飛んで陽に入る

 毎日寒くてたまらない。陽だまりを見つけては夏の虫の如く、飛んで陽に入る私である。


 連日、壁に向かって球を投げるかのように、どこへ向かっているのか方向性も成果も判らなかった私の創作活動に、先日、一筋の光がさしたように思う。


 コバルト文庫の第222回 短編小説新人賞の「もう一歩の作品」に選んでいただけたのだ。


 もちろん、落選には変わりないのだけれども、何せ「もう一歩」だ。自分の努力が全くの見当違いだった訳では無いとわかったのだから、前向きな敗北というか、散りがいもあると言うものだ――なんてかっこつけて書いているのだけれど、正直かなり喜んでいる。

 今までとらわれていた「無能な私」の自己像が更新されたのだ。

 

「もう一歩の私」像に。


 ……いまいち、言葉的に嬉しい肩書ではないのだけれど、この一歩は私にとって大きな一歩だ。

 改めて選出作品を読み返し、自身の積み上げたものと欠点と、両面から見つめることが出来たと思う。今後の創作に生かせるかはまだわからないが、焦らない事にした。


 私は第一に家庭を支えないといけない。それを放り出す自分の事は好きになれそうにないから、微力ながらも障害児育児に邁進するしかないし、家業の手伝いもしなければ。その代わりに、今すぐ結果を出さないと誰かから詰められるわけではないし、創作活動を切り上げなくてはならない訳では無い。

 私はあくまで母であり、家族の一員なのだ。そんな自分の立場だって、当たり前に用意されたものではない。壊そうとすれば砂の城の如く、簡単に崩れ去ってしまう。そうはしたくない。


 私は私のペースで、光へ向かう。未来を歩む。

 夏の虫のように滑稽かもしれないけれど、それでも良い。

 自分なりの軌跡で前に進んでゆきたいと思えるようになった。


 目下は公募用の作品の仕上げと、あらすじの仕上げに集中したい。

 隙間を見てweb小説も更新したいのだけれど、随分長く放置してしまったから勇気が要るなぁ。


 そんな活動報告で、今回の駄文は終わりにしようと思う。ねむい。

 下記は、カクヨムの近況ボードに上げた『最期の最後に贈るうた』を書くにあたって参考にしたモデルの画家の話である。もったいないので貼る事にした。よかったら暇つぶしにどうぞ。


***


『最期の最後に贈るうた』に出てくる「母」に関しては、フランスの「モーリス・ユトリロ」という人と、作者の身近な人物を混ぜて作りあげました。


 ユトリロは幼少期にアルコール依存症になってしまい、どうしようもなく社会からドロップアウトしてしまうのですが、依存症治療の一環として絵を描いていた所、当時の画壇にその才能を見出されました。

 その後、彼は結婚するのですが、奥さんはモーリスの才能の威を借りて自身の絵画作品も有名にさせようとします。それが失敗すると今度は、モーリスを絵画製造機のように扱い、自身は奔放に生きていた……という説があります。


 モーリスは晩年まで、女性に対して激しい憎しみを抱いたままでした。

 

 現代日本に置き換えた時、やはり「母」の生き方は悲劇を強調しすぎのように思えるかも知れません。しかし、まるでフィクションのような絶望の中を生きるしかない人間も居るのだと、私はこの場を借りて言語化しておきたいと思います。


 いつの日か、そういった人たちにも焦点を当てられるような文章を書いてみたいと思っています。私もまだまだ修行が足りませんね!

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