出発の朝

「おっはよー、二人とも! いよいよ出発だね!」

「ぅ……眠、い……」

「……早ぇよ……無理だっての……」

「あ、あれ? そんな時間だったかなあ?」


 部屋の中央で仁王立ちをしたニタが、何度も時計を見上げてあたふたしている。ハルキと並んで布団に横たわった姿勢のまま、レイトはぼんやりとその様子を眺めていた。


 起きなければ。それは分かっているのだが、脳以外の全てがどうにもこうにも動いてくれない。今更ながら、昨夜のハルキの忠言を素直に聞いておけばよかったと思う。


 いや、でも。その張本人であるハルキ自身がものの一秒もしない間に二度寝の魔力に絡めとられてしまっているのだから、つまり昨夜の会話は結局必要なものだったと……あれ、自分は今一体何を考えていたのだったか。

 ああ駄目だ、脳すらも。


「ぐうぅ……うああ、ぁ……」


 苦悶の呻きと獣の唸り声を足して二で割ったような音を喉奥から絞り出しながら、レイトは全精力を振り絞って上半身を起こす。それでもまだ靄のかかっている曖昧な意識の中に、自分にこんな声が出せるとは知らなかった、と妙に感心している冷静な自分がいて。


 ようやく、脳細胞が覚醒し始める。


「……おはよう、ニタちゃん。いやあ、昨日予想外に夜更かししちゃったもんで……」

「あらら。大丈夫? もしかしてハルちゃんも?」

「うん。でもハルキは午前中に起きるといつもこんな感じだし、心配ない心配ない」


 そう答えた直後、レイトの肩がものすごい力で引っ張られた。抵抗及ばず布団に逆戻りした視界の中で、上体を起こし大あくびをするハルキが寝ぐせのついた後頭部を無造作に搔きむしっている。つまり、レイトはハルキに起き上がるための手すり代わりにされたらしかった。


「あのさぁハルキ。『起きる時は誰にも迷惑をかけずに起きようね』って何度言ったら分かるのかな?」

「んんー? 別に、迷惑なんてかかってないだろ? なぁニタ」

「あれれ僕の姿がお見えでない?」


 ほらほら手ぇ貸してやるから、と差し出されたハルキの手を、レイトは仕返しのつもりで思い切り引っ張る。その力を逆に利用され、気が付けばすくりと立ち上がってしまっていた。振り返って確認したが、肝心のハルキはレイトの手を押し上げたポーズのままにやにやとして、なおかつ微動だにしていない。


「くっ、これだから、喧嘩慣れした筋肉ってやつは……」

「すごーい、レイちゃん! かっこいい!」

「うーん、ありがとう……?」


 やがてハルキも立ち上がり、布団を片付けた三人はローテーブルを囲んで最終確認に取り掛かる。持てる物資の量は限られているため、取捨選択の必要性はいくらでもあった。


「結局、一番かさばってるのは水か」地下都市から持って来た二リットルの携帯用圧縮ペットボトルを持ち上げ、中の水を揺らしながらハルキが言う。「これが五本もあるんだからな。水源さえ見つかりゃ最低限残してあとは潰しときゃいいけど……それまでが面倒なんだよなぁ、これ」

「それでも二日もたないけどね。だから水源探しを最優先にするとして……ニタちゃん、ルートはメインストリートから街道沿いに森の中を進んでいくってことでいいんだよね?」

「うん! 昔はあの先にも街があったはずだから、ここみたいな廃墟が探せるかなって思って」


 ニタは一人席を離れ、飾りきれずに積まれている遺物の山の辺りをガサゴソと漁っていた。不審としか言えないその行動を訝しみながらも、レイトは地図になる予定の紙に現在地からの矢印を書き加える。


「了解。地下都市建設中の仮住居は全部その周辺にあったって本には書いてたから……自然エリアの拠点がもし見つかっても、地下シェルターはないと思っていいかな。最低限、屋根と壁が生き残ってくれてればいいけど」

「ねー。……あっ、見付けた! 良かった、どこも壊れてない」


 ニタが引っ張り出したのは、なかなか不安定な形をした青いヘッドホンだった。レイトが地下都市で使っていたものよりも十世代くらい旧型のそれを、ニタは嬉しそうに首にかける。


「なんだよそれ、有線のくせにコード切れてんじゃねぇか。使いもんにならねぇだろ」


 ハルキが指さした先を見れば、確かにヘッドホンの先からコードらしきものが伸びていた。その長さは十センチにも満たず、自然に切れたというよりは無理矢理千切られたような印象を受ける。


「あ、うん……コードって、これのことだよね?」


 ニタが指先でコードをつまみあげる。知ってるんだ、とレイトは首を縦に振った。


「普通はその先についてるプラグをパソコンとかに……って、ここにパソコンはないんだったっけ。えっと、それも遺物なんだよね?」

「うん、これは私じゃなくてお父さんが拾ってきたやつなんだけど。お父さんも落とし物を集めるのが好きでね、中でもこれは気に入ってていっつもこうやって首からかけてて、それで、あの……時、も」


 不意に途切れ途切れになる言葉。ニタの顔がみるみる青ざめていく。

 しまった、というようにハルキが顔をしかめた。昨日の今日で、どうやら早速地雷を踏みぬいてしまったらしい。


「ええと、あの」レイトは慌てて言葉を探す。「コードが切れてても、使い道はあると思うよ。例えば、ええと、ほら、寒いときとか! 耳、冷たくならないし」


 言ってしまってから、我ながら酷い案だ、と胸中で頭を抱える。

 しかし、どうやらこの場に限ってこの珍案は正答だったらしい。一瞬だけ呆けたような顔をして、そして、ニタはくしゃりと笑う。


「……うん、お父さんも冬はそんなことしてた。あれって正しい使い方だったんだね」

「えっ、あっ……うん。そうだよ」

「そっかぁ……えへへ。お父さんはね、外に行きたいっていう私の夢を、ずっと応援しててくれたから。だから、一緒に行きたいなって思ったの」


 あまりにも早い精神状態の回復っぷりに、困惑を隠しきれないレイトとハルキは視線を交錯させた。元通りの笑みを浮かべたニタは、それを気にすることもなく何事もなかったかのようにソファーへと戻ってくる。


 出発前談義はそれからもしばらく続いていたが、ニタは道具が詰め込まれて重くなった鞄をのぞき込んだりレイトの描いた地図未満を眺めたりしては終始楽しそうに話していた。時たまヘッドホンに触れて寂しげな表情を見せたかと思っても、すぐにもとの無邪気な笑顔に戻ってしまう。


 彼女も彼女なりに、気を遣ってくれているのだろうか。

 そう思ったレイトは、何一つ気づかなかったふりをした。

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