空から降った声
翌日は、鞄を乗せた机を三人で囲んでの報告会から始まった。
久々に画面を長時間注視していたからか、一晩寝てもまだ眼球に疲労が残っている。レイトは机に頬杖をつき、ハルキの報告を聞きながらしきりに瞬きを繰り返していた。
ハルキの機嫌がやけに良さそうなのは、久々にタバコが吸えたからだろう。ここ三日間は防護服を着ていることが多かったうえ、こんな土地で喫煙所と空調設備の整った建物に辿り着けるとはまず予想していなかった。人間、思いがけない幸運に巡り合えると感じる喜びも五割増しになるものだ。
「――っていうのが、俺たちの収穫だな。研究室の機械は操作してねぇから、必要だったらおまえがやれよ」
「了解、操作方法が分かっただけでも大きな収穫だよ。確認だけど、制御室内に漏れてた外気は廊下まで来てないんだよね?」
「うん、扉がしっかり閉まってたから大丈夫! あ、でもちょっとだけ開けたから、少し逃げちゃったかも……」
「それくらいなら例の空調システムがどうにかしてくれるだろ。制御室も空調自体は生きてるみたいだし、放射線は向こうの巨大ネズミがいた駅と同じくらいの濃度になってるぜ」
ハルキが手に持った計器を軽く振ってみせる。いつのまにか表面のカバーが割れてしまっていたが、本体や目盛への影響はないようだった。
そのまま鞄に計器をしまい込むハルキの手を、レイトはぼんやりと眺める。と、なにやら意味ありげな二人の視線が自分に集まっていることに気が付いた。朝食の茹で野草が歯に挟まっているのだろうか、などとのんきに考えたところで、レイト自身の報告がまだだったと思い至る。
睡眠不足ではないはずだから、思考能力が落ちているのはやはり眼精疲労が原因か。なんだか情けない。
「あ、そうそう昨日の文書なんだけどね。一応全部読み切って、ところどころ意味の分からない専門用語もあったけど……必要だった手動操作の部分は、消されずにちゃんと残ってた。理屈はともかく、操作手順そのものは理解できたと思う」
「そりゃよかった。けど、別に二日かけたって良かったんだぜ? 朝から思ってたけど、おまえ目が真っ赤だぞ」
「うん、大丈夫大丈夫……」
まぶたの上から掌底で眼球をぐりぐりと刺激する。全く無理をしていないと言えば嘘になるが、地下都市で毎日パソコンと向き合っていた頃でも半月に一回くらいの頻度でこうなっていた。この特有の鈍痛とまぶたの重さにはむしろ慣れていると言ってもいい。
「ん……よし。だからまあ、そういうことで。実行プログラムこそサルベージできなかったけど、複雑な操作手順さえ踏めば停止そのものは問題なくできるから」
「そっか。ここまで来たの、無駄にならなくて良かったねレイちゃん」
「とりあえずはね。だからあとは、どうやって向こう側と同時にやるかなんだけど……あっちの操作もできるかは、行ってみないと分からないし」
手動で停止操作を行う場合、最後のコマンドを打ち込んだ時点で命令が実行される。そのタイミングまでいくつかのレバーやボタンを押しっぱなしにしておかなければならず、それぞれの配置も考慮するとどうしても三人必要だった。それでも腕が足りるかどうかはギリギリだ。
そもそも、仮に手動操作が一人で行えるものだったとして。レイト以外のメンバーは、パソコンを見るのすら初めてなニタと、ふとした拍子にあらゆる機械を破壊しかねないハルキなのである。二人にコマンド入力なんて操作ができるとは到底思えなかった。
「両側でタイミングを合わせるために、緊急用の特殊通信回線はあるみたいなんだ。だから、操作の問題さえ解決すればそこは気にしなくて良さそうなんだけど」
「研究所の機械でどうにかできるんじゃねぇか?」
「精密作業ってわけじゃないからね。手が足りない時に、重しや固定器具としてなら使えるものもあると思うよ」
駄目だ、有効そうな手立てが何一つ思い浮かばない。辛うじて現実的な手段といえば、実行プログラムをレイト自身の手で組み直すことぐらいか。
ただ、それもおそらく不可能なことは自分で予想がついている。自動計算程度の簡単なプログラムならともかく、見たこともない機械の見たこともない複雑な操作を自動化だなんてそう簡単にできてたまるか。知識だって独学で趣味の範囲を超えていないというのに。
「……あれ? ねぇレイちゃん、あそこ、光ってるけど何だろう?」
と、コンソールの方を眺めていたニタがつけっぱなしのパソコンの近くを指さした。
見れば、コンソールの右側中央あたりで白いランプが点滅している。昨日、レイトが文書を読み終わった段階では間違いなく存在していなかった光だ。
「故障って感じでもないし……システムの通知か何かかな。ちょっと確認してみるね」
レイトはコンソールの所まで早足で移動し、先にランプの名前をチェックする。薄くなった文字で『スピーカー』と彫られていた。
投影されている画面に変化はない。続いて、パソコンのモニターに視線を移す。
右下に、通知のポップアップが現れていた。マイクのアイコンに、『通信のリクエストがあります:確認してください』の文字。
それを視認した瞬間。
レイトの全身が、熱いような、寒いような、ぞわぞわとした不思議な感覚に包まれた。
そんな、まさか。あまりにもタイミングが良すぎじゃないか?
震える手で間髪入れずに通知を選択して、詳細画面を開く。そこには、『リクエスト保留中:特殊通信回線』と確かに書かれていた。ついさっきレイト自身が口にした、相手国側の類似機関と繋がる通信回線だ。間違いなかった。
リクエストが途切れてしまう前に、急いで応答しなくては。承認ボタンはどこだ。ああいや、その前に。
「ハルキ!」レイトは裏返った声で叫ぶ。「そこの、監視カメラに繋がったマイク引っこ抜いて持ってきて!」
「っ……ああ!」
こういうとき、ハルキの瞬発力は本当に頼りになる。椅子を蹴倒した音が聞こえた三秒後には、コードの先端がレイトの前に差し出されていた。
「そっちに、差して。プラグ……」言いながら、見付けた承認ボタンを勢い余ってダブルクリック。「違う、もう一個右! そう、その上側――」
天井のスピーカーから、回線が繋がった証のホワイトノイズが鳴り始める。
『――ぁ。あーあーあ……え? 繋がった? ホントに?』
やがて聞こえてきたのは、女性の声だった。マイクを手に持ったまま、ハルキがピクリと反応する。
「カリナか」
『……まさか、本当にいるなんてね。そーよ、あたし。アイゼルもいるわ』
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