第15話 初花月
あの頃の同級生で、
高校入学前の説明会の時点で何人もの生徒に声を掛けられた。
その誰もが口を揃えてアイドルグループの〇〇ちゃんにめっちゃ似てるね!と羨ましそうにこちらを見つめて来た。
オーディション番組から一年前デビューしたばかりのアイドルグループは、音楽番組以外にも、CMにバラエティー番組に引っ張りだこで、その中の一人の面立ちが、愛果によく似ていることは中学時代から噂されていた。
成長期の食欲は凄まじく、けれど取り込んだ栄養素は全て身長に回されたようで、中学時代からひょろりとした体型そのまま高校生になった愛果は、当時人気の細身のモデル体型そのものだった。
部活のない日はいつも誰かから誘われて何人かでグループデートするのが常。
入学と同時にすぐにクラスの中心的存在になって、常に周りは賑やかだった。
席が近かったせいもあって、最初に話しかけた相手が
サッカー部の彼は朝練で早く学校に来ていることが多く、昇降口に向かう前にグラウンドを覗きに行くようになった頃には、もう好きになっていた。
朝長は中学時代から見た目とその飾らない性格のおかげで人気があったらしい。
快活で明るい朝長の側にいるといつだって笑顔で居られた。
あんなに苦手だった早起きさえ苦痛ではなくなったし、いつもは友達に任せきりのヘアメイクを、自分でも練習してみようと思えたのは間違いなく彼のため。
少しでも朝長に与える印象を良くしたくて必死だった。
好きだと告白こそしなかったけれど、彼も少なからず好意を寄せてくれていることは分かっていたし、たわいのないメッセージのやり取りや、部活のない休日に他のクラスメイトたちと一緒に出掛けられるだけでも十分楽しかった。
二年生になるとクラスは離れたけれど、お互いクラス委員に推薦されるのは相変わらずで、もう当たり前のように朝長と愛果はセットだった。
周りも、二人が付き合っていないだけでほぼ両思いだと認識していたようで、誰にも邪魔されることなく友達以上恋人未満の関係は続いていた。
お互いの進学先が偶然同じ大学だと分かったときには、大学生になったら彼に告白しようと心に決めていた。
今の成績じゃギリギリだよと苦い顔をする教師に、必死に勉強しますと答えたのは、朝長とどうしても同じ大学に通いたかったから。
思えばあれが一番幸せな時間だった。
キャンパスライフを始めた年の夏に、最初の異変は起きた。
超がつくほど小顔だった頬が丸みを帯びて来て、全体的にふっくらしたなと思った時には去年着ていた洋服が軒並み着られなくなっていた。
焦って人生初のダイエットを開始するも思うように体重は落ちてくれずに、肌荒ればかりを繰り返してしまう。
恋愛どころではなくなった愛果は、だんだん内気になって行き、食欲が落ちると同時にふっくらからは脱却したものの、誰もが憧れるスレンダーボディを取り戻すことは出来なかった。
それに引き換え朝長は、大学入学と同時にさらに人気が増して行き、フットサルサークルの練習を見るために女子大生たちがグラウンドに集まるようになった。
まるで高校時代の愛果のように。
必死のダイエットも虚しくなんとか標準体型を維持するのがやっとの状態が続いて、これまでの体型がわかるタイトな洋服はすべて処分して、体型カバー出来るワンピースやロングスカートばかりを選ぶようになった。
両親は昔のガリガリの頃の愛果よりも今の愛果のほうがずっと健康的で可愛いと褒めてくれたけれど、心が満たされるわけもない。
けれど、愛果の容姿が変わっても、彼の態度は少しも変わる事が無かった。
同じ講義の後はランチに誘ったり、フットサルサークルを見に来るように声をかけてくれる。
愛果が俯けば俯くほどこちらを気にかける彼の優しさは、胸が痛いほどだった。
それは喜ぶべきところだったはずなのに、容姿以外を褒められて来なかった愛果の自信は、朝長と一緒に居ればいる程すり減って行った。
少しずつ彼と距離を置くようになって、そして、結局告白できないまま大学を卒業し、二人の道は分かたれた。
愛果は、地方の食料品会社に就職し地元を出て一人暮らしを始めた。
そのままキャリアを重ねて、二度と地元には戻らないつもりにしていたのだ。
計画が狂ったのは、入社7年目のことだった。
異動先の部署の激務について行けず、体調を崩してしまったのだ。
休職扱いで戻った地元で、久しぶりに顔を合わせた母親が愛果のやつれ具合に仰天してそのまま退職して実家に舞い戻ることになった。
両親から過剰過ぎるほどの愛情を注がれて育った愛果は自宅療養という名のニート生活に突入し、半年ほどで標準体型を取り戻した。
このまま自宅で過ごせばいいと引き留めてくれる両親に甘えて、小遣い稼ぎに地元の医院でパート勤務を初めて、現在の愛果をそのまま受け止めて優しく接してくれる山尾に恋をした。
朝長に胸をときめかせた時とは違う、穏やかで静かな恋だった。
ここでは誰も愛果の行動や発言に注目したりしない。
ほとんどの同級生は地元を出ており、長谷愛果を知っている人間は誰もいない。
息の仕方をもう一度思い出すような毎日のなかで、唯一の癒しは山尾と交わすたわいない日常の雑談だった。
同じ高校の先輩と後輩だったことが分かり、一瞬昔の自分を覚えているのでは身構えたが、山尾は愛果のことを全く覚えていなかった。
その事もあって、余計に恋心は募って行った。
このままほのかな片思いを続けていれば、いつかは今度こそ素敵な結末に辿り着けるかもしれない、そんな期待を抱き始めたある日、彼女はやって来た。
熱を出した甥っ子を抱いて受付終了間際の山尾医院に飛び込んできた彼女が差し出した診察券に書かれている名前を見た瞬間、胃の奥がひんやりと凍った。
涼川恵は、高校一年と二年のクラスメイトだった。
愛果の全盛期を確実に知っている女性である。
息子と思われる男の子をあやしながら、つっかえつっかえ病状を受付で話す恵が、何かに気づいたかのように愛果の顔をじっと見て、あ、と声を上げた。
息が止まるかと思った。
『息子さん・・・?』
同級生の大半は既に結婚して子供を育てている。
恐らく彼女もそうなのだろうと踏んで、尋ねれば、首を横に振った彼女が照れたように甥っ子、と答えた。
あの頃とは遥かに面立ちが変わった愛果とは正反対に、恵は何もかもがそのままだった。
童顔だった愛果とは違い、当時から大人びた顔つきだった恵は、クラスの女子生徒たちと一緒にメイク練習に勤しむことも、街に繰り出してはしゃぐことも無かった。
地味で控えめな雰囲気の彼女は、決して目立つことは無かったけれど、任された仕事はきちんとこなす真面目な生徒で、愛果たちがクラスではしゃいでいるのをどこか遠巻きに眺めている女子高生だった。
冷めているのかと思いきや、話しかければ驚いたような反応を返すもののちゃんと応えてくれて、でもすぐに自分のテリトリーに戻って、それ以上目立とうとはしない恵との接点はほとんどなかったけれど、高校時代とほとんど変わらない彼女を前にすると、否が応でも昔の自分の記憶が甦ってくる。
明るくていつでもクラスの中心にいた長谷愛果が。
恵の声が聞こえたのか、待合室に飛び出して来た山尾は、すぐに大晴を抱き上げて、それから恵の頭を小さい子にするように優しく撫でた。
彼女の姉は母親と一緒に外出中で、留守と子守りを任された恵は急に発熱してぐったりした甥っ子を抱えて不安に押しつぶされそうになりながらここまでやって来たのだ。
「大丈夫、大丈夫。恵、偉かったね」
そう言って彼女の背中を撫でて診察室へと促す彼の柔らかな横顔を見た瞬間に、自分の恋心は一生届かないのだと悟った。
それでも、朝長に恋をして以来十数年ぶりに胸をときめかせた出会いを、そう簡単に忘れられるはずもない。
一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど、想いは勝手に募って行ったし、優しくされればそれが上司から部下への気遣いであっても勝手に期待は膨れ上がる。
やさぐれた気持ちで向かったお見合いは、その場限りで終わるはずだったのに、朝長は、あろうことか愛果と結婚したいと返事をしてきた。
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