その怒り

「これは……?」


 一ノ瀬は目の前の携帯電話に釘付けになった。夜の公園と思しき場所で、四人の人間が一方的にドーベルマンから暴行を受ける映像が、とある動画投稿サイトの額面を借りて流れている。


「何百万回と再生されて、みんな気付き始めたみたいだ」


 林田が画面を下から上へ掬うように指でなぞれば、動画に設けられた思い思いの忌憚ないご意見が列挙されていた。


「流石にやりすぎ」


「調子乗ってんな」


「こんな乱暴者を支持していた事が初めからおかしかった」


 つらつらと書き込まれたドーベルマンへの悪罵に一ノ瀬は眉根に力を込める。


「ようやく皆、目を覚ましたみたいだ」


 巧妙な編集が施された映像に林田達の血気盛んな仕掛けは一切、映されていない。澱に湧いた虫達の声色は、糾弾する事にかけておだを上げていた。


「ふざけるな……」


 一ノ瀬は拳を作り、我慢ならんと歯を食いしばった。


「なんで怒るのさ。至って普通な事だよ。ドーベルマンなんて名付けられて勘違いしているようだけど、暴力でしか解決できない時代錯誤な傾奇者だ」


 腹を据えかねた感情の沸き立つままに椅子から立ち上がり、林田を睥睨する一ノ瀬の様変わりした態度は、ドーベルマンへの尊敬からくる義憤だろうか。


「どうした?」


 微笑を浮かべて挑発気味に睨めあげる林田に、久々に顔を合わせた旧友同士とは思えぬ敵対心が伺える。


「まだ呑み足りないだろう。座れよ」


「いや、もうお腹いっぱいだ」


 一ノ瀬はわざとらしく腹をさすり、頼んだビール一杯分の代金をテーブルの上に置いて、居酒屋から出て行ってしまった。懇親会のつもりでいた一ノ瀬の胸中は計り知れない。趣旨を逸脱した険悪な雰囲は後味の悪さを助長し、帰路を歩く背中に百面相のようなシワを作り、名も知らぬ路傍の花に唾を吐きかけた。


「間違ってる……絶対に」


 ふらふらと寄る辺を無くしたかのような覚束ない歩行は、手のひらを返した世間への鬱憤や、闇雲に期待してしまった人間関係の発展が暗礁に乗り上げた事による恨めしさなど、自分の手で解決しかねる事象への目眩に違いない。全くもって度し難いと、恨み言を念仏のように唱えながら、すれ違った通行人から奇異な眼差しをいくら受けても知らぬ存ぜぬを貫き通した。


 管理人不在に付き、区画整理を免れたかのような木造二階建てのアパートの一室に、一ノ瀬は肩を落としたまま吸い込まれていく。時代に取り残された古物めいた部屋の内装は、四季を快適に過ごすには些か疑問が浮かぶ。だが、今の一ノ瀬にとって、それは問題視すべき事ではない。


「……」


 今にも微睡んでしまいそうな目蓋の重みに一ノ瀬は頬を叩く。そして、数少ない収納場所として提供された備え付けのクローゼットの前で、厳しく表情を作り、取手に手を伸ばした。

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