第5話 諸悪の根源
「美しく成長していく義理の妹の姿。気が付けばお前の虜になっていることに気づいた。あんなくだらない男にお前は渡したくない。だから人を使い、アズベルを利用してアンドリューにあの女をあてがった。すべては奴が婚約破棄をお前に突きつけることを狙ってのことだ。俺の父がかつてそうしたようにな」
「またそんな、回りくどいことを」
婚約破棄に対する妙な執着心を感じます。
そしてなぜ事細かに私に説明するのか。
まぁ、その意味はお兄様の得意げな顔を見れば何となく察せられます。
要するに、自分がこれまで頑張ってきたことを語りたくて仕方がないのでしょう。
あまり聞きたい話ではありません。
だって、私の人生は、それでは一体何だったのかということになります。
今夜のパーティを成功させるために、どれだけ予行練習を重ねたか。
アンドリュー様やミナ=アルカナ男爵令嬢、アズベル様。
彼らがどこまでお兄様の力に影響を受けていたかはわかりません。
お兄様が余計なことをしなければ、全てはつつがなく済んでいたのかも。
じんわりとお腹に熱が籠ってきました。
名状しがたい暗い感情がふつふつと沸き上がってきます。
つまりこの男のせいで。
「アンドリューを廃嫡し、ステファンたちもいずれ消えてもらう予定だ。後継者不在の玉座に王家の血筋であるダルタニアスを据える。当初の予定としてはコイツとお前に結婚してもらうつもりだったが、それはしない。お前は俺の物だ。一緒に幸せになろう」
お兄様と目が合います。
その瞳の奥に吸い込まれそうな暗い輝きが浮かんでいました。
瞬間、これが女神から得た能力なのだと感じます。
相手の心を刺激し、感情を増幅させる。
「お前は俺を愛するんだ。敬愛する兄への慕情を最上の愛へと変えてあげよう。心配はいらない。すぐに俺のことを誰よりも愛するようになる」
あ、ダメだこの人。
全く何もわかっていない。
少しは考える頭があれば、そんな言葉は絶対に出てこないでしょう。
胸の中でくすぶっていた感情。
それが突如として、抑えきれないほどあふれ出して止まりません。
私の心は私の物。
誰かのために都合よく存在するわけではありません。
はぁ、本当にイラッとします。
思えば今夜はずっとこんな気持ちを抱き続けている気がしました。
「今まで肉親と思っていた相手から、突然愛を告白された女の気持ちになってくれません?」
「ん? どうしたルイーズ」
「どうしたもこうしたもありませんわ。私の婚約破棄を計画し笑いながら眺めて、その挙句血がつながらないとはいえ幼いころから見てきた妹を自分の物にする? とんだド変態ですわね。この××××」
あらあら、妙に唇の滑りが良いですわ。
お兄様の能力は相手の感情を増幅させるものでしたわよね。
もしも刺激されるとするならば、今私の中で最も強いのは負の感情です。
お兄様のお母上が失敗した理由もわかります。
人間は正の感情ばかりの生き物ではない。
扱い方を間違えれば、抑えの利かない憎悪に駆られる人間が簡単に出来上がってしまうのです。
もちろん幼い頃からその能力を扱うお兄様もそれは熟知していたはず。
恐らく本来はある程度加減が出来る力なのでしょう。
それをよりにもよって「最上」の出力で私に使ったのです。
私がお兄様のことを素直に慕っているに違いないと思い込んで。
こちらが今どういう状態なのかも考えず。
そうですわ、私このお兄様が生理的に嫌いなんですの。
更に言えば今夜顔を合わせた男性全員、苛立ちを覚えます。
連鎖的に火が付くように怒りが止まりません。
この日、私は全身全霊で忍耐をし続けてきました。
すべては己の立場を守り、みっともない姿を誰かに見せたくなかったからです。
もちろん八つ当たりは良くありません。
他人を必要以上に罵倒せず、傷つけることなどするべきではない。
でも、でも、でも、でもです。
誰か一人として、私の気持ちを考えてくれた方はおられたでしょうか。
みんな、誰も彼もが自分の気持ちばっかり。
私のことなんて少しも考えてくれていないんですわ。
「心底気持ち悪いですわ。過去がどうとか親がどうとかどうだっていいです。私にはそんなこと関係ありませんよね!? あるなら言ってください」
「ルイーズ」
「お嬢様」
「うるさい!! 私に話しかけないで!!」
自分でも信じられないような乱暴な声が喉の奥から出てきました。
荒れ狂う熱が、怒りが、憤りが、不快感が、生理的嫌悪感が、どこまでもどこまでも高まって、抑えきれない。
「気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。誰も彼もどうしてそうなんですか!!!!!」
なぜ執事と兄に告白をされなくてはいけないのでしょう?
「私は疲れているんですの!!!!」
頭の中で大事な糸が何本か切れるのを感じます。
おバカな王子に婚約破棄で恥をかかされた挙句、なんで立て続けに求愛されなくてはいけないんですの?
兄そっくりのバカな弟王子に隣国の浮かれ王子に陰気な魔術師に自己陶酔執事に変態の兄。
愛している、愛している、愛している、愛している、愛している。
揃いも揃ってそれは今言うことですの?
私が疲れているのは見ればわかるでしょう?
婚約破棄を突き付けられたんですよ?
公の場で冤罪まで吹っ掛けられて、どれだけ傷ついているか。
ひょっとして、真に想う相手を待っているのだと誤解されたのでしょうか。
殿方って。
どうしてこう空気を読まないのでしょう。
自分を物語の主人公か何かと勘違いされているのかしら。
気が付けばお兄様の頬をぶっ叩いていました。
どこからそんな力が湧いてきたのかわかりません。
体勢を崩したところを殴りかかり、床に膝をつかせます。
非力な女であろうとも、動揺した相手に勢いで掴みかかればどうにかなりものですね。
お兄様に馬乗りになり、何度も顔を爪でひっかきます。
「がっ、やめろ、ルイーズ!! お前の愛するお兄ちゃんだよ!!」
「うるさい!! 気色悪いと言っているでしょうがぁぁ!! そもそも何もかもお兄様のせいでしょう!!」
触るな、私に触るな。
近づくな、私を見るな。見るな、見るな!!
「お嬢様やめてくださいっ!!」
ダルタニアスに身体を羽交い絞めにされかけ、カッとなって顔を殴ります。
力任せに手足を振り回し、誰にも近づけさせません。
あぁ。わずかに理性的な私が遠くからこちらを眺めています。
私の中で今日もっとも強かった負の感情。
それらがこぞって増幅し、跳ね上がり、もはや抑えは効きません。
女神様の授けた力ならもう、仕方がありませんよね。
無断で触れて来る男に対する嫌悪感。
少しもこちらの気持ちを考えてくれない殿方への失望。
誰も彼も、私のことなんて本当はどうでもいいんだ。
猛烈に孤独を感じてしまいます。
この苦しみを、誰とも共有することが出来ない。
誰もわかってくれない。
ただそっとしておくこと、どうしてそれすらしてくれないのでしょう。
一方的に愛を囁くばかりの無数の存在を感じます。
影のようにゆらゆらと揺れて、私に迫ってくる。
背後に近づく複数の人の気配、無数の視線を感じます。
「ルイーズ、まだ話が」
「ルイーズ嬢、先ほどは」
「ル、ルイーズどの」
ステファン様やチャムカ様たちが追いかけてきたのかもしれません。
認知能力にも影響が出ているのか、現実と妄想の区別がつかなくなりつつあります。
もはや誰も彼もが私の神経を逆なでする獣としか思えなくなりました。
「俺は、君のことが」
「ただ君が欲しくて」
「オレはただ」
同時に話しかけてきました。
もういいですわよね、いちいち相手にしなくても。
私は深呼吸をして、お腹に力を籠めます。
「殿方は相手の顔色や状況を見て話が出来ませんの!? いい加減にしてください!! 私は貴方たちの物じゃない!! お土産物でもなければアクセサリーでもありません!! 誰かを見返す道具でもなければ理想のお姫様でも女神様でもないんです!!! 勝手に触らないで、欲しくもない気持ちを寄せないで!! 嫌い嫌い嫌い嫌い、誰も彼も大嫌い!!」
自分でも驚くほどに大きな声が響き渡りました。
それから何をしたのかはちょっと記憶にありません。
まるで幼子の駄々のようなもの。
感情的で、荒れ狂っているだけのみっともない女。
かろうじて覚えているのは誰かの悲鳴だけです。
どう考えても私が暴れ狂ったとしか思えないですわよね。
深く考えると不幸になるので止めておきましょう。
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