問題とするべき点がちがうだろ

藍条森也

一話 子供と親とどっちが大切? 問題は金だろ

 「自分の子供より親が大切なら、離婚して側にいてあげればいいじゃない!」

 安藤あんどう香奈かなは涙ながらにそう叫んだ。その叫びがすべてのはじまり。

 それは、藍条あいじょう森也しんやを呼ぶ声だった。


 「でっ? なんでわざわざそんなことでおれを呼んだんだ?」

 藍条森也は車の助手席で不機嫌そうに尋ねた。と言うより、詰問した。運転席に座っているのは黒瀬くろせヒロ。森也の現担当編集。

 夜の住宅街を一台の車が走る……と言うほどのスピード感はない。さすがに、住宅街、それも、夜ともなればそうそうスピードは出せない。

 『ゆっくり移動している』

 そう言った方がよい程度のスピードで狭い道を走っている。

 「だから、言ったでしょ」と、ヒロ。こちらも森也に劣らずの不機嫌そうな様子で言う。と言うより、森也がいかにも不機嫌な態度なので腹を立てている。

 ――やれば何でもできるやつなんだから、文句言わずにやればいいのに。

 そう思うのだ。

 「知り合いの夫婦がヤバいことになってるから、あんたに解決してほしいのよ」

 「夫婦の問題なんぞ夫婦で解決すればいいだろう。なんで、赤の他人のおれが引っ張り出されなきゃならんのだ」

 と、森也はブチブチ言い続ける。森也は売れないマンガ家。いつクビになってもおかしくない崖っぷちの連載持ち。ただし、知性においては地球生物史上最強……と、本人は言っている。

 「夫婦だけで解決できるならそうしてるわよ。そうはいかないぐらいこじれちゃってるからあんたに頼んでるんでしょ。その自慢のおつむで何とかして」

 ヒロはそう言い捨てると――いまだにブチブチ言っている森也を完全無視して――車を走らせつづけた。


 安藤夫妻は共に三〇を過ぎたばかり。社宅住まいで小学校入学を来年に控えたひとり息子との三人家族。その安藤夫妻はいま、なかなかにやっかいな事態になっていた。

 「……発端は一年前なんです」

 香奈は深刻な表情で話しはじめた。

 出来ることなら言いたくはない。まして、他人なんかに。でも、言わないわけにはいかない。

 そんな表情だった。

 その隣では夫君ふくん真之まさゆきがむっつりと不機嫌そうに黙り込んでいる。

 ――何で、見ず知らずの人間が夫婦の話に首を突っ込んでくるんだ。

 森也を見る真之の表情がそう言っている。

 『さっさと帰れ』と。

 森也にしてみれば不本意もはなはだしい。

 こっちだって夫婦の問題になんて関わりたくない。まして、こんな単純で、簡単な問題なんかで煩わされたくはない。それを無理やり連れてこられたのだ。帰っていいならいつでも帰ってやる。隣にいるヒロが編集特権を悪用して『連載停止を訴えてやる』という見えない鎖で自分の身を縛っていないなら。

 ――おれは来たくて来たんじゃない。そんな目で見られる謂れはない。

 そう思い、真之以上に不機嫌な森也であった。幼い頃からの経験で内心の思いを表に出さない癖が付いているので、表情に出すことはまったくなかったが。

 香奈は夫の不機嫌も、森也の不満も気にせず――と言うより、気にするほどの余裕もなく――事情を話しはじめた。

 「夫のお母さんが難病を発病してしまって、もう先が長くないって。そうしたら、お義父さんが『生きているうちにできるだけのことをしてやりたい』って、あちこち旅行に連れて行ったり、ご馳走を食べさせたり……」

 「当たり前のことじゃないか」

 と、夫君の真之が不機嫌丸出しの声で言った。

 「長年、連れ添った夫婦なんだ。最後の時を迎える前に出来るだけのことをしてやりたいって思うのは普通だろう」

 「お義父さんに余裕があって、自分のお金でやるなら何も文句はないわ。でも、そのためにうちからお金を借りていったじゃないの。それも、百万円も。息子の小学校入学に備えて貯めておいたお金なのに……。しかも、それを返しもしないでまた『海外に連れて行ってやりたいから金を貸してくれ』って」

 「お袋の生命保険が入ったら返すって言ってただろう! 親父の言うことを疑うつもりか⁉」

 「そんなのわからないじゃない! 前に借りたお金を返しもせずにまた無心してきてるのよ。結局、返してくれないんじゃないかって疑いたくもなるわよ。うちだって余裕があるわけじゃない。共働きで、社宅住まいでもギリギリなのに。その上、子供も小学校入学を控えて何かと物入りなのに……」

 「お前には人の心がないのか! 長年、連れ添った相手のことを思う気持ちがわからないのか⁉」

 「余裕のない息子にお金を借りてまでやることじゃないって言ってるのよ! 自分の子供と親とどっちが大切なの⁉ あたしは義理の両親のためにお金を使って、子供が必要なときに出してやれなくなるのがいやなのよ!」

 ふたりはお互いに怒鳴り合う。そこにいるのはもはや『夫婦』という言葉から連想される信頼や協調に結ばれたふたりではなかった。お互いに自分の不平不満をぶちまける赤の他人がいるだけだった。

 そのいたたまれない雰囲気にヒロは首をすくめて居心地悪そうにしている。一方、森也はと言えば――。

 わざとらしく溜め息をついて見せた。

 「いい加減にしてもらおうか」

 森也はそう言った。心の底からうんざりしている言い方だった。

 「赤の他人を前に怒鳴り合うようなことではないだろう」

 「だったら……!」

 ――出て行けばいいだろう! おれが呼んだわけじゃないんだ!

 真之がそう叫ぶ前に森也は声を出していた。

 「問題とするべき点がちがうだろ。香奈さん、だったな。あんただって何も『難病の女房なんて放っておけ』と思っているわけじゃないだろう。充分な金さえあれば払ったってかまわないんだろう?」

 「それは……そうですけど」

 「それと、真之さん。あんたも何も子供の将来を犠牲にしたいわけじゃないだろう。子供のための金は残しておきたいはずだ」

 「当たり前だ」

 「だったら。問題は『子供と親とどっちが大切なのか』じゃない。問題は『金』だ。まずは、いくらあれば両方、問題なくこなせるのかを計算する。それから、どうしたらそれだけの金を工面できるかを考える。そうすれば夫婦での共同作業になる。ギスギスする必要はない」

 「で、でも、そんな都合よくお金を工面する方法なんて……」

 「それをこれから考えるんだ。世の中、たいていのことはアイディアひとつで何とかなるもんだ。本当の問題は、すぐに『二者択一』と思い込んで『第三の道』を探さないことにあるんだ。ほとんどの場合、第三の道はちゃんとある」

 そして、森也とヒロ、安藤夫妻の四人で一晩中、話し合った。結論は――。


 世間に助けてもらう。


 その一言だった。

 

 地元の企業相手にクラウドファンディングで資金提供を呼びかける。お返しとするのは感謝状と、そして――。

 世界人助け同盟の会員証。


 ネットでその旨を伝えたところ、たちまち数社から連絡があり、あっさりと目標額が達成されてしまった。安藤夫妻はあまりの簡単さに拍子抜けというか、戸惑っているというか、そんな表情だった。

 「……金が手に入ったのは嬉しいけど」

 「他人様からお金をもらうなんて……」

 夫婦共に納得できない様子だった。

 そんなふたりに森也は言った。

 「恩を背負って重いなら、余裕が出来たときに今度は自分たちが誰かを助けやるんだな。それでおあいこだ」

 それから、ヒロに言った。

 「さあ、帰るぞ。おれの出番は終わった。あとは家族の問題だ」


 「まったく。この程度のことでいちいちおれを呼ぶんじゃない」

 森也は相変わらず不機嫌そうな様子で車の助手席に身を沈めたまま、両目を閉ざした表情でそう言った。

 安藤夫妻は知らない。

 自分たちがクラウドファンディングで資金を募ったとき、

 『自腹を切って人助けをするオーナーさんの心意気が気に入ったから、これからはこのお店で買い物する』

 という呟きがネット上に広がったことを。

 「でも、あれ、よかったの?」

 ヒロが少々、不安そうに言った。

 「何か問題になったりしない?」

 「かまわんだろ。『売り上げの一部を寄付します』と言っている企業は多い。それとかわらんさ」

 「それはそうかも知れないけど……」

 地元企業と消費者をつなげた一大ムーブメントの作成。

 それが森也の編み出した解決策。

 地元企業は地元民を助けることで評判を高め、売り上げを伸ばす。

 地元民は地元企業で買い物することで自分が困ったときに助けてもらえる手段を確保する。

 その仕組みを作りあげ、大手出版社の人脈を駆使してネット民を動員することで、水面下で広めたのだ。地元企業がそのアイディアに飛びつくのは――。

 自明の理だった。

 森也にとっては何ほどのこともない。『考える』などという手順すらいらない。

 マジシャンがいつでも他人を驚かせることができるように人知れずマジックの種を仕込んでいるように、

 お笑い芸人が他人に求められたときにいつでもネタを披露できるようにたくさんのネタを考えているように、

 森也には日頃から蓄えた智のストックが大量にある。そのひとつを出した。ただ、それだけのこと。そのことに何の苦労も、手間もない。しかし――。

 「自分たちでそのアイディアに思いつくよう、思考を誘導するのは大変だったんだぞ」

 森也は不機嫌丸出しにそう呟く。

 森也が自分でそのアイディアを出して、教えてしまえば話は簡単だ。しかし、それでは夫婦の共同作業にならない。夫婦で悩み、考え、共同作業を通じて絆を深める。その効果を得るためにはあくまでも夫婦が自分たちで考え、自分たちでその結論にたどり着かなくてはならない。

 その結論に達するよう、それとなく誘導するのが森也の役割。それは――。

 なんとも面倒なことだった。

 「でも、そのおかげであのふたり、いっそう夫婦の絆が深まったみたいじゃない。これからはきっと、以前よりいい夫婦になれるわ」

 「そうなってくれなきゃたまらんよ。そうなるように、あれだけ手間暇かけて誘導してやったんだ」

 森也はひとつ、溜め息をついてから言った。

 「とにかく。もう二度とこの程度のことでおれの手を煩わせるなよ。こんな簡単なことは自分でやってくれ」


                    完   

 

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