第9話 りんご(ベルヴルム視点)

「全く、この王太子にしてあの国王ありだな…」

さて、と言って手をかざす。

それだけで磁石の様に魔族達が一箇所に集まる。

すぅっと思い切り息を吸うと

「おい!てめぇら!!さっさと地獄に帰りやがれ!魔王に言いつけるぞ!!」

人間には、ヒイイイイイという高い音にしか聞こえない声だ。

俺が誰なのか分かって、やばいという顔をすると亀裂の開いた地に戻る者もいれば、歯向かって来る者もいた。


だが、そんな奴らも力づくで一匹残らず地の底に捩じ込んでやった。


ミネルヴァの長い長い詠唱が終わる。

地獄の蓋はぴったりと閉じた。


(なんで、人間なんぞのために俺がここまでしなきゃならないんだ…)


ふらふらと下降する。

力なく、どさりと落ちた。



「ベル!!しっかりして!ベル!」

「おー…大丈夫だ。俺は死んでるから、これ以上死なない」

ミネルヴァは、涙を溜めた目で俺を見て、胸に頭を乗せた。

「…冗談、きついです」

ふと芳しい香りが漂う。

欲しくなる衝動を抑え込んで、彼女の頭を撫でた。

「よく頑張ったな、上出来だ」





国王陛下と王太子殿下に呼ばれ、激戦でボロボロの身体を引きずって応接間のソファにどっかりと座った。


見ると、大きなお腹のモーネは、ふわふわと踊る様に動き回っている。

気まぐれに、剥いている途中で放置された林檎の匂いを嗅いで、また踊り出す。


「二人とも、大変にご苦労であった」

「お褒めに預かり光栄でーす」

左手を微かに上げる。

もはや畏まる気力もない。

ミネルヴァに、パシッと膝を叩かれた。


(別にいいだろ。現世の王にヘコヘコする理由もねぇんだし)


「それでな、話があるのだが…どうだろうか、モーネに明け渡した命、もう一度ミネルヴァ嬢に譲渡できないものかな…」

「はい…?」

「ダイアナ亡き今、頼れるサデリン公爵家の令嬢はミネルヴァ嬢だけだ」


あまりのことに、ずり、とソファから腰が落ちる。

モーネは、自分の命のやり取りすらも気づかずに水を舐め出した。


「…ミネルヴァに寿命を返すと言うことは、地獄の蓋がまた開くことと同義だぞ」

俺はもう敬語を使うことすら放棄した。

国王陛下は手をモミモミ揉んでいる。

「だから、また二人で閉じればいいじゃろう?のう、スノーファントムもそう思うな?」


先ほど失禁までした王太子は、こくこくと頷く。

すっかり綺麗な服に着替えている。

「今回の件で痛感しました。私にはミネルヴァしかいないのだと」


モーネはくあっと伸びを一つして、濡れた口元を舐めとった。


皆の視線がモーネに集中する。

その時。

「お断りしますわ。私はベルヴルム様を妻として支えます」

「何だって!?」

「…国の一大事に、王族のこの体たらく。もうこの国の民ではないから何とでも言いますわ。貴方達は国民が逃げ惑っている時に何をなさっていたのでしょうか?」


王太子はごくりと生唾を飲み込んだ。

「王族こそ最高峰の魔力を持つはず。なぜに戦うことをせず、されるがまま、指を咥えていたのでしょう。王太子殿下に至っては、被害を目の当たりにするまで、深刻な状況を知らなかった様ですが」


ミネルヴァの言葉に、俺はにやりと笑って言った。

「当たり前だろ、ミネルヴァ。こいつら、その辺の平民よりも魔力がないぞ。笑ってしまうなあ、こんな魔力も統治力もない税で肥えるだけの奴らが王族なんて」


ぐう、と国王は喉を鳴らした。

「戯言を…」

「俺はな、匂いでわかるんだよ。魔力があるかないかなんて。なあ、ミネルヴァ」

目線で肯定される。

それだけで彼らには十分だったようだ。


「くっ…!」

「言っておきますが、私たちは既に命なき者。殺すと言う脅しはききません」

ミネルヴァは毅然として言った。

国王陛下と王太子殿下は目を見合わせて萎れた。




「では、我々はこれにて失礼する」

白い光に包まれ、腕を組んで歩みを進めた。

完全に消える前、ミネルヴァの腕を王太子が掴んだ。

「離してください」

「いてくれ、頼むから、行かないでくれ」

「やめて、よして下さい」

その手を振り解こうと必死に腕を振るっていた。

俺も焦って振り返ったが、身体が半分光に沈んでいるので、力が入らない。


(現世に留まったところで時が経てば強制的に戻ってくるが…)


「ミネルヴァ、どうか…私が悪かったから…」


そこへ、まるで重力を感じさせない様な軽やかな歩みでモーネがやってきた。



突然、何も聞こえなくなった。

静まり返る部屋の中で、うねるピンクの髪が空気の中を泳ぐ。

モーネはゆっくりと王太子に抱きついた。


「きゃああああ!!!」

ミネルヴァの悲鳴が静寂を壊す。

「スノーファントム!!!誰か!誰か来てくれ!!!早く!!」


王太子殿下は、ぱくぱくと口を動かした後、重力に任せるまま横たわった。

首筋から脈を打つごとに血が溢れ出す。



モーネは、こちらを向くと、ぴくぴくと顔を動かして表情を作ろうとした。

『ミネルヴァ、が、しあ、わ、せ、に、にに、に、なれる、よう、に』

にっこりと笑って、自らの首筋にもナイフを突き立てた。



「お姉さまあああ!!!」




蝶の死骸の横に、りんごがひとつ、転がっていた。

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