第165話 邂逅(1)



「忙しいところ呼び出して悪かったね。

 元気にしてたかい?」


 俺が王都にある待ち合わせの喫茶店へと訪れると、ミモザはすでに待っていた。


 いかにもやり手の商会長という品の良い服装で、どことなくベアレンツ群島国の影響を思わせる、さらに言うとどことなく和装を思わせる服装だ。


「久しぶりだなミモザ。

 何の用だ?」


 俺が単刀直入に用件を尋ねると、ミモザは顔を顰めた。


「久しぶりに女に会ったってのに、いきなり核心に迫ろうとするんじゃないよ。

 まずはお茶を注文して近況報告でもするのがマナーってもんだろう」



「……昔の女みたいな言い方をするな」


 俺はため息をついて店員を呼んだ。



 ◆



 結論を先に言うと、ミモザの用件は凪風商会が王都に支店を出すので後ろ盾を紹介してほしいというものだ。



 創部から結構な時間が経ったが、ダンが部長をする帆船部は部員が俺とダンの2人だけだ。


 要因はいくつか考えられる。


 まず帆船は、これから魔導動力機関に置き換わっていく時代遅れな代物だと言われている事。


 加えて、帆船部を創部したタイミングで、坂道部は忙しくなったダンが副部長を外れて、ステラを部長に据えた新体制に移行した事。


 これを世間はダンが能力不足で干されたと見た。


 求心力を失った人間に人は集まらない。


 王立学園生は皆忙しくて、学園から少し離れた港へ出かけなくては活動できない、という事も一因だろう。


 そして最も大きな理由は、現在のところ俺もダンも人を増やしたいと思っていない事だ。


 練習船が一艘しかない今、闇雲に人数を増やしたら、自分が練習する時間が激減してしまう。


 そんな自分の勝手な都合で、俺はダンが悪評、とまでは言わないが、冷たい視線に晒されるのを放置している。


 尤も、ダン自身が噂を否定したり、構想を話したりすることまでは制限していない。


 ダンは訓練すれば俺以外にも、つまり少なくとも自分にも習得出来ると見通しが立つまでは、風魔法とベルヌーイの定理を組み合わせた新たな帆船の運用方法については、伏せておくべきと考えているようだ。


 まぁ王立学園生の貴重な時間を数ヶ月、下手したら年単位で犠牲にして、結局成果がありませんでした、では責任が取れないと思う気持ちは理解できる。


 その辺りの判断をダンに一任しているという訳だ。

 バランス感覚に優れたダンなら安心して任せられる。


 ダンの人柄や実力を理解している人間が、ダンに話を聞きにきても、今はまだ帆船部はやめておいた方がいいとやんわりと断りを入れて、風魔法の習得を勧めているようだ。


 いずれにしろ、風魔法が使えなければ話にならないからな。


 そして風魔法と聞いて、皆が顔を顰めて去っていくうちに、監督と部長しかいない2人ぼっちの部活動が完成したという訳だ。



 練習風景を、見る人が見ればある程度のことは分かると思うが、陛下にお墨付きをいただいた事で、王宮南の一般船の通行が制限されている、広々とした領域で練習しているのでそちら方面から評判が立つという事もない。


 そんな訳で、帆船部とダンの評価が地に落ちたまま、まぁいっかと帆船部の活動を堪能していたところへ横槍が入った、というのが今回のミモザの相談だ。



 ダンの親父であるサルドス伯爵が、ミモザが商会長を務める凪風商会に圧力をかけ始めたのだ。


 当初伯爵は、俺とダンが2人で立ち上げた部活動の部長にダンが就任したと聞いて、躍り上がって喜んでいたそうだ。


 だが他の俺が立ち上げに関与してきた部活動と違い、帆船部の評判はいつまで経っても今一つだ。


 いや、何も成果が無く、人もまったく集まらない事で、徐々に悪くなっているとすら言える。


 Eクラスのトゥーちゃんが立ち上げた魔導車部ですら、徐々に評判を高め、俺が加入したタイミングで結構部員数が増えたにもかかわらずだ。


 さらには林間学校で、生徒たちの平均スコアが劇的に伸び、その要因は間違いなく坂道部とゴドルフェンが明言した事で、ダンが干されたと思われている坂道部の評価は天を衝く勢いで王国中に響き渡っている。


 当然ライオを抑えて部長を務める騎士コース学年3位、ステラの評判もうなぎ上りだ。



 サルドス伯爵は焦れた。


 ダンによると、あれほど社交の場で絶賛されていた自分ダンの話題は、ここ最近では触れてはいけないタブーかのように扱われている。


 気まずそうに目をそらす人間などまだマシな方で、面と向かって『若気の至りを正すのも親としての務めですぞ』などとしたり顔でアドバイスを送ってくる輩までいる。


 勿論サルドス伯爵は、時代遅れの帆船など止めて、せめて魔道船にしなさいとか、帆船部(と魔法研)を辞めて、坂道部の幹部に戻れるよう友達のアレン君に頼みなさいとか、事あるごとにダンを呼び立てたりしているようだ。


 ダンは、帆船の新たな可能性を少しでもサルドス伯爵に漏らすと、あっという間に尾ひれのついた話が回り、収拾が付かなくなると考えて、伯爵には『騎士として必要な筋力のトレーニング』で通しているらしい。


 サルドス伯爵は焦れに焦れた。


 そこに、どこからか、帆船部に船を供与しているのが、ダンの生家である凪風商会という情報が漏れた。


 サルドス伯爵が烈火の如く怒ったのは、想像に難くない。



 ◆



「まぁ王都近郊で凪風商会の社紋を付けた船を走らせてアピールしようと考えていたんだ。いつかはこうなる事は予測できたよ」


 ミモザはまるで狼狽えた様子もなく、平然とそう言った。


「だが流石に自領の領主から睨まれては商売にならないだろう。食わしていかなくてはならない社員もいるだろうし、厳しければ降りてもいいんだぞ?」


 俺がこのように言うと、ミモザは途端にキッと目を吊り上げた。


「甘く見てもらっちゃ困るよ、レン。

 言ったろう、いつかはこうなる事は分かってたって。

 うちの社員で降りたい奴は一人もいなかったけど、どうしても守るものがある奴には次の仕事の世話をして一時的に辞めてもらった。

 今残ってる人間で、芋を引いてるやつは一人もいないよ」


 そのミモザのセリフを聞いて、俺の脳裏にはカッツォやコンじい、その他の屈強だが気のいい海の男たちの顔が浮かび肩をすくめた。


「あたしには……凪風商会には夢がある。

 いつか話したろう?

 こんなデカいチャンスは2度とない。勝つ目が見えている勝負所でびびるほど、あたしは控えめな女じゃないよ。

 ……あんたからしたら、うちに拘らなくてもスポンサーなんて本気を出せばいくらでも集まるだろう。

 だがあんたに降りてくれと言われるまで、こちらから降りるつもりはないよ」


 ミモザの野心か。


 確か、商会をでかくして銭を儲けて、強くて速い船を造って、いつか外海へ出て……とか言っていたか。


 外海は海の魔物が手強いらしいからな。


 それでも海の男達が外海に憧れを持つのは、もちろん貴重な素材などのリターンが大きいからだ。


「覚悟は分かった。だが勝たなきゃ意味がない。その勝ち目とやらはどう考えているんだ?」



「ふん。

 一番は人さ。あんたとダンを信じてる。それが自信の根本さ。

 ……まぁあえて理屈を言うなら、うちはサルドス領の造船整備ドックを握ってるからね。

 いくら伯爵に圧力をかけられても、今日明日に潰される訳じゃない。

 潰すと替えが利かないように商会を育ててきたからね。少なくともあんたとダンが卒業するまではもたせられる。

 その間に、凪風商会の拠点を王都に移動させて、伯爵家でどうこうできないレベルまで商会を育てる。ちょうどあの田舎が窮屈で仕方がなかったんだ、渡りに船だよ」


 ミモザは燃えるような瞳でそんなことを宣言した。


 真っ向から伯爵家に刃向かうつもりなのか……

 豪胆なもんだ。


「なるほど、それならダンは表立って動けない。そこで俺の所に来たという訳か」


 ミモザは頷いた。


「そうだね。ダンの母親、つまり私の姉であるビーナは内縁の妻として伯爵家にいるからね。言い方は悪いが人質のようなもんさ。

 ダンが言うには、相当に家中で風当たりが強いようだけど、ダンには自分の信じた道を進めと言って、裏では笑っているみたいだね。叩き出されても一向に構わないといって。

 ま、私も伯爵家に喧嘩を売るつもりまではないよ。結果を出して黙らせる。その手伝いをしてほしい」


 俺は苦笑して頷いた。


 まぁダンの母親でミモザの姉だ。それくらいの気骨があっても驚くには値しないだろう。


「俺たちを信じて後押ししてくれるのだから出来る限りの事はするが……

 具体的には何が必要なんだ?」


 ミモザはニヤリと笑った。


「凪風商会の王都支店を出すために水面下で準備を進めているけど、おそらくこのまま進めても、露見した時点で裏から手を回されて潰される。

 強い後ろ盾が欲しい。

『狂犬』は裏社会に顔が利くだろう。先日ロッツとかいう三下相手に暴れ回った噂は聞いているよ。

 王都東を仕切っている鶴竜会と繋いでくれないかい? 私だけで申し込んでも入会だけなら出来ると思うけど、貴族と喧嘩になるのが目に見えているからね。

 初めからスジを通してどれくらい計算できるのか測っておきたい。その為に、あんたのつなぎが欲しい」


 俺は顔をしかめつつ、首を傾げた。


「……暴れ回ったとは人聞きが悪い。呼ばれたからちょっと挨拶に行っただけだ。

 ところで東の鶴竜会でいいのか?

 裏側を仕切っている裏社会の団体で、造船関係でコネがききそうなのはルーン川のある南を拠点にしているコンチネント商会と小耳に挟んだ記憶があるが……」


 ミモザは意外そうな顔をした。


「ん? もしかして本当に噂通り鶴竜会と、あんたが世話してる若手探索者連中が立ち上げた『マッドドッグ』ってのは仲悪いのかい?

 王都中からイキのいい若いのが集まって、中々の人数になっているみたいだけど、互助会ってわけでもなさそうだし、まだ鶴竜会や貴族社会に喧嘩を売れるような中身じゃないと思っていたけど。

 見たところ、レンは大して手を掛けていないんだろう?」


 なんだその恥ずかしい名前の団体は……


 暫く探索者界隈から離れていたら、どうやらベンザは品の無い連中を集めてブイブイ言わせているらしい。


 東支所には迷惑をかけない、なんてレッドは言っていたが、元々デブがいたゴールドラットはどうなったんだ? 


 まぁ心からどうでもいいが。


「あぁ、手を掛ける気はない。そんな団体が存在する事すら今知った。

 と言うか、面倒ごとを通りすがりのデブに丸投げしただけだし、世話をした覚えもない」


 ミモザは大笑いした。


「大まかな経緯いきさつは噂で聞いていたけど、ひどい言い草だね」


 確かに丸投げしたのは少々無責任だとは思うが、勝手に人を集めてブイブイ言わせてるのはベンザだ。


 あいつの『心の羅針盤』がどちらを指し示しているのかなどさっぱり分からない。



「……これからはマッドドッグの時代だ、なんて評判が不自然なほど立っているけど、この王都で商売の後ろ盾として立つには、まだまだ色んなものが足りないだろう。

 ま、あんたほどの男が、本気で取り組むのなら話は別だけどね」


 ミモザに目を見据えられて、俺はうんざりと手を振った。


「悪いがそこまで暇じゃない。

 だが……鶴竜会、か」


『探索者レン』はここのところ全く表に出ていない。


 万が一『レン』の正体が王国騎士団員であるアレンだと露見すれば、間違いなくロッツファミリーの黒幕はトカゲの尻尾切りでロッツを切り、姿を隠すからだ。


 出来ればロッツがマークしていると思われる、鶴竜会に顔を出すのも避けたいところだが……


 俺が難しい顔をしていると、それに気が付かないような女ではないミモザは尚も押してきた。


「ここ数ヶ月で色々調べて、あたしが世話になりたいと思えたのは鶴竜会くらいしかいなかったからね……

 今は船舶関係のコネよりも、まずは器が欲しい」


 どうやらミモザは鶴竜会を高く評価しているらしい。


 ミモザがここまで無理押ししてくるという事は、凪風商会が王都で地盤を築くためにはどうしても鶴竜会の庇護が必要と考えている、という事だろう。


 つまり俺がやりたい事帆船部に必要だという事だ。



「分かった。

 アポイントを取ってくれ。

 ただし――」


 俺は声のボリュームを落とした。


「探索者レンではなく、『王立学園帆船部監督、アレン・ロヴェーヌ』として同席する」


 俺がそう言うと、ミモザは目を細めた。


「……いいのかい? 私に本名を明かして」


 俺はため息をついた。


「ふん。お前が俺の正体を調べないはずがない。ダンの知り合いの王立学園生だとは把握していたんだ。簡単にたどり着いただろう」


 俺がそう言うと、ミモザはキッと俺を睨みつけてきた。


「見くびるんじゃないよ。恩人が隠したがっている秘密を暴こうとするほどゲスじゃない」



 ミモザはそう言ってから肩を竦めた。


「……ま、わざわざ調べなくても王都で普通に生活していたら『歩く前代未聞』の噂はお腹いっぱい入ってくるし、嫌でも予想はついたけどね」



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