第19話 選択
「お母さん!」
ユリは必死に悦子を追いかける。悦子もユリに気が付き
「ユリちゃん」
と、驚いた顔で答える。息を切らせて駆け寄ってきたユリを見て、悦子は不思議そうに尋ねる。
「どうしたの?そんなに慌てて?」
「お母さん、少しお時間ありますか?」
二人は事務所内の喫茶店へと向かった。
ユリは席につくとうつむいたままであった。そんなユリを見て、悦子はわざと明るく
「ここは芸能人が多いの?ユリちゃんみたいに綺麗な人が多いものね・・・」
と、笑顔で言った。ユリは真剣な表情のまま悦子に話し出す。
「お母さん・・・すいません」
「何が?」
「私のせいで・・・家族の皆さんが苦しんでしまって・・・」
悦子は純一が出した条件の件をユリが知ってしまったと察した。そのためにユリも苦しんでいる。そんな姿を見て悦子はユリに優しく答える。
「ユリちゃん・・・あなたが責任を感じることはないわ」
「でも・・・私のせいで家族が離れ離れになっています。本木さんも本当は会社に戻りたいと思いますし・・・」
「そんなことないわ、例え家族が離れ離れになっても、私はあの子の判断を尊重するわ。悪いのはお父さんなんだから」
「お母さん、私、どうしたら・・・」
涙ぐむユリを見て、悦子は優しくユリの手を握り答える。
「ユリちゃん、一哉をよろしくね。あなたなら一哉を守ってあげられると思っているから、これからもずっとお願いします」
ユリは悦子の話を聞き、涙が溢れてきた。本当の母親の優しさに触れた気がした。そして涙を堪えながら何度もうなずき
「約束します・・・必ず・・・」
と、言って、悦子の手をしっかり握り返した。
悦子は帰国すると純一の看病に忙しい毎日を送った。退院後も自宅で療養する純一の世話に苦労をしていた。本木もまだ悩んではいたが、仕事に没頭し気にしないように心がけていた。そんな本木の姿を心を痛めながら見つめるユリであった。
「本木さん・・・」
「ユリさん、ああ、次の仕事までまだ時間あるから、ゆっくりしてて・・・」
ユリは悦子との約束を思い出し、本木を元気付けたかった。
「本木さん、最近疲れてない?」
「大丈夫、元気だけが取得だから」
「あまり無理しないでね、いい、私には辛かったら言ってよ」
ユリは真剣な顔で言った。そんなユリを見て、本木は少しキョトンとして
「どうしたの・・・なにかあった?」
と、聞いた。ユリは慌てて平静を装い
「・・・ううん、なんでもない。ただ本木さんが無理してるんじゃないかと思って・・・」
と、言った。本木は笑顔になり
「大丈夫だから。それにマネージャーの心配をする女優はあまりいないと思うよ」
と、言って、ユリの手を握った。ユリも心配しつつも笑顔で返した。
二人、事務所に戻ると本木に電話が入っていた。本木が電話を取ると秘書の本宮からであった。
「専務、大変です!」
「どうしたんですか?」
「奥様が・・・倒れました」
「えっ?」
本木は悦子が看病で最近疲れていたことやその無理がたたって脳梗塞を起こしたことを聞いた。受話器を置くとマネージャーのもとに走っていった。本木の様子からただ事では無いことを察したユリも本木の後を追う。本木はマネージャーのもとに行くと、
「マネージャー、すいません、また帰国させてください」
「どうかしたんですか?」
「ええ、母親が脳梗塞で倒れ、手術することになったので・・・」
ユリは本木の言葉に青ざめた。
「・・・お母さんが・・・手術・・・」
心配そうなユリの肩を本木は優しく叩く。そしてマネージャーの方を見て
「何度もすいません」
「いいえ、こんな時こそ家族の支えが必要です。こちらは気にせず行って下さい。幸いにユリのスケジュールも余裕があるし」
と、言って、本木を送り出す。するとユリは決心して
「本木さん、私も行くわ!」
「えっ?」
「私もお母様にはお世話になっているし、私も行かせて!」
本木は一緒に行ってもらいたいのはやまやまであったが、自分が二度も帰国することでマネージャーにかなり迷惑を掛けており、素直に言えずにいた。そんな本木の様子を見て、マネージャーは
「一緒に連れて行ってあげてください。こちらは大丈夫ですから」
と、言って、ユリの背中を押す。
「マネージャー、すいません。ユリさんをお借りします」
本木はユリの手を握り部屋を出て行く。ユリはマネージャーの方を振り返り、感謝の気持ちを表情で表し、本木と一緒に日本へ向かった。
二人は日本に着くなり病院へ直行した。既に手術が始まっていることを秘書から聞き、手術室へと向かう。手術室の前では呆然と座り込む純一の姿があった。
「父さん・・・」
本木は父の姿に驚く。本木とユリに気が付いた純一はゆっくり振り返り、二人を見ると黙って部屋を出て行った。本木は我に返り、悦子の様態を医者に聞く。
「母さん・・・しっかり」
本木は思わず手術室を見つめ呟いた。その様子を見ていたユリは本木の手を握り
「どうか無事に帰ってきてください。お母さん」
と、一緒に祈るように呟いた。手術中、本木とユリはずっと手術室の前で待っていた。ユリはずっと祈る姿勢で待っていた。本木はユリの姿に気が付き
「ユリさん・・・そんなに無理しないで。母さんは大丈夫だから」
「・・・でも、私が止めたらお母さんに祈りが届かないような気がして・・・」
「大丈夫だよ。もう十分伝わっているよ」
本木はユリの手を握る。ユリは心配そうな顔で本木を見つめ
「私・・・これ以上大切な人を失いたくない・・・やっと母親に巡り合えたのに・・・本当に失いたくない・・・」
と、言って、涙を瞼に溜める。本木はユリを見つめ
「母さんは大丈夫だよ、ユリさんを置いて逝ったりしない、あの人は必ず戻ってくるから」
数時間後、手術は無事に成功し、本木たちにも安堵が訪れる。病室に戻った悦子の手をユリはずっと握って看病を続けた。そして二人ともその夜は病院で一夜を明かす。
次の日、悦子の様態は回復傾向に向かった。悦子が意識を取り戻すとユリは悦子を呼びつづけた。
「お母さん!私が誰だかわかりますか?」
「・・・」
悦子は無言でユリの方を見る。
「お母さん、私です、ユリです」
「・・・ユリちゃん・・・」
悦子は小声であるがユリの名前を呼んだ。そして出来る限りの微笑をユリに見せた。
「お母さん・・・無事でよかったです」
ユリは悦子の回復を喜び、悦子の布団で泣いていた。そんなユリの頭をそっと悦子はなでた。本木も悦子の側に来て
「母さん、本当に良かった・・・」
悦子も本木を見つめ
「ありがとう・・・ごめんね・・・」
と、呟いた。悦子の様態が回復するのを見届けた二人は一旦韓国へ戻ることにした。ユリは悦子の側を離れるのが名残惜しそうにしていたが
「ユリちゃん、もう大丈夫だから・・・仕事に戻って」
と、悦子に言われ、渋々納得し、
「お母さん、必ずまた来ますから」
と、言い残し、一旦帰国する。
帰国してから本木は自分の意思を貫いたことで母親が入院したことを気にしていた。しかし、ユリの前では本木は努めて明るく振舞っていた。わざと明るく振舞う本木の姿をユリは辛い思いで見ていた。ある日、ユリは本木を呼び出す。
「本木さん、大丈夫?」
「ああ、心配いらないよ」
ユリは意を決して本木に言う。
「本木さん、会社に戻って」
「ユリさん・・・」
「そうすればお母さんも安心するはず。だから戻って」
「ユリさん・・・それは出来ないよ」
本木は微笑みながら言った。ユリは真剣に本木の顔を見て
「何故?あんなにお父さんもお母さんも苦しんでるのに・・・なぜ助けてあげないの?」
と、わざと理由を尋ねた。本木は黙ったまま首をふる。何も言わない本木に対してユリはついに
「私のために戻らないのなら、戻って欲しい・・・お願い」
と、本木に言った。
「ユリさん・・・なぜそのことを・・・」
ユリが本木の戻らない理由を知っていたことに本木は驚き、言った。
「そんなことは重要じゃないでしょ。今、重要なのはあなたが会社に戻ってお父さんを助けてあげることじゃない?」
本木はユリから顔をそらし
「僕が会社に戻れば、どういうことになるかわかっているの?」
と、ユリに聞く。ユリも黙ったままうなずく。すると本木はユリの正面に立ち、肩を両手で抑えて
「ユリさん・・・僕と別れても平気だと言うの?」
ユリは本木から目をそらし答えた。
「私はお母さんを本当の母親だと思っている・・・自分の母親のように心配しているわ。だから、本木さんも家族を優先させて、ご両親を助けてあげて」
本木はユリの肩を揺さぶり、自分の目を見せ
「ユリさん・・・僕の質問の答えになっていない・・・君は僕と別れても平気なのかと聞いているんだ」
するとユリは本木の目をまっすぐに見つめ返し、涙を流しながら答える。
「そんなわけ無いじゃない・・・あなたと一緒にいたいわ。だけど、私のせいであなたが自分の家族を助けられないなんて・・・。あなたと一緒にいたいけど、そのことがあなたや家族を苦しめていることが私にとってどれだけ辛いことかわからない?・・・私だって辛いわ・・・どうしてわかってくれないの!」
と、言って、泣き崩れる・
「ユリさん・・・」
本木は我に返って、今まで自分の気持ちだけ考えていたことを反省した。そして泣きじゃくるユリを優しく抱きしめ
「ごめんよ・・・君の気持ちをわかってなくて・・・」
と、言って、ユリが泣き止むまでずっと抱きしめていた。ユリが少し落ち着きを取り戻すと本木は
「わかった。僕は会社に戻るよ。そして父さんの濡れ衣を晴らしてみせる」
「本木さん・・・」
「でも君とは絶対別れない!約束するよ。必ず戻ってくるから待ってて!」
本木はユリを見つめ笑顔で言った。ユリも泣き笑い顔を見せ大きくうなずいた。
本木は次の日、マネージャーに退職することを伝え、日本へ帰国する。
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