チー充計画――異世界で無双していた俺が現実世界でチート級リア充になれないはずがないだろ? いやある

秘見世

第1話 異世界から帰ってきて毎日自害しようとしてる元勇者だけど、なにか質問ある?

「もはやここまでか……」


 俺の攻撃に追い詰められた魔王が憎々にくにくしげに呟く。

 あと一撃。

 あとたったの一撃、致命的な攻撃を与えれば、この世界に長年苦痛と絶望をもたらし続けてきた、強大なる王を滅ぼせるだろう。

 

 しかし、魔王はにやりと血の滴る口元を歪めた。


「こうなれば、貴様らも道連れにしてやる! 余の最後の恐怖を存分に味わうがよい」


 そう告げて、呪文の詠唱に入る。


 戦士特化型の俺にはなんの呪文かわからなかったが、仲間の女魔術師が即座に青ざめた顔になった。


「自爆魔法!?」


 その言葉を聞いて、俺のすぐ傍らにいた女格闘家も悲鳴じみた声を上げる。


「まさか……ウチらもろとも吹き飛ぶつもり!?」


「わたくしたちだけではありませんわ。おそらくこの一帯――下手をすれば、この王国の半分近くを吹き飛ばすほどの魔力の高まりを感じますわ」


 パーティの回復担当である聖女がそう告げる。

 類まれなる魔法の才をもった彼女が言うなら、魔王の自爆はその言葉通り洒落にならない威力になるのだろう。


 ここは俺が命にかえても、止めねば――


「ケンイチロー」「ケン!」「ココノエ様」


 パーティの仲間が縋るように俺の名を呼ぶ。

 俺は剣を構え、「神速モード」と口の中で小さく呟く。


「待たせたな! 余もろとも滅べ!! この矮小わいしょうなる――」


 喜悦きえつに満ちた魔王の言葉が最後までつむがれることはなかった。

 次の瞬間にはもう、奴の首が宙を舞っていたからだ。


「神速モード解除」


 そう告げながら、俺がパチンとさやに剣を収めると、タイミングを見計らったように魔王の頭が、どん、と地に落下した。

 床に転がる奴の口元には、いまだにいびつな笑みが張り付いている。


「や……やった……?」


 女格闘家が呟く。


 次の瞬間、三人のパーティメンバーが俺の方に全力で駆けよってきた。

 女魔術師が小さな体全体で俺に縋り付き、女格闘家は涙を流しながら俺の頭を抱いて頬擦ほおずりし、聖女は俺の懐によろめくように飛び込んできて、当たり前のように俺のてのひらにその豊満な胸を押し付けてきた。


 俺は三人の美女に囲まれたまま、天を仰いで拳を突き出す。


「やったぞおおおおおっっっ!!! ついに魔王を倒したぞおおお!!!」


 抑えようもない歓喜と達成感が胸の奥からあふれてくる。

 まさにこの瞬間、俺は自分が人生の最高潮にいることを自覚した。


「やったぞおおおおおっっっ!!!」


**************************************


 九重剣一郎ここのえけんいちろうが目を覚ますと、自分がベッドの上で、ガッツポーズを取っていることに気付いた。

 壮絶な寝ぼけ方である。


「なんだ……いつもの夢か」


 彼はそう呟くと、パジャマ姿のまま、サイドテーブルに置いてある皮ベルトを手に取り、自らの首にかけた。


「よし、死のう」


 その途端、バン、と勢いよく、彼の部屋の扉が開く。


「お兄ちゃん!? なにしてるの!」


 部屋に突入してきたのは、剣一郎の妹である九重灯里ここのえあかりだ。

 肩で切りそろえたショート。

 よく動く大きな目。

 まだ高校2年生だが、身内のひいき目抜きでも、アイドル並のルックスだと、剣一郎は密かに思っていた。


「いや、これは――」


 灯里の目にみるみる涙が盛り上がる。


「なんでなの? お兄ちゃん……」


 ぽろぽろと大粒の涙を落としながら、言い募る妹。


「高校生の時、いきなり異世界転生させられて、無理矢理世界を救うために戦わされて、やっと魔王を倒してこっちの世界に帰ってこれたのに……また一緒に暮らせるようになったのに、どうして死んじゃおうとするの?」


 剣一郎は首にベルトを巻いた間抜けなポーズのまま、口ごもる。


「えーと、その…………違うんだ灯里。これは死のうとしていたんじゃない。プレイ……そう、プレイなんだ」

「え?」

「ペットプレイと言ってな、自分を犬扱いして性欲を満たすっていう、男子が20歳前後になると必ず一度は試す高度な遊戯ゆうぎなんだよ」


 ベルトを犬のリードに見立てて自らの手で引っ張って見せる剣一郎。

 絵面的に大変妹の教育によろしくないが、実は首を吊ろうとしていたことを知られるわけにはいかないので、止む得ない。


 しかし、灯里は首を激しく振った。


「お兄ちゃんの嘘つき!」


 やはりこんな言い訳が通用するはずがないか、と剣一郎はうなだれる。


「ヒーマン・アニマル・ロールプレイでしょ? 女性に動物扱いされて被虐心ひぎゃくしんを満たすBDSMの一種だけど、肝心のパートナーがいないじゃん!」

「なんか異様に詳しいな!?」


 決然と告げる妹にドン引きする兄。


「そこはあれだ、一人でやるアレ用にアレをアレしたんだよ」


 剣一郎は懸命に取り繕う。

 自分でもなにを言っているのかわからないが、思春期の少女に具体的なワードを使うわけにはいかない。


「オナニー用にアレンジしたってこと!?」

「いや、そこは俺に合わせて、オブラードに頼むよ!」


 兄の陳情ちんじょうも耳に入らぬ様子で、彼女はさらに叫ぶ。


「じゃあなに!? もう少し灯里がお兄ちゃんの部屋に来るのが遅かったら、実の兄がベッドの上で首輪を引っ張りながらチンチンのジェスチャーをしつつ、しごいているのを目の当たりにしちゃうところだったってこと!?」

「すみません、もう許してください。俺が悪かったです。次から変態プレイをするときは、家族のいない隙にやります」

「わかった……」


 灯里は不承不承うなずいた。

 

 どうやら誤魔化すことに成功したらしい、と剣一郎は胸を撫でおろす。

 こんな内容でわかって欲しくはなかったが……


「とにかく、朝ごはんができたから、着替えたらリビングに来てね」


 そう告げると、彼女はようやく部屋を出て行こうとしたが、ふいにドアの前で立ち止まって、振り向いた。

 真剣なまなざしで兄を見つめる。


「どうした?」

「お兄ちゃん、悩みとかあったら、灯里に相談してね。どんな小さなことでもいいから」

「ああ……」


 剣一郎は目を伏せてこたえる。

 本気で親身になってくれていることがわかるからこそ、妹の顔を直視できなかったのだ。


 ――誰に理解できるだろう

 異世界で魔王を倒して以来、生きる目標がなくなって、うつに襲われるようになってしまったことなど…


 いや、一人だけ相談できる相手がいた。


 剣一郎はその人物を呼び出すべく、古びた羊皮紙を机の上に広げる。

 異世界の案内人と交信できる、魔法のアイテムを。


**************************************


「なるほど。そういうことでしたのね」


 剣一郎の正面に座る女性が言った。

 

 場所は町中の喫茶店。

 人気ひとけのない一角に腰を据えた二人は、ドリンクを飲みつつ、今朝の出来事を語り合っていた。


「だいぶ深刻なご様子ですわね」


 女性はフラペチーノの入ったカップを置くと、深みのある青い瞳を彼の方へ向けた。

 上質なビロードのように背中を流れる黒髪。彫像のごとく完璧な造形の顔には一片の瑕疵かしも見当たらない。

 およそ日本人離れした美貌だが、実際、彼女は日本人ではなかった。

 それどころか地球の人間でさえない。

 

 彼女の正体は、女神だった。


 半年ほど前、交通事故に遭った剣一郎は、気が付くと、この女性の前に立っていた。

 彼女は、彼に次のように告げた。


 ――九重剣一郎さん。残念ながら、あなたの人生は終わってしまいました

でも、わたくしはあなたに奇跡を授けることが可能です。

 もしあなたがわたくしの願いをきいてくださるのならば、再びあなたを元の世界に蘇らせてさしあげましょう。


 女神は、剣一郎に、ある危機に瀕した世界に転移して救って欲しいむねを伝えた。

 

 是非もなく、その条件を呑んだ剣一郎は、とある魔王の脅威に晒された異世界に転移した。

 即座に勇者としての活動を開始した彼は、10年の月日を経たある日、ついにその世界に混沌をもたらしていた魔王を打ち滅ぼした。

 そして、再び現代日本へと戻ってきた。


 病院のベッドで目覚めた彼が最初に目にしたのは、涙ぐむ母と妹の姿だった。

 交通事故に遭ったあの日から、一カ月間、昏睡状態だったと、あとになって知らされた。



「異世界ボケっていうんですかね」


 剣一郎はアイスコーヒーを一口含むと、対面の女神に視線を送る。


「こっちに戻ってきてもう半年経ちますけど、いまだにこう、なじめないというか、現実感みたいなものをあんまり感じることができないんです」

「そういう方が多いとは、よく耳にしますわね」


 異世界返り――転生したり転移したりして異世界で第二の人生を歩んだのち、現代日本に帰還を果たした、いわゆる『出戻り組』を示す言葉だ。

 彼らの一部が、元の社会にうまく復帰できず苦労している、という話は、彼女も聞き及んでいた。

 ましてや、眼前の青年は10年以上向こうで暮らしていたのである。それまでの彼の人生の半分を超える期間を、だ。


「突発的に強い鬱病に見舞われるのは、そのあたりに原因があるとみて間違いなさそうですわね」

「俺もそう思います。でも、それだけではないかと」

「と仰いますと?」

「俺って、いままでずーっと魔王を倒すことばっかり考えて生きてきたんですよ」


 それはよく知っている、と女神は穏やかな顔で思った。

 異世界転移者のなかには、彼女と契約したにも関わらず、あまり積極的に使命を果たそうとしないものもいるが、彼はきわめて真面目だった。


「正直、最初は女神様に使命を押し付けられたから嫌々勇者をやってたんですけど、向こうで生活するうちに仲間はもちろん、冒険で出会った友人知人、それ以外にも色んな町や村の人たちとも親しくなっていって」


 剣一郎は目を伏せて、マグカップの中を見つめた。


「そのうち、使命とか関係なく、この人たちのために世界を救いたいって思うようになっていったんです」

「わたくしの私見ですが、それは素晴らしいことではないでしょうか」

「素晴らしいかはわからないけど、とにかくその目標に向けて、俺は必死に頑張りました。自分でいうのもなんですけど。で、ついに魔王を倒すことができた」


 彼女はちらりと剣一郎の様子をうかがう。

 彼の顔には、人生の大きな目標を達成した喜び的なものは一切浮かんでいなかった。

 ただ、虚無感きょむかんのみが広がっていた。


「あなたは魔王を倒し、わたくしも約束通りあなたを元の世界に戻した」

「はい」

「しかし、あなたはその過程で人生の目標――いえ、生きる意味そのものだと感じていた、『勇者としての使命』を失ってしまっていた。それが心に大きな空虚をもたらした」


 青年は無言で女神を見つめる。

 沈黙による同意だ。


「それはよくわかりました。しかし、一つお尋ねさせていただいても、よろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「そもそも、あなたは元の世界に未練があったから、わたくしと契約を結ぶ決意をなさったのでは?」


 元の世界に未練がある。

 それはすなわち、彼がかつて暮らしていた日本での生活の中にも、未練をもたらすような事柄が存在したことを意味する。

 どのようなものかはわからないが、それが生き甲斐にはならないのだろうか、という問いを、暗に含む質問だった。


「そうですね。やりたいゲームがあったし、続きを楽しみにしていた漫画もありました。彼女とかはいなかったけど、いちおう会いたい友人もいましたよ。なにより両親や妹の顔をどうしてもこの目でもう一度見たかったし」

「…………」

「あなたには本当に感謝しています。それらをすべて叶えることができたんですから。でも――」


 剣一郎はいったん言葉を切り、コーヒーを一口すすった。

 そして、女神を静かな眼差しで見据えて、言った。


「この世界には魔王がいない」


 しばし、沈黙が下りた。

 テーブルの傍らを、高校生のグループがお喋りしながら通り過ぎてゆく。

 彼らの誰も、この二人が女神と元勇者であるなどとは、微塵も疑わないだろう。

 せいぜい口喧嘩で気まずくなったカップルに映る程度だろうか。


「すみませんね」


 ふいに、剣一郎が口を開いた。


「もうあなたとの契約は済んでいるのに、こんな相談をしちゃって……」

「いいえ」


 即座にこたえる女神。


「わたくしも契約うんぬんは抜きで、あなたには幸せになっていただきたいので」

 

 ――眼前のこの青年は、一つの世界を救った正真正銘の勇者なのだ。

 本来は後世まで湛えられるべきであるが、残念ながらその偉業は異世界でのもので、この現代日本に持ち越すことは叶わない。

 だからこそ、その後の人生は希望と幸福に満ちたものであって欲しい。


これは女神の偽らざる本心だった。


「ご安心なさって。わたくしがあなたをお救い致しますわ」

「え?」


 驚き顔で彼女を見つめる剣一郎に、女神は決然と告げる。


「わたくし、あなたの現状を打破する方法を考え付きましたの」


 花がほころぶように、満面に慈愛の笑みを浮かべる彼女。


「簡単なことですわ。生き甲斐がないなら、作ってしまえば良いのですよ」

「生き甲斐を……作る?」

「そう」


 女神はフラペチーノの入ったカップを優雅に口元へと傾けた。

 それから、言った。


「とりあえず、あなたには恋人を作っていただきます」



 間。



 剣一郎はゆっくり瞬きする。

 一度。

 二度。

 三度。


「えええええっっっっっ!?」


 女神はうんうん頷いて驚愕の声を上げる彼を、にこにこ見つめた。

それから、いつのまにやら奪い取っていた剣一郎のスマホを、水○黄門の印籠のように突き出して見せる。

 そこには、有名な街コンアプリが立ち上がっていた。

 すでに彼の名前で登録済みで。


「えええええっっっっっ!?」


**************************************


 これが、のちのちまで語り草となる『異世界帰還者リア充計画』の幕開けだった。

 

 この時点では剣一郎はおろか女神でさえ、知る由もなかった。

 このプランが、それこそ魔王を倒す道程に匹敵するほど、苦難に満ちた道となることに……

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