第一章(3)

            *


 白玲と親父殿の馬に俺が追いついたのは、敬陽北方の名も無き丘だった。

「隻影! こっちだ」

 親父殿が鍛え上げられた左腕を振って来たので頷き、馬を労わりながら走らせる。

 見事な白馬に乗っている白玲の横に止めると、不満そうに一言。

「……遅い。体調でも悪いんですか?」

「目一杯だって」

 肩を竦めながら応じ、俺は目を細めた。

護衛の騎兵達が着いて来て居るのは言わない方がいいだろう。

 遥か前方に灰色の城砦線が見える。

 ――あそこが栄帝国の北限。

高所に登れば【玄】だけでなく、敬陽から見て北西に位置する交易国家【西冬】も臨めるらしい。我が国にとっては百年来の友邦だ。

 親父殿が馬を撫でながら、愛娘を褒め称える。

「白玲、見事だ! ははは。よもや娘に負けようとは」

「鍛えていますので。手紙で御報せした野盗討伐の件、これで御納得いただけますね?」

「うむ。今宵、礼厳と話をして決めるとしよう。お前も十六。そろそろ初陣を、と思ってはいたのだ」

「!? 初陣で野盗退治って……なら、俺も」

「問題ありません。貴方の手も借りません」

 口調と視線で察する。説得は無理そうだ。

……でもなぁ、まだ少し早いと思う。

 俺がもやもやしていると、親父殿は視線を遥か北方の空へ向けた。

「今より五十余年前――我等の祖父母、父母は【玄】の雲霞の如き大騎兵軍団に敗れ、北方を喪った。以来、大河の畔に城砦線を築き、奴等を防ぎ続けているが……それだけでは足りぬ。何れ、機を見て北伐を敢行せねばならぬ」

 『北伐』――喪われた大河以北奪還は栄帝国の悲願だ。

 けど、一度都で暮らしたからこそ分かる。

最前線で戦い続ける将兵や、実際に敵国の脅威に曝されている湖洲の民と、都で繁栄を謳歌する者達の間には大きな意識の乖離がある。

 ――まるで、かつての煌帝国のように。

 白玲が静かに問うた。

「父上、前線の諸将はどのようにお考えなのでしょうか?」

「儂と同意見よ。だが……資金も物資も、兵も我等だけでは到底足りぬ。最後は皇帝陛下の御決断次第となろう。宮中の意見も、『北伐派』と『維持派』に割れているようだ」

 ……割れているだけなら良いんだが。

 問題は『戦いを一切望まない。その為ならば、屈辱的な講和でも構わない』という連中の数が少なくないことだ。親父殿が、厳めしい顔を更に険しくされている。

「帝位を戦場で継いだ【玄】の皇帝アダイは、我等と大河で対峙する一方で、大陸の遥か北方に広がる大草原の諸部族を自ら討ち不敗。この七年で領土を大きく広げた。また、天下の統一に執着しているとも聞く。我等の隙をつき、必ずや侵攻して来よう」

 都でその名前は何度も聞いた。

『言うことを聞かないと、白鬼アダイが来るよっ!』

 親が子供達への脅し文句に使う程、異国の皇帝は恐れられているのだ。

 親父殿が戦意を漲らせ、咆哮。

「だが――我等の築き上げた城砦群もまた鉄壁! 当面の間、戦線は動くまい」

「アダイはそうでも、指揮下の将が動くのでは? 『よんろう』なる猛将達が各地で猛威を奮っていると聞いています。【西セイトウ】も警戒していると……」

 俺は思わず口を挟むも、横顔を凝視してきた白玲に気付き、口籠った。

 親父殿が髭をしごきながら、鞘を叩く。

「ほぉ……隻影、詳しいではないか。やはり武官向きだな!」

「み、都で少しばかり耳にしただけですって」

「はっはっはっ。何時転向しても構わぬぞ? ――奴の配下に四人の猛将がおるのは事実だ。内、儂が七年前に戦場で直接干戈を交えたは『せきろう』のグエン・ギュイ。戟の鋭さは我が眼に焼き付いている、果敢な突撃を繰り返してくる厄介な相手であった」

「……っ」

 白玲が唇を噛み締めた。

 軍を軽視し、慢性的な兵数不足に喘いでいる栄帝国と違い、陣帝国の軍は強大だ。

 『四狼』の一将配下の部隊ですら、『張家軍』の全兵力に匹敵しかねない。親父殿が馬を返した。

「だが、グエンはアダイの逆鱗に触れたとも聞く。既に奴等の故地である【燕】――北の大草原へ去っておる。心配はいらぬ」

 俺もその話を、都のメイリンから聞いた。

 だが……【玄】国内において神聖視すら受けていると聞くアダイという男は、それ程狭量なのだろうか? ふと後方を振り返ると、護衛の騎兵が遠目に見えた。

 親父殿も気づかれたのだろう、俺達へ指示される。

「陽が落ちる前に戻るとしよう。白玲、盗賊討伐の件は許可する。ただし、焦るな! 数日かけて部隊を編成し、隻影を連れて――」

「やっ!」

 だが、白玲は親父殿に答えず手綱を引き、馬を走らせた。

 銀髪を靡かせながら、あっという間に小さくなっていく。

珍しく溜め息を吐き、親父殿が苦笑。

「困ったものだ。ああいう頑な所はあれの母そっくりだが……義姉上の提言で、お前だけを都に行かせたのがまずかったかもしれぬ。よもや、新進気鋭の大商人である王家の愛娘をお前が海賊から救い、初陣を果たしてしまうとは……。『遅れまい、遅れまい』と気が急いているのだろう。白玲はお前に置いていかれるのを病的に恐れておる」

「……そんなことは」

「ある。儂とてそれなりにその手の経験は重ねておるのだぞ?」

 大恩人の重い言葉に俺は何にも言えなくなる。

 ……一応、盗賊退治の時は助けられるようにしておかないとな。

 俺の沈黙をどう受け取ったのか、親父殿はニヤリ、と笑われた。

「まぁ良い。とにかく戻ろうぞっ! 都の土産話、楽しみにしておるのだ」


            *


「では、行って来る。白玲、野盗討伐の件、確かに許した。許したが……」

「大丈夫です。無茶は致しません。何処かの自称文官志望さんとは違うので」


 三人での遠駆けから数日後。早朝の張家屋敷前。

 礼服に身を包み、諸将との会談へ向かう親父殿が馬の上から、何度目になるか分からない注意を軍装の愛娘に告げている。

 昨日の晩、俺も遠回しに説得したのだが……決意は変えられず。

過保護なのかもしれないが、不安だ。

一見冷静に見える白玲の中に、熱い張家の血が流れているのを、俺は知っている。

 親父殿も物憂げな様子で俺を見た。

「……隻影、何かあらば」

「すぐに御報せします」

「頼む」

 重々しく頷かれ、親父殿は出立された。後には最精鋭の護衛が続いていく。

 その隊列を見送ると、白玲はすぐさま踵を返した。

 屋敷内に入るなり、淡々とした口調で告げてくる。

「私もすぐに出ます。夕刻までには終わるでしょう」

「――ユキヒメ

 俺は咄嗟に幼名を呼んでしまった。少女の足が止まり、視線が交錯。

 蒼の双眸には強固な意志が見て取れた。

「何を言っても無駄です。張家の娘として、民に仇なす者を許してはおけません。着いて来ないでくださいね? ……自分が先に初陣を終えたからって、子供扱いしないで」

 そう言い放ち、白玲は馬屋へと向かって行く。

 俺は額を押さえ、入れ替わりでやって来た礼厳に確認する。

「……爺、抜かりはないよな?」

「護衛は精鋭騎兵が百程。野盗の数は事前偵察によれば精々二十足らず。若の御指示通り、万が一の為、後詰も控えさせております。御心配なされますよう」

「そうだな……そうだよな。ありがとう」

 俺は雲一つない、蒼穹の広がる空を見上げた。天候も崩れまい。

出来る限りの手は打ったし、白玲自身の技量にも不足はなし。

 きっと何事もなく初陣を済ませ、今晩は散々話をしに来る筈――。

 張白玲は、都に行った幼馴染からの手紙が減るだけで拗ねてしまうくらい、寂しがり屋なのだから。


 異変が起きたのは、昼飯を食べ終えた直後だった。

 外庭で史書を読んでいると、まず聞こえて来たのは『バキっ!』という、敷地内で木材が折れる音。その直後、

「あ、危ないっ!」「と、捕らえろっ!」「あれは、白玲様の?」

使用人達の悲鳴が響き渡った。

 書物を机に置き、立ち上がった直後――

「わっ!」

 俺目掛けて、駆けて来たのは美しい白馬だった。酷く興奮した様子だ。

「お前……白玲の『げつえい』? あいつ、乗っていかなかったのか? っと」

 白馬は何を訴えるように俺を見つめ、袖を噛んできた。尋常な様子じゃない。

 まさか、あいつの身に何か――どたどた、と走る音がし、顔面蒼白の礼厳と左腕に血染めの布を巻いている男性兵士が姿を現した。先日、演習場では審判役だった青年隊長だ。

 俺の顔を爺が見るなり、叫ぶ。

「若っ! 白玲様が……白玲様がっ!!」

「――礼厳、落ち着け」

「「っ!」」

 静かに命じると、爺と兵士は息を呑んだ。その間に布を取って白馬の首筋を拭き、問う。

「何があった?」

「若へ手短かに報告せよ」

「は、はい」

 青年隊長は身体を震わし、焦った様子で話し始めた。


「……なるほど。目的の廃砦に着くまでは順調。すぐさま突入したところ、賊が全て殺されていた。その直後、丘に陰に潜んでいた謎の騎兵約二百に包囲され、馬の大半を倒された。そこで、お前を含め数名が増援を呼ぶ為、脱出して来た、と。合ってるか?」

「……はっ。申し訳ありませんっ」

 叱責と勘違いしたのか、青年隊長が頭に地面を押し付ける。

 張家の本拠地である敬陽近くに、謎の騎兵が二百――ただの賊じゃなさそうだ。

 俺は膝を曲げ、泣いている青年隊長の肩を叩いた。

「よく報せてくれた。――爺、相手は間違いなく野盗の類じゃない。このままじゃ、あいつも兵達もヤバい」

「はっ! で、ですが、その連中は……」

「詳しいことは全部後だ。準備させておいた後詰の指揮を頼む。俺は先行する」

 万が一に備え椅子に立てかけておいた剣を手にする。銘はないが、頑丈な造りだ。今の俺の体格じゃ、双剣で馬上戦闘はまだ難しい。

 俺達が話している間に、鞍の用意された白馬に跨ると、歴戦の礼厳が顔を歪めた。

「若!」

「大丈夫だ。文官仕事よりかは、荒事の方が慣れてる。――あとな」

 俺は手短に策を伝達。

「隻影様! 弓と矢筒です!」

白玲付きの若い女官――肩までの鳶茶髪で細身な朝霞が、弓と矢筒を届けてくれたので受け取る。

野盗退治に俺と共に反対した結果、討伐隊には加われなかったのだが、本人も軽鎧を身に着け、腰には無骨な剣。張家に仕える者達は、緊急時には男女関係なく戦場へ出る。

 騒然としつつ屋敷内の中で、老将は俺を見つめ――胸を叩いた。

「万事畏まって候。この老人にお任せあれ!」

「頼んだ。親父殿にもすぐ早馬を。庭破は爺達の道案内を頼む」

「! わ、私の名を……?」

 状況についていけず、呆然としていた青年隊長が目を見開く。

 俺は苦笑し、片目を瞑った。

「身内の名前くらいは全員覚えるようにしている。爺の遠縁なら猶更だ。頼む!」

「は、はっ!」

「良しっ! ――皆、心配するなっ! 白玲は俺が必ず救ってみせるっ!! 屋敷に残る者は湯と飯、それと治療の準備をしておいてくれ」

『! はいっ!!』

 様子を窺っていた使用人達が、弾かれたように駆け出していく。

 白馬の首筋を撫で「力を貸してくれ」と話しかけると甲高く嘶いた。

庭から屋敷前の通りへ。

「若っ!」

 礼厳の声が背中に届いた。振り向くと、白髪を振り乱し必死な形相で訴えてくる。

「くれぐれも……くれぐれも御身を大切にっ! 貴方様の身に何かあらば……」

「大丈夫だ。俺は死ぬなら、寝台の上って決めている」

「隻影様っ!」

 振り向かないまま左手を挙げ、足で白馬に指示を出すと、即座に疾走を開始した。

 通りを歩いている住民が、慌てて逃げていくのを見ながら俺は独白する。


「困った姫さんめっ。お前が死んだら、誰が俺と夜話をするんだよっ!」

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