認知行動療法カスタマイズ

 朝日が眩しい。今日は雀の鳴き声がよく聞こえるなぁと思いながら目を細め、自転車を漕ぐ。澄んだ空気で肺を満たすと、心中の澱みが浄化されてゆくような気がする。


 今日は精神科の診察の日。カウンセリングの予約もいれていたので、聞きたかった事をあらかじめノートにまとめておいた。


 一つは、いつか書いた「認知行動療法」のワークについて。

(公表源のメンタルクリニック様を批判するつもりはなく、あくまで私の治療に相応しいようカスタマイズしたくて話題に出した)


 ワークを書く事で思考はまとまるが、偏った考えそのものを矯正するには至らないし(もとより、そんな短時間で効果が出るものではないが)どうしても「適応思考」(自然に浮かんだ「自動思考」ではなく、こういう風に考えられたらいいなと思える、新しい思考)を書くのが難しいのだ。


 書けない訳ではないのだけれど、実感を伴わないというか。字面だけ上滑りして心がついて行っていないのがよくわかる。

 まだ、「解決プラン」を書く方がスムーズだ。


 しかし、いくら「解決プラン」が判っていても、心は晴れないし偏った思考も変わっていない。

 それは何故か、何か他にも実践した方が良いワークはあるのかを知りたかった。


 カウンセラーの先生が仰ったのは以下のことだった。


 まず、「書きたくない時は書かなくて良い」事。当たり前と言われるかも知れないが、自分を痛めつけてまで書かなくても良いという事だった。


 「ネガティブな思考にとらわれた時は、それを深掘りしない事」大抵のネガティブな想像の事実は確認のしようが無いし、妄想と言って良い程果てしない思考になり、意味が無いから。


 「後から読み返す時は、本を読むように客観的に捉えること」私は日記を読みかえすと言うことをあまりしないので、なんだか気恥ずかしい取り組みだなと思った。


 「私の場合は、理性や知識で感情を抑圧してコントロールする傾向にあるので、もっと『悲しむ』こと」(『』内は抑圧した感情が当てはまる)


 「おそらく、自身の抑圧した感情を他者に投影して、「自責」という感情が表れているはずなので、自分がどんな感情を抑圧したのか、本当は何を感じていたのかという感情に着目すること」

 


これは本当に、何を抑圧したのかわからないケースが多く、前途多難な課題のように思える。


 幼い事の私は、悲しい事があるとそれを抑圧して自分をコントロールした。まだ小さかった私はそうする事でしか、自分を保てなかったからだ。

 しかし、大人になった今、当時のリアルな感情を取り戻したとて、自身は崩壊しない。傷ついた心を手に持っても大丈夫なのだから、無かったことにはしない。


 という事を言われた。


 感じた事をそのまま見つめるのは、まだ怖い。家事も仕事も、育児も何も手につかなくなりそうで。

 だからここ数日、自身の親子関係を見つめて心の中に浮かんできたもやもやを、専門書を読むことで俯瞰し、折り合いをつけようとしていた。


 私はずっと、そういう風に自分のさみしさを、コントロールしてきた。

 誰にも頼れず、誰にも打ち明けられなかったから。


 カウンセラーにも、そうやって考えた事を言語化して説明すると、褒められた物だ。なかなか自身の問題を、そこまで目に見えた形にする人はいないと。


 けれどそれはもしかしたら、私の本心を抑圧する習慣なのかも知れない。私は本当なら、もっと泣いて喚いて、自身が生んだ感情を切り離してはいけないのかもしれない。


 もしかしたら、本当は本を読むことが必要なのではなくて。


「父から切り捨てられて悲しかった」

「それでも父が私にしたことは赦せない」

「父は自分勝手で、母を大切にすることなく、自分自身しか愛していないのが辛かった。憎かった。」

「そんな父でも、私は好きだったし愛して欲しかった」

「私が犠牲にならなくては、家庭の平和が守られないのがしんどかった」

「息子を大切に扱ってくれない父が、憎い。悲しい」

「祖母や母から受け継いだアクセサリーすら、横取りしようとする父の浅ましさを心底軽蔑している。そのくせ金遣いが荒く、将来の事を考えずその場しのぎで生きる姿勢も嫌悪している」


 この字面が意味するシニフィエを、心に取り戻す事が必要なのかも知れない。


 そう、今この文章を書いていても、私の感情には何も迫る物が無い。ただひたすらに、凪いでいる。これは、普通の事ではないのだろうか。

 そして最後に。いつもよぎる私の懸念を、先生に聞いてもらった


 私さえ我慢していれば、今でも実家は平和だったかも知れない。親子関係は一見良好だったかも知れない。

 疎遠になった今だからこそ、どうしてもおもってしまう事がある。

 「私は我慢すべきだったのではないか」と。


 「これ以上自分を犠牲にする必要はない」というのが、先生からの回答だった。

 大きな支えになりそうな、大切な言葉をしっかと抱きしめた。なんとなく、心の中で萎んでいた風船に空気が入れられたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る