休息

 夜の森は、不気味なだけでなくどこか神秘的だ。無機質な壁と床に囲まれて過ごした後では、なおさらだった。


 ネズミから逃げている最中に瓦礫か何かで切ったのか、ニタは流れ出した血で片腕を赤く染めていた。その応急手当と食事のため、三人は防護服の要らない自然エリアの端まで戻ってきたのである。


 レイトとニタが持ち歩いていた干し野草と、ハルキが土産とばかりに差し出した肉。今日の夕食は久々に豪勢だった。


「ねえハルキ、いちいち全身の防護服脱がなくても良かったんじゃない? 着るのめんどくさいでしょ」

「だってアレ、靴にかかとがねぇんだもんよ。歩きにくいったらありゃしねぇ」


 ハルキが履き直したブーツのくるぶし辺りを指先でつつく。ここでいう『かかと』とは、すなわちヒールのことだ。いつも通りの恰好に戻って肉を炙るハルキの肩には、単独行動中についたであろう巨大な歯型が刺青のように刻まれていた。


「それで、一体どこ行ってたの?」滴り落ちる肉汁が炎に呑まれるのを眺めながら、レイトは小さくため息をつく。「防護服三着と大量の肉が戦利品って、まさかとは思うけどカーニバルな犯罪に僕たちを巻き込もうとしてるわけじゃないよね?」

「なんつー想像してんだ。ま、半分当たりではあるけどこれは犬の肉」


 ハルキは顔をしかめ、火からあげた串を左右に振ってみせる。焼き色がついて香ばしい匂いが立ちのぼる犬肉に、ニタが奪い取る勢いで顔を近づけた。


「あれ、それ焦げちゃってない? ハルちゃん焼きすぎたの?」

「は? ああいや、動物の肉はこうやって食うもんなんだよ。むしろ赤いところが無くなるまで焼かねぇと腹壊すぞ」

「えー……なんか苦そう……」


 ニタは半信半疑といった様子で包帯の巻かれた腕を伸ばし、自分の串を火に近付ける。廃虚街では海産物と植物を食べる生活で、獣の肉を食べるのはどうやら初めてらしい。


「ま、ほぼ肉食動物だしこの臭みと硬さは仕方ないよね」ひたすら咀嚼を繰り返しながら、レイトは自身に割り当てられた防護服に目を落とす。「しかし半分正解ってことは……これ、やっぱりアイゼルさんのところのってことかぁ……」


 アイゼルは仲間の安全を確保するために防護服の貸与を断ったはずだった。それが今ここにあるということは、自分たちが彼らの安全をもぎ取ってしまったにも等しい。求めていたものが手に入ったからといって、素直に喜ぶことはできなかった。


「勘違いすんなよ」レイトの心中を見透かしたようにハルキが言う。「ちゃんとこっちの言い分を話して、合意で決闘になって、それで全員ぶっ倒して獲ってきたんだ。盗んだわけでも強奪したわけでもねぇよ」

「いや、それでもさ……」

「なんだよ。地上にあるやつは劣化してるだの地下都市は遠すぎるだの、他に当てがねぇのはおまえも分かってただろうが。それともアレか、自分で自分の首絞めるのが趣味なのか?」


 それは違う、とレイトは首を横に振る。

 確かに、ハルキの言う通りだった。レイトたちが最終エリアに向かう反面、アイゼル一行はそれから遠ざかるルートを辿ってさえいたのである。他人の事情を慮るあまり自分たちのそれを蔑ろにしていたのは紛れもない事実、それ以上言い返す言葉は浮かばなかった。


「ま、だからこそ俺は一人で勝手に行ったんだけどな」ハルキが大口で肉を噛みちぎる。「ついでにナイフと携帯用の小型ライトも副賞ってことで貰い受けて、経験値稼ぎに犬を狩ってたら遅くなっちまった。心配かけて悪かったな」

「昔からそうだけど、ハルキって成長速度がえげつないよね……一体何をどうしたら、十日足らずであの犬を狩れるようになるのさ」


 何かと敵対したらそれよりも必ず強くなるように、身体にプログラムでも仕込まれているのだろうか。ある日いきなりサイボーグだとカミングアウトされても、レイトは驚かない自信があった。


「ねえ、ハルちゃん、ハルちゃん」ひたすら黙々と肉を頬張っていたニタが、残った串をハルキの目の前に差し出す。「動物のお肉って、全部こんな感じなの? ちょっと硬かったけどすっごく美味しかった!」

「ん? ああ、まあ見た目は大体そんな感じだな。味や硬さならウシとかブタとかの方が……つか、そもそもあいつらって野生で生き残ってんのか……? なあレイト」

「うーん、イノシシやバッファローみたいな原種なら探せば見つかるかもね。家畜化されたのは……犬であの様子なんだし、ちょっと難しいんじゃないかなあ」


 そっかあ、とニタは串を口にくわえる。既にかなりの量を食べたはずだが、よっぽど気に入ったのかまだ名残惜しそうだった。


 調理に使った焚火を消し、三人は地下へ戻る。今晩は防護服の必要がなく安全な非常用通路で一夜を明かし、翌朝水の補充をしてから改めて地下二階の捜索をすることになった。


 あれだけの目にあったのだから、巨大ネズミもしばらくは寄りつかないだろう。やや楽観的なレイトの主張に、異を唱える者は誰一人としていなかった。

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