第19話

「こんなことだろうって、わかってました」


 夜の公園。天乃はカップ麺を啜って言った。

 ベンチは薄く街灯に照らされていて、微かに虫の声が響いている。

 正真正銘、夏の夜だ。


「天乃、お腹いっぱいになってなさそうだったから」

「……そうですね。足りないとは、思ってましたけど」


 コンビニで買ったカップ麺を夜の公園で食べるという行為には、少なからず背徳感がある。


 夜に家に帰ることなく寄り道して、二人で肩を並べてカップ麺を啜る。

 なんだかちょっと馬鹿みたいだけど、悪いことをしているって思うと楽しい。

 けれど天乃は不満げだった。


「ふふ、だよね」

「何笑ってるんですか」

「うん? なんか、こうして二人でいるとさ。姉妹っぽくて楽しいから」

「……どの辺が姉妹っぽいんですか」

「んー。んふふ。もしかしたら、天乃と二人でいるだけで、姉妹っぽくて楽しいのかも」

「なんですかそれ」


 天乃は呆れたように言ってから、小さな口で麺を啜っていく。

 私はそこまでお腹が空いていないが、こういうのは二人で食べることに意味があるのだ。だから軽そうな春雨スープを選んだけれど、意外にきつい。


 ちゅるちゅる春雨を啜って、天乃の方を見る。

 街灯に照らされた天乃の髪は、いつもよりもっと綺麗に見えた。


「先輩?」

「夏に外で鳴いてる虫ってさ、全部鈴虫なのかな?」


 天乃の髪を撫でる。

 さらりとした感触は心地いいけれど、天乃は私に触られて不愉快そうな顔をしている。


 触るだけで仲良くなれるなら誰も苦労しないと思う。

 でも今は、天乃に触れていたかった。


 來羽と三人でいて、いつもの天乃じゃない、昔と同じ天乃を見て少し不安になったんだろうか。


 私たちの間に流れる時間は逆行しない。この一年でゆっくりと近づいた距離が急に離れるなんてことはない。


 そう思うけれど。

 思いと行動は噛み合わないことがしばしばある。


 でも、最近はそういうことが多いかもしれない。天乃と一緒に風呂に入った時も、そうだった気がする。


「夏はコオロギとかじゃないですか。鈴虫は秋ですよ、多分」

「そっか。……天乃の髪、さらさらだね」

「触っていいなんて、言ってませんけど。十倍で返しますよ」

「しっぺとかはやめてね?」

「しませんよ。野蛮人じゃないんですから」


 私は天乃から手を離して、春雨を食べる。

 しばらくそうして食事を続けていると、先に天乃の方が食べ終わって、容器をベンチに置いた。


 それを見て私も食べるペースを早める。

 その途中。

 不意に天乃が、私の髪に触れてきた。


「マンネリですね」

「え?」

「最近の先輩は、つまらないです。姉妹っぽいことなんて言っても、結局姉妹じゃなくてもできることしかしないじゃないですか」


 天乃はそう言って、手を段々と下に移動させてくる。

 頬に触れた指が滑ってきて、唇が親指に押された。


「こんなんじゃ一生かかったって、姉妹になんてなれませんよ」

「……天乃?」

「全部、忘れさせてくださいよ。姉妹になる選択肢以外、全部全部、奪ってくださいよ。そうじゃないと……」


 天乃にキスされそうになった時のことを思い出す。

 誰もいない夜の公園。キスしてもおかしくはないシチュエーションだ。私たちが姉妹で、お互い好き同士ってわけではないという事実を除けば。


 來羽は友達ともキスできると言った。

 私もそうなんだろうか。


 なんとなくそういう雰囲気になったら、ちゅっとする。そんな軽いノリでキスをしてもいいものなんだろうか。


 天乃はどうなんだろう。

 キスくらいなら、したって後悔しないのかもしれないけれど。


 來羽の話を聞いたからか、私の心の防壁のようなものが少し薄くなっているような気がする。


「天乃の求める姉妹らしさって、どんなもの?」

「知りません。わかりません。そんなのは全部、先輩が見つけてください。私は……。私は、なりたくない。先輩と、姉妹になんて」

「……え」


 胸が、ざわついた。

 天乃の言葉に、思ったよりも動揺している自分に気がつく。

 なりたくないとはっきり言われたのは、これが初めてだ。


 天乃と私は、それなりに仲がいい。最初に姉妹になりたいと言った時、拒まれなかったことからも、それは間違いないはずだ。


 ……本当は違うのだろうか。

 だとしたら、私は。


「姉妹らしくなろうって思って過ごせば過ごすほど。なりたくない気持ちがどんどん強くなっていく。……でも、先輩は私と姉妹になりたいんですよね?」

「……なりたいよ。その気持ちは、変わらない」

「だったら、全然足りないです。何もかもが、足りてないです」


 私は容器をベンチに置いて、天乃と目を合わせた。

 天乃はじっと私を見つめている。


 その表情は真剣だが、どこか不安げでもあった。やっぱり、他者といきなり姉妹になるなんて無理なのかもしれない。


 それでも私はそうなりたいと願った。

 私はもしかすると、天乃と姉妹になれるとわかった時から、ずっと余裕がなかったのかもしれない。


 天乃ともっと仲良くなりたい。家族になりたいという気持ちが強すぎて、何か大切なものを見失っていたのだろうか。


 絶対に嫌というほどではかったにせよ、天乃は最初から私と姉妹になることに積極的ではなかった。

 でも。


「教えてください。先輩は私と、どんな姉妹になりたいんですか? どんな姉妹を目指しているんですか?」

「……休日も一緒に遊びに行くくらい、仲良い姉妹」

「それ、今までと何が違うんですか?」

「今までは、手なんて繋いでなかったよ」

「今までだって、言ってくれれば繋いだって言ったら?」

「……お風呂は流石に一緒には入らなかったでしょ?」

「わかりませんよ。わからないんです。私たちはもう、ただの先輩後輩じゃないんですから。あのまま、二人っきりの部室の延長線上に、今の日常があったとしたら。私たちは普通に手くらい繋いだし、お風呂にも入ったし、それに……」


 天乃は無表情で私を見ている。

 その瞳に浮かぶ感情は、どんなものなんだろう。じっと見つめてみると吸い込まれそうになって、感情を知ることはできそうになかった。


「全ては仮定で、無意味ですけど。姉妹になりたいと言うのなら、今までの私たちじゃ想像もできないようなことをしてください。それができないなら、私は先輩とは姉妹になんてなりません」

「……いいの? キモいこと、するかもよ」

「先輩がキモいのは今に始まったことじゃないです。一キモから十キモになったところで、誤差みたいなものですから」

「じゃあ……」


 友達とは絶対にしなくて、姉妹とはすること。

 私は一人っ子だから、わからない。なら今まで誰ともしたことのないことをすればいいのだろう。


 天乃は私を試している。

 どれくらい私と姉妹になりたくないのか。天乃が何を思って、もっと強引なことをしろと言っているのか。


 今の私にはわからないけれど。でも、私の行動を彼女が望んでいるのなら、迷っている場合ではないと思う。


 私は大きく息を吸って、天乃を強く抱きしめた。今までと違って、遠慮なく力を込める。天乃が決して私から逃げられないように。想いを伝えるように。


 天乃はしばらく何もせずに私に身を委ねていたが、やがて私を抱きしめ返してきた。


「結局、これなんですね。つまんないです」

「でも、多分。これが私の求める姉妹の形だから」

「……まだ、足りないです。もっと先輩の姉妹らしさを感じさせてください。今までの私が消えるくらいに、姉妹らしさを注ぎ込んでください」

「……うん」


 私が天乃とずっと仲良しでいたかったのと同じように、天乃も私との関係に何かを求めていたのだろうか。


 天乃は私と、どういう関係でいたかったんだろう。

 私たちはどんな関係になれたんだろう。


 姉妹らしさを求めた私に、そうでない天乃。思いはすれ違っているけれど、今の天乃は姉妹らしさで塗りつぶされることを望んでいる。


 本当に、このままでいいんだろうか。

 心のどこかがそう言っている気がするけれど、でも他に何になれるのかなんてわからない。せっかく家族としての縁が結ばれたなら、姉妹として仲良くなりたいと思うのは自然のはずだ。


 でもそんな自然がどうしようもなく、私の心の中で不自然に映るような気がした。


 私にとって。

 天乃にとって。


 お互いは結局、どんな存在なんだろう。

 わからないまま天乃を抱きしめると、天乃も私を強く抱きしめてきた。

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