語の単位

 この節では、次の項目について説明する。

  • 【けいたい

  • 【たん

  • 【じゅく

  • 【ぶんせつ

  • 【せい

  • 【ぶん

  • 【ふくぶん

  • 【ぶんしょう

  • 【しょうだい

  • 【しゅぶん



      †



けいたい

 〈語における意味の量子〉の意。

 〝「通る」「た」〟〝「雷」「雨」〟〝「proプロ」「logueローグ」〟などがこれ。


 それ以上分解すると、意味が消失するもの。

 ただし漢字については、一字一字がそのまま[けいたい]に該当する。


 なお「りょう」は〈何かを構成するものでそれ以上分解できない最小単位〉の意。

 一般的な世界とは様相が異なる、〈微細な世界における物理法則を追求する学問〉を「りょうりきがく」と呼ぶが、人類はまだおそらく物質の量子には辿たどりついていない。



      †



たん

 〈一つ以上の形態素で構成されひとまとまりに機能する語〉の意。

 〝通た〟〝通り雨〟〝雨〟〝雷雨〟〝prologueプロローグ〟などがこれ。


 なお〝通りた〟で正式であり、これを発音の便べんのため〝通った〟のようにおんいん変化させる事を「おん便びん」と呼ぶ。



      †



じゅく

 〈二文字以上の漢字のみで構成された単語〉の意。

 〝雷雨〟などがこれ。


 もともと漢語から直接輸入された単語で、一字一字がそのまま形態素に該当するはずの漢字を、複数組み合わせて新たな形態素と成ったものを指した。

 のだが、「やまとことば」に漢字が当てられたものや、和製漢語などもいっしょくたに[じゅく]と呼ばれてしまっているため、現在の実務上でこれを「単語」と区別する利点は特に無い、と思われる。



      †



ぶんせつ

 〈単一または複数の形態素で構成される言及の量子〉の意。

 〝ねこ〟〝通る〟〝ねこが通る〟〝ねこが通っていて〟〝ねこが通っていて反復横跳び〟などがこれ。


 これ以上分解すると、発言として不自然になるもの。

 場合によっては修飾をともないながら、体言的な語と用言的な語が対で含まれる形のものであり、そのどちらかが無い場合には、省略されたそれが存在していると仮定して解釈される。

 文節はそのまま一つの文になるほか、ある文中での主語にも述語にも修飾語にもなり得る。


 なお例の最後のものについては、たとえば〝1+1=3〟のように「解釈した結果の示す状況が奇怪おかしい」と思われるだけで、発言の手続きが不自然なわけではない。

 あとぼくはこの状況をそれほど奇怪おかしいとは思わない(真顔

 よくある事だよね(同意の強要



      †



せい

 〈単語同様に機能する定型的な文節〉の意。

 〝でいのように眠る〟〝鶏が先か卵が先か〟などがこれ。

 [かんよう]と書いて同義。


 事柄やくつに由来するものであるため、〝そちらを参照せよ〟と言わんばかりの上から目線な省略がされていたり、あるいは自分に都合の良いように、意味をじ曲げて言われる場合がウンザリするほど多々あるので、ゆめゆめ細心の注意を払って扱わなければならない本当に。

 〝おきゃくさまかみさまです〟〝しょしんわすれるべからず〟などの格言や、〝やまいから〟〝たびはじて〟などのことわざを含むが、この四例ともが原意を無視した、独善的な意味で用いられるから気を付けろ。



      †



ぶん

 〈一つ以上の文節で構成され一つのじょじゅつとして機能する発言のまとまり〉の意。

 〝台風が来るのでコロッケを買いに行こうと思います〟〝転生したらスラムだった件〟などがこれ。


 この例のうち、〝台風が来るので〟〝コロッケを買いに行こうと思います〟がそれぞれ文節こと「げんきゅう」に相当し、前者を「台風についての言及」、後者を「買い物についての言及」などのようにそれぞれ呼ぶ。


 文面にしるす場合には、一般に{句点}で終止し、もしくは感情の強調のために{感嘆符}や{疑問符}でそれに代理するが、この代理をする場合には直後に改行する場合をのぞき、{ スペース文字}を続けて置くのが、見やすさのための作法とされる。


  台風が来るので! コロッケを買いに行こうと思います‼


 また、調子の確保のために途中を{読点}で区切ったり、間や情景を強調したりするために{――線リーダ}や{……三点リーダ}などの「いんどうleaderリーダ)」をそうにゅうするが、引導符リーダは二文字一組で用いるのが、見やすさのための作法とされる。


  転生したら、……スラムだった件。


 ほか、会話文を明示するために{「」鈎括弧}でくくったりするが、会話文を終了する{閉じ鈎括弧}の直前では一般に、特別な効果をねらう場合をのぞき{句点}は省略するのが、見やすさのための作法とされる。


  「台風が来るので、コロッケを買いに行こうと思います」


 あるいは、歌唱文である事を示すために{庵点}を前置きしたりするが、その歌唱文中では一般に{句点}{読点}は打たず{ スペース文字}で代理するのが、見やすさのための作法とされる。


  〽転生したらァ〜 スラムだった件〜


 かつての日本には疑問符が存在しなかったが、これは推定や確認の意で末尾にす「」「」「」などの語が、疑問符の機能を兼ねたものと思われる。



      †



ふくぶん

 〈複数の文になるはずのものをつなげて単文に見せ掛けた文〉の意。

 〝複文についてはこの説明自体にも該当する事で、脈絡が有るゆえについ続けて書いてしまいがちだが、難読化するという点は結局変わらないので、やはり多用は避けたほうが良い。〟などがこれ。


 この例を複数の文に分解すれば、次のようになるだろう。


  • 複文については、この説明自体にも該当する事だ。

  • 脈絡が有るゆえに、つい続けて書いてしまいがちである。

  • しかし難読化するという点は、結局変わらない。

  • よって、やはり多用は避けたほうが良い。


 この場合、訴えたい主張は〝複文は避けたほうがよい〟なので、それがそのまま主語述語になるかたちの単一文とするのは理にかなっている、と言える。

 それにより「じょじゅつを圧縮できる」という利点が有る一方、ふつうに脳の一時記憶領域を消費しまくるせいで「難読化する」という大きな欠点も有るので、さじ加減のセンスが光るところ。


 なお〈つなげられた単文同士が対等の関係にある複文〉を、特に「じゅうぶん」と呼ぶ。

 ただし特別にそう呼んでみたところで、どんな恩恵が有るのかはさっぱりわからないというか、提唱者のプライド()を保つ以外の効果は皆無だと思われるので、こんな区別はべつにおぼえてなくも「複文は複文」でいい気がする。



      †



ぶんしょう

 〈一つ以上の文で構成された一つの主張〉の意。

 単に[しょう]と書いて同義。


 なお〈整理のため章内に入れた文章の区切り〉を「しょうせつ」略して「せつ」と呼ぶ。

 ただ、「せつ」は〈ふし〉と〈ふしふしの間の中身〉の二種類の意味を持つものの、飽くまで一つの章で一つの主張であるため、つまりこれは「しょうふし」であり前者に当たる。

 よってせつは、機能としては{読点}同様であり、語の部類には属さない。


 また、複数の章を集約して「」、複数の部を集約して「へん」などと呼んだりはする。

 しかし、そのようにまとめられるのは一概に、連続または関連する同様の主張ではあるが、要するに複数の文章が並んでいるという事であるから、その内容は広範なのだろうと当然予想される。

 つまり、単一の文章で済むはずのものをやみに複数の文章に分けると、それだけ新規読者の獲得の不利に作用することも考えられるので、その設計には注意を払われたい。


 ほか、「しゅう」と呼ばれるものについては一般に、個々それぞれが関連しない内容である。

 〈記事の取捨や順序を選択して効果的に見せる作業〉の意の「へんしゅう」は、この「へん」と「しゅう」に由来する名称である。

 この{集}は本来、〈⦅車で⦆物をあつる〉の意の〔輯〕で書くのが正式。

 一方、〔集〕の字義は〈⦅木に⦆鳥があつる〉。

 つまり前者は能動的、後者は受動的という区別があるものだが、それが今では「あつめる」を代理して「あつめる」と書くようになった。

 正直どうかと思う。


 ちなみに、読みやすさを確保するなどの目的で、改行や改ページを行なったりするが、これは二次元的視点による「わりけ(layoutレイアウト)」のかんかつ

 一次元情報である言葉や語に、レイアウトは直接関係しない概念であるため、紛らわしいが「くうぶん」は〈文がひとつも存在しない状態〉を指し、〈文が存在しない行〉は「くうぎょう」と呼ぶ。



      †



しょうだい

 〈章それぞれに設ける題〉の意。


 しばしば〝第1話〟〝第2話〟のような「しょうばん」に代理させる例がみられるが、これは極力避けたほうがよい。

 章番とは、雑誌等にて連載を収録する際の、副産物として発生したもの。

 しかし章題とは一般に、そのまま目次として利用されるものだが、番号はふつう話のさくいんとしては、全く役に立たない。

 よって〝あの話を読み返したい〟という場合に、実際にページをめくって探すしかなくなるからである。

 あと個人的には、名付けを番号で済ます程度にはおもい入れのない内容なのかなあと(

 ただし「せつ」は単なる区切りであるため、節題についてはその限りではない。



      †



しゅぶん

 〈文章における主張を直接示す文〉の意。

 主文が複数の文で成り立っている場合は特に「しゅ」と呼ぶ。


 結論や目的などの事であり、これが見えない文章はあくをしづらいため、説明文などでは文章の先頭に配置したほうが良いとされる。

 特に判決文は必ずそのような形で書かれ、また今書いているこの文章でも各項目の最初の行が、主文に該当する形になっている。

 ただし、考え方を説く場合には答えを用意するのは不適当だし、ないし綺譚テールを説く場合には興味そうしつなどの支障が生じやすいため、なるべく先送りするか、割愛したほうが良いと思われる。

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