第13話 書く事で見つけた、癒えない傷跡

 空気が澄んでいると、深呼吸するたびに肺が浄化されるような気がして好きだ。降り注ぐ陽光に目を細めながら、自転車をこいだ。


 『母が統合失調症と言われた日の話』を投稿して、なんだか抜け殻のようになってしまった。その前の『悪意なき虐待』と続けて、二本、“心の核”に迫るエピソードを言語化したせいだろうか。少し、疲れた。

 去年作った編み物作品がハンドメイドアプリで売れた事をきっかけに、たまには執筆を休むことにした。

 私の自己肯定感を取り戻すための低い目標設定は「毎日書く事」にしよう。「毎日投稿すること」となると、書きっぱなしの日記になってしまいそうだ。


 この駄文は、日記を書く回と、過去の出来事や私の感じたことを書く回とを、規則を設けずバラバラに書いている。

 過去から順番に、起こった出来事をなぞる方が判りやすいとわかってはいても、あまりにたくさんの出来事が起こりすぎて、まだ、傷跡が生々しい箇所がある。かさぶたとは程遠いそれをいじくると、下手したら傷口が開く予感がする。

 血濡れた精神状態で育児や仕事をするわけにはいかないため、海女さんよろしく、記憶の底に潜って採ってきたものの中から、客観的に言語化できるものをエピソードとして選んでいるつもりだ。


 『エッセイ』というより『ちょっと文量の多いブログ』のようなものだと思っていただくのがちょうどよいのかも知れない。


 心理士さんがおっしゃるには、文章を通じて「この時こう思っていたな」と、自分の気持ちを表現できたなら良いとの事だった。 同時に、「私は今、好きな事をしている」と考えるのも良いことなのだとか。


 まだ私の中には、「評価されなければ書いてはいけない」という呪いがある。

 自分を癒やすために文字を綴ろうと、この駄文シリーズをはじめたのに、早速本末転倒な事を考えてしまった。

 その呪いに抵抗すべく、今日は思うがままキーボードを叩いてみようと思う。――単純に、過去の出来事を掘り起こす元気が無いだけというのも有るのだけれど。


 ある方に、私はもう少し自分の感じている事を言葉にした方が良いと言われた。

 本来だったら、誰かとしゃべることでそれを行えば良いのだろうけれど、今の私には難しい。


 夫は深夜まで激務だし、私も夫ほど時間的に拘束されているわけではないが、働いている。育児はワンオペだし、息子を話し相手にして親の不安を押しつけるわけにはいかない。


 ――それはかつての私がされてきた事だが、子供を”家族”という共同体を運用するための円滑油として、過度に重圧をかけない方が良いというのが私の考えだ。

 「子はかすがい」とは言うし、それはある意味事実ではあるけれど、かすがいだって負担が大きすぎれば壊れてしまう。


 幼いころから私は、母からは父の悪口を。父からは母の悪口を聞いて育った。精神的に幼かった私は、両親それぞれが言っていた事をそのまま本人たちに伝えてしまい、

「そういう事は聞いても黙っておく物だ」

 と、激しく叱られた覚えがある。


 幼稚園児に配偶者の愚痴を聞かせるなんてもってのほかだし、その年齢のこどもが”秘密の話”をバラしてしまうなんてよく有ることのように思うのだが、如何だろうか。


 両親はしきりに、

「娘の事は”こども”として扱わず、人として、一人の大人として接してきた」 

と自慢していた。


 私は、我が子から「こどもらしく生きる」機会を奪うというのは、残酷な事だと思う。

 天真爛漫な子供時代があり、無償の愛を全身で受け止めてこそ、安全基地が生まれ、対人関係の楚となるからだ。


 「こどもらしく生き」られず、無償の愛を貰い損ねてしまったら。

こどもは、「家庭の役に立たなければ愛されない」という、条件付きの愛しか受け取れないかも知れない。

そうすると、いつまでも「役に立たない自分は見捨てられるのではないか」という不安におびえながら生きることになってしまう。

 すると、人に甘えられなかったり、逆に子供時代の満たされなかった思いをすべて開放して、依存的になってしまったりと、人と適度な信頼関係が築き上げられなくなると言われている。


 しかしながら、こどもだって百人いればその背景だって百通りだ。背負う物も環境だって違う。

 親から愛を貰い損ねたって、周囲の大人や仲間たちと接する事で安全基地を築き上げることだってあるだろう。

 そう、私が、築き上げられなかっただけである。

 今この家庭は、安全基地と言っていいと思っている。それでも私は、強烈な「見捨てられ不安」から逃れられていない。

 まるで自分の影から逃れようとしているこどもだ。普段は全く気にしていないのに、一度気になり始めると、決して逃れられないそれを切り離そうと躍起になる。


 そんな自分が胸の奥に隠した思いを、少しずつ言語化して、潜在意識を照らし出したいと思っている。そうやって思考の整理と断捨離をすることで、何かが変わればいい――そう思ったそばから、凄まじい恐怖が襲ってきた。


 何故、「このままじゃいけない」と思う癖に、いざ「変わろう」とすると、心の中で反発が起きるのか考える。すると、目頭が熱くなった。


 今まで、自分を変えようと努力したそれが、悉く失敗している事を思い出したからだ。

 私の人生は、失敗の展覧会だ。

 もう二度と傷つきたくないし、傷つく位なら変わりたくないと泣き叫ぶ自分を、見つけた気がした。


 次回のカウンセリングはまだ予約を取っていないけれど、癒えていない傷について話してみるのもいいかもしれない。

 そういえば、私にもっと自分の気持ちを話した方が良いと言ってくださった方は、こうも仰っていた。


「あなたはあなたのままでいいんだよ」 と。


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