2-1-2.敬避と敬語

📖この節では、次の項目について説明する。

  【じつめいけいぞく

   🖈だれかを指す呼び方の例

   🖈人称についての補足

   🖈敬称と

  【けい

   🖈敬語の原則

   🖈尊敬表現の例

   🖈けんじょう語とていねい語は敬語ではなくってよ



      †



📕【じつめいけいぞく

 〈を直接呼びつけることを敬遠する風俗〉の意。


 人名は固有名ゆえ、だれかを直接特定する「」に相当する。

 そしてそれについて古来、〝ひととくていされるときつう〟との思想が存在し、これにより「直接で呼ぶのは無礼」とする風俗が誕生した。

 〝気心の知れない相手から、いきなり密に接されるといやな感じがする〟という警戒本能から来ていると思われ、そのため人種を限定せずに世界各地でみられる。


 なお「けい」は〈敬意によって触れるべきでないものを避けること〉の意であり、「けいえん」とは意味が似通うものの、よりポジティブな意味合いを持つ。

 またについて、〈敬避すべき名〉として「いみな)」とも別称され、こちらも〔忌〕というネガティブな語を含むにもかかわらず、ポジティブな意味合いを持つ。


   📍だれかを指す呼び方の例


 このため人に対しても、敬避のためにを遣う習慣がなお現存していて、次のようなものがに当たる。


  • いちにんしょう:自身を呼ぶ

   ◦び:われ)、あれ)、など

   ◦び:まえなた、など

   ◦そんじょうび:ちん麿まろわがはい、など

   ◦けんじょうび:わたくしぶん、など

   ◦び:おれやつがれやつがれぼく)、わらわわらわ)、それがしせっしゃ、など


  • 姿すがた⛏:対象の有様でとりあえず呼び分ける

   ◦び:なれなんじ)、など

   ◦び:なたいつ、など

   ◦そんけいび:そんだいおんまえまえぬしたく殿でんさま、など

   ◦めいび:あやさとなるどう、など

   ◦かたび:ちょうしゅじんせんせい、など

   ◦とくちょうび:さんわかまえんではいけないあのひと、など

   ◦もじび:タッちゃん、など


  • ゆかり⛏:直接その人物に関連付ける

   ◦middleミドル nameネーム:血縁者や信奉者などにあやかる名

   ◦あざ代わりとして成人の際に付けられる名

   ◦おくりな:故人をしのぶ名

   ◦こんめい便べんのために付けておく正式でないゆかり

    ‣ あだあだな):親しみや冗談を込めて呼ぶ姿すがた

    ‣ あだあだなとは別物):じょくや敵意を込めて呼ぶ姿すがた

    ‣ ふた:称賛やけいを込めて呼ぶ姿すがた

    ‣ ようみょうをまだ授かれない年齢の者に付ける仮の

    ‣ あざあざをまだ授かれない年齢の者に付ける仮のあざ

    ‣ めいや特定可能なゆかりを明かしたくない場合にでっちあげるめい


 なお〔渾〕の字義は〈にごす〉〈く〉、〔諢〕の字義は〈おどける〉である。

 それにかかわらず、無区別に表記している例が多々みられるのには、正直ニヤニヤを隠せない(陰険


   📍人称についての補足


 貴人のいちにんしょうは、時代によっては「わたくし」もあり得るが、基本的には尊上呼びに限定される。

 つまり、貴人が自分を「ぼく」だの「おれ」だの「わらわ」だの言っちゃうのにはおかしさしか無く、貴人であるはずの人物がへりくだってしまってはあなどられもするので、貴人のみなさまは注意されたい(


 「おれ」は、現在では〝オレサマ〟な人がごうまんな呼称と受け取られるが、本来は女性奴隷の「」と同等の、男性奴隷を指す呼称である。


 誤解されがちだが「せい」は〈血族の名〉であり、また〈家屋のよびな〉こと「ごう」が姓に代理して機能する土地柄も有るが、いずれも人を特定するではない。

 なお{姓}との字形から察せるが、かつての漢字圏では女系血統が、血族単位としてとらえられていた。


 「あざ」は{あざな}とも書かれるが、そもそも〔字〕とは〈いえの子〉の事であるので、この字に〔名〕の意まで集約して読ませるのは適切でないように思われる。

 「あざ」は、〈合わせて混ぜる〉の意の〔あざう〕が語源。

 「あざ」のつく地名があり、これは〈あざわれた集落〉つまり〈がっぺい地〉を示すもので、本来「あざ」と書かれるべきだったが……面倒だから簡単な表記選んだんだろーね(


   📍敬称と


 〝くん〟〝殿どの〟〝さま〟などの、「けいしょう」というものも存在する。

 これらはかたなくを呼ばざるを得ない場合に、少しでもから形を変えることで、敬避を成立させようとするものである。

 つまり、固有名詞であるはずのものを代名詞化するものであり、これもまた「だいめいじょ」と呼べるだろう。

 敬称の登場によりあざすたれたもので、つまり「あざの存在する風俗圏で敬称呼びが存在するのは(あり得なくはないが)奇異」という事になる。

 ちなみに現在の中国では、あざはいされているが敬称も存在しないので、「姓名フルネーム」で呼ぶことでそれに代えているようだ。

 かつ、最初からそれを想定して、フルネームで発音されたとき美しく聴こえるような名が選ばれている模様。


 ほか「て」、つまりをあえてそのまま呼びつけることで、〝重要な話をしている〟との注意喚起を示す話法も多用されるもの。

 かつ、呼びの間柄は〝大切な会話を普段から交わすような親しい仲だ〟という事もまた示す。


 中二病かんじゃによくみられる、本名を隠して「ふた」をる習性()も、実はこういった由来が有るものではある。

 が、ふたとは〝(称賛やけいを込めるゆえに)しゅうかっめる〟から多少アレ()でも許される性質のものなので、自分からアレ()しにいくのは正直どうかと思われる。

 わかるか? かつての自分よ(



      †



📕【けい

 〈相手に最大限の敬意を示す風習的構文〉の意。

 [そんけい]と書いて同義。


 なお「風習」と「風俗」はともに〈風潮〉のような意味合いであるが、前者は強制力のある習わしである一方、後者は感覚的に自然発生するタイプのものを特に指す。

 つまり敬語とは習わしなのであって感覚由来のものではなく、したがってその存在意義にはしばしば疑問がしめされる。

 とはいえ、文化としては希少ゆえに貴重だとも言え、また感覚由来ではないため一度てっぱいしてしまうと、二度と発生しない可能性も否めない。

 これといって有害であるわけでもないので、てっぱいを訴えようとする場合にはそのあたりについても慎重に、議論されたい。

 また、既存の一般語を特殊な順序で並べるだけのものであるため、厳密には「構文」である。


   📍敬語の原則


 実名敬避俗について、日本ではどうやら


  • 〝敬避のてっていこそが表敬〟


だと理解されたようだ。

 もともと敬うとは神を相手取ることであり、神とはアンタッチャブルなものだからだろう。

 そのために、


  • 尊敬たいしょうに帰属するしょうをことごとくえんきょく表現する


という風習も登場し、これがすなわち敬語である。

 迷ったときにはこの原則をおもい出すことが、適切な尊敬表現の一助になるだろう。


   📍尊敬表現の例


 貴人についてはだけでなく、その一挙手一投足についても敬避のたいしょうになると考えられたため、「かぶせ⛏」とも呼べるような手法がしばしば適用される。

 これは例えば〝ぎょ〟〝かんがえ→かんがえ〟のように、{ギョ}{}を当該語に前置きすることで帰属解除を果たし、敬避を成立させようとするものである。

 ここでの〔御〕は〈神による制御〉を意味し、たとえば「御加護」は〈神による加護〉を本来意味する。

 神による制御は〈運命〉や〈大自然〉ともとらえうるので、これにより貴人への帰属を大自然への帰属にすり替えてえんきょくが果たせる、と考えられたのではないかと想像する。


 けるとたいしょうを直接指さなくなるという機能上、〔御〕は「だいめいふく⛏」と呼ぶのがとうかもしれない。

 そうやって代名詞化するゆえに、元が用言であっても用言的活用はできなくなり、かつ用言の名詞的表現である連用形が取られる。

 なお読みとしては、{}は方言、{おみおん}はすべて音便であるので、語感に沿って不自然でないものを選べばよく、どれで発音しても意味は変わらない。


 かぶせ以外の尊敬表現としては、〝あられる〟〝おっしゃる〟〝なれます〟〝まします〟などもある。

 これらは一見して帰属的な動詞のようだが、厳密な組成は{る}{おおる}{す}{す}だ。

 この〔得〕は可能性という抽象物へ、〔在〕は大自然へと帰属するものだから、相手への帰属解除を十分果たすえんきょく表現だと言える。

 なお「す」は〈存在する〉の意の古来の動詞であり、「参らす」を起源とするていねい表現の「〜ます」とは別語。

 それら以外の表現としても、たいしょうへの帰属をとにかく全解除できれば表敬とせるはずなので、それを満たすならどんな表現でも敬語たりうると考えられる。


 すでに敬避が成立している語には、かぶせの必要性は無い。

 何にでも{}をけるという冗談もあるが、相手へ帰属しないしょうに対しての敬避は、相手の立ち位置を相対的に下げてしまうので、不適切だ。

 これが、わゆる「じゅうけい」が失敬とされる理由でもある。

 ただし例外的に、当該語が相手への奉仕にあたる場合は、その相手への帰属という事になるので、〝お作りする〟〝お待ちする〟のように尊敬表現をとる必要がある。

 この表現は「けんじょう」とも呼ばれるが、やっている事は敬語となんら違いが無く、区別する意義に正直当たらない。


 つい最近、〝ご利用できます〟という言い方は敬語として成り立たない、という話題がにわかに持ち上がっていた。

 しかし〝敬語の原則は敬避〟という観点で見れば、「できます」がまだ相手に帰属しているという点を見つけて、これを修正することができるだろう。

 あと〝ごろうじろ〟って言い回し、これかぶせしてるのにだし、一体どういう表現なのかちょっとよくわからないんで最初の下手人さん説明お願いできる?(

 そして最初じゃない下手人さん違和感ないの?


   📍ていねい語は敬語ではなくってよ


 「ていねい」が、敬語として同列に語られることがおおうございますわね。

 しかしながらこちらは、物腰を柔らかくすることで、「折衝能率の向上」をはかるくだでございますわ。

 つまりは私欲を根源とするものでございまして、特段の敬意を必ずしもともなうわけではございませんの。

 したがって、敬語とはすことができませんのよ。

 あるいは〝表面上は尊敬表現に当たらなくとも、敬意が込められていれば良いのだ〟というご意見によるのでしたら、そもそも敬語など要りませんでしょう。

 要は「やる」のか「やらない」のかを、はっきり示すことが肝心なのでございますわ。

 あいまいで済ますなど、けっして敬意とは呼べませんことよ。


 もし〝ここで語らているのは敬語ではなく「そんけい」についてだろう〟とおっしゃるのでしたら、「〔敬〕の字の意味をおわかりになっていらっしゃいます?」とお返しするしかございませんわ。

 はて尊敬語、もうける意味のない用語でございますわね。


 なおていねい語については、節『2-2-2.言語』にてお話し致しますわ。

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