夕闇を背に

 陸地に近付くにつれ、道路上に車の残骸が目立つようになってきた。表面の色は完全に消え、塩の結晶がこびりつき、何をどう修理したところで再起の見込みはないだろう鉄くずだが……何故だろうか。同じ環境にあったはずの扉や手すりと比べて、やけに損傷が激しすぎる。それとも海風というのは、時に重たい車のパーツを易々と吹き飛ばしてしまうような代物なのだろうか。


 そんな廃車の一台、変形したボンネットにレイトとハルキは並んで腰かけていた。遠くの水平線にちょうど太陽が沈んでいくところで、橙の光彩を纏った金色の光柱が波間をまっすぐ貫いている。


 動きは本物通りでも、偽天球の太陽は建物の陰に呆気なく消えていくばかりだった。写真集で見た絶景の数々は、てっきりコンピューターグラフィックスで作られたものだと信じて疑わなかったのだが。

 いざ、こうして目にすると写真通りの、いや写真以上の世界がそこに広がっていた。刻々と姿を変える光の揺らめきに、奪われた視線が更に絡めとられていく。


 格段に温度の低くなった風が、背中側から容赦なく吹き付けた。

 全身を寒気が走り抜け、レイトは思わず大きなくしゃみをする。


「ックシュ! うう……」

「なんか、急に冷えて来たよな。これから氷河期でも来んのかって感じ」


 ハルキも、肩をすぼめて自らの腕を抱きかかえるようにさすっていた。


 よく見ると、露出した両肩に鳥肌が立っている。いくら身体が強靭だろうと、こういったパワータイプ以外の攻撃には普通に弱いらしい。


「ハルキ、肩出てるし余計に寒いでしょ。季節とか気温変化とか、全く考えないで来ちゃったから……これは想定外だったなあ」

「仕方ねぇだろ、今までそんな必要なかったもんよ」

「今更だけど、気温管理システムの偉大さが身に染みて分かるね」


 沈む夕陽の最後の一閃を見届け、レイトは辛うじて残った屋根部分のフレームに立ちあがった。昼間と比べれば大きく劣るが、日没直後の菫色の空はまだそれなりの明るさを保っている。瓦礫まみれの廃墟群とハイウェイの接続部分が、もう目と鼻の先にあった。


 レイトの両足をガッチリと掴んで支えるハルキは、廃墟群に背中を向けている。ボンネットに座ったまま仰け反って後ろを見ようとしているが、どうにも呼吸が辛そうだ。横方向に振り向くという選択肢は無かったのだろうか。


「クッ……み、見える、か? ン、グ……どんなもん、だ?」

「無理しないでよ。えーっとね……あと二十分も歩けば着くと思う。ここで寝たら風邪ひきそうだし、ちょっと危ないけど今日中に廃墟の所まで行っちゃおうか」


 また足さえ踏み外さなければ大丈夫なはずだ。両頬を叩いて気合を入れ直し、レイトは一足に廃車から飛び降りる。続いて地面に立ったハルキは背中を丸め、背骨の辺りをゴシゴシとこすっていた。


 そうしている間にも、夕闇は次第に深くなっていく。視界が制限される中で聞こえる波のざわめきは、鼓膜を直接包み込んでいるかのようだった。自分とその周りの空間との距離感が、なんだか曖昧になっていく。


 今日一日だけでハシゴを五百メートル以上登り、十キロ近くの道のりを歩いてきたのだ。常日頃から軽いフットワークと無尽蔵の体力を誇るハルキはともかくとして、昨日までパソコンの前が主な定位置だったレイトの身体にはオーバーワークもいいところである。


 なんとかここまで辿り着いた。もう少しで、この大決断のスタートラインを無事に踏み越えることができる。


 疲労に加え、そんな安堵もあったのかもしれない。着実に歩を進めながらも、レイトの意識は猛烈な眠気に襲われ始める。


「レイト、どうした? そんなにフラフラしてると落ちるぞ、ああほら危ねぇ!」


 小さなくぼみに足がはまり、ぐらついた身体をハルキが受け止める。脇に差し込まれた腕にほぼ全体重を預けながら、レイトは体勢を立て直して首を左右に振った。


「ああ、せっかくあとちょっとなのに……大丈夫、頑張る、から……ふわあぁ」

「どう見ても大丈夫じゃねぇよ。あーあ、もう寝てろって」

「いや、でも寒い、し……廃墟までは、行かないと」

「んなこた分かってるっての」


 ふわり、と。


 驚くほど呆気なく、レイトの足が宙に浮いた。束の間、ハルキに担ぎ上げられたのだと思い至る。


 レイトは大人しくハルキの首に腕を回し、冷えた首筋に顔を埋めた。潮の香りに混じって、ほのかに乾いたラベンダーのような匂いがする。


「なんか……前にも、あったよねえ……こんなこと……」

「あー、なんだったかなぁ……たしか俺があの、例のクソ野郎を追っかけてった時じゃなかったか? おまえ、都市の反対側まで探しに来てさ」

「ああ、そうそう……郊外の人たちを、不当に働かせてて……そういえば、ハルキとまともに会話したのも……あの時が初めてだったっけ……」

「まさか、おまえの親の仇と同一人物だなんて思いもしなかったからな……つかおまえ、やけに手ぇあったかいけど。熱でもあんのか?」

「それはね……人間は、眠くなると、手足の……末端に……血流、が――――」


 意識が、落ちた。

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