第15話 朝ご飯の後

「レン、文字のお勉強してくる」

 テトがこの言葉を口にしたのは、朝ご飯を食べ終わってからのこと。


「……ん? ドラさんと話さなくていいのか? せっかくの機会なんだから、今日は勉強しなくていいぞ」

「ううん、サンドラお姉さんはまたお店に来てくれるから大丈夫」

「ふふっ、その信頼に応えるから安心してちょうだいね」

「うん。じゃあお部屋いくね」

「お、おう……」

 図太かったり、言うことを聞かなかったり、勝手に布団に忍び込んできたり。

 そんなテトだが、こうしたところは本当に真面目で調子を狂わされるレンである。


「まあ勉強するなら自分の部屋でしろよ? 前みたく俺の寝室じゃなくて」

「ん。レンのお部屋はお昼寝する時に使う」

「いや、寝るなら自分の部屋で寝ろよ。……うわ、逃げやがった」

 こう口にすれば、ペタペタとした足音を鳴らし、テトはリビングから出ていく。

 都合が悪くなるとすぐこれであり、サンドラと二人きりになる。


「レンさんのことが本当に好きなのね。テトちゃんは」

「……変に懐かれてるだけですよ?」

「大好きだからこそ、積極的に夜の営みを行おうとするんじゃないかしら」

「ッ!? ごほっごほ」

 予期せぬ正論。そして、まさかのツッコミにせてしまう。

 お風呂場でどのような会話がされていたのは明白であり、ニンマリと微笑むサンドラがいる。


「あ、あまりからかうと、今すぐに追い出しますからね」

「あら、それは大変」

 と、余裕のあるサンドラだが、もう少しこの家にいたいという気持ちがあるのか、上手に話題を変えた。


「それにしても、テトちゃんは偉いわね。自らお勉強をするなんて」

「……まあ、なんだかんだで一生懸命なヤツですからね。手間はかかりますけど、認める部分は多いですよ」

「ふふふ、優しい目になって」

「気のせいです」

 年齢の差なのか、すぐにからかわれてしまう。


「少し気になったのだけど、テトちゃんの文字のお勉強ってなにかしら? イザカヤのメニューは読めていたような気がするのだけど」

「あー、それはなんて言うか、メニューしか、、読めないんですよ。それもまだ完全ではなくて、暗記の部分があるって言うか」

「そ、そうだったの? 堂々と接客してくれたから気づかなかったわ」

 白魚のような手を口元に当てて驚くサンドラ。


「堂々とできているのは、お客さんに支えられている部分が多いですよ。そこら辺のことを気遣ってくれて、指差し注文をしないようにしてくれたり」

「なるほど。よいお店にはよいお客さんが集まるって言うものね」

「あはは、そう言ってもらえると嬉しいです」

 経営している店、またその客を褒めてもらえるのは一番嬉しいことでもある。

 この明るい空気の中で、レンは声色を変えずに話題を振る。


「自分も一つドラさんに質問をいいです?」

「ええ、なんでも」

「自分とテトの関係性について、なにも聞かないんですか? 正直、これを聞かれなかったのはドラさんが初めてで」

 人族と狐人族が二人三脚で働いているだけでも、さらには同棲しているだけでも珍しい関係だ。

『どこで出会ったのか』

『どのようにして関わったのか』

 等々聞かれることが多いが、サンドラだけはそれを一切聞いてこないのだ。


「理由は単純ね。聞かれたくないことだと思ったから」

「あっ、はは……。わかっていたからこそでしたか。確かにテトはいわく付きです。理由は親からの借金を押し付けられてしまったと言いますか」

「それは……本当に辛いわね」

『曰く付き』というのは考えの一つにあったこと。

 サンドラがその考えに確信を覚えたのは、お風呂場で『死ぬ思いをした』とのテトの発言。

 そして先ほど『文字が読めない』ことを知った時である。


「ねえレンさん。真面目なお話、お金が必要なら私が支援するわよ。今回の恩はそれだけのものを感じているし、安心して暮らしてほしいの。幸い、私は冒険者を続けてもう長いから、懐には余裕があるわ」

「いえいえ、お言葉だけ受け取っておきます。テトはもう安全に外に出られますから」

「えっ!?」

 今日一番驚いた声である。


「レ、レンさんはまだお若いでしょう? 大金を用意するのはなかなか難しいと思うのだけど」

「あはは、もちろん貯金は空っぽですよ。装飾品を売ったり、レシピを売ったりしてなんとか全額返せたっていうか」

「まあ……」

『他種族のためにそこまで……』なんて敬意の眼差しを向けられる。

 美人な相手からのその視線は、なんともこそばゆいもの。


「恥ずかしい話、自分にメリットがあってのことですよ。一人で仕事をこなすのも大変に感じていたので、お手伝いさんを探していたところで」

「ふふっ、一般的な雇い方をすれば、貯金を全部はたいたり、知識を売る必要はなかったんじゃないかしら」

「……」

「こんなに優しい殿方を見たのは本当に久しぶりだわ」

「…………」

 照れ隠しをしたつもりが、墓穴を掘ってしまう。

 笑顔を浮かべているだろうサンドラに顔を合わせられない。


「……テトちゃんがあなたのことを好きになる理由、私もわかったわ」

「後先考えていないだけですよ」

「そんな店主さんも魅力的だから、私がたくさんお金を落としにいくわね」

「はは、ありがとうございます」

 なにを言っても上手に言い返されてしまう。レンにとって敵わないお客さんだった。


「ちなみに、ドラさんはこれからどうされる予定ですか? 自分らは14時から店の仕込みを始めないとで」

「私はもうすぐお仕事に出て、夜頃にイザカヤへ向かわせてもらうわ」

「わかりました。あの、もしよければ……昨日のように閉店後も残ります?」

「えっ?」

「その方がドラさんにとって都合がいいんじゃないかなと」

「ふふ。わがままを言えばそうなのだけど、本当によいのかしら?」

「はい。その代わり、テトに構ってもらう仕事を引き受けてもらいますけど」

 サンドラのことを気に入っているテトなのだ。一緒にいてくれるだけで喜んでくれるだろう。

 一生懸命頑張ってくれているご褒美であり、ネックレスのプレゼントをくれたお礼である。


「たったそれだけのことでいいの?」

「アイツに構うのは結構大変なんですよ? 『お家に泊まって』みたいなワガママ絶対言いますし」

「それはとても嬉しいお誘いね。楽しい時間を過ごすことができそうで」

「後悔しても責任は取りませんよ?」

「こちらこそ」

 レンはテトに楽しい思いをさせることができる。

 サンドラは周りを気にせずにお酒を楽しむことができて、居心地のよい過ごすことができる。

 お互いの利が一致したからこそ、まとまったお話である。


「レンさん、私あなたに出会えて本当によかったわ」

「そ、そうです?」

「もちろんよ。私とテトちゃんを“積極的に絡ませようとしている理由”を教えてくれたら、あなたのこと異性として見てしまうくらいに」

 ニヤニヤした表情からするに冗談だろう。


「口説いてます?」

「もし口説いていると言ったら、あなたは落ちてくれるのかしら?」

「……こ、この話はやめましょうか。分が悪いことに気づきました」

「ふふふっ」

 冗談に冗談を返したが、やはり口では絶対に勝てないと悟るレンだった。






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