第16話 ほんまもん

「やめぇ!

 けだもんはお前じゃ」

「ふざけんな、このあま。

 優しくしてやりゃ、調子にのりゃぁがって」


 ばたばたとやえは腕を動かす。足で蹴り上げる。こんな男の思い通りになるものか。

 男は閉口したのか、いきなりやえの頬を叩いた。手加減の無い平手打ち。頬が一瞬熱くなり、その後はじんじんと痛む。さらに腹にも拳が飛ぶ。呼吸が出来ない。


「あ、あああ、いやじゃ……」

「阿呆、じたばたするからじゃ。

 静かにせぇ、動かんでいるんじゃ。

 人形の様に静かにしちょけば、優しうしたる」


 人形のように静かで何も出来ない娘。そんな女がこの男の好みであったのか。ならば屋敷に居た頃のやえを気に入る筈だ。あの頃のやえはまさに何も出来なかった。



「へ、へへへへ。

 そうじゃ、動かんとけ」


 男がやえの着物に手をかける。胸元を広げようとしている。うぃるに貰った着物。

 

「いやじゃ!

 うちは何も出来ない娘じゃ無い」

「まだ、抗いよるんか!」


 男はやえがぞっとする声を出していた。やえの上に馬乗りになったままごそごそと背中に手を回す。

 やえの目でははっきりと捉えられないが、おそらくは……弓矢を構えている。

 その手は弓の弦を引いていて。もし男が指を離したなら、鉄の矢がやえに向かって飛んでくるような。そんなぼんやりした光景がやえに見えていた。

 待っていてくれ。 

 そう、うぃるに言われたのに……

 もう逢えないのか。

 ごめんねぇ、うぃる。


 やえが目を閉じた瞬間であった。

 雄叫びが周囲に響き渡った。やえにも分かる、怒りに満ちた獣の雄叫び。


「な、なんじゃぁ?!」


 やえの上に居た男が焦った声を出して。次にはもうやえの上に人間はいなかった。

 狼が男をその咢で咥え去っていた。

 怒りの響きが聞こえ、なにやら争っている音が聞こえた。


 やえは恐る恐る身を起こす。と狼の姿が近付いて来る。


「無事か、やえ」


 その声は間違いなくやえが知っている響きだった。


「うぃる!

 ほんまもんのうぃるじゃね。

 無事か、訊きたいのはうちの方じゃ。

 遅いから心配したんよ」


 やえは白い毛の生えた狼に抱き着いていた。

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