第142話 第一想定(1)



 俺たちは嫌な予感を胸に感じながら、固唾を飲んでゴドルフェン先生の発表を待った。


 先生は事もなげにAクラスの想定を発表した。


「さて1年Aクラスの第1想定じゃ。

 想定。

 ここから北東に見えておるダーレー山脈のロードリア山の山頂、すなわちクコーラ都市連邦との国境付近に正体不明の軍勢が現れ、国境警備軍の防衛拠点が陥落したとの報が入った。

 諸君らは左側後方のテントにある支援物資800kgを輸送しつつ48時間以内に防衛拠点を奪還せよ。

 併せて別働隊がアキレウス子爵領インパラに駐留する北西部方面軍第6大隊に本内容を伝令。

 支援を要請した後、同じく48時間以内に本隊と合流せよ。任務遂行に必要な物資は右側後方テントより調達。

 リーダーはライオ・ザイツィンガー。以上じゃ」



 そのあんまりな内容に、Aクラスの生徒はもちろん、周囲で出発の準備をしていた他のクラスの生徒も耳を疑った。


 他のクラスの先生は無表情だが、目には気の毒なものを見るような色がある。



「バカな……不可能だ!

 ここからアキレウス子爵領インパラまで、どれだけ距離があると思っている!

 2つの男爵領を経由して……おおよそ片道250kmはある。

 寝ずに走り抜いても、行って帰ってくるだけで私でも1日半は掛かるぞ。そこからダーレー山脈の国境まで登山道を120km。

 これを半日で駆け上がれとでも言うのか?

 言っておくが、この時期のダーレーは五合目を過ぎたあたりから桁違いに魔物の数が増える。ハイキングじゃないんだぞ!」


 声を上げたのは桃色ツインテールのステラだ。


 アキレウス家出身のステラは、この辺りの地理が詳細に頭に入っているのだろう。



 クソジジイめ……この伝令の想定は、明らかに俺を本隊から外す事を狙いにしているな。


 俺は騎士団の任務や訓練に動員されている関係で、こうした行軍の基本が多少は身についている。


 俺が本隊にいるのといないのでは、難易度がまるで違うだろう。


 ちくしょう……俺の青春、深夜の恋バナが……


 俺が遠い目をしていると、ライオが俺に例の真っ直ぐな目で問いかけてきた。


「……いけるのか、アレン?」


 俺は大きくため息をついて、頷いた。


「……はぁ〜。

 ……悪いがステラをこちらに配属してくれ。結果的には恐らくそちらの方が早い。

 時間が惜しい、すぐに出る」


 俺がそう言うと、ライオは即断した。


「ステラ!お前はアレンと伝令班だ!

 他に手がない。すぐに出るようだから準備をしてくれ」


 ライオがこう宣言すると、依然として険しい表情のステラが言った。


「私は確かにこの辺りの土地勘はあるが、アレン1人で走った方が速いんじゃないか?

 というか私はお前のペースにそんな長距離付いて行くのは無理だ。

 私がついていって間に合うとはとても思えない」


 俺は首を振り、ステラへと言った。


「『何事も、成し遂げるまでは不可能に思えるもの』だ。

 ……と、ゾルドは言っていた。

 先ほどステラも言ったように、正攻法では無理だろう。

 帰りは山中をショートカットせざるを得ない。

 俺は道中、斥候と戦闘に専念して、『ダーレーの守人』アキレウス家のステラに道を先導して貰う。

 道に迷ったら即詰むし、森の中でいちいち方角と自位置を確認して進んでいたのでは、とても間に合わないからな。

 他領とは言え、この辺は庭のようなものだろう?

 ……俺の読みでは、ここまでやってギリギリだ。

 はっきり言って、小休止がせいぜいで、寝る時間はない。

 速度重視で行かざるを得ないから、風雨を凌げるマントと、この辺りの山中の戦闘で必要となる最低限の装備だけ用意してくれ。

 着火魔道具や岩塩などの、必要最低限の道具は俺が持っている」


 俺がこう言うと、ステラは頷いて、マントを取りに倉庫へと走って行った。



 そこでフェイが心配げな顔でこんな事を言ってきた。


「これがドラグレイド近くの山中なら、僕が案内役でアレンと2人だったのに残念だよ。

 ……ま、超奥手のアレンの事だから、そんなワイルドな誘い方をしておいて結局指一本触れてこないって事は分かっているけどね。

 それでも僕はステラが羨ましいよ。

 ……怪我には気をつけてね」


 こいつがこういう態度だと何か調子が狂うな。


「……最近妙にしおらしいな」


 俺は疑いの目線をフェイに向けた。


「ふふっ。

 僕だってバカじゃないよ、アレン?

 アレンはどう見ても女子に免疫が無さそうで、いかにも押しに弱そうなのに、押しても押してもまるで効果がないからね。

 だから少し作戦を変えているのさ。

 それとも、やっぱり元の方が好みというのなら戻すけど?」


 フェイはニコニコと笑いながらそんな事を言った。


「結構だ。

 それを俺に馬鹿正直に言うあたりが実にお前らしいな、フェイ」


「ぷっ!

 僕はフェイルーン・フォン・ドラグーンだよ?

 欲しいものは正面から、堂々と手に入れる事にしているのさ」


 フェイはネコ科の目をランッと輝かせて言った。


「……顔が元の危ない女に戻っているぞ」


 俺がそう言うと、フェイは途端にしおらしい顔に戻って言った。


「信じて待ってるから、早く帰ってきてね?」


 このセリフに、俺は思わず失笑を漏らした。



「……待ってるから早く帰ってきてね、だと?

 フェイよ、ゴドルフェン先生クソジジイの顔をよく見ろ。

 あの楽しそうな目をな……

 俺の読みでは、本隊と伝令の任務難易度は同等程度に調整されているだろう。

 その上でステラをこちらに配置してもらうんだ。

 恐らくは、先に到着して待っているのは俺たちだろう。

 むしろお前らが大ポカをして、その尻拭いを俺とステラがすることにならないかが心配だ。

 あまり期待はしていないが、精々頑張ってくれ」


 俺がこうしてクラスメイト達を煽ると、全員がぎらりとその目を光らせた。


 くっくっく。

 相変わらずプライドの高い奴らだ。


 こいつらには俺の温泉のために精々頑張って貰おう。



 俺がステラと出発しようとすると、ココがデフォルメされて距離感の全く分からない地図を指差しながら近づいて来た。


カナルディア実家の記録によると、恐らくこの辺に大きな沢があって、こんな形になっている。だから本隊は、このルートから、こうアプローチする可能性が高い。

 後は現場を見て判断するしかないけど、多分ポイントはここと……ここかな」


 と、非常に要点を突いた簡潔な説明をしてくれた。


 ココにはすでに俺の考えも見えている。

 その上で、俺が後々考えようと思っていた事を、今の一瞬で整理して伝えてくれるとは……


 流石はココとしか言いようがない。



 Aクラスの想定が発表されてから3分後。


 俺とステラは誰よりも早く草原を出立した。



 ◆



 アレンとステラが出発した後。


「さて……私たちも出発の準備をしましょうか。

 アレンさんにあそこまで言われて、まさか先を越されるわけには参りませんからね。

 どうアプローチしましょう」


 ジュエがこう問いかけた所、ライオは腕を組んで目を瞑り、10秒ほど沈黙した後に、おもむろに口を開いた。


「……この課題の肝は、支援物資800kgの運搬。

 これに尽きる。

 これは例えば本隊の18名のうち、16名が50kgの荷物を背負い、俺を含めて山中行軍の経験が少ない全員が揃って48時間以内に予備知識のない山を120km進まなくてはならない、という事だ。

 いや、『48時間以内に防衛拠点を奪還』が目的だから、遅くとも数時間前には着いて、奪還する時間が必要となる。

 もちろん支援物資以外の行軍に必要な物資も必要となるだろう。

 ……俺1人の知恵と頑張りでどうにかなる程緩い課題ではない。

 総力で挑まないと……」


 ライオはギリッと歯を噛み締めて、クラスメイト達を見渡した。


「あいつに、鼻で笑われる」



 ライオのこのセリフを聞いて、Aクラスの面々は悪い顔でやれやれと首を振って煽ってくるクラスメイトアレンの顔を、はっきりと幻視した。


 ライオがチラリとココの方を見ると、ココは力強く頷いた。


「……ルート選定は地理研の僕とシャルでやる。今から15分で発とう。

 時間との勝負だ」


 あまりこうした場面で前に出ることのないココが、はっきりとした声で宣言すると、ケイトが頷き話を引き取った。


「必要な装備の選定と荷物の振り分けはこちらで纏めるわ。

 残念ながら物理的に野営道具を持つ余裕はないから、私たちもマントを羽織って小休止が精々ね。

 さっさと終わらせて、保養施設でゆっくりしましょう。

 ココを除いたら山歩きの経験が豊富なのは、アルとソフィーかしら?

 意見を頂戴。

 ライオは全体の確認ね」


 どんな時でも前向きなアルは、ワクワクとした顔で言った。


「水の補給は俺がいるから想定しなくていいぞ!

 アレンの鼻を明かしてやろうぜ!」



 Aクラスの生徒達がテントはおろか、寝袋すら持たずに早々に草原を発つのを、他のクラスの生徒達は呆然と見送った。



 ◆



「いきなりあの『想定』を与えられて、出発までたった20分ちょっとですか……

 公爵家のライオ・ザイツィンガーがリーダーで、侯爵家2家が在籍する今年のAクラスの生徒達が、一点の迷いも無くキャンプ道具を放棄するとは……

 正直言って、あのAクラスの『想定』は無茶苦茶です。

 今の3年生でもこなすのは難しいでしょう。

 それくらい彼らも分かっていると思われますが……

 何にせよ、ベストを尽くそうとする姿勢は素晴らしい。

 一体たった半期でどうやってあれほど彼らを伸ばしたのですか?」


 Eクラスの担任を務めるリアスがそう尋ねると、ゴドルフェンは愉快そうに笑った。


「ふぉっふぉっふぉっ!

『わしは何もしておらん、あやつら自身で考えて、勝手に伸びただけ』、というやつじゃ。

 尤も……ベストを尽くしたなどと言う負け犬の遠吠えは、わしは全く求めておらんがのぅ」


 ゴドルフェンがそう言って、顎髭を撫でながら口元を妖しく歪めると、教師陣はごくりと唾を呑んだ。


「それにしても『何事も、成し遂げるまでは不可能に思えるもの』とは、実に含蓄に溢れる言葉じゃ。

 その言葉一つで、常に困難に立ち向かい続けたゾルド氏の人生が見えるのう。

 さて、わしも置いていかれないように、そろそろ出るかのう。

 楽しい演習になりそうじゃ!

 ふぉっふぉっふぉっ!」



 ……これは林間学校で、軍事演習ではありません。


 その言葉を他の教師陣は呑み込んだ。


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