二章 異端の旅人
地上に暮らす少女
「鞄? これのこと?」
「うん。新しいのが落ちてるー! って、つい周りが見えなくなっちゃって」
「あー、だからロープ鷲掴みにしたのね……」
包帯が巻かれた両手を膝の上で重ね、少女――ニタは恥ずかしそうに小さく頷いた。レイトは包帯の切れ端をゴミ袋に入れ、改めて自分達の持って来た鞄をしげしげと眺める。
特段、珍しいものでもなければ価値のあるものでもないはずだが……。
あの緊迫感に満ちた出会いの後、双方の謝罪と自己紹介と和解を終えた面々は、ニタの案内で彼女の自宅を訪れていた。十四歳の彼女が一人で住む家は、レイトとハルキが仮宿としていた廃墟から歩いて三分ほどの、これまた廃墟……の地下にある、十五畳ほどのワンルームだ。
曰く、まだ地上の放射線濃度が高かった頃に人々がシェルターとして活用していた空間らしい。周辺にも、同じようにして暮らしている人々が数十人ほどいるということだ。
それにしても、人がいるだけでなく集落まで成り立っているとは予想外だった。そうなると気になってくるのが彼らの由来だが、少なくとも地下都市で読んだ歴史資料にその関連の情報はなかった。まさか宇宙人ということはあるまいし、自分たちのように少人数でこっそり地下都市を抜けだした人たちの子孫なのだろうか。
時刻は真夜中。ニタがどうしてそんな時間にあんな場所にいたのか、レイトは傷を手当てするついでに訊きだしていた。
「鞄、好きなの?」
「鞄だけじゃなくて、地下に行っちゃったっていう昔の人の落とし物を集めてるの。この街はこんなだから、一度行った場所でも壁が崩れたりして新しいのが出てくることもあって」
「なるほどね。ところでこの鞄、四百年前の遺物に見える?」
「う。それは、そのぉ……」
明らかに言い淀むニタを見て、レイトは思わずにやりとしてしまった。ごまかすように横を向いて、目の前のローテーブルに置かれたマグカップを手に取る。中身はお茶だったが、地上で独自栽培された茶葉なのか地下都市で飲んでいたものとは全然味が違った。
とはいえ好きな味だ。上手く説明がつかないが、なんとなく新鮮さのようなものを感じる。
「あっ、あのねっ」ニタが取ってつけたように明るい声を出し、両手を合わせた。「今まで私が集めたもの、見せてあげる! どれもお気に入りなんだけど、使い方が分からないものもあって……もし知ってたら、教えてほしいの!」
「え? ああ、うん。それじゃあ、是非」
レイトが微笑むと、ニタは嬉しそうにソファーから立ち上がって壁際へと走っていった。備え付けの棚に並んでいるものはどれも綺麗に手入れされているようだが、隠しきれない古さが滲んでいる。部屋の雰囲気に不釣り合いなそれらの存在は、実はレイトも初めてこの家に入った時から気になっていたものだった。
「えーっと、これと……あと、これも!」
やがて、ニタが両腕に何やらアンティークなものを抱えて戻ってくる。ローテーブルの上に並べられた二つの骨董品はどちらも、金属やガラスなど非分解性の材料で構成されていた。つまり、人の手による保存なしに長い歳月を生き延びるには、素材選びも重要になってくるということだ。
「この、左のやつは見たことがあるよ」レイトはバキバキになった液晶画面がついた板を持ち上げる。「小型のテレビじゃないかな。今はもう、この手の非操作映像出力機器は投影型が主流だけどね」
「テレビ……ひそ、映像、トーエイがた……?」
何を言っているか分からない、という表情のニタ。ああそうか、とレイトは脳内の語彙をひっくり返して言葉を探す。
「ええとつまりテレビっていうのは、ラジオやインターネットとかと並んで、他の場所や身の回りの情報を得る手段で」
「情報……ってことは、新聞! 新聞と同じだね!」
「しんぶ……ああ、新聞ね! そうそう、そういえばそんなのもあったっけ」
それにしてもなんで今更、そんな時代遅れのアナログな手段を……と言いかけて思い出した。ここに来るまでの道のりにはケーブルの一本、アンテナの一つも見当たらなかったのだ。
つまりそれは、電波というものが存在していないということ。四百年前には空を飛んでいたらしい通信衛星とやらも、そもそも通信局が地面の下に潜ってしまったんじゃ役立たずだろう。
「そっかぁ、こんなにちっちゃい新聞があったんだね。重たいし、文字もちょっとしか書けないから不便そう」
ニタは、目をキラキラとさせてテレビを観察している。レイトは、喉まで出かかった修正をお茶と共に飲み下した。
知って使える訳でもないのに、液晶画面の仕組みを延々と説明するのは何かが違う。そんな気がした。
「それで、もう一つのこっちは……何だろう。ランプにしては大きいし……僕も、ちょっと分からないかもな」
もう一つの遺物は、ガラスと金属が組み合わさった物体だった。細長い形は火を見て楽しむための特異なランプに似ているが、高さは一メートルほどもある。所々くびれた本体の途中からは伸縮性に優れた管が生えていて、これもランプにはついていないはずのものだった。
他に何か、どこかにヒントがないものだろうか。研究者気質が顔を出したレイトは、遺物に限界まで顔を近づける。吐く息がガラスに白く細かな水滴をつけた。
と、入り口の方から鉄階段を下りる硬い足音が聞こえてきた。地上に出ていたハルキが帰ってきたらしい。
「おかえりハルキ。どう? やっぱり澄んだ空気の中で吸うタバコは格別?」
「……ああ、まぁな」
仕切り壁の向こうからいつもより低いトーンの声だけが聞こえてくる。少し待ったが、レイトのいる側に出てくる気配は一向にない。
「うーん……あ、そうだ。ねえちょっとハルキ、これ知ってる? 四百年前の遺物らしいんだけどさ」
レイトがそう言ってようやく、壁の向こうからハルキの顔が覗いた。レイトが触れている遺物に目を止め、
「シーシャ。別名、水タバコ」
「水タバコ? 電子でも紙でもなくて?」
「ああ。使い方は俺も知らないけど、ガキん時爺ちゃんが大切そうに持ってたのを覚えてる。俺の記憶が正しければ、四百年前の段階でもう結構な骨董品だったはずだ」
それだけ答えて、また壁の向こうに姿を消してしまう。レイトに向かって話している間、ニタにはちらりとも目を向けなかった。
「ハルキ君……だったっけ。怖い人なの?」
ニタがレイトに顔を寄せて囁く。
「いや、全然そんなことないけど……いや、ある意味そうかな……?」
「そう? でも、さっきはずっと私のこと睨んでたし、今は見ないようにしてた気がするし……もしかして鞄のこと、まだ怒ってるのかな」
「あー、あれは怒ってるんじゃないんだ。それは大丈夫」
そっか、と答えてニタは立ち上がった。何事かとレイトが追う視線の先で、ハルキのいる壁の向こうにずんずんと歩いていく。
「ハルちゃん!」
「は⁉ なんだよいきなり何の用だよ⁉」
直後、二人の声が壁の向こうから聞こえてきた。
おっと……なんだか巻き込まれたら面倒なことになりそうな予感がビリビリするぞ。
即座に静観を決めたレイトはソファーの隅に身を寄せ、空気のふりをしてお茶をすする。
「……なるほど。これは、今までに会ったことのないタイプだ」
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