前を呼ぶときは大抵なにかのミスであることが多い。
愛嬌のある西山は、爽やかな今風のイケメンで、入社当時から朝長の直属の部下でもある。
事務仕事を一通り叩き込んだのはベテラン事務員の折原で、彼女と二人三脚で西山を育てて来たので、ある意味父親と母親のようなものである。
人懐こい西山がとくに折原に懐いているのは、先輩として慕っているだけではないのだが、折原にはさっぱり相手にされていない。
そんなところも含めて可愛い部下なのだが、取引先からの評判はすこぶる良いのだが、詰めが甘いところだけが西山の欠点だ。
それすらも、すみませんー!と晴れやかな笑顔ひとつで帳消しにしてしまうのだが。
入社当時から折原に懐いている西山がどこまで本気なのか定かではないが、二人の歳の差を考えればまあ相手にされないだろうが地道に頑張れというのが、上司としてのアドバイスで、同じ男としては、異性に対してそういう気持ちを抱けることが羨ましくもあった。
こちとら恋愛どころか恋愛感情すら忘れかけているのだ。
「いや、あいつ今日は梶メンテに一人で挨拶行かせてる」
「あ、そうだった!まあ、あそこは顔なじみだし一人でも安心ですもんね。息子が手を離れてきて寂しいですか?」
「それを言うなら、折原のほうだろ、ここ最近経費精算突き返されてないよな?」
「と思ったら、日付の入力ミスが」
「まじか・・・急ぎならこっちに上げてくれたら、訂正してから承認するけど?」
「んー・・・最近ちょっと油断してたところあるんで、もう一回出し直させてから上げます」
「分かった。悪いけど、フォロー頼むな」
「了解しました。あのー・・・・・・ところで朝長さん」
愛想よく頷いた折原が、改まった口調でこちらを見て来た。
「ん?まだなんかある?」
「ちょーっと本社の同期から小耳に挟んだんですけど・・・・・・」
ちらっと長し目を向けられて、あーはいはいその件ねと頷いた。
「あー・・・・・・もう回ってるんだ。それな、ガチだから。俺結婚するんだ」
本社の営業本部を仕切っている長谷本部長の一人娘との縁談がまとまったことは、すでに本社では噂になっているらしい。
挙式の日取りが決まってから支店には報告するつもりだったが、こういう噂はやっぱり回るのも早い。
あっさり噂を肯定した朝長に、折原が頭を抱えた。
「まじかー!とうとう西園寺不動産の七不思議が六不思議になるのかー!!」
「なんだそれ、そんなもんあるの?っつか俺を入れるなよ・・・・・・」
長年この会社に勤めているが七不思議なんてものがあったこと自体初耳である。
そしてそこに自分が加わっている事も。
「だってーみんな不思議がってたんですよー。朝長さん、格好良くて仕事も出来て同僚たちからも好かれてて非の打ち所がないいい男なのに、なんでいまだ独り身なんだろうって。私、独身主義かと思ってました」
入社してすぐに運よく二件連続で契約がまとまり、その顧客の紹介でさらに別の顧客を掴まえる事ができて、軽快な社会人デビューを果たした朝長の営業マン人生はその後も右肩上がりを続けてきた。
年齢とともに売り上げも着実に増えていき、上司からの信頼と期待と部下からの羨望を両肩に背負って、ブレないように必死に邁進してきたつもりだ。
幸運と伝手だけでやっていけるほど不動産営業は甘くない。
大口契約になればなるほど、顧客との繋がりは重要さを増していき、内輪の飲み会やちょっとしたパーティーへもこまめに顔を出して、着実に売り上げを伸ばしていった。
がむしゃらに働いていた20代の頃は結婚願望がほとんど無くて、デートの最中だろうとホテルに入った後だろうと、ちょっと頼みがあるんだけどと顧客から連絡を受ければ二つ返事で駆けつけていたので、当然恋愛は長続きせず、それでも別に構わなかった。
30が見えてきた頃に、自分の中でそういう欲が消えている事に気づいて、昔は目で追っていた扇情的な女性を見ても身体が反応しなくなった時にはさすがに凹んだ。
ちょうど上司から引継いだ面倒な案件に取り掛かったばかりで、部下の人数も増えてキャパシティーオーバー気味だってこともあって、ストレスから来る一過性の身体の変化だろうと一先ず目の前の仕事をこなすことに集中して、自分のことは後回しにした。
そのうち仕事が落ち着いて来て、やっと自分と向き合える時間が出来た後も、相変わらず何の反応も示さない身体を確かめて、この際プライベートの幸せは諦めようと開き直った。
やりがいのある仕事があって、好きなことが出来る環境と財力もある、それで十分じゃないか。
このまま業績を伸ばして行けば確実に出世コースに乗って行けるし、最年少での部長昇格も夢ではない。
そう思っていた矢先、本部長からお見合い話を持ち掛けられたのだ。
「俺も、この前までは本気でそのつもりだったよ」
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